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眼鏡


眼鏡も「知的生産のTool」として欠かせないものです。
たまたま眼鏡とはずっと縁の無かった僕にとって、眼鏡に対する好奇心というか憧れというか、そういうものがありました。
中学生だったころ、電車通学していた友人の「定期券」にすごく憧れていた気持ちに似ています。
だから「老眼鏡」をかけなければならなくなった時、内心嬉しくてワクワクしていたというのが偽らざる心境でしたね。
友人のような「定期券」を、初めて自分でも持つことになった時の感じに似ていると思います。
いつも眼鏡をかけている人からすれば、「こんな邪魔で面倒なものを...」と思われるでしょうが。

初めての眼鏡は、ご多分に漏れず「老眼鏡」でした。
(ここで、(笑)などと書くと合うのでしょうが、好きじゃないので、(^^)Vにしときます。)
「老眼鏡をかけなくちゃいけなくなった」というのは、中高年者の嘆きの言葉としてよく耳にしますが、僕にとっては初めて手にするオモチャのような気分でした。

忘れもしません。老眼鏡の必要を初めて実感したのは「地図」でした。
教室の授業で「地図」を使うのは1年生ですが、たぶん何年かぶりに1年生を担当した時だったのでしょう。
愕然としましたね。小さな地図の中の文字が、まったく判読できないのです。
かろうじてどうにか読める、というレベルからはほど遠いものでした。

これでは仕事になりませんので、早速近所の眼鏡店に足を運んで、検眼をしてもらいました。
経験のある方ならどなたも同じような感動を持たれているでしょうが、目の覚めるような視界でした。
「老眼鏡」という呼び名の代わりに、「Reading glass」という呼び名を店主から教えてもらいました。
確かに、何かを読む必要のある時にしか使わないので、「お洒落」な名称だと思いました。

同じその眼鏡店で、別の日に「夜、車を運転してると、ライトが凄く眩しく感じる」と相談しました。
すると、予想もしていなかった明快な答えが返ってきたのです。
「それは、乱視が出てきたんでしょう」
店主の説明によると、乱視というのはもともとあるもので、若い間は目のほうが自分で調整してくれるので表面化しないけれど、年齢とともにその調整能力が低下することで現れてくるのだという。
検眼してもらって、レンズを合わせてもらうと、またまた目の覚めるような視界に感動したことは言うまでもありません。

「乱視」ということを知って改善されたことはたくさんありました。
車の運転に役立ったことは言うまでもありません。夜のライトの眩しさはまったくなくなりました。
もう一つ大きかったのは、僕の熱中していたスポーツに役立ったことです。
素人でも時速100 km以上のスピードは出るだろうボールに対する動体視力は、乱視の解消で格段に向上しましたね。
ただし、だからと言ってスキルもまた上達したかどうか、ということもあくまでも別問題ですが...。
屋外用のサングラスにも、乱視用のレンズを入れたことは言うまでもありません。

Reading glassは、今ではなくてはならない道具になっています。
一つしか持っていない時は、常に持ち歩いていたのですが、置き忘れたり、紛失したりすることが出てきます。大抵はどこかから出てくるのですが、一度はどうしても出てこなくて、仕方なくもう一つを買うことになりました、しばらくして発見される、ということもありました。
眼鏡を家に忘れた日は、仕事にならないというほどのことはありませんでしたが、必要な道具が使えない気分はあまりいいものではありません。
結果的には、紛失した時に買った二つ目は、あったほうが便利だと分かって、自宅と職場にそれぞれ置いておくようになりました。

2つ目までは、そういうものだと思っていたので、かなり高いのを買っていました。
しかし、安いものでも十分実用性があることを知ってからは、2000円くらいのをいくつか買って、リビングに一つ、ベッドに一つ、トイレに一つ...と、持ち歩かなくてもいいようにあちらこちらに置くようになりました。

問題は、 パソコンのディスプレイを見る時でした。
乱視用の眼鏡があればクッキリ・スッキリと見えることが分かったのですが、手元の原稿を見る時にはどうしても老眼鏡が必要だということが分かってきたのです。
そうです、お察しの通り「遠近両用」眼鏡の登場です。

今や、これもなくてはならないツールになりました。
これも高価なものでしたので持ち歩いて使っていたのですが、ある日紛失し、新しいのを買わざるをえなくなって買ったのですが、しばらくして発見されました。
合計2つになった遠近両用眼鏡は、自宅の仕事部屋と職場の両方に置いておくことができるようになった、という訳です。

テレビを見る時も、映画を見る時も、乱視用の眼鏡を使ったほうが、鮮明だし目の疲れが違います。
映画館に持って行くのを忘れて、度付きサングラスの暗い視界で見たこともありましたが、最近ではもう習慣化したのでしょう。忘れることもなくなりました。

確かに眼鏡は面倒なものですが、使い始めてまだ10年足らずです。
憧れていた時の感じがまだまだ残っていて、ちょっとばかり非日常的な愉しい気分になれます。

クリントン大統領(たぶん僕と同い年)が、演説原稿を読む時によく老眼鏡をかけていました。
あのブッシュのアホ面に比べれば、よほどエレガントな仕草だったと思い出されます。


Posted: 水 - 6月 23, 2004 at 10:46 åflå„          


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