「被爆体験」を、どう聴くことができるか。
昨日紹介した、NHK『クローズアップ現代』の2日目のテーマは、「被爆体験の風化」の問題だった。
関西学院大学の学生が、折り鶴に放火した事件を踏まえて、大学生に対する「平和教育」が紹介されていた。
「折り鶴」で平和が実現するのなら、イラクへの派兵もありえなかったはずだと思うが、だからと言って「折り鶴」に放火する想像力の貧困さや、「祈る気持ち」への鈍感が許されるはずもない。
関西学院大学の教室での「平和学習」の授業は、(受講希望者は予想を大きく超えた人数だったようだが)寝ている学生、携帯メールに熱中している学生の姿を、カメラは意地悪く逃さなかった。被爆者を教室に招いての講演も、担当教授の野田正彰さんが「何か、質問のある人は?」と問いかけても、(テレビカメラが入っていることも無関係ではなかったかもしれないが)結局、誰一人として手を挙げる学生はいなかった。精神病理学者である野田教授は、「求められている答えを出す能力」ばかりが求められてきた学生たちの姿についてコメントしていた。この点は、中学校でも共通しているが、「普通教育」である中学校と、「ペーパーテストに勝ち抜く能力」(暗記力とスピードだけ)の高い学生が集まった大学とでは、やはりかなり違うだろう。中学校なら、(たとえテレビカメラが教室に入っていても)生徒たちはもっと自由に、好き勝手に、自分の思っていることを言うのではないかと思う。もちろん、中学校でも「テストの点数の高い」生徒は、教師が「どんな答えを求めているかを素早く察知する」能力に長けているので、「無難な」「優等生的な」答えを言うだろうが、そうでない生徒も、大学生よりはずっと多いだろう。最近まで、夫に対しても被爆体験については語ろうとしなかった70代の女性が紹介されていた。爆心地から300メートルという、とても生存不可能の場所で奇跡的に生き残った彼女は、誰にもヒロシマのことは語らなかった。だが、幾たびもの癌の手術を受け、それでも生きている自分は「生きている間に、ちゃんと語り伝えなさい」と言われているように感じ始めたという。激痛をモルヒネで誤魔化して、近くの中学校へ被爆体験を話に行く姿や、それを聴いた中学生たちからの手紙を夫に読み聞かせてもらっているところも放送されていた。中学生たちが、「被爆体験」をどう聴いたのか、そして、どんなメッセージを彼女に返したのか、知りたい気がする。
Posted: 土
- 8月 7, 2004 at 08:44 åflå„