Diary / 展覧会めぐり日記 2007 - その1

Diary

パルマ-イタリア美術もう一つの都』イタリア北部の地方都市パルマで開花した16〜17世紀美術の展覧会。16世紀と言えば、フィレンツェではダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロが活躍するイタリアルネサンス最盛期で、パルマなどは明らかにその本流からは外れる訳だが、バロックに至るまでの一時期、パルマではパルミジャニーノ(1503〜1540)とその師であるコレッジオから始まる独特の表現様式が生まれる。もちろんマニエリスムの重要な画家であるポントルモやブロンズィーノはパルマの画家ではないのでこの展覧会には含まれないのだが、一つの都市でのほぼ1世紀にわたる美術の動き追うことで、マニエリスム、さらに美術史のつながりについても見えてくるものがあるだろう。ところでマニエリスムからマンネリズムという蔑称が生まれたくらいで、「そりゃ、ちょっとやり過ぎだろう」的な画面構成のためか(?)、その独自性が再評価されたのは20世紀の中頃からだ。
 どう見ても「一般受け」しないだろうと思われる展覧会なのだが、会場は想像以上に混み合っていた。注目は何といってもパルミジャニーノだろう。素描も含め筆力の高さには驚かされる。コレッジオについて言えばパルマ大聖堂の天井画にこそその独創性が体現されているが、絵画としてみると形体の捉え方に関して稚拙なところがある。一方、パルミジャニーノは人体をデフォルメとしても説得力があるし、画面の構成力も傑出している。いずれにしても2人の死後16世紀後半は、その様式(マニエラ)が色濃く反映されつつマニエリスムに傾れていく様子が見てとれる。当時すでに各都市間での交流こそあれ、こうして見るとその土地の「色」というものが確かにあるような気がする。特にパルマ司教を務めたアレッサンドロ・ファルネーゼが、パウルス3世(1468〜1549)として教皇に登位してからは、パルマの都市としての色が強まったのではないだろうか。折しもルターが掲げた宗教改革に対しパウルス3世はトリエント公会議(1545)を招集し、対抗宗教改革の機運が高まったイタリアに於いて、絵画表現に対する教会側の要求がマニエリスム絵画に与えた影響は大きいだろう。特に一流とまでは言えない画家には余計に影響関係が強く読み取れる。とはいえ、画家の方の表現への欲求を抑えきれない程教会の縛りが弱くなっているとも言える訳で、その力の捩れが過渡的に画面に表出しているという感じがする。例えばバルトロメオ・スケドーニ(1578〜1615)の「キリストの墓の前のマリアたち」の襞の表現には、バロックの息吹を感じたりもする。確かにカラバッジオもすぐそばにいる気配がするのだ。

ジャ・ジャンクー(賈樟柯 1970年生)監督・脚本の『長江哀歌』を見る。長江の三峡ダム建設で水没してゆく奉節(フォンジェ)という町をめぐり繰り広げられる物語。
 16年前に出て行った妻子を探しにこの町へ降り立った炭坑夫サンミンと、2年間音信不通の夫の消息をやはりこの町に尋ねるシェン・ホン。そう書くと、ついこの2人が出会う物語を想像しがちだが、2人は三峡の別の場所で、別の人たちと出会い、それぞれの決意を胸に故郷に戻ってゆく、ただそれだけの話なのだ。愛する人を捜しに来たという事以外は、物語上何ら接点が無い2人の時間軸を映画の上で交錯させ、その水没しつつある町を自らの手で解体し、瓦礫にする他は成す術も無い人々が、働き、そして生きる時間を、より重層的に描写しているといえようか。
 烟(タバコ)、酒、茶、糖(アメ)という昔ながらの中国人の人情の形体を通奏低音にし、一方で現代の中国を象徴させる、例えば、携帯電話や流行歌謡を物語に巧みに織り込みながら、ジャ・ジャンクーは信じがたい程美しい画面を操っている。その美しさは長江の自然であったり、また逆に砂埃の解体現場であったり、地元のチンピラ達や労働者、もしくはサンミンやシェン・ホンの見せる表情、部屋のに置かれた赤い花瓶や花柄のポット、あるいは醜悪なモニュメントがロケットのように飛んでゆく仮想の情景であったりもするのだが、大きな流れ(時代の?)の中の小さな日常を繋ぎ合わせたこの一本の映画が、その100年の歴史の中で、未だ見たことの無い新しい美を孕むことに驚きを憶える。

スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション
 確か7〜8年前に東京で『身体の夢』という展覧会があった。19世紀〜20世紀のファッションを、女性の身体の拘束と解放/コルセットを切り口にして、ジェンダー的な視点から身体性について概観する刺激的な展示だったように記憶している。ファッションを美術(館)で扱う事自体まだ珍しく、フェミニズム指向の「美術」と関連づけた展覧会だった。しかしこのジェンダーという言葉、日本では未だに迷走しているばかりでなく排除すらされそうな勢いではないか...。
 今回の『スキン+ボーンズ』はロサンゼルス現代美術館と国立新美術館の共催だ。「1980年以降の...」というサブタイトルは日本展のためにつけられたもので、本来のそれは「Parallel Practices in Fashion and Architecture」、つまり「並行する(パラレルな)試行」とでもいうか、しかも「建築とファッション」ではなく「ファッションと建築」である。つまり今回の展覧会は、川久保玲と山本耀司2人の日本人ファッションデザイナーが、パリでコレクションを始めた81年から時代を読み直そうという企画で、20世紀的身体性の解放を乗り越えた(?)現在のファッションの有り様を、皮膚感覚や構造といった概念を軸として、建築と並列させて見ていこうという試みだと読み取ることができる。だが、実際の展示構成では何故かこの前提自体が曖昧にされ、サブタイトルの通り「1980年以降の」建築とファッションのクロノロジカルな紹介にとどまっているような気さえする。勿体ない...。
 ところで建築は周知のように建築(家)自身によって、ファッションとは全く違うコンテクストで「語られて」(語って?)きたのだが、ファッションと建築をあえて「パラレル」にして見る事で、その方法論に意外な類似点を発見できる、というあたりがこの展覧会での扱いだ。ここで主催者側のアメリカ人としては「脱構築(!)」というキーワードをファッションにも当てはめたそうなのだが(マルタン・マルジェラを引くのはそんな不埒な理由から?)、そんな「建築的」男性原理には関らないのが賢明なのでは。しかし、まあファッションと対峙して見ると建築というのは概して「男性的」だ。門外漢から言わせてもらえば、コンピュータによるシュミレーションやプレゼンテーションが当たり前になった事によって、身体からかけ離れたところで無茶な捻りがかけられてはいないか?...とか。しかもディスプレー上では建築が「俯瞰」で見られる。そんな視点はグーグル・アースか神様だけだ。とはいえ、コンピュータアプリケーションを使ってもエレナ・マンフェルディーニのように素肌に近い造形を作り出したり、ミラーリェス+タグリアブエのタイルを使った《サンタ・カテリーナ市場》など視覚的で触覚的な仕事も充分可能である。要は考え方の問題だ。
 人間ひとりのスケールで、皮膚感覚と構造をコンセプチュアルに(美術では耳にしなくなって久しい?)考えてきたのが、ここ20年のファッションの「強さ」なのかもしれない。そしてナルシソ・ロドリゲスのような精緻でストイックな職人技。しかも1年に2回という激しいサイクルの中でトレンドや資本にも取り込まれないように走り続ける持久力。
 ところで、ここ数年の海外ブランドの表参道界隈への出店ラッシュに伴い、今回出展している何人かの建築家による「作品」を実際に目にすることができる。ファッション自体が巨大資本家に握られているばかりでなく、建築もファッションブランドの「スキン」として消費されている、皮肉と言えば皮肉だ。また、表参道を歩く人、もしくは広く日本人が思うところのファッション(雑誌モデルが「提案」するスタイルの)は、上述のデザイナーの「思想」と隔たりがあろう。それが現在の、21世紀の日本を取り巻く現実でもある。ついでだが、私が学生の頃、表参道駅を降りたすぐのところに仮設されていた東高現代美術館は、いくつかの印象的な展覧会を開催した後、バブルの崩壊とともに消滅してしまった云々。

