子供の情景
1998年10月7日
普段私たちが目にする景色を、わざわざ「大人の」情景と呼ぶことはない。「大人」、「子供」というふたつの言葉は、お互いの位置関係を絶えず視点にいれて使われる言葉であるからだ。つまり「子供の情景」という言葉には、その背後に「大人」の視線を含んでいるのである。もし、「大人の情景」という言葉に違和感を感じ、「子供の情景」という言葉を何の不思議もなく見過ごしてしまったとすれば、私たちが「大人」になってしまったからであろう。 「大人」と「子供」の位置関係は、左と右の様な水平の関係でなく、上と下の様な垂直の関係である。一般にこの垂直の関係を外から支える根拠が制度だと思われている。私たちは、家、結婚から社会、経済にいたるまで制度の中に生きているのだが、もう一歩踏み込んでみると、例えば、家長、嫁、法、通貨の方が制度なのだと考えることができるのではないか。じつは「大人」と「子供」の関係においては、「子供」自体が制度なのだ。外部にあると思われていた根拠が、関係の内部にある「大人」によって作られていたのである。それはふたつの関係において、「大人」の方は制度でないということを考えれば明らかだ。 この内部の制度によって子供は守られていない。逆に大人の立場を守るためにこの制度が存在していると言ってもよい。そのからくりを理解しなければ、大人たちは、子供たち自身が実際に目にする光景とは全く別の、子供の幻想しかみることができない。両者の関係において、子供自身の情景は「子供の情景」という言葉の中には存在しない。この一見、甘くリリカルな言葉には、私たちがもう一度考えてみるべき大きな問題が含まれているのではないか。マルタ・アルゲリッチの弾く「子供の情景」を聞いていると、なぜだか理由もなくこんなことを考えてしまう。
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