展覧会巡り日記 2005 - その1

Diary
クリント・イーストウッド監督/主演の『ミリオンダラー・ベイビー』を見た。「見た!」という以上に何を言えようか。モ・クシュラ!
テオ・アンゲロプロス(1935年アテネ生まれ)の『エレニの旅』を見る。驚くほど詳細な公式ホームページがあるので門外漢の私が何か言うまでもないが(しかし最近の傾向で「ブログ」とやらに書き散らした感想文が大量に検索に引っ掛かる)、戦争、内乱を知る世代であるアンゲロプロスの、20世紀を記憶する3部作の第1作目となる。3時間という上演時間(3部作になれば結果として当然その3倍に...)は最近の傾向として決して長いものではないが、これほどの規模でしかも1作づつ収益をあげ、制作費を捻出しながらながら作品をとり続けていく姿勢に驚きを禁じ得ない。「水没」していく村を撮った映像は確かに圧巻だが、説明的でやや冗長な台詞まわし、結果的に何ももたらさない子供じみたアメリカへのあこがれなど、今回の映画では「わだかまり」として意図的に次回以降の作品にに残したと思われる点を注視しておきたい。
 「映画」は確実に機能している。「美術」は?
ベルリンの至宝展をみる。端的に言えば博物館島再建に向けての資金集めではあるが、『ドイツ年』ということもあってサービス精神は旺盛のようだ。例えばマネの『温室にて』も含め「大物」を快く(?)貸し出してくれている。しかしその一方で展示自体は「大味な」ものにとどまっていると言わざるをえない。個人的にはフリードリッヒの作品を興味深く見た。そして1930年という時期にドイツが壮大な博物館群を設立しようとした経緯については考えておくべきだと思う。
工房と言う制度は昔はどこの国にもあり、例えばラ・トゥール(1593〜1652)にも長谷川等伯(1539〜1667)にも弟子がおり、師匠の作品の模写、あるいはデザイン的な引用で工房として営業活動を行なっていた。しかし、そこには画面の強度に対する意識に歴然としたレベルの差があるようだ。ちなみに個人的な意見だが、二人のレベルを比べると等伯が上だと思う。等伯は長生きしたのである意味ではラ・トゥールと時代が重なっている。さらによけいなことだがドラクロアの「虎」よりも等伯の「虎」(竹虎図屏風)の方が良いかも。

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2005年-その2

  • ミリオンダラー・ベイビー
ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義からロマン主義へ

louvr考えてみれば印象派の絵画はオルセーに収蔵されているので、「19世紀フランス絵画」というカテゴリーはルーヴルのコレクションの中で最終期となる。1789年にフランス革命が始まり、第一帝政期(1804〜14)、王政復古期(1814〜30)、七月革命、立憲君主制(1830〜48)と激動の時代において「サロン」という制度自体は、少なくとも直接には政治的影響を受けず、絵画的にも「新古典主義」と「ロマン主義」は緩やかな流れの中での対峙だったと言える。近代つまり「Modern」はいつから始まったのかという確固たる規定はないのかもしれないが、少なくとも絵画に於ける「近代」は未だ訪れていないことは間違いない。

ほとんど笑ってしまう程「有名な」新古典主義絵画群(ダヴィッドやアングル...)、ドラクロワやジェリコーはエスキースを(ロマン主義絵画はエスキースがすでにロマン主義で、例えばアングルなどはエスキースでみてもあまり意味がないだろう)、また。小品ながら見応えのあるバルビゾン派(コロー、ミレー、ドービニー)などなど、いずれも19世紀フランス絵画上、重要かつ質の高い展示構成となっている(余談だが、今回の展覧会はルーブルのモナリザの部屋の改修に際しての日本の援助に対する感謝の意なのだそうだが、その言葉に偽りはないと言えよう)。

サロンではその後、近代絵画の幕開けとなるマネが登場(1865年)し、そしてサロンからはなれ「印象派」(その括りは乱暴ではあるが)へ向かう絵画の上での激動の「19世紀末」に突入する。「19世紀フランス絵画」は新しい時代の予感をはらんだ終端でもある。

横浜美術館

7月18日まで 
京都市美術館に巡回(7月30日から)

