「天津国民学校同窓会」天津・北京訪問日記」2005年5月20日〜25日
天野記
何時頃父が先行していたのか判りませんが、父の勤務する河北区の鐘紡公大七廠社宅へ昭和15年冬居留しました。その冬の出来事で父に連れられ北寧公園でスケートを教えられたのが記憶に残る思い出の始まりです。
昭和16年4月より20年太平洋戦争終結までの期間、小学校は国民学校と改正され、昭和16年入学の1年生から昭和20年の5年生までを学び約6年間を天津で過し21年1月日本に引き揚げました。
思い出の故郷を1993年に訪れ天津旅行記を趣味のホームページで紹介しました処、同級生よりお便りを頂き嬉しさに感激しましてそれではと同窓生を求めて天津日本国民学校ホームページを立ち上げ、掲示板、メール、お手紙などにより、判らなかった天津日本租界誕生100年の歴史の資料、特にJIN社発行、田中良平さん著「天津今昔招待席」により学び多くを知りました。
故郷天津も今や発展の一途で古い建物も取り壊されて昔の面影も薄れて,今訪津しなければチャンスは永遠に失われるのではないかと2004年春より同窓会を 計画準備に入りました。
日本租界街、住居.学校の所在の地図(昭和14年製等)も先輩諸氏に頂き現在の地図と照らし合わせて、幾度か訪中され、経験豊かな芙蓉国民学校在学、土井氏を幹事にスケジユールを立案しました。
何時も忘れることのない同級生友人に会いたい。
新聞などの同窓会や尋ね人欄を利用して多くの同級生の消息を求めるべきだったと悔やみ。今となっては遅すぎの感がありますが、その時代は経済成長期でもあり、1家の生活に追われ脇目もふらず働き時間も金銭の余裕も無く、今は人生第2ステージが始まり時間の余裕思い出も偲ぶ事の出来る身分になり遂に念願の日が来ました。 生涯最大至福の旅行が実現。故郷天津日記、出発です
成田班5月19日のエピソード!新潟より参加の野村さんは20日新潟出発ではフライト時間には間に合わいませんので東京泊まりです、19日17:00近く私が東京駅に車で迎えに出ました。待ち合わせ場所もメールで打ち合わせしましたが10分,15分。20分とうとう最後の手段東京駅に響き渡る呼び出し放送。なんと近くに居られました。申し訳有りませんでした。
5月20日
故郷天津日記
4月の北京、天津で起きた、日本の国連常任理事国加盟、総理の靖国参拝の批判デモで大使館投石などで治安が乱れ。不可能かと一時思い悩みましたが現地の方達の情報、日本にお住まいの友人の情報により.成田空港班3名.関西空港班4名は出発しました。関西と成田の北京到着時間も多少違いが有り関西班の出迎えを受け60幾年の初対面の同級生に嬉しい感動に接する事ができました。北京よりチャーターバスで京津塘高速道を天津を目指しますが、道路に沿ったポプラ並木が美しく広地は見渡す限りの畑。近代の農法ハウス栽培、見渡す限りのマルチ農法、水確保の溜め池、用水堀と整備され農作物の大半は輸出に回り日本の農業も打撃を受けるのではないか、この広い耕地に耕耘機が見えない、まさか人力ではあるまい等と考えながら快い走行も天津市内に到達と同時に車のホーンと渋滞中の人々の歩行に秩序があるのかと思える行動に驚きと中国独特の活気の街が出現しました。宿泊は12年前と同じハイヤットホテル到着
早速老人ボケ1号。フロントでパスポート番号御願します。あれ〜何処へ入れたかな思い出せない、何時でも出せる様にコピーパスポート手近に入れといたが見つからない。かみさんの物で間に合わせたが.暫くすると蛍光灯の如く思い出した。
5月21日早朝ホテルの窓より海河で何か動くよと、かみさんの声よく見ると三角形のさざ波をたて見事に泳ぐ人が見られキモも凍ったようなブルブル気分になりました、岸壁では興味津々の(太公望)釣り人も、私たちも6時半からの朝食を済ませて土井さんの案内で散歩に(元イギリス租界)の解放北路の公園では(元ビクトリア公園)卓球、剣舞。などによる健康維持には感服の至りです。
うえー冷て〜〜

