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「祝1周年!」パチパチパチパチ♪(←拍手の音)


このWeblogを始めてちょうど1周年になることを、つい数日前に気づきました。
どれくらいの記事を書いたのか、数えてみると、
Letter from the wind(iBllg)で、52編。
Letter from the wind 2(iBlog)で、89編。
Letter from the wind 3(ココログ)で、23編。
合計164編の記事を書いている。
平均すると2.2日に一回の更新になります。

「毎日更新」という大風呂敷マニフェストは、まだ畳まないでいようと思うのですが、「毎日」どころか、忙しかったり、モチベーションの低下で、2週間以上ご無沙汰の時も何度かあったような...。
でも、まあ、平均すると一日おきに更新している計算になるようですので、上出来のような気もします。

この1年を振り返って、感想めいたことを少し書きとめておくことにします。

一つは、こんなに毎日のように文章を書き続けた初めての経験で、「言葉で表現する」ということの神秘の一端に触れたような気がすることです。
毎日が締め切りのライター気分ですから、書いてみようと思うテーマはあっても、どんなことを書くかは書き始めるまで自分でも分かりません。書きながら考え、書くことで自分の考えが形をなし、自分でも分かってくる、というプロセスです。
これは、とてもスリリングでエキサイティングなプロセスです。(何だか横文字ばっかり並びましたが(^^;))
自分で自分の考えを発見する、というのはなかなか面白いことです。それがまがりなりにも続いてきた原因かもしれません。

「それだけを取ってみると、思考内容というのは、星雲のようなものだ。そこには何ひとつ輪郭のたしかなものはない。あらかじめ定立された観念はない。言語の出現以前には、判然としたものは何一つないのだ。」(『一般言語学講義』)
というソシュールの言葉を引用したあとで、内田樹さんは、こう解説しています。
《「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたかを知るのです。(...)
 私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づけているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえ言えるかも知れません。》(『寝ながら学べる構造主義』文春新書)
まったくその通りやなー、と実感します。
同じ本の中で紹介されているロラン・バルトの次のような一節も、インターネット時代の今だからこそ、なかなか味わいのある言葉ですね。
「読者の誕生は作者の死によって購(あがな)われなければならない。」(ロラン・バルト「作者の死」)

もう一つは、一つのことを書くためにも、多くのことを調べなければならず、それが自分自身の勉強になった、という実感です。
この1年間、164編の文章を書くために、「ウラをとる」必要がいつもありました。
記憶は曖昧なものですし、思い込みで勘違いすることは、少なくとも公表する文章では最大限避ける責任があります。(そういう努力はしてきたつもりですが、それでも間違った記述があるかもしれません。)
書評を書く時には、その本以外にも目を通しておく必要のある場合が多いですし、それ以上にインターネットの検索エンジンをフルに活用しなければならないことがどんな場合にもたくさんありました。
もっと言えば、インターネットでの検索作業がなければ、ほとんどの内容が成立しなかったと言っていいほどです。
その意味で、「ウラをとる」作業は、僕自身の勉強になることが多かった、ということでしょう。

さらに、このWeblogのおかげで読書量が増えたことも副産物ですね。(もっとも、元々が少ないのでソレナリニですが...)
しかも、真剣に読むようになりました。
最初からブックレビューで取り上げようという目的で読んだ本はありませんが、読んでいるうちにこの本は面白いので紹介しよう、と思った本はたくさんあります。そして、そういう意識を持って読む本は、「ウラをとる」のと同じで、かなり丁寧に読もうとしていますね。
取り上げようと決めたら、キモになる部分を中心に何度も読み直すことになります。
つまり、これもまた僕自身にとって大変な勉強になっている、ということなのです。

まあ、そういう感じで続けながら思うことは、「主権の存する国民」一人一人がもっと賢く、もっとしたたかに、自分たちの文化の水準を高めることが必要だ、ということです。
そのためにやらなければならないことはたくさんあるでしょうが、たった一人からでも発信ができるインターネットは、力強い道具になるだろうと実感しています。
発信源がもっとたくさん増えていくことが、大切なことだろうと改めて思います。

更新が滞っている時でも、Weblogのための「書きかけの原稿」は、たくさん溜まってきます。
家でも外でも書けるように、タバコの箱くらいの小さなハードディスク(それでも40GBもあるのです)に全部いれて持ち歩き、続きを書いたり、新しく思いついたことを書いたりしています。
「書きかけの原稿」がなかなか脱稿しないのは、うまくまとまらない場合や、もう一つ自分で納得できない場合などの他に、時間をおいたほうがいいと思う場合もあるからです。モチベーションの高い文章ほど「冷やす」期間が必要ですし、それほどでもない文章は、なおさら「時間をおいて」何度も読み直す必要があります。
これからの1年も同じようなペースで続いていくのかどうかは、「神のみぞ知る」。ですが、読んで下さった方が「時間を損した」と思われないようには、これからも心がけたいと思います。

Posted: 月 - 11月 1, 2004 at 08:16 åflå„          


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