子供の頃の夏とこの頃の夏、明らかに違う。

夏らしい夏
   
毎年このタイトルで同じような事書いている。
それくらい日本の夏が変わってきていると毎年感じるからだ。
空は青く、真っ白な雲と、強い陽射しで出来る強烈なコントラスト。
空気は乾いて、からっと爽快。こんな夏が私の中の夏。
今日は湿度が高く、爽快とまでは行かないがかなり夏らしい夏。
しかし、一昨日も昨日も局地的集中豪雨というのが発生し、
亡くなった方まででてしまった。
しかも東京都内でだ。
そのような災害が発生するとは考えない所での災害。
一時間に70ミリの豪雨。
去年もこの局地的豪雨で亡くなった人がいた。
一週間前にも神戸でも同じような災害。
自然からの警告。昨日見た“ハプニング ”と言う映画も     
自然の樹木が害獣である人間を殺す話だった。
ナイト・シャマランにしては、ちょっと説得力に欠ける映画だったけれど、
自然の立場に立てば警告も発したくなるのは理解できる。

人間は自分たちの幸せのために多くを犠牲にしてきた。
特に西欧文明を基盤とした自然科学の発展は多くの自然を犠牲にしてきてしまった。
自然を外部と捉えた考え方。あくまで自然は戦う相手だった。自然を克服する。
克服によって手に入れられたものはごく一部の人間たちの幸せに過ぎない。
それも長いスパンで考えれば、幸せとは言い切れないものばかりだ。
人間は自然の一部であると捉えて来た日本の自然観。
一歩下がった奥ゆかしい捉え方だ。
各大陸のネイティブと呼ばれた民族の生き方は
ほとんどが自分たちを自然の一部として捉える考え方で生きてきている。
自然を敬い、一歩下がった所で生きて行く奥ゆかしさがある。
日本民族、アメリカンネイティブ、アボリジニ、アフリカン。
ヨーロッパにもそういう民族はいるはずだ。

各民族が独自に培ってきた生き方は
その地域独特もモノであり、その地で生きて行くには最適のものだ。
それぞれの行き方を大切にするべきだ。
各民族には自然とともに生きる為の哲学がある。
日本人も早く思い出して欲しい。
素晴らしい生き方をしてきた我らの先祖の生き方を。

日本人はたった百年で変わってしまった。
“「早く戻ろう日本の暮らし」”
こんなキャッチフレーズどうだろう。

合理的と云う考え方、やり方には確かに良い所もたくさんある。
無駄を省き、目的に短時間で到達する。
反面、切り落とされたり、省かれてしまったり、犠牲になるものもたくさんある。
ズバッと切るのではなく、やさしく、穏やかにそっと分けると云う方法だってある。
そういうやり方は手間も時間もかかるけれど、
失うものも少ない。急がなくてもいいなら、この方法が良い。
人はなぜ急ぐのだろう。時間て何?
時間かければいいものもできる。

Posted: 水 - 8月 6, 2008 at 03:46 åflå„      


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