Today 6月25日
国際捕鯨委員会(IWC)が白長須鯨[しろながすくじら]捕獲量の大幅減少を決定
(1976年)
東インド艦隊司令長官ペリーが黒船を率いて浦賀沖にやってきた時、幕府の鎖国政策を打ち破るには「脅し」しかないと明確な方針を持っていた。
鎖国という重い扉をこじ開けるのにペリーが持ち出したのは「捕鯨船」の寄港だった。
今や捕鯨禁止の旗頭アメリカは、かつて太平洋を越えて鯨を追っていた。
しかも、目的は鯨油だけで、それ以外はすべて捨てていたくせに、鯨油が儲からなくなると、今度は「捕鯨禁止」ときたもんだ。
アメリカを始めとする商業捕鯨禁止国が、なぜ捕鯨を禁止するか、その本当の理由はふざけている。表向きの理由は「乱獲防止」、「資源保護」であるが、科学的根拠がないばかりか、今や増えすぎた鯨によって人間の漁獲量の何倍もの魚が鯨によって食べられているという調査もある。自然保護団体や動物愛護団体が捕鯨禁止を主張している根拠は、何と「可愛い」からとか「知能が高い」からだという。本当なのか、と思うが、そういえばだいぶ前、海岸に打ち上げられたイルカを撲殺しているニュース報道に、動物愛護団体からの猛烈な抗議が寄せられ、漁業関係者を困惑させた事件があった。なぜイルカは殺してはいけないのか。たぶん「可愛い」し「知能が高い」からなのだろう。マグロやカツオが競りにかけられていても、動物愛護団体が抗議したという話は聞いたことがない。「愛護」すべき動物と、「愛護」しなくてよい動物と、何によって区別しているのだろう。アメリカでは、牛や豚や鶏を、遺伝子操作やホルモン注射、クローン技術まで使って美味しく太らせて殺しているくせに、なぜそれは構わないのか。「可愛い」くないし、「知能も高く」ないからだというのだろうか。「可愛い」くなくて、「知能も高く」なければ、殺されて当然だというのか。まったく、とんでもない話だ。牛の屠場を見学させてもらったことがあるが、屠場に入る前の牛は、自分を待ち受けている運命を敏感に感じ取って厭がるのだそうだ。時には必死に暴れて逃亡する牛もいるとか。殺されて当然という牛などいる訳がない。人間のために殺されて食べられる牛も魚もアスパラガスも、食べられて当然なのではなく、人間が生きるために食べさせてもらっていることを感謝するべきなのだろう。何を食べ、何を食べないかは、その国や地域の人々の生活習慣であり、文化に他ならない。ヒンドゥー教徒は牛を食べないし、イスラム教徒は豚を食べない。ヨーロッパ人は、タコやイカを「悪魔の化身」として食べなかったが、今は寿司で食べているのではないか。先日のニュースでは、17年に一度しか羽化しない珍しい蝉(せみ)だというので、アメリカ人たちが食べていた。あまり蝉を食べたいとは思わないが、それもただの食習慣の問題であり、好みの問題に過ぎまい。(それとも、蝉は「可愛い」くなくて「知能も高く」ないから、食べてもいい、というのだろうか。「知能」はともかく、個人的には蝉もけっこう「可愛い」と思うが...)もっと極端なことを言えば「食人」(カニバリズム)さえ文化の問題であって、野蛮な風習と片付けられないばかりか、「他人の身体の一部を自分の体内に入れる」という点では、「臓器移植」という現代医学の最先端も「食人」の一種であると考えることもできる。(難波紘二『覚悟としての死生学』)自分が食べないからと言って、食習慣として食べている人々を非難するのはどう考えてもおかしい。(アメリカでも、先住民族の捕鯨は認めているらしいから、もっと矛盾している。)別段、鯨肉が食べたい、というのではない。小学校の頃、給食によく鯨肉が出た。安かったからだろう。美味しいとは思わなかった。だが、日本人は鯨肉を食べてきた。たぶん鯨を哺乳類とは知らず、魚の一種だと思っていたのだろう。たとえ知っていたとしても、(ウサギを2本脚の鳥の一種と見なして食べるために「一羽二羽」と呼んだように)、4本の脚がない鯨も当然OKとして、貴重なタンパク源として摂ったことだろう。肉を食べてきただけでなく、骨も皮もヒゲも油も、一つとして捨てるものもなく活用してきた長い歴史がある。油だけを採って他をすべて捨ててきたアメリカとは歴史も文化も違うのである。捕鯨禁止を、アメリカの「食糧戦略」だとする考え方にも説得力がある。敗戦後の日本にアメリカが持ち込んだ学校給食の制度は、食糧不足の日本を援助するという美辞麗句の陰で、アメリカの余剰農産物の処理と、日本人の食習慣をアメリカナイズするのが目的だったという(中村三郎『肉食が地球を滅ぼす』
)。(僕と同じ世代のオトナの中でも、奇妙な箸の使い方をする人を時々見かけるが、あれもきっとアルミのスプーンで食べた給食の影響なのだろうか。僕らよりも若い世代の人々になると、もうまともな箸を使う人のほうが少ないのではないかと思うほどだ。)アメリカの戦略はまんまと功を奏した。日本人の食習慣は、完全にアメリカナイズされた。(かく言う筆者も、「朝はパンとコーヒーのほうが好き」という、その犠牲者の一人なのだが、今や伝統的な日本食がどれほどヘルシーで生活習慣病の予防に役立つか再認識せざるを得ない年齢になったようだ(T-T)
)「捕鯨」を禁止して、アメリカ産の牛肉を食べさせる。なかなか深謀遠慮の戦略ではないか。(アメリカ産の牛に2頭目のBSEが「見つかった」らしい。全頭検査を拒否して「見つけないようにしている」のに、うっかり「見つかってしまった」のだろう。)日本と同じ捕鯨伝統国ノルウェーは、国際捕鯨委員会(IWC)の加盟国であるが、商業捕鯨再開を宣言しているようだ。同じ立場で日本もそうすればいいと思うのだが、親分アメリカの顔色を伺っているだけの属国らしく、ここでも主体性や国益は期待できそうにない。
Posted: 金 - 6月 25, 2004 at 11:51 åflå„