『鈴木理恵子(violin)&高橋悠治(p)デュオリサイタル』にいく。60人程の小さな会場だった。高橋悠治さんの「子供の情景」(シューマン)と、バイオリンの鈴木理恵子さんとの共演でブラームスの「ヴァイオリンソナタ第1番 雨の歌」、シューマンの「おとぎ話の挿絵」、ブラームス「ヴァイオリンソナタ第2番」という構成。周知のように高橋さんは70年代に「戦闘的」シューマン論を書いている。自分の興味がしばらくシューマンだったので、ずっと高橋さんの弾く「シューマン」を聴きたいと思っていた。
 ブラームスとシューマンはとはなんとも曰く付きなとりあわせだ。「子供の情景」は年若いピアニスト、クララのために作ったもので、その後二人は結婚する。ブラームスは、シューマンが晩年批評の上で見いだしたひとりで個人的にも親交があるのだが、シューマンが自殺未遂、精神病院に入院するなか、妻クララとブラームスは恋愛関係にあったと言われている。「雨の歌」はクララが「ことのほか愛した」曲(シューマンは既に自殺した後のこと)。
 音楽については全くの門外漢なのでめったなことは言えないが、クララを挟んだ二人の作曲家の、低い位置で流れるキリキリとしたシューマンの「狂気」めいた音と、どこか憂いを秘めたブラームスの音を、残酷な言い方だが堪能した。すばらしい演奏会だった。
三崎口ってどうやって行くんだ?という問題もインターネットの路線検索ですぐに解決。油壷の、住所は「波うちぎわ」。閑散期の海の家を使ったギャラリーでの友人の星司くんの展覧会はなかなか良かった。5月22日まで(ギャラリー森 046-881-2787)。
ゴッホ展 孤高の画家の原風景

goghファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館から出品されるゴッホ(1853-1890)の回顧展。ゴッホがゴーギャンとの共同生活を夢見て南仏アルルに移り住んだのが1888年、そしてサン=レミの療養院、オーヴェール=シュル=オワーズと移動して、1890年自ら37年の生涯をおえる。ゴッホがゴッホであった(最良の?)時期はこのわずか3年たらずのことだ。

彼の「作品」といわゆる彼の「狂気」を安易に結びつけることはフェアでない。一見荒々しく見える色彩とタッチは、実は非常に良くコントロールされており、「狂気」が彼を押し上げ「作品」に至らしめている訳ではない。ゴッホはただ「狂気」に陥らないようにひたすら絵を描いていただけであり、だからこそその画面の方はコントロールされた表現なのだ。このことをロベルト・シューマンの「狂気」と、彼の曲の持つ「親密さ」や「純粋さ」と対比してみることも可能だろう。常に逃れようのない日常に住う「狂気」と、それと交錯する過程で生まれるシューマンの音楽のこと。ゴッホの「親密さ」や「純粋さ」は弟テオへの「手紙」の中に明らかだが、表現の手法においてシューマンとの違いこそあるものの、ゴッホの「作品」の中にもその「親密さ」や「純粋さ」は確かに存在する。例えば(今回は出展されていないが)、テオの子供の寝室に飾るために描いた青い背景のアーモンドの木のことを思い出そう。そうすれば彼の他の作品の中に綴られた「親密さ」や「純粋さ」の表現にあらためて気づくだろう。

しかしながら、テオの仕送りに頼るしかないフィンセント・ファン・ゴッホにとって、そのテオに子供が生まれたことで新たに発生することとなる、金銭的負担にしかならない自分自身の存在そのものについての不安が、絵を描くことでかろうじて保っていた狂気とゴッホ自身との関係を一気に崩壊させたに違いない。

東京国立近代美術館

5月22日まで 
大阪の国立国際美術館、名古屋の愛知県美術館に巡回

2月28日、月曜日の開館直後に東京国立博物館(表慶館)へ『サチュロス』を見に出かけた。写真撮影をしていたので少し外で待っていたがなかなか終わらず、うっとうしさにキレそうになっていたら先にキレた人がいた。会場にいたみんなの意見は一致していたと確信する。『サチュロス』はこれぞギリシャ彫刻の傑作で、官能的とも言えるその美しさに時間が経つのも忘れた。愛知万博のイタリア・パピリオンへ出展(3月25日〜9月25日)する。
榎倉康二展

