展覧会巡り日記 2005 - その2

Diary
公立美術館の常設展示というと地味であまり力の入ったものが無いという印象があるが、こういう厳しい時期だからこそ、限られた制約の中で質の高い展示を行おうとする動きがある。先の横浜美術館の写真の常設もそうだが、埼玉県立近代美術館で開催している『アーティスト・プロジェクト−関根伸夫《位相−大地》が生まれるまで』もそんな展示のひとつだ。スペースは一部屋だといっても普通の画廊よりも広いスペースがあるわけで、できる事はまだまだある。小さく、質は高く。
シュテファン・バルケンホール』ドイツの作家バルケンホール(1957〜)の展覧会。印象としては、「生乾き(?)の丸太から台座ごと人物や動物の形をノミで荒く削り出しその上に色をつけた」彫刻という感じ。その微妙な形態感が妙に「生っぽい」作品だ。具象と言えば具象。リアルな人体表現ではないがやはり「生っぽい」というしかない、その妙な存在感が今まであまり体験した事の無い感覚を刺激する。

 そのままATAK@ICCという講演およびコンサートを見る。 高橋悠治さんの小品、高橋さんと茂木健一郎(脳科学者)のトーク、告知にはなかった高橋さんと渋谷慶一朗のコンサート。トークは高橋さんが設定した『他者の痛みを感じられるか』というテーマ(地雷?!)を茂木さんが踏んでしまった。茂木さん始終防戦。
 渋谷さんと高橋さんのコンサートはすごかった。良かった。ATAK

李禹煥 余白の芸術』。李禹煥(1936〜)の90年代以降の作品を集めた回顧展。思っていたよりも情緒的な作品だ。ところで、写真の常設展示といったらやはり横浜美術館です。今回の『1940年代の写真』の展示もきりっとして良かった。
体調がいまひとつすぐれぬ中『北斎展』に行く。
 今回の展覧会は版画、肉筆画など500点。葛飾北斎の作品を生涯を通して「おしなべて紹介する」ことに意義があるようだ。海外で人気の北斎を「日本として」どう捉え打ち出していくかという意味では貴重な試みだと思う。
 90歳まで生きた北斎(1760〜1849)。こういう言い方をするとお叱りを受けるかもしれないが、北斎はあまり「上手」ではない。死に臨んで「あと5年あったら良い画工になれるのに」と言ったという逸話が、北斎の偉業を讃えるのによく引かれるが、本人としてはごくごく正直な気持ちだったのではないだろうか。例えば北斎漫画(漫画の漫は漫然の漫だそうだ)も、「作品」としてそれほど優れたものとは言えない。「見たもの」が描いてあるだけ。ただ、確かに「購買欲」を刺激するものではある。ちょっと見てみたい。ちょっと買ってみたい。包装紙として海外に流失したぐらいだから、安価で、かなりの部数が刷られたのだろう。しかし、そのことで多くの人が初めて「見ること」を体験したのではないか。普段多くの人たちは本当には「見て」いない。

 『富岳三十六景』(1831年前後)の『神奈川沖浪裏』をはじめ、著名な作品はいくつもあるが、「シリーズ物」としての「全体の完成度」をとって言えば、例えば広重には及ばないだろう。しかしながら、北斎の作品には「所有欲」なり、人間の欲望を刺激する何かがある。ある意味でその中には「知的な」欲望も含まれるだろう。その欲望を刺激するのは何かと一言でいうのは難しいが、今回生涯にわたる500余点の作品を実際に見て、それは「手触り」のようなものではないかと感じている。「目」で「手触り」は追える。解り易いものとしては『馬尽』(1822年)というシリーズでは「空刷り」(エンボス?)を用いている。図録では凹凸は見えない。ただし、作品が単に触覚的だというのとも少し違う。「見る」快楽。
 「見る」ことの快楽というのは確かにあって、それはすべての美術作品にあるわけではない。このあたりは主観なので断定はできないが、ピカソにはそれはあまりないくマティスにはある(かも)。
 『ほぼ日刊イトイ新聞』も参照。