見に行こうかずっと迷っていた『マルレーネ・デュマス—ブロークン・ホワイト』展、会期が終わりそうなので...。マルレーネ・デュマスは1953年南アフリカ生まれ、オランダ在住。リュック・タイマンス(1958年生)もそうだが、基本的にデュマスも「写真」をもとに、「死んだような」(?)絵を描く画家だ。美術に於けるここ10年の「絵画」回帰(?)の中心人物。
 とりあえずグーグルで検索をかけるが、展覧会評らしきものとブログと分量の差こそあれ内容的にはあまり差がない。概して女性にはウケが良く、逆は...、まあ推して知るべしか。興味深かったのは、(たぶん銀座の)画廊で、勇敢にもデュマスの絵の「値段」を聞いた人のそれ。15号の油彩が3400万円だとか。驚くなかれ。バブル期には日本画の巨匠(?)の絵は1号あたり300万とも500万とも言われていたのだ。そういえばバブル崩壊後、日本の公立美術館の作品購入費は0、つまり「無し」だった...。ともかく今は日本に3400万円の作品を持ってきても「買う人」がいる。どこかの財団か、個人コレクターか。もしかしたら中国あたりから買い付けに?
 デュマス展のプレスリリースには、彼女の作品は「差別や偏見、そして民族やセクシュアリティ、ジェンダーなど、現代社会が抱える複雑で多様な問題を喚起する」とある。だが、実際のところその「多様な問題」が存在するのはあくまでも「もとの写真に」であって、デュマスの絵画、もしくはデュマス自身に於いても、それらについての関心があるかと言えばそれは疑わしい。例えば荒木経惟の『写狂人大日記』と『Broken White』を、あるいは月岡芳年の『奥州安達がはらひとつ家の図』と『Imaginary 1』を比べてみれば明らかで、デュマスの作品からは、その表面上の形体はともかく、他人の作品が孕む「痕跡」が抜け落ちている。そこで扱われている「多様な問題」(ウォーホルにはそれがあったはずだ、まあ、どうでもいい事か?)。でもまあ、これは彼女自身の発した言葉では無い、単に先走ってしまった「後付け」。
 デュマスの魅力(?)は、彼女の出自とか現代社会に於ける云々とはひたすら無関係で、それは彼女自身の「快楽」であり「欲望」だろう。例えば絵を描く事のそれや金銭的なそれや、ひいては「現代美術」の求めてきた(もしくは偽装してきた)ストイシズムへの否定だと言い切ってしまおう。一部の写真や映画が手にした「快楽」を絵画に奪い返そう、ただそれだけ。でもそれが間違っているとは誰が言えよう?あとは趣味の問題だ。それが逆説的に「リアルな現代社会」でもあるし。こういう投げやりな物言いがお気に召さないとするなら、多少言い換えてみよう。美術に於ける「見る/見られる」の関係を回避し、写真に於ける「撮る/撮られる」の関係をなし崩しにする、視線の「搾取」だと。メディア化された世界のイメージの「搾取」。それは絵画と対する「私たち」にとっても心地よいと。しかし一方では「今でも」、写真や映画、あるいは絵画にも、関係によって発生する「受苦」を「受苦」として受け止めている作品はあるーそれだけは最後に断っておこう。