不在...。榎倉康二の作品の前にたつと、なぜかその「不在」の感覚がそこに「在る」ような気がした。亡くなって今年でちょうど10年になる。

10年前、1995年。この年...。1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件。私は留学中のロンドンでこれらのニュースを聞いた。不思議な感覚だった。地震で高速道路が崩壊し、毒ガスに倒れた人たちが病院に運び込まれる映像をBBCテレビやイギリスの新聞で知る。愕然としたのはショッキングな映像ではなく、その映像にリアリティーが持てなかったということに対してだった。インタビューの日本語が英語に置き換えられ、被害状況の描写も英語。earth quack、collapse、 gus attack、cult 、evacuate、Kobe、Kasumigaseki、death toll...。ただ、それが言語だけのことでもなく、聞こえるサイレンの音も、日本人が話す日本語も、テレビの中の映像のなかのものすべてが「遠い」のだ。個人的に無関心だった訳ではない。親戚が神戸に住んでいた。ただそこに在ったのは「不在」だった。「不在」なのは「自分」の方ではなく、テレビというフレームの中身の方だったようだ。

榎倉の作品について。目の前に存在する絵画というフレームの中身が「不在」だと言い切ってよいのか。そのことを知るのに榎倉の写真を見てみるのはどうだろう。なぜかと言うと、写真には必ず写す者の「まなざし」が映り込むからだ。つまり榎倉の作品の「不在」が彼自身の「まなざし」に捉えられることになる。

どうやら榎倉は成功したようだ。伝説的なまでに学生に慕われていた彼も完全に不在になった。だが10年経った今、私たちに必要なのはすでに「不在」のあからさまな事実ではなく、希望へのひとすじの光なのではないか。たとえ陳腐だと言われようとも。何かがすでに動き始めているのを感じる。それが美術にも来ると良いのだが。

東京都現代美術館

3月21日まで

マルセル・デュシャンと20世紀美術 ー芸術が裸になった、その後でー

マルセル・デュシャン(1887−1968)は、見る者の気持ちを強く「刺激」する人のようで(それがない作家は作家足り得ないことはさておき)、例えば、篠原資明が小便器/レディ・メイド/『泉』は英語では「Fountain」つまり「噴水」というタイトルであることの指摘をしていたが、そんなところでも何故か断わりも無くアングルの『泉』と「タイトルの上で」勝手に関連付けるような妄想と暴走を見る者に引き起こす。スティーグリッツが撮った『泉』のスティルも明らかに彼の暴走だった。デュシャンはその後688台の小便器を『泉』と認定したそうだ。

明らかに意図的に「刺激」を意識した『泉』はさておき、『瓶乾燥機』、『自転車の車輪』、『櫛』、『パリの空気』 などいわゆる レディ・メイドと言われる作品はどれもその「テイスト」として「美しさ」が見られるべき作品以上のものではないにも関わらず、肯定的であれ否定的であれ、なぜか他の「作家達」を「刺激」する。それらを比較して優劣を問うものではないにしても、この「テイスト」(または感覚といっても良いかもしれないが)という点でデュシャンと比肩する作品は本当に少ない。成り立ちからして妄想であり幻想であるからか。

という訳で、藤本由紀夫の『The Creative Act』という作品を頭の中に持ち帰った。

横浜美術館

3月21日まで

ハンス・アルプ展 20世紀彫刻の開拓者

ハンス(ジャン)・アルプ(1886-1966)といえば、その独特の丸みをおびた抽象的なフォルムの彫刻の、そしてどこの美術館でも必ず作品の所蔵があるといっても過言ではない程の、いわゆる20世紀美術(彫刻)の巨匠といわれ、しかし、正直をいえば何故これほどまでにその作品に人気があるのかわからない部分がある作家だ。アルプ美術館から選別された作品から何となく見えるのは、この時代に於いて、ドイツ人の父とアルザス人の母を持つこと、つまりドイツにもフランスにもよりどころを持つことができたということかもしれない。

例えば、ヒットラー政権に於いてユダヤ人のヴァルター・ベンヤミンが逃亡の末に自殺したことを考えれば、アルプは政権への批判とフランスという心理的な逃げ道を合わせ持つ両義性の中で、自らのアイデンティティーに引き裂かれること無く「生き延びること」ができたことを考えてみる。同じドイツロマン派を愛した二人のうち、一方は実質的に「生き延びること」ができたというのはちょっとした偶然なのだ。

神奈川県立近代美術館葉山

アルプ美術館

3月27日まで

(川村、岡崎、群馬に巡回)

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