ドイツ写真の現在 — かわりゆく「現実」と向かいあうために』写真展と言えばなんと言っても近美。写真は近代の発明だ。
 非常に乱暴な言い方だが、ベルント&ヒラ・ベッヒャー(1931〜 /1934〜)とベッヒャー派グルスキー(1955〜)、イギリスを経由してすでに有名なデマンド(1964〜)とティルマンス(1968〜)、「ベルリン」を撮るシュミット(1645〜)と、より若い世代の展覧会だ。
 上の5人(6人)はとりあえず置いておこう。今注視すべき点は、今後写真を語る上で避けられない問題としてのデジタル化。写真と真実との関係性についてはすでに解答が出ているはずだが、ルックス(1969〜)やグーチョウ(1970〜)、シュペッカー(1692〜)等を見る限り、デジタル化は結局「リアリティー」を写真から剥奪する方向に向かっているようだ。しかし、それはただの方法論にすぎないのではないか。その点から見ればリカルダ・ロッガン(1972〜)のように「リアリティー」を「移動する」という手段で問う事の方が有効であるように思うのだが。
 『アウグスト・ザンダー展』も同時に開催している。ロッガンはザンダーと繋がっている(と思う)。
六本木に行くのはあまり気が進まない。『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』、ダ・ヴィンチ(1452〜1519)のレスター手稿(ビル・ゲイツが所有)の展示。18台のガラスケースで裏表が見られるようになっている。作品保護のため1分ごとに電気がon/offするので、まあ、「モグラたたき」だ。こっちを見ていると電気が消え、あっちに移るとまた電気が消える。見せる気がない?ダ・ヴィンチの手稿の中で、レスターは正直言って見る楽しみにかける。
 『杉本博司 時間の終わり』《ジオラマ》、《ポートレート》、《劇場》、《海景》などから最新作まで、杉本(1948年生)の回顧展。本人の解説を聞き、ミニマリスティックやコンセプテュアリティスティックというよりは、かなり情緒的な部分が強い作品なのだとあらためて思う。そして西欧で何が「受ける」のか、計算ができる作家だというのもわかる。例えば《劇場》(映画館なのだが)は映画の上演時間分の長時間露光による作品で、結果として映画自体の映像も観客も消失し「箱としての劇場」が写し出される。それを「時間」だと言われれば西洋人はクラクラする。でも、私としては、白くとんだスクリーンに映っていた2時間、3時間の「中身のこと」に興味がある。映画の中身(それがたとえ質の悪いハリウッド映画だとしても)こそが「時間」なのではなかろうか。
 六本木の丘に立つと、少しうがったものの見方をする傾向は確かに私にはある。
ヴィム・ヴェンダース(1945年生)の『ランド・オブ・プレンティ』をみる。今生きる世界において(ヴェンダースは9.11以後の世界と言っている)、世代間で何をどのように受け渡していくか、それはゴダールの『アワーミュージック』とも重なるテーマでもある。「受け手」側のラナ(ランド・オブ・プレンティ)とオルガ(アワーミュージック)は、確か二人とも19〜20歳ぐらいの、少女でもなく大人でもない(こういう言い方はいささか陳腐に聞こえようが)年齢の設定だったと思う。
 ヴェンダースは10年ぶりに故郷アメリカに戻ってくるラナに、ベトナム帰還兵でアメリカへの妄信的な愛国心を持つ叔父ポールを対比させながら、現代のアメリカとその「希望」を描出する。ラナの亡くなった母親が、兄であるポールに託した手紙。ポールは世代的にヴェンダース自身と重なる。それは60歳を過ぎたゴダールとほとんど孫に近い世代のオルガの関係より、手探りで密で、「弱さ」において相互的な感じがある。傷ついた自分とともに生きること。傷ついた自分を受け入れ次の世代と関係を作っていくこと。親子ではなく。それが「希望」。それがランド・オブ・プレンティ。
 わずか16日間で撮影した珠玉の作品。

