| アートレポート―イギリス現代美術の動き
1997年1月 1 現在のイギリスアートを考える20世紀の美術を見るとき、イギリスは、ムーア、ヘップワース、ベーコンをはじめ、多くの優れた作家を世に送り出ししてきた。さらに、アニシュ・カプーア、リチャード・ロング等、80年代を代表する作家たちをも輩出してきた。それにもかかわらず、イギリスは、コンテンポラリーアートにおいて、アメリカやドイツに水を開けられてきた事に対してコンプレックスを持ち続けてきたのである。 その背景には、70年代から、ポップ・ミュージックやストリート・ファッションの分野でその中心に位置してきたロンドン文化と、その時期においてイギリス・アートが求めた理想との間に軋轢があったことが考えられる。アートの、社会に対しての優位性が、階級制度の根強く残るイギリスで、ハイ・カルチャー/ロウ・カルチャー意識のうちに(ギルバート&ジョージら多少の例外はあったにせよ)大衆世界とのすみわけの根拠となり、アートが、大衆文化を含めた一つの大きな動きに向かうまでには至らなかった。90年代に入り、冷戦の終結、また戦後50年を経て、今までアメリカ、ドイツが背負ってきた、時代に対する必然性が緩みつつある今、ロンドンを拠点とするコンテンポラリー・アートが、ある方向性を持った力として注目を集め始めている。そして1995年11月、イギリス・アートの明日を占う“The British Art Show 4”が幕開けする。前回90年のときと比べると、今回の作品の傾向は大幅に変わっており、イギリス・アートがこの5年間で新しい時代に入ったことを、いやがおうでも思い知らされる。特筆すべき点は、彼等のほとんどが30歳前後、60年代生まれであり、すでにヨーロッパ、アメリカなどで展覧会歴を持つということである。そして彼等が、70年代から80年代と、ロンドンの華やかな大衆文化をごく自然に受け止めてきた世代であるということが、今のイギリス・アートを読み取っていくための重要な鍵になるだろう。 2 デミアン・ハーストの登場―イギリス・アートの枠組みを変えた彼の存在の意味一般にデミアン・ハーストというと、ともすると「あの、ホルマリン漬のサメの作家」というだけの捉えられ方をされがちだが、イギリスのコンテンポラリー・アートにとって彼の存在はそれ以上に大きな意味を持つ。1988年、彼がまだゴールドスミス・カレッジに在学中に、「伝説的な」ともいわれる“Freeze”という展覧会を企画する。イギリスにおけるバブルの崩壊後、空きの目立つ倉庫を使って、アーチスト達が自分たちで展覧会をオーガナイズするというスタイルを、初めて築いたのがハーストであった。実に、これは今まであったギャラリーとアーチストの関係を一変させた。俗にアルタナティブといわれるスペースで、刺激的な展覧会が行われるようになると、ギャラリーの目は自然と学生達に集まるようになり、大学の卒業展に多くの美術関係者が足を運ぶようになった。このことは90年代のアートの幕開けとして、非常に深い意味を持ってくるのである。
3 ターナー賞から見るイギリス・アートの背景ターナー賞は、イギリスのコンテンポラリー・アートにおいて、一番権威のある賞だといっても過言ではない。1984年に始まったこの賞も今回で12回を迎え、大賞受賞者もギルバート&ジョージ(86年)、リチャード・ディーコン(87年)、トニー・クラッグ(89年)、アニッシュ・カプーア(91年)と、錚々たる顔触れである。選考基準は「50歳以下のイギリスのアーチスト」で、「その年に内外で行われた優れた展覧会」の中からノミネートする方式をとっている。選ばれたアーティストの作品は、テート・ギャラリーに集められ、その展覧会の期間中に大賞が決定する。イギリスらしいリベラルで平等な賞の在り方だが、ある意味ではイギリスの持つ保守性と権威主義を感じさせなくもない。 そして95年、デミアン・ハーストが大賞を受賞。(4年前にもノミネートされている)その陰には、イギリス・アート全体がハーストを使って、アメリカ、ドイツに一気に追い付こうとする思惑が見え隠れする。ともかく、筆者が3年間通して見てきた、現在に至るイギリス・アートが「何」を背景にしてきたのかを探るのに、ターナー賞は最適の素材ともいえる。ただし以下は、日本人が彼等のアートを見るときに解りにくい点についての注釈的な考察であり、イギリス・アートについてのグループ分けではない事を断わっておきたい。
