またまた、iMacG5


iMac の話が続くけれども。
今日になってiMacにそっくりのパソコンが出てるってニュースが出てきて、、、
それが、これなんだけども。


おいおいおい。馬鹿をいっちゃぁいけないよ。
これのどこが似てるのだろう?
これが似てるってんなら、4足歩行動物は全部同じになってしまうがな。
このこと自体はどーでも良いんだけども、
こいつのお陰で分かった事がある。

アップルはiMacシリーズでは、パソコンっていうハードを否定したいんだろうな。
なんでこういう結論になったかと言うと、、、

上記のパソコンとiMacのどこが同じやねん!!
って、自分の中で突っ込みが入った後、じゃ、どこが違うのよ?
って、聞き返されちまったのさ。自分に。

んで、しば〜〜〜らく考え込んだ後に出てきたのが、コンセプト。
デザイナーさんのコンセプトが製品を通して見えてくるのがアップルなのよね。
じゃぁ、今回のiMacのデザインは?ってさらになったんすが、、、
それが、パソコンってハードの否定ってなったわけ。

初期のトランスルーセントiMacのときから、もしかしたらこのコンセプトは一貫して変わっていないのかもしれない。
確かに、パソコンの煩雑さの要因って、実はハードから来ている事が多い、、、気がする(笑)
初期のiMacのデザインに関しては別の見え方もあるんだけども、これは別の機会に書くとして
今回で大きなデザインの変更は4回目。
でも、きっとキープコンセプトなのは、パソコンの存在を消すってことだったんだと思う。

デジタルハブが(今で言う)パソコンである必要は無いってのはアップル自身が一番分かっているのかもしれない。
結局いかにオブジェクトとユーザーをハードの介在無しに直接つなげるかが、iMacの一番のテーマなんだろうね。

ここまでくると色々見えて来る。
今回のiMac、俺は上記のコンセプトに対してかなりストレートな方法で対処していて気持ちいいんだけども、
意外と批判が多い。その一番の矛先は、ディスプレイ下の”あご”の部分。
これ、きっとここに、パソコンっぽさを無意識に感じちゃってるのかもなぁ。

あと、先代大福iMac。俺はこれがどうも好きになれなかったけど、今回ので氷解。
大福iMacの大福の部分が大きすぎて、あそこがパソコンである事を主張してやめてなかったのだ。
それが、20インチ大福になると突然ディスプレイとその立場が逆転する。
大福が単なる土台にしか見えなくなる。こうなった時突然かっこ良くなる。
最初から20インチで出してくれれば全然イメージも違ったのかもなぁ。

今回のiMac、あっしはデジタルハブの一つの完成形と見ます。
もちろん、こういうコンセプト以外にも色々iMacの見方があります。

ひとなつっこさや、可愛さ、意外さなどの部分からの評価もあるだろうし、
俺的には、デザイナーがどこまでデザインを完結させて出してくるのかっていう、
わざと不完全さを残すデザイン、って所からも今回のiMacは見てて面白い気がする。

う〜〜〜ん、俺がMacを今好きな最大の理由は、実はこういうデザインの所なんだろうなぁ。

Posted: 木 - 9月 9, 2004 at 06:10 PM      


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