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本の紹介 風の散歩
1999年4月1日
風の散歩 小さな芸術家たち この画集の各章の冒頭にある短い文章と、イギリスの作家達の作品の説明文の和訳を私が担当しました。
手に取ってページをめくっても、最後の解説の項に至るまではこの本が自閉症児の作品を集めた画集であることはあかされない。何のまえぶれもなく私たちの前にポンと与えられたこの画集から何を感じ取るか。それは、監修者である寺山千代子氏の挑戦かもしれない。寺山氏は国立特殊教育総合研究所分室長として自閉症児の教育にたずさわってきた。その人をして、この画集からあえて導入の手がかりをそぎ落としたのは、例えば、子供の絵や障害を持つ人の作品は私たちの持ちえない感性と魅力を持っているという、そんな今では手垢にまみれになって定着してしまった言葉こそ、逆に私たち自身で「ものを見て、ものを考える」ことへの柔軟性を奪っているという反省を含んだ示唆なのではないだろうか。
作品紹介 |
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「空気抜きのある家」
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「どこまでも続く電線」
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「シャンプーシリーズから」
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「よそのとり」例えば「とり」を「いぬ」に置き換えてみる。野良犬のことは「よそのいぬ」とはいわないだろう。もっともその「いぬ」が迷い犬のように、以前どこかで飼われていた形跡を残していれば「よそ」という言葉があてはまるかも知れないが。「よそ」とは匿名の所有を示す言葉で、「よそのとり」とは「うちのとり」ではない「どこかのうちのとり」のことだろうか。なお、左下に見えるのは目玉焼きだそうだ。 |
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Life Storyこの画集には数点イギリスの自閉症児が描いた絵画があり、これらは私の大好きな作品でもある。自閉症児も私たちも同じ時代で、同じ場所に生きて、同じ視野で社会を見ている。そして彼らが見ているものは、イギリス、日本というそれぞれの固有性を含んだ「私たちの」社会であるはずだ。イギリスの自閉症児の作品と日本の子どもたちのそれとの「差異」は、それぞれの属する社会の構造自体に存在しているのではないか。 |
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最近では障害を持つ人の展覧会などもさかんに行われるようになったが、彼らの能力をアウトサイダー(外部にいる人)としてくくることに関しては異論がある。彼らは、むしろ私たちの「内部」から私たちの社会を見据える存在として認識すべきではないだろうか。そうでなければこれだけ強い作品が彼らの中から生まれるはずもない。彼らの作品が、特に私たちの現代美術といわれている作品群と類似性があるとすれば、この同時代的「視線」ではないだろうか。
*アンディ・ウォーホル ポップアートの中心的存在。消費される物とイメージの反復を主題とした作品を作る。 Textの目次へ戻る |
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