まず最初に取り上げなければならないのは、女性アーチストと、いわゆるイギリス以外の国の出身のアーチストについてである。93年の大賞受賞者で、型取りによる「ネガ」の部分を再構成した作品で知られるレイチェル・ホワイトリードをはじめ、大きなサイズの写真を使ったハナ・コリンズ(93年ノミネート)、幾何学的な彫刻を作るシラチェ・ホウシアリー(94年)、身体にかかわるインスタレーションを手懸けているモナ・ハトゥムらは女性アーチストだ。男性中心に培われてきたのアートの世界に対し、ジェンダー意識の強いイギリスで、ハトゥムの様に女性である事と作品が直接係わっているアーチストを含め、今までとは違った感性で作品にアプローチしている。ちなみに“The British Art Show 4”では、半数以上も女性で占めている。 さらに違った文化を背景に持つという点で、ラオスで生まれたヴォン・ファオファニト(93年)、さらに女性でもあるハトゥム、ホウシアリー(二人とも20年近くイギリスに住んでいる)がいる。ファオファニトは、フランスで勉強したあと85年にイギリスに渡る。蛍光管を素材に、米、竹、ゴムなど東南アジアの文化、歴史、経済を意味に含んだインスタレーションを手懸けている。イラン人であるホウシアリーの作品にはイスラム文化が色濃く反映される。ハトゥムは、パレスチナ人として受けてきた「抑圧と対立という歴史」に対しての抵抗が、女性であることを含めて作品の中で重要な部分を占めている。これらの傾向は、すでにマイノリティー・グループに対する配慮といった側面を超えて、彼等が広くイギリスのアートに影響を与えていることを如実に示している。 社会に対する問題意識も、イギリス・アートにおいて大きなテーマである。イギリスの今日的な問題に着目し、アートの持つ批判機能に重心を置いた作品も数多く見ることができる。 イギリスの階級社会にシニカルな笑いを持って迫るのがマーク・ウォリンジャー(95年)である。サラブレッドをモチーフにしたペインティングのほかにも、最近ではビデオを使ってイギリスの持つ社会構造を取り上げている。さらに94年には馬を買い、“Real Works of Art”と名付け、その馬がレースに登場する度にアートの作品として成立するアイロニーを提示する。 イギリスの抱える問題としての北アイルランドを、アイルランドの側からの視点で取り上げているのがウィリー・ドーハティー(94年)である。彼の生まれ故郷である北アイルランドの町「デリー」は、イギリスサイドから見た「ロンドン・デリー」という「もう一つ」の名前を持つ。その一つの町が持つ二つの側面に対して、写真とビデオを通して問いかけている。 ターナーを冠した賞であるためか、ペインティングはカテゴリーの一部として考えられているようだ。ハーストやウォリンジャーもペインティングを制作するが、別の意味でペインティングらしいペインティングも必ず選ばれている。厚さの違ったパネルを組み合わせ、ストライプを配した抽象を描くシーン・スカリー(93年)、雑誌や新聞の写真から選んできたイメージから風景画を描くピーター・ドイグ(94年)、洗練された抽象を描くカラム・イネス(95年)等である。彫刻的傾向の強いイギリスにおいて、ややもすれば、守られるべきメディアとしてのペインティングの弱さをも露呈しているともいえる。 ターナー賞の設ける50歳以下のアーチストという制限は、ある意味では、批判の対象になりうるが、世代による作品の傾向を見る上では面白い。94年の大賞受賞者アントニー・ゴームリー(1950年生まれ)とハトゥム(52年生まれ)は、身体をその作品の中央に位置付ける。ともに59年生まれのウォリンジャー、ドイグ、ドーハティーの作品からは、不器用といえるほどの真摯さを感じる。これらの世代に対して、ハースト(65年生まれ)やホワイトリード(63年生まれ)は、作品に対するアプローチが、全くといってもいいほど異なっているという事実を、ここから読みとることもできる。良い意味でも悪い意味でも、これらがイギリスのアートの背景として、ある意味を示唆するだけでなく、新しく出てきたアーチストを見ていく上でも最低限押さえておくべき条件だともいえる。 4 1960年代生まれの新しい作家達今まで見てきたように、新しいアプローチとオリジナリティーをもった若いアーチストが、1990年頃を境にして、ロンドン発のムーブメントとして動き始めている。取り上げたいアーチストは多いが、その中から何人かについて紹介したいと思う。
