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由紀草一『団塊の世代とは何だったのか』(2003年/洋泉者y新書)──その(1)


昨日の『朝日新聞』(夕刊)文化欄に、連載中の「うつろう(2)─100年目の大衆社会」として《団塊の行方──リタイアしてひとりぼっち?》と題した一文が載っていた。
ちょうどいい機会なので、前から取り上げようと思っていたこの本について書いてみることにする。

新聞記事の筆者四ノ原恒憲さんは1951年生まれ、この本の著者由紀草一さんは1954年生まれだ。
「世代」について論じる時に、論者の「世代」を無視する訳にはやはりいかないだろう。
2004年現在、四ノ原さんは53歳、由紀さんは50歳ということになる。

由紀さんの本を読んでいなくて、四ノ原さんの記事を初めて読めば「厳しいなー」と感じたに違いない。
由紀さんの本も「団塊の世代」にとってはかなり厳しい内容なのだが、反発を感じるというのではなく、「一所懸命考えようとしてくれている後の世代」というのが伝わってきて、実際、色々と考えさせられてしまった。

由紀さんの本を読むまで、「団塊の世代」の評判がそんなに悪いということも、実のところ知らなかった。(世間知らず?)
帯のキャッチ・コピーは、例えばこんなふうだ。(下に、表紙の写真がある。)
《なぜ団塊の世代は嫌われるのか? 後続世代からの批判は正当なのか?》
《何か創出した世代か、尻馬に乗っただけの世代か、それが問題だ。》
カバーの裏には、こうも書かれている。
《嫌われ続ける団塊の世代、その根拠の正否を問う!》
《過剰意味づけ、うるさい、自分の主張を押しつける、せっかち、リーダーシップなし、責任をとらない、被害者意識ばかり、......
いまや団塊世代をバッシングする言葉は何らの緊張感なしに垂れ流されている。》
四ノ原さんの記事に引用されているのも、ついでに...。
《「いつも、群れ集う」「競争が好き」「すぐ自分の世代のことを自慢げに語りたがる」「権力志向」......》
由紀さんの本には、もっとたくさんの用例が出てくるが、それはまた追々ということで。

「世代」という枠で十把一絡げで論じるためには、ある程度根拠のあるデータが元にならなければならない。
その点では、例えば新聞記事に引用されている、天野正子さん(東京女学館大教授・1938年生まれ)の言葉、
《男性の場合、下の世代に比べ、明らかに企業への帰属意識が強く、仕事への使命感も強い。》
といったことが、「全体として」(世代論として)言えるのかどうか、もう少し根拠のあるデータが欲しいと思う。
自分に照らして振り返ってみて、「仕事への使命感」というほどのものがあるかどうかは別として、仕事は好きで、楽しんできたと思うし、プロとしての自信も矜持もあるが、学校社会への「帰属意識」などは全然強いとは思えないからだ。
もちろん、自分がその類型に当てはまるかどうかによって、その検証そのものを論じることはできまい。
その点でも、由紀さんの本には僕を黙らさずにはおかない説得力がある。

その理由は、根拠となるデータだけでなく、「世代」を論じる時には、論じている人の「立場」が非常に大きな意味を持つのだと思う。
由紀さんは、その点で「後続の世代」という立場を明確にして、厳しいが丁寧な検証を、「自分」の問題として論じている。
ちょうどいい機会なので、由紀さんからの批判に応える形で、自分の「世代」について考えてみることにする。(つづく)


Posted: 木 - 8月 12, 2004 at 06:09 åflå„          


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