市内観光。
JIN社の月刊誌、食べる。観る 買う。も参考に、バス観光。
天津タワ〜.天津站.解放橋.古文化街。南門内大街狗不理.
60年を経ても現役の解放橋。橋の歩道で干しぶどう、クルミと何か解らないが美味しそうな練り物を売っている,味見と思い少し買って食べると甘酸っぱく思いの他美味しいので皆さんにも味見をして貰いました.
この他思い出の橋があるんですよ。地図で見ると北站(駅)から日本租界に出るには金鋼橋を渡ったと思いますが、足下が編み目で河面が見え怖かった記憶。
天津站では全員で記念写真。

中国式建築様式が1段と冴える古文化街では旅の恥は捨てろと度胸を据えて計算機片手に交渉の末、泥人形を買いました。

天津站では全員で記念写真。
昼食は南門内大街の「狗不理.」犬も食わない不味い包子と云うが此れを食わずに
帰ったら一生の不覚となる。お土産は十八街麻花
南門大街を真っ直ぐ進むと
衛津路右手に衛津河。天津大学.南開大学が並ぶ
南海大学は1939頃日本軍の空爆で破戒されたが、破戒を免れ60年経ても鎮座する思源堂。ポプラ並木も美しいキャンパスを散策しました。

天津電視塔(TV放送塔)415,2m展望台266mより市内を望遠しましたが排気ガスか展望は霞んでます。
早稲田大学入学願書も見られた、周恩来記念館。
帰路の道路は3年後のオリンピック開催の建築ラッシュと車の多さと渋滞の中のホーンの騒音、ルール無視の我が道を行く自転車、人々の無頓着さに驚きの笑いが込み上げましたが。
古い物が失われる様に少し落胆もしました
22日。午前は合同で作家航鷹先生創立の天津「租界遺産」輝けを訪問後。2班に分かれ、芙蓉国民学校方面3名、私たちの幼少時代過した思い出の街、河北区に4名。野村さん(春日国民学)、天野2人(三笠国民学校)、本田さん(三笠国民学校)。住居、よく遊んだ北寧公園。水上公園の探索です。
野村さんの一時期学んだ春日国民学校は由緒ある大悲禅院を日本が借用して勉強したそうです。。今でも多くの信者の参拝で賑やかでした。此れもあったこの建物も変わらないと思い出に感動と喜びが伝わってくる場面に。本当に来て良かったですね。沿道には露天土産物
店が並び、気の毒なお座りさんも子供の哀れさに見かねて小銭を渡す。
春日国民学校の借用した大悲禅院は天津最大の八方寺院で清朝初期建ち塘代の玄奘法師の遺骨を祭る

野村さんの住居を訪ねましたが取り壊されマンションになり、近隣の古い家並につられ入ると住民の方達が大勢出て来られ、取り壊された家に住んでいたそのおばあさんの家族のお話によるとおばあさんは今はボケて何も判らないそうですが、住民の方から昔話が沢山の聞くことが出来ました。 中国って人情の厚い人達で溢れていますね。
日本批判デモ行進は何だったんでしょうか。
本田(里岡)さんの律緯路の住居を訪ねねて(三笠校在学の多くは此の近辺に)
本田さん(里岡)家は此の近辺貸家業も営んでいたそうですが取り壊され、ビルが建ち一階は店舗も見られました、住居は無くなりましたと云う情報でしたが路地を入ると一部分が残っていて、ここで写真を撮ったと堪えきれず涙も。思いでの感動が蘇っていました、私たちの話声に近所の方達も集まり通訳を交えての会話に和み本当に親切さが身に滲み別れの挨拶では謝謝と男女を問わず握手を交わす事が出来ました。
律緯路交差点から中山路(太経路)に沿って歩行者道路で北站(駅)に向かうと郵便局と北站駅前、中山路『車道』は鉄道上を跨ぎ立体交差となっているその横に鉄路局の新築されたと見られる建物は旧態と変わらずに見えるそうです、北站(駅)より懐かしの地下道を潜り抜けると北寧公園、池のハスは芽は未だですが長廊を歩くと今も変わらない劇場、ボート乗り場も変化無し.
懐かしの北站地下道