大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産 』を見る。
 クロード・モネ(1840-1926)はファンが多い画家のひとりだと言えるだろう(しかし何故?)。良く言われる事にとして、モネが「光」を描いた画家だというのは間違いないことだが、「色」を、もう少し正確に言えば「色としての絵の具」を「巧みに操った」と言われると、まあ、私には賛成はできない。素人ではないので、あるレベルはクリアしたとしても、(ちょっと失礼か?)例えばモーリス・ルイスやゲルハルト・リヒターなども「色」を意識こそすれ必ずしも「色感」が優れている画家とは言えないだろう。ともかく、19世紀「光」は「流行」だった。
 はじめはバルビゾン派を意識した風景画を描いていたモネだが、やはりそのままそのスタイルで描き続けていたとしても、コローやドービニーのような画家にはなれなかっただろう。あまり言われないかもしれないが、彼らの画面の扱いや絵の具の扱いは超人的なのだ。モネにとってはそんな訳で。やはりブーダンとの出会いは画家としての方向性を決定的付けたと言えよう。ブーダン(1824〜1898)は当時流行の「海辺のリゾート地」を描いた画家で、つまり「視点」の新しさの画家なのだ。ブーダンは地元の額縁屋で「小遣い稼ぎ」として「カリカチュア」を売っていたモネを見出した。ちなみにその「カリカチュア」はよく「売れた」そうだ。モネは「仕掛ける」才覚がある。
 その後、モネの見出した新しい「仕掛け」は「光」で、実際、後に「第1回印象派展」と呼ばれるようになる展覧会を仕掛けるわけだが、それが34歳の時だ。モネは「印象派」と括られる画家の中でも最も「商業的」に成功したと言っても良い。おそらく19世紀後半は近代経済システムの中での「画廊/画家」のシステムの始まりの時期であり、そのシステムが20世紀にアメリカの「画廊/画家」の関係を作り、21世紀の現在でもその亡霊に縛られているということであろう。モネの「連作」という作品制作の形式は、画廊での発表/販売から必然的に発生したものであって、「連作」を作品形式として「モネの遺産」と捉えるには無理がある気がする。モネは「売れる」画家なのだ。「光」をテーマに、「連作」によって作品を効率的に量産し、結果として作品の質にはばらつきがある(オルセーがその良品を独占していることを考えてみれば良い)。
 86歳で亡くなる最晩年の時期に取り組んでいた睡蓮の巨大作品(オランジェリー美術館に設置される)では、ついに自らが仕掛けた呪縛である「光」から逃れることができた。それは白内障の結果なのか。あるいは、もう、作品は売らなくてもかまわないと思ったからなのか。いずれにしてもその時初めてその画面に「光」を孕んだと私は思っている。

ルーブルのモナリザが日本で展示されたのが1974年。しかしあの異様な興奮は何だったのだろう。両親につれられ...まだ小学生だった私と兄...上野公園から続く長い行列でひたすらあのモナリザとの対面を待ち続けた事...を思い出し、30年以上もたった上野に『レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像』を見に行く(英語の公式ホームページ)。警備の手荷物検査で多少時間をとられた他は、鳴り物入りの『受胎告知』(1473年頃)はあっけないほど容易く目の前に(今は新宿でドーナッツを買う方がよほど困難だ)。ダヴィンチ村出身の画家(1452〜1519)20歳の時の作品で信じがたいほど保存状態も良い。
 『受胎告知』に対面した最初の印象は(間抜けな感想だ...)、何というか「長いかな」だ。周知の様にレオナルドの『受胎告知』は一点透視図法による遠近法を駆使した絵画で画面中央やや上方にある「海面から突き出た山」の麓付近に消失点を置いている。しかし透視図法で画面が整理されているかと言えば、画面右手マリア側は消失点に導かれる建物を含めかなり重量感があるのに対し、左半分の天使側は構図上特に透視図法により導かれる部分が無く、下手をすると天使の羽根の後方の「抜ける」空間が、あり得ない消失点のように見えるし、ともかく画面の「余分」(というかこちらの勝手な不安)を感じる。
 展示を見終わり何の気無しに会場の外で映像解説を見ていたら、そもそもこの『受胎告知』は当時設置されていた場所の制約からか、画面の右側(それも45度位、かなり右)を定位置として視点を想定して描かれているという説があるとの事だ。カタログにはその旨は記載されていないが(ということは日本側で特定の解釈を展覧会外で提示しているということ?)、ともかく、今まではマリアの「異様に長く見える右手」や、書見台と本人との「位置関係」、もしくは壁面のパースは、レオナルドの「若さ」(未熟さ?何といっても20歳だから?)故の未消化部分として捉えられてきたのだが、画面を斜めから見る事によってそれらの矛盾は修正され、つまりレオナルドは意図的にその位置に視点を設定して描いていたのだという。
 会場に再入場ができないので実際に確かめようも無い。図版の絵を斜めにして見ると確かにそのほうが辻褄が合っているような気がするし、画面の「余分な長さ」も適度に縮まって違和感は無くなる(ような気がする)。でもそれが何か「本質」と関っているのかと言えば、まあそんなことはどうでも良いのだが、ともかく人は彼の絵に「コード」を求めがちなことは事実で、レオナルドの「手稿」に見られる様に、実際にその殆どの時間は観察と研究に費やされ、自身によってコード化されてもいる。この努力が彼を「天才」と言わしめているのに違いは無いが、ところで「絵画」って何なんだろう。ミケランジェロとかボッティチェリとかウッチェロとか...あの破綻に魅かれるのは...。とは言え、結局私もレオナルドの何かに喚起されてはいるのだろう。そんな一日...。