Don’t really know who sent me
To raise my voice and say:
May the lights in The Land of Plenty
Shine on the truth some day.
ゴダール(1930年生)の『アワーミュージック(Notre Musique)』をみる。80分という比較的短い上映時間のことだけでなく、これは小品なのだと思う。もちろん扱われる内容は非常にシビアで現代の私たちにとって大きな問題なのだけれども。次の世代の若者に対しての親密さ、それは一冊の書物のようにひとりひとりの手に渡されるものなのだろう。
キアロスクーロ ルネサンスとバロックの多色木版画。キアロスクーロはイタリア語で明暗を意味する。墨版にグレートーンの版を加えたモノトーン(に近い)の多色刷り版画をキアロスクーロ版画と呼ぶのだそうだ。確かに3版あれば理論上かなりの諧調が表現できる。色彩と明暗は厳格にと分けられているのが西洋だ。
 ジグマー・ポルケ展。せっかく上野に来たので。10年前、ロンドンでペインティングのコースにいた頃はポルケやリヒターはとにかく人気だった。ポルケ風?やリヒター風?を目指していいの、と揶揄したくもなった。まあ、日本でも大差ないかな。ポルケ(1941年、旧東ドイツ生まれ)の日本での初の本格的(?)な個展だそうだが、あまりエキサイティングな印象は無かった。
リヨン現代美術館企画のローリー・アンダーソン(1947〜)の世界巡回展 ローリー・アンダーソン『時間の記録』。彼女の作品の核は言葉であり、その言葉もよく言われるような『Sporken Word』よりもむしろ『Lyric』に近い。彼女の『Lyric』は私たちひとりひとりに向けられた親密な(intimate)コミュニケーションであり、今こそまさにその親密さが、美術に、さらに言えばこの世界に必要なアプローチの方法なのだと思う。『O Superman』(1981)のストリーミングビデオはここ
ラングの『メトロポリス』(1925年、122分=24コマ/秒上映)を見る。労働者と資本家の闘争をドイツロマン派的キリスト教的倫理観のもとで描いたとでも言おうか。まさに黄金時代のドイツ映画をアメリカが受け入れたことで、20世紀の映画史に一本の線を引くことになる。
 ところで、ラング自身がそのことをどう受け入れたかはゴダールの『軽蔑』(1963年)を見るとわかる。ゴダールはゴダール的手法で「男と女」を描きながら映画について新たな線を引く。いつも。
ドイツ時代のラングとムルナウ ドイツを代表する巨匠、フリッツ・ラング(1890〜1976とF.W.ムルナウ(1888〜1931)の映画祭。今日はムルナウの『ファウスト』(1926年、97分=22コマ/秒上映)をみる。無声映画で今回は演奏付きと演奏なしとがあるが、私が見たのは演奏なしのもの。無声映画に慣れるのにしばらく時間がかかった。映像効果を意識した娯楽映画だというのに気づくまでまた少し時間がかかってしまう。
ギュスターヴ・モロー展をみる。なんと言ってもモロー(1826-1898)は19世紀末フランスの画家なのだ。印象派の画家たちよりも世代が上で、サロンにいてテーマを古典絵画におっていても、ラディカルさに於いてはひけをとらない。色彩と線。20世紀は目前。
3日前に引続き小川紳介監督(1936〜92)1000年刻みの日時計 牧野村物語(1986年  撮影/田村正毅)を見る。牧野村に移住(プロダクションのスタッフごと!)して13年、50歳のときの作品。1000年来繰り返される稲作中心の日常から、小川監督が次々と汲み上げるなにか土地の「息吹」のようなもに村の人たち自身が感応し、ほとんど4時間に及ぶ映像に、ただならぬもうひとつの日常を映し出す。
三里塚・第二砦の人々(1971年 監督:小川紳介 撮影:田村正毅)を見る。学生運動と結びついて激化する抗争の中、カメラは第二砦を守る当事者である農民自身の姿を追う。
 そういえば、萱野稔人は「国家を思考することは、暴力が組織かされ、集団的に行使されるメカニズムを考察することにほかならない」(『国家とはなにか』)と言っている。

Topics


2005年-その1

O Superman
(Laurie Anderson, 1981)

O Superman. O judge.
O Mom and Dad. Mom and Dad.
O Superman. O judge.
O Mom and Dad. Mom and Dad.

