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□夫婦別姓だっていいじゃんか
昨年末(2007年)のニュース で、フランスでは婚外子が50%を超えたと伝えていました。
フランスでは「同居」という考えが定着していて、事実婚カップルやその子たちにも法的な権利が認められているそうです。(ネット耳)
日本でも一時期夫婦別姓法案が議論に上がってましたが、今では「フの字」も聞こえてきません。
国会議事堂に詰まっている人達は、後から後から出てくる不祥事の処理で手一杯なのでしょうか?
動かさなくても良いことはそのままで良いのでしょうね。
男子が産まれれば取りあえず国家安泰、今までの議論は、ものごとの根本は何だったかってことがどこかに行っちゃう、ってことです。
・・・福島さん、応援していたのに、存在が薄くなっていくようで、頑張って下さい。
うちは事実婚といわれる夫婦別姓を実践していますが、「目からウロコ通信」を出したきっかけが、その頃風当たりが強かった夫婦別姓に対する返答だったことを思い出しました。
周囲から、「子供が生まれたのに籍を入れない」と言うことで白い目で見られていたのです。
あれから16年もたって、今や夫婦別姓と言っても特別気にしないし、保険や、ケータイの家族割引などにも認められる存在になり、世の中が多様な存在を認めるようになってきました。というか、直接自分に関わり合いのないことはどうでもいいのかもしれません。自分たちが、かつてほど気にしていないことも一番大きいですね。
でも、上の子供を産んだ当時は、婚外子=不幸な子の構図で規格外のレッテルを貼りたがったのでした。私の周りにいた創作的な仕事に関わっていた人たちさえそうだったのです。
当時の目からウロコ通信の記事から夫婦別姓の記事を切り抜いてみました。
◇ フーフ別姓でいいじゃんか◇
早いもので、あれから3ヶ月。
MORI(上の息子)は元気に育っている。ギリギリになってあわただしく、出生届を出した。ウチはフーフ別姓でやっていたんだけど、子供が生まれたのを機に籍を入れようかどうしようか迷っていたんだよね。お家制度への反発もあるし、なんで女ばっかり姓を変えなきゃなんないのよって気持ちもある。
それよりなにより名前が変わるのが、とっても、どうしようもなく、そう生理的にイヤだった。
ヤキモノ造る時だって生理的にヤなものは作らないたちで、自分にとって気持ちの良い物を作っていたら何となく自分のものになってきたから、そんな選択の基準があっても良いんじゃないかなぁー。
世間の人は、「あんたのワガママよ」と言うけれど、誰にも迷惑のかからない個人的ワガママが通らない暮らしなんてまっぴらだよ、私は。
とは言うものの、私の中の世間体が籍を入れないことのウシロメタサみたいなものを感じてる。
未婚の母=日陰者=この世に存在してはいけないもの。ここまでくるとなんか暗すぎるけど、私自身も偏見を持っているということの裏返しですね、これは。
私は戦わない主義だけど、もし戦うものがあるとしたら、まず自分の中の世間体かな。要するに私自身迷っていたわけで、図書館から「フーフ別姓関連の本」を何冊も借りて随意分勉強してしまいました。
いわゆる先進国と言われている国の中で{フーフ別姓」を認めてないのは日本ぐらいなんだって。(16年前当時、国によっていろいろな事情があります)
そればかりか日本の法律は結婚しないで子供を生む人にはずいぶん冷たい。
「法の下において堂々と差別する」なんてことが許されるんだからあきれてしまう。そもそも法律なんて確固たる良識に基づいて作られてはいないんだよね。
今回のPKO法(H4年度公布、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)にしても国の矛先が一寸かわっただけで善と悪が入れ替わってしまうんだから。
人間として個人としての良識を持つことが大切なんだと思うよ。日本が単一民族なんて思っているオエライアナタにまず考え直してもらわないと人権もへったくれもありゃしない。
話がずいぶんソレちゃったけど、とにかく好きで「フーフ別姓」を選んだ私たちは良いけど、いろいろな事情により必然婚外子となってしまう子達もいるのです。
生まれてきた子供は、法的に婚外子としてランクを落とされるわけです。遺産相続の時だって不利なのです。私達はたいした遺産もないけれど、なんだか本妻の子とおメカケさんの子のランク付けみたいな感じもする。
でも考えてみれば、いつも有利に何の問題意識も持たずに生きていくことって本当に幸せなんだろうかとも思う。MORIには、なんで父と母が名前が違うか話していくつもりだ。
お世話になった助産婦さんに「フーフ別姓で、4人も子供を産んだ人もいるんだからがんばんなさい」と励まされた。
命が生まれてくる現場にいつも関わっている人の言葉はスゴク、リアリティーがある。自分の中のもやもやしたもの、世間体を気にしてフラフラしたものが一気に吹き飛んだ。
ウロコがポロリ。
(1992年発行、イバタ筆、分かりづらいところ多少の改稿、削除をしてます)
自分の中の夫婦別姓に対する気持ち・・・
今ではすっかり休火山になってますが、当時の活火山ぶりが少しフラッシュバックしてきました。
その時生まれた上の息子も、今年 は高校受験です。
「願書の保護者の欄どっちがいい?」
と私。
「うちの両親は事実結婚で、名前が違いますが父か母、どちらの名前を記入しますか?」
と担任の先生に聞いたと息子。
父親の名前が違うなんて、ちっとも気にしないで子供はたくましい育ってます。
将来的に「親の夫婦別姓」が何か障害になることがあったら、(今時あるとは思えませんが)
「意識が低なぁー」
と言ってあげなさいと、2人の息子に言い聞かせています。
□追伸
たまたま「トウキョウタワー・ぼくと、おかんと・・・の映画」をTVでやっていたのを観たばかりで、その直前に本も読んだばかりで、
・・・家族というものは時間とともに変化していくものであるとつくづく考えてしまいました。
籍が入っていようと、いまいと、家族というかたちがあろうと、なかろうと、親から子へ、孫へと脈々と欠けることなく受け継がれて今があって、その今だって刻々動いている。
・・・すべてを含んだ今そのものが、生ものだなぁーとしみじみ思います。
Webソフトとにらめっこしながら、書き込んでいる端から、
「母のしょぼいHPなんて見る人いないよ」
なんて、 上の息子 が憎まれ口をたたいていきます。
映画の中で、おかんの死後に、ぼくがおかんの手紙を読むシーンがあって、グッと来た後だったので、
「母が死んじゃった後、なんとなく読んでみる母のHPに、あんたが、グッとくるんだよ。」
って言ってみました。
2008/03/01
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「目からウロコ通信」その後・1
土クズの魂みたいなもの