高橋悠治さんのコンサート。前半は『音楽の捧げもの』と『パルティータ2番』、後半はバッハの偽作と言われる『ファンタジアとフーガ』、『バルティータ6番』をもとにした高橋さんの『アフロアジア的バッハ』(初演)、そして『ファンタジアとフーガ』をもとにブゾーニが書いた『ソナティナ5番』という、3月21日バッハの誕生日にふさわしい!内容。
 音楽はもちろん門外漢なのですが、特に興味を持ったのはブゾーニ(1866〜1924)です。ピアニストで理論家、バッハの編曲者としても知られていますが、死後長く忘れられ、80年代に再評価されています(ブゾーニの『新音楽美学覚え書』の翻訳が読める。『音の静寂静寂の音』の「バッハから遠く離れて」という高橋さんの文章もブゾーニの気配を感じる)。『ソナティナ5番』はアメリカインデアンの歌を採譜したものをモチーフにしているそうで、バッハの原曲『ファンタジアとフーガ』から離れたところに何故か懐かしいような切ないような「アメリカ」の匂いがしました。高橋さんはそれを「世紀末的憂愁」と言葉でパンフレットに記しています。

ーどのようなすばらしい希望と夢のような観念がそのために目覚めることか! 夢の中で「浮遊した」ことのないものがいようか? そして自分がその夢を体験したと固く信じない者が? — とにかく、音楽をその原存在に還元させることを企てよう。音楽を建築学的,音響学的、美学的ドグマから解き放とう。音楽をハーモニー,形式,音響における純粋な創造(Erfindung)と感覚(Empfindung)(なぜなら創造と感覚はメロディーだけの特権ではないから)であらしめよう。音楽に虹の道をたどらせ、雲と,太陽の光をさえぎる競争をさせよう。音楽を、人間の心に映ってそこから再び照り返した自然とは別のものにしよう。音楽は鳴り響く大気であり、大気を越えて上方に達する。人間そのものにおいても、宇宙空間におけるのと同じように普遍的で完全である。なぜなら音楽は、緊張度において弱まることなく、集結したり、流れ散ったりしうるからである。(ブゾーニ『新音楽美学覚え書』 訳は上記より引用しました)

黒沢清監督・脚本の『叫(さけび)』(2006年)を見る。東京湾の埋め立て地で起きた殺人事件。続けて、医師が自分の息子を、女が不倫相手の上司を。
 「全部無しにしようと思った」 人が人を殺す時、自分の内部にそんな感情が「すっと」入り込むことがあるような気もする。それが「赤い服の女」(葉月里緒菜)の呪縛。「俺、何やった?」 連続殺人を疑い事件の捜査を進める吉岡もその「赤い服の女」に取り憑かれ、最後にはその呪縛の訳が明かされることになる。「過去を見捨てたその責任は思い」
 不倫相手を殺した女はこんなようなことを言う。「ちっとも私のことを見ていない。自分のことばかり。」「見る」とか「見られる」とか、「見えている」とか「見えていない」とか、最近の黒沢監督はそんなことを考えているような気がする。前作の「LOFT」(私のページはココ)に続き今回も「幽霊」を登場させるのは、単にジャンルとしてのホラーだからということでもなく、「人間」の感覚の危うさを「見えないもの(聞こえないもの)」を通して描いているように感じるのだ。
 黒沢監督はインタビューの中でロケ地について「騒つくような」という表現をしている。廃屋というのは当然ながら人の気配(記憶)を残しているから廃屋なのだが、「過去」の持つ何かざらついた感じを、息をのむほどの美しい画面で、慈しむように撮るのが黒沢映画の醍醐味だと思っている。記憶を騒つかせ、それがあるエネルギーまで高まったものが恐怖であり「叫」となって吐出される。「赤い服の女」の発する異様な「叫」は例えば吉岡自身によって吉岡自身に現前されるものだが(幻聴とか言うこともできる)、最後に数秒間写し出される春江(小西真奈美、好演してました)の無音の「叫」にこそ私たちは真の恐怖を感じるのではないか。何故かと言えば、それは実際に吉岡には「聞こえなかった」春江の声で、「誰も」が常に「後になって」気づく「叫」だからだ。「見えない」ことや「聞こえない」ことは、いつでも「現在」なのだ。
 青山真治監督の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(私のページはココ)のことは当然意識しているのだろうが、現代の日本の抱える状況をまた違う角度から見せてくれる。過去から現在を撮るか、未来から現在を撮るか。「救い」か「許し」か等々。
(追記)「俺、何やった?...」