最近の傾向として、映像をインスタレーションの一部として、ごく自然に用いるアーチストが増えている。ジョージナ・スターは、自分で台本を書き、自分を演じることによって、エンターテイメント性の高い作品を作っている。“Visit to a Small Planet”では、自分が10歳のとき見た映画の記憶による再構築を試みる。子供のときの記憶が、現実を凌駕するほどの想像力によって構築されていることを示唆する作品だが、いかにもテレビ世代的な取り組みで、評論家的アート作品の見方さえも煙に巻いてしまう。マット・コリショウーは、インスタレーション“Snow Storm”の中で映像を取り入れている。ホームレスの映像を写しこんだ机の上のスノー・ボールの映像を、すりガラスの上に投影する。スノー・ボールの中の雪に凍えるホームレスは、作られた現実だ。しかし、それを見る自分は、実際には「他者」として非現実の中に彼等の存在を押し込めてしまっているという事実を物語っているようだ。鳴り続けるスノー・ボールのオルゴールの音が、メランコリックな叙情を誘う。
コリショーもそうだが、サラ・ルーカスとジリアン・ウェアリングも社会批判性の強い仕事をしている。ルーカスは、たぶんイギリスで一番攻撃的なフェミニストだろう。男性によって作られた社会的暴力として、スポーツ新聞に氾濫するヌードを告発する作品で注目を浴びる。一方ウェアリングは、社会の周辺の声に耳を傾けている。“Signs that say what you want them to say and not signs that say someone else want you say”という作品では、道行く人に、今、自分の考えている事を紙に書いてもらい写真におさめる。
パキスタン生まれのハマド・バットは、94年に32歳の若さでなくなっている。イギリス移民の中でも、インド・パキスタン人は、自分達のコミュニティーを作り、文化を忠実に守っている。アイデンティティーとしての「東洋性」と、自分の「間近に迫った死」と向き合った作品は、彼の死後、テート・ギャラリーで行われた“Rites of Passage”という展覧会で取り上げられた。塩素ガスがつまったフラスコ状のガラス容器18個が、天井から一つづつワイヤーで吊されている。澄んだ黄色の毒性を持った気体が、細いワイヤーでバランスがとられ、生と死の境の異常な緊張感を醸し出している。アニヤ・ガラシオは、死に至るプロセスとしての「腐敗」をテーマにしている。デミアン・ハーストの企画した “Freeze”にも参加しているアーチストだが、ハーストが「死の結果」に執着した作品を作るのに対して、ガラチオは、美しいインスタレーションで、ゆっくりと、しかし確実に向かう「死への経過」を暗示させる。
以上、イギリス・アートの90年代を見てきたが、それがいかに活気があるもので、ムーブメントとして力を持っているのかを伝えられたのではないかと思う。これは、イギリスの80年代のアートが力を持っていたことと無関係ではあるまい。しかし初めに述べたように、デミアン・ハーストの出現によって、アートの中心になる世代を一気に変えたことが、今の動きの発端であることは間違いない。彼等の作品自体は軽やかに仕上がっているものが多い。しかし、テーマは非常に重く、またアートがずっと追い続けてきたものそのものである。アートが社会に対するアピールであることを考えると、それを伝えるためには、現実の社会と離れているわけにはいかない。コンセプトが重視されてきたアートにおいて、もう一度人間との係わりについて考えようとする動きが、ある意味で90年代的な動きではないかと思う。
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