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ある自閉症児の絵画

 

1997年6月10日



 「自閉」という言葉から一般的に誤解は多いが、自閉症は心を閉ざす病気ではない。自閉症は、胎児期における脳障害がもたらした発達障害で、普通の子供の発達の過程と比べ、物事の概念化や体系化が遅れ、特に言葉の理解や対人関係などに遅れが目立つ。その一方、自閉症児には美術、音楽、記憶力などにおいて特異な才能を持つ子供がいる。例えば、イギリスのテレビで観た一人の自閉症児は、高層ビルをその階数から窓の数まで覚えて、後からその建物を紙の上に正確に再現した。実際に目にしたものを意味から切り離した形として視覚的に認識し、そのままの形で紙に定着する事ができるらしい。

 物事を認識するとき、多くの場合、言葉というフィルターを通す。入力された感覚情報は言葉によって分類され、それによって記憶を体系的にひきだしたり、その記憶と他の記憶を関連付けて物事を概念的にとらえる手助けをし、自分とその情報との位置関係を総合的に認識できるようになる。その一方で、増え続ける情報に埋もれないように、フィルターにかからなかった多くの情報は削除され、記憶にはとどまらない。
 逆に考えると、自閉症児は、言葉による概念化や体系化にしばられないため、彼らが興味をもって取り込む情報は、我々が無意識に(または不用意に)捨ててしまう情報を多く保持した、非常に純度の高いものだと言える。そのため、彼らが細心の注意をもって再現したものは、単なる記憶力の領域を凌駕し、我々に何らかの示唆を与える力がある。

電線 先日、自閉症児の絵を実際に見る機会があった。自閉症児が興味を持つ物は、音であったり、数字であったり、形であったりするが、1つの事(物)に対しての執着が強く、行為が反復されることが多い。
 B君のスケッチブックには、水平方向に、ややたわんだ線が何本か引かれている。次のページにも、また次のページにもその線は続いている。そして垂直に立つ柱のようなものを見たとき、何か感覚の深い部分を冷たい手でなでられたように、鳥肌がたつのを感じた。画面上に繰り広げられた反復は、まさしく電線であった。
 同じフォーマットに並べられた無機質な反復を見て、ふと*ベルント/ヒラ・ベッヒャーの写真を思い浮かべた。もちろんベッヒャーの作品を考えるとき、「概念」や「体系」といった要素は欠かせない。ただ、人の心に何らかの衝撃のようなものを与えているのは、いわゆる現代美術のフォーマットではなく、本質的な観察力であることは間違いない。B君のむき出しの画面からは、ベッヒャーが細心の注意をはらって削り落とした空気と同じ質の何かを感じた。

 この文章を書きながら、自分の部屋の窓から何気なく電線を見てみた。どんよりとした曇り空を背景とした水平方向の線は、空間的な奥行きを失って、普段我々が感じているものよりも構造的にはるかに強い。もしかしたら、B君はこんな風景を見ていたのかもしれない。B君の意識は、普段何気なく目にする風景から切り取られた、ほんの一部分にだけそそがれている。そして、電線を観察するために行われた空間的、時間的移動は、すべて平面的な横方向の反復に置き換えられている。反復は、同じものの繰り返しではない。我々が、概念的に同じものとして処理してしまうものについて、違いを発見できる能力が彼にはある。たとえば毎日繰り返される生活の中で、1コマ1コマの違いというものを感じ取っている人はいったいどれ位いるのだろうか。そんなことをふと考えた。

註)* Bernd / Hilla Becher 50年代末より、給水塔や、溶鉱炉などの産業建造物を撮り続ける。

 

 

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