オルセー美術館展ー19世紀芸術家たちの楽園』。オルセーは印象派のコレクションで有名だが、正確にいうと1848年(2月革命)〜1914年(第1次世界大戦)までの作品を収蔵する美術館だ。この短い期間にフランスを含め西洋がものすごい才能を輩出し、美術だけではなく文学や音楽、産業と科学技術も相互に結びつけて「近代」といううねりが起きたという事実にあらためて驚かされる。このことを考えれば一見無秩序に思えるオルセーの収蔵が意味を持ってくる。例えば「印象派」という括りだけでは見えてこないものがここには確実にあるのだ。
 展覧会には、教科書級!の作品が並ぶ。いきなりホイッスラーの代表作『画家の母の肖像(灰色と黒のアレンジメント第1番)』(1871)だ。19世紀と言えば写真の黎明期だが、ル・グレイの『セートの大波』(1856)が何の断りも無しに「普通に」掛けてあることに少しうろたえてしまう。そう、見渡せばパリではマネが、エクスにセザンヌが、アルルにゴッホが、タヒチにゴーギャンが...。急激な近代化の一方でオリエントに対する郷愁も孕み、世紀末的不安がつのり時代はますます複雑怪奇になる。ルドンもモローも。
 ひとりの画家でも幅を持って時代を生きている。晩年のマネ...。新しい時代への移行期、スタイケンもスティーグリッツもこの近代のうねりを受け止めてファインダを覗いていたわけだが、現代から見るとまなざしはやはりその次の時代を彷彿させる。20世紀に入ってからの十数年は、西欧近代を位置づけるためにも必要な期間として扱われているということか。オルセー美術館の収蔵方針は「ある物の見方」つまりフランスを中心とした近代を考える手段として確かなものだとあらためて思う。

ありがたいことに10年目を迎えたこのホームページは、美術関係者以外の方々も読んでくださっているようだ。良い機会なので今年最初の「展覧会めぐり日記」は「美術館の機能」からはじめたいと思う。美術館とは何をするところか?

  • 美術品を展示する ー つまり展覧会をすること。展覧会をしない美術館は無い。誰からも異論は出ないだろう。
  • 研究をする・教育活動をする ー 美術館の専門職を学芸員という。学芸員は作品の搬出入や展示の指示をするだけではなく学術的な研究を行う。専門的な知識をもとに展覧会を「企画」するのだ。また、一般の人にわかりやすく美術を伝えることを仕事にする、つまり教育普及を担当する学芸員もいて、講演会、ワークショップ、ギャラリートークなどを取り仕切る。
  • 作品を所蔵する ー 作品を所蔵するとは、つまり作品を「購入」して、購入した作品の維持管理をすることだ。一般の人からは一番見えにくい部分だろう。

