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負の時代
最近気がついたことがある。それはこんなこと。1990年代、僕は21世紀は精神の時代がくると予想していた。20世紀は産業革命に始まり物質文明が謳歌された時代だ。車が発明され洗濯機、クーラー、TVとまさにモノの時代だった。モノは世代を超えて伝播されていく。世界中の人々にこのコンヴィニエンスは瞬く間に波及した。そして20世紀後半にはインターネットが世界中を覆った。そして政治的には東西対立の崩壊と目まぐるしく変化して行った。モノという魅力的なものに目を奪われ、それを手に入れることが第一の目的になってしまった。モノの時代だった。違う言い方だと、経済主導の時代。もっとゲスな言い方、カネの時代。その流れで来れば、21Cはまさに精神の時代がくるに違いない。モノより精神。と単純にそう思ってしまった訳だ。そうあって欲しいとかすかな希望も在った。しかし明けて2001年9月11日。この日を境に世界は僕の思っていた方向とまるで違い方へ走り始めてしまった。戦争、テロ、飢饉、不況、地球温暖化、格差社会・・と挙げたらきりなく出てくる。負の時代に入った。「僕の予想は大きく外れたぁ」と2001年以来ずっと思っていた。しかしここへきて、世界経済の崩壊、不況、と負のプレッシャーが身近で現実の問題になってくると、もしかしたら、これは僕の予想した精神の時代への序章かも知れないと思うようになってきた。負という環境が在るからこそ人間は真剣に生き方を思考し、生き残ろうと行動する。こう言う負の時代を経ないと人の意識は変わらない。物質文明の安穏とした時代からいきなりの精神の時代には行かないだろ。追いつめられ、ギリギリになって初めて事の重大さに気づく。それが人間の哀しい所だ。そしてやっと動く。負の時代は必要条件だと思えてきた。最近モノの豊かさより気持ちの豊かさを口にする人が増え、知識人と言われる人たちも精神の豊かさを説くようになってきたのを気付いている人も居るだろう。精神の在りようは個人の意識の問題で、とても個人的なことだ。一人一人の意識の中で提議され、考えられ、自分の生き方に反映させる。とても個人的なのだ。負の時代を生きていくためには物事を一つ一つ考え、丁寧に生きていかないと生き残れない。そういう時代だからこそ、個人の精神のあり方が重要になってくる。21Cは精神の時代になる。僕の予想した通りにね。でも時間かかりそうだ。もっと早く気がつけよ!と思うけれど、僕は何事も遅い。
最近作ったスカルのリング、負の時代にふさわしいからか結構ウケる。そんなに怖くなく、開いた口が笑っているようにもみえるからかも
Posted: 水 - 2月 25, 2009 at 01:16 åflå„