Hi. I'm not home right now.
But if you want to leave a message,
just start talking at the sound of the tone.

Hello? This is your Mother. Are you there?
Are you coming home?
Hello? Is anybody home?

Well, you don't know me, but I know you.
And I've got a message to give to you.

Here come the planes.
So you better get ready. Ready to go.
You can come as you are, but pay as you go.
Pay as you go.

And I said: OK. Who is this really?
And the voice said:
This is the hand, the hand that takes.
This is the hand, the hand that takes.

Here come the planes.
They're American planes. Made in America.
Smoking or non-smoking?

And the voice said: Neither snow nor rain nor gloom of night shall stay these couriers from the swift completion of their appointed rounds.

'Cause when love is gone,
there's always justice.
And when justice is gone, there's always force.
And when force is gone, there's always Mom. Hi Mom!

So hold me, Mom, in your long arms.
So hold me, Mom, in your long arms.
In your automatic arms. Your electronic arms.
In your arms.
Your petrochemical arms. Your military arms.
In your electronic arms.

マシュー・バーニー展 拘束のドローイング

マシュー・バーニー(1967年生まれ)は、すでに日本でも『クレマスター ・サイクル』という映像作品のシリーズを公開しており、アメリカを代表する若手作家の一人だ。金沢での展覧会は『拘束のドローイング』という初期の実験的映像作品、および同シリーズ9作目で日本を舞台にした最新作『拘束のドローイング9』とその彫刻/インスタレーション等の作品の展示からなる。
 はじめに言い訳をしておくと、ロンドンでの上映(たぶん『クレマスター 4』)を見逃して以来、バーニーの作品にあまり興味が持てず、前回の日本での上映も見送ってしまった。今回ホームページ(cremaster.net)等で見直してみると、作品は想像していたより挑発的でも攻撃的でもないようだ。

 初期の『拘束のドローイング/Drawing Restraint(以下DR)1〜6』は、いずれも5分程の短いモノクロの映像作品で、例えばゴムチューブで身体に拘束をかけながら、またはトランポリンでジャンプをしながら、はたまた女装をしながらフットボール用のトレーニング器具に取り付けた筆記具を用いてドローイングをするなど、「身体に制限をかけながらおこなうドローイング行為」について作品化していると言った方が正確かもしれない。『DR7』ではサチュロスを主人公とするなど作品に「物語的」要素を含むようになり、その後の『クレマスター 』シリーズ(5話で完結)へ移行したようだ。

 さて『DR9』だが、エンブレムというのか『クレマスター ・サイクル』と共通の形状(楕円状のフィールドを横棒が貫く)のそれを用いている点、彫刻/インスタレーション、ドローイング、写真等と組み合わせた展示という点を考えると、バーニー本人にとって『DR1〜7』よりも『クレマスター 』シリーズに近い位置付けにある作品と考えられる。
 2時間半という上演時間は、最近の映画の状況を考えれば特に長い部類に入るものではない。そもそも映画として考えうるかという点はともかく、本人が強調するような「物語性」を仮に映画的文脈からとらえれば、結果として残念ながらレベルが高い作品ではないと言わざるを得ない。「包むこと」、「阿波踊り」、「茶道」、「婚礼」、「笙」など個々の要素ばかり眼につき、説明的で全体をひとつの「物語」として紡ぐ力に欠ける。実生活でもパートナーであるビョークの存在感がかえって「はみだして」作品を見づらくしている点も否めない。このあたりは『クレマスター 』を見ていないので対比として作品の善し悪しを語れないが、「捕鯨」というテーマを含め日本の文化を「体感」としてとらえることができなかったのではないだろうか。もちろん日本文化を描出することが目的ではない訳だが、このことは思いがけずもバーニーの「身体性」について考えるすべを与える。彼は一般に思われている程「身体」で考えている作家ではなく、「物語」を語る語り部でもなく、現代社会の批評家でもなく、「手」で「手触り」を感じて作品を作る彫刻家なのではないか。身体性もきわめて薄い。