 そもそも西洋に於いて美術作品を所有していたのは王侯貴族またはカトリック教会だったということ思い出そう。つまり私のような庶民でもとりあえずこのようなかたちで美術作品を見られるのは、これら膨大な個人コレクションが美術館という機能に移譲された19世紀以降のことで、このあたりから美術作品が「公共性」を持つようになる。
 さて、何故私がこのような一見どうでも良さそうなことを問題にしているかというと、先日開館した国立新美術館が「所蔵作品を持たない」美術館だからだ。もちろん作品を所蔵しない美術館は以前からあり、例えばデパートの最上階にある美術館がそうだ。もっとも今はデパートの美術館というのは壊滅状態だろう。上野の東京都美術館も所蔵品を持たない。そう考えると上のc.というは保留ということになろうか。
 では「作品を所蔵しない」ことにはどんなメリットがあるか。端的に言って「購入費」がかからない。特に公立美術館であれば購入費は税金であるから、作品を購入さえしなければ「こんな訳がわからん物に何億も使うとは何事か!」という面倒くさい批判を回避することができる。おまけに一度所蔵した作品をカビだらけにする訳にはいかないので(!)、温度・湿度管理された収蔵庫が必要だ。所蔵品は1〜2点ではないので維持費は馬鹿にならない。人手もいる。すべてはお金の問題だ。
 でもよく考えてみて欲しい。美術作品は「公共性」をもつ財産なのだ。500年前の『モナリザ』が現在でも見ることができるように、1000年先の未来へも現在の私たちの美術品を受け継ぐ義務がある。日本では「箱」つまりハードに関しては寛容な国で簡単に予算がつくが(とはいえ新国立美術館の総工費は350億円なのだ)、人件費や作品の購入などのソフトには理解が著しく低い。バブル期に乱立した地方美術館もここ数年は購入費がゼロというのも珍しくない。開館に伴う初期投資としての作品購入はともかく、同時代の作品を購入できないという空白期間は公共性を著しく阻害する。なぜならば美術は必ずしも現在の評価が絶対ではない場合もあるからだ。例えば17世紀オランダの画家フェルメールが評価されたのは19世紀のことで、評価の定まらない作品の購入を決定した目利きが17世紀にいたからこそ作品が残ったわけだ。作品が無ければすべてが無いのだ。過去から現在に受け継がれた財産と同じように、現在から未来へと作品を受け渡していく義務が私たちにはある。ましてや国の美術館で所蔵が無いというのは...。

というわけ(!?)で六本木にオープンした国立新美術館には所蔵品は無い。かろうじて企画展示はあるようで、開館記念展「20世紀美術探検ーアーティストたちの三つの冒険物語」を見る。広大な展示室に集められた600余点の作品の大半が日本の他美術館の収蔵品だ。おそらくほとんどがバブル期に購入された物だろう。なんだかムキになって集めた感があるが。
 「20世紀は物質文明の時代だ」というのがこの展覧会の主旨のようだ。というわけで(再び?)セザンヌの静物画から展示が始まる。それは「自然を円筒形、球形、円錐によって扱う」というセザンヌの言葉を自分勝手に引用した「キュビズム」の策略だが、ともかくその「線」に流れをつけた「悪党」の系譜がここでいう「20世紀美術」と呼ぶものだろう。大量生産/大量消費。そう、それが私たちの20世紀。コンセプチュアリズムも結局は「もの」なのだ(コスース!)、でなけばこんなに埃っぽくはならないだろう。なぜか広島で所蔵するジャットは手垢まみれ、ミニマル...。どこにも延びていかない洗濯バサミやロープ。悪い冗談以外に何も無いジェフ・クーンズ。かくなる上は、この20世紀丸出しの美術館ごとまとめて爆破するか...。デュシャンの『パリの空気』だけは持って逃げよう。最後に残るとすれば点滅を終えたマイケル・クレイグ=マーティンと、なにやらおびただしい数のダン・フレビン(?)。簡単な電気工事で再生するだろう。
 私の初夢はさておき、陰鬱な20世紀美術と決別する一番簡単な方法は「セザンヌを先頭に置かない」ことだろう。そうすれば新しい「線」(トレ)を引きなおすことが可能だ。さしあたりそれをマネに置き換えることもできよう。マイケル・クレイグ=マーティンの絵画はやはり展示しよう。20世紀の終わりとしてではなく21世紀の初めとして。


  1. パルマ イタリア美術のもうひとつの都
  2. 長江哀歌
  3. スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション
  4. マルレーネ・デュマス—ブロークン・ホワイト
  5. 大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産
  6. レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の実像
  7. 高橋悠治
  8. 叫(さけび)
  9. オルセー美術館展ー19世紀芸術家たちの楽園
  10. 20世紀美術探検ーアーティストたちの三つの冒険物語

最近では展覧会が終了すると特設ホームページを閉じてしまうところも多いようです。リンク切れの場合はご容赦ください。