その後新築された三笠国民学校(現天津第2中学)
も訪ねましたが立派な校舎になっていました。
聞く処によると父が勤務した鐘紡の工場(天津印染廠)は4年前取り壊されてマンションに、旧社宅も訪れる気にもならず通過した。
夕食は天津在留の方、10年振りにお会いする中国の友人家族を交えての会話に花が咲き、友情を暖めてた1日でした。
23日天津最終日は郊外、清の東陵・独楽寺、黄崖関長城などを観光。
市内は朝の通勤ラッシュ自転車行列は危険極まりない走行にアブナイー!と声が出てしまう市内を抜けて完成まもない高速道路より 独楽寺の町並み近ずくと道路際では個人で造られた産物と思いますがレンガ.材木、など多種多様の製品や農産物が露天に並んでいます、よく食べさせて貰った甘い金瓜に食欲をそそられましたが通過です残念。
住居生活様式、子供達の服装も見られ参考 になりました、
山間部農業の作物は桃、栗(天津栗)の果実栽培が多くみられました、必ず1部落に1軒有る店がオートバイの修理屋さんです、バス走行中良く見かけるのは小型オート3輪車で、それはそれは錆びて年代物のオープンカーです、結構なスピードで走っていますが冬期も走るのでしょうかね寒いと思いますが、人の事心配する事ないわよと誰かに云われそうだ!、山の産物と云えばセメント原料石灰岩。今はセメントの需要は最大、トラックが喘ぎながらのろのろ走行。道路は穴ぼこでがたがた、一番参りましたのが♪田舎のバスでは有りませんが、ガタガタ悪路で背骨は痛み車の座席に座る事も出来ず膝をクッション立ったまま、鎮痛剤を飲んでの楽しい旅に、思い出の1ページが出来上がりました。
「独楽寺」唐に建てられ最も古い木造楼閣、(1976) の唐山地震も健在だった。
中には崖を削って造った16mの観音像(土) は珍しいそうです。交通安全にお守りを買う。(唐山地震)http://www.boxun.com/hero/disaster/4_1.shtml
[独楽寺][清東陵]
 
清東陵.広大な敷地は250平方キロ(山稜含め)
植林整備され雑草も見られませんがこの広大な陵墓敷地敷地面積は70?平方キロでは農作物 は禁止、まして住居などはご法度だそうです。
帝王皇室陵墓
乾隆帝の裕陵(地下墓)、義賊又は軍閥による盗掘あり。扉入口は厳重に幾重も有り入室困難で、直接墳墓真上を爆破して侵入したそうです。
西太后の定東陵(地下墓)も見学。これも同じく真上を爆破して財宝は持ち出されたそうです。
天津郊外も広く農村地帯も強く印象に残りそうだ、天津黄崖関長城(万里の長城)
は北京と違い閑散そのものだ。長城のどの付近まで登るのか、料金を払えばロバでの登頂がある。今回は短時間の散策であったが土産売りの声もなく、何も買わず下山した。これより中国最大の都市北京までの道のりの中に郊外の開発も観られ北京市内に突入した。ホテルは東交民港飯店。夕食は日本料理ですがこれは最悪、天ぷら、刺身茶碗蒸し日本料理として恥ずかしい代物であった。
5月24日北京観光天安門・故宮博物院・天壇・イ和園
広大な天安門広場。天安門事件後何年だろう?今回の旅行の直前も抗日デモで私も
イメージ少し悪くなったが。一部の人たちの考えだろう。
故宮博物院見学も北京オリンピックに合わせ化粧直し中、金色の瓦も葺き替えで一部は見学不能で不満でもあった。
続く・・・
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