 彫刻家というのはもちろん否定的な意味ではない。例えば、展示の最後の部屋にある、型枠を外したことで自重で崩れたワセリンの作品などはそれだけで物語性をはらみ、逆にそれが崩れる過程を描いたはずの『DR9』の映像の中ではそれをあまり感じないのはなぜか。毛皮でできた婚礼衣装をまとった二人のスティルのほうが、映像の中での「茶をいただく」行為の描写よりも魅惑的なのはなぜか。
 Restraintとは個人的なLibertyやFreedomを制限、剥奪することだが、バーニーの作品はそれをひき起こすところの「制度」を揶揄することや罵倒することでもなく、ひたすらRestraintからの「個人的な解放」を「思っている/感じている」という類の、それは「目指している」とすら言えないようなものではないか。それは否定的な意味ではなく言うのだが。

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金沢21世紀美術館

ビョークのページ

cremaster.net

グッゲンハイムの展覧会

高橋悠治さんのコンサート。トークをまじえバッハ『パルティータ』、シューベルト『楽興の時』、シューマン『幻想小曲集』を弾く。時に会場を笑いの渦に包みながら予定時間を30分も超す批評活動!。とても暖かく優しい人柄の中に、ある種近寄りがたい程の強さと透明さを兼ね備えた人。最近高橋さんのピアノを聴きながらいろいろなことを考える。ここにもドイツ。そしてロマン派。
CD「ゴルトベルク変奏曲」のために書かれた高橋さんご自身のテキスト『「ゴルトベルク変奏曲」を聴く』はこちら
フィリップス・コレクション展をみる。仕事柄(どんな仕事だ?)「アートの教科書」というサブタイトルに反応してしまう。でも「教科書」としては採択はしないかな。少なくとも今の美術の教科書はもっと考えて作ってある。
 美術というのは「贅沢」なもので、個人の邸宅でその「贅沢」さを味わうことがダンカン・フィリップスの求めたものではないのか(贅沢さについてくれぐれも誤解のなきよう)。贅沢な時間や空間。それはルノワール の作品の脇に申し訳程度にソファーを置くことではなく、ソファーの脇に《舟遊びの昼食》があるということだ。
レイクサイドマーダーケース』(監督:青山真治/2004年)。やっぱり油断をしてはいけない。やっと見ることができた...。
「怖い」映画だ。その怖さは「本当のこと」をあからさまに見せつけられる怖さかもしれない(本当のこととは無論誰が犯人か、ではない)。役所さんと柄本さんが絡んでいる様子が黒沢清監督の『ドッペルゲンガー』彷彿させるからだろうか、この映画もコメディー(誰も笑わないけれど)を感じさせる。「本当のこと」に迫るほど何かがずれていく、その様子。何度も「おかしいよ!あいつら!」と絶叫していた並木俊介役の役所さんが、最後には...。薬師丸さん(妻)に一瞬フラッシュする娘の笑顔が「怖い」。「おかしいのはあなたでしょ。」...。
ドレスデン国立美術館展をみる。何はともあれフリードリヒ(カスパー・ダーヴィット・フリードリヒ/1774〜1840)。フェルメールをレンブラントを左目の端に入れながら、走る(気持ちだけだけどね)。《エルベ渓谷の眺め》、《雪中の石塚》、《月を眺める2人の男》。ベルリンの至宝展に続いてこれでフリードリヒ6作。さすがはドイツ年。ドイツロマン主義ブームは私だけ?

ミリオンダラー・ベイビー (2004/アメリカ)

lemon pie0. 絵画の見方。「あるモチーフがその画面にとってどういう効果を持っているかは、そのモチーフの場所を手で覆い隠してみれば解る」と、私の友人は教えてくれた。

*

 さて、残念なことだが、映画の持つ「手触り」は、興行成績が上がると同時に意味不明の言説郡によって埋め尽くされ、無いものとされてしまうようだ。そもそも「完璧な映画だが傑作ではない」という類の言葉は批評なのか?

 「映画」については門外漢なので、「色」について考えてみる。

1. 赤と緑。クリント・イーストウッドによってこの二つの色が丁寧に配置されている。そういう映画だといっても良い。テーブルに置かれた花、ジムの雑用係(モーガン・フリーマン)の袖のライン、マギー(ヒラリー・スワンク)の流す血。テーブルに置かれたランプ、神父の法衣、フランク(イーストウッド)のジャンパー/マギーのガウン、等々。繰り返すが、イーストウッドはこの補色関係にある2色を「意識的」に画面に配している(このことはスティルを見れば容易に理解できる)。絵画的に。
 無論この映画の最後で明かされる『モ・クシュラ』の意味が、「ゲール語」で「私の愛しい人、私の血」であることは(つまり、「ゲール語/アイルランド」の緑、「血」の赤)、このイーストウッドの「絵画」の通底音であることは言うまでもない。だが、ここで終わってしまうと大事なことを見落としてしまう恐れがある。

2-a. 黄色。黄色いグラブ。ボクシングについても門外漢なので滅多なことは言えないが(クリント・イーストウッドも「ボクシングの映画ではない」と言っているので、まあ気にしないようにしよう)、「黄色」のボクシンググラブは珍しいのではないだろうか。もちろんマギーのグラブではない。映画の初めから「微妙」な位置で登場する、大口をたたくが気の弱そうな、体も弱そうな、ペットボトルの底を不思議そうに覗き込んでいる「頭」の弱そうな(あえてこの言葉を使っているので誤解無きよう)あの「彼」のグラブだ。英語では「黄色」は「臆病」を意味する色だし、少なくても(残念なことに)差別的な匂いがする色/言葉だ。
 この映画に登場する人物は皆「弱者」だ。もちろん「30を過ぎてボクシングしか無い女」はその代表だが、それ以外の登場人物も、黒人、老人、低所得者、娼婦もみな「弱者」であり、だからこそ皆ミリオンダラーにあこがれ、それがかなわぬほとんどの場合、「弱者」は「より弱者」を見つけ差別、侮蔑することで生きている。ミリオンダラーを勝ち得たマギーさえも、状況が一転するや彼女自身のの「家族」からひどい侮蔑を受ける。家を買い与え、生活費を送っていた「家族」。

2-b. タイトル戦への遠征でマギーとフランクがいないジムで。あの「彼」の「黄色い」ボクシンググラブで、ジムの年老いた雑用係/元プロボクサー(クラブの若者たちは誰もそのことを知らない)のスクラップが繰り出した「パンチ」について。
 多分クリント・イーストウッドは、この映画のここ以外の場面では「黄色」という色を意識的に、かつ慎重に取り除いていたように思う。レモンパイの黄色?画面上でというよりは、むしろ体験的にイメージとして視覚化する色としての鮮やかな黄色。その「黄色」をフランク/イーストウッドは大切に扱っていた、少なくとも私にはそう見えた。

*

「あるモチーフがその画面にとってどういう効果を持っているかは、そのモチーフの場所を手で覆い隠してみれば解る」と、友人が教えてくれた。この映画で「彼」を手で覆い隠してみると大事なことが見えてくる。あるいは「愛」について。

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クリント・イーストウッド

ヒラリー・スワンク
モーガン・フリーマン


William Butler Yeats. 1865–

The Lake Isle of Innisfree

I WILL arise and go now, and go to Innisfree,

And a small cabin build there, of clay and wattles made;

Nine bean rows will I have there, a hive for the honey bee,

And live alone in the bee-loud glade.


And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,

Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;

There midnight's all a glimmer, and noon a purple glow,

And evening full of the linnet's wings.


I will arise and go now, for always night and day

I hear lake water lapping with low sounds by the shore;

While I stand on the roadway, or on the pavements gray,

I hear it in the deep heart's core.

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