Today 7月5日
初代国鉄総裁・下山定則が行方不明に。(1949年)
下山総裁が行方不明になる前日の7月4日、国鉄は第一次人員整理を発表した。
国鉄労働者は、全組織をあげて闘争に立ち上がろうとしていたちょうどその時、総裁が行方不明となり、翌6日常磐線綾瀬駅付近の線路上で轢死体となって発見された。
自殺か他殺か、未だに分からない迷宮入りの事件であるが、この死を利用する側からみれば絶妙のタイミングだったと言えそうだ。松本清張をはじめとして、多くの人々が真相究明を試みているが、状況からすれば「謀殺」という見方にも説得力はある。闘争に立ち上がろうとしていた組合労働者にとって、この事件は出鼻を挫くものとなり、この死を利用した政府は第一次人員整理に成功した。12日には、第二次整理の発表が行われた。その直後の15日、「三鷹事件」が起きた中央線三鷹駅校内で、7両編成の無人電車が暴走し、構内のストッパーを突破し、駅前交番を粉砕、道路を横切って商店街に突っ込み、6人が死亡した大惨事。組合員が犯人として起訴された。「下山事件」「三鷹事件」と、あいつぐ不可解な事件で、国鉄労働組合の闘争は大きなダメージを被ることになった。そして8月17日未明、福島県松川町を通過中だった東北本線上り列車が、突然脱線転覆する事件が起きた。「松川事件」である。死亡した3人は、いずれも列車を牽引していた蒸気機関車の乗務員だった。脱線転覆の原因は、転覆地点付近の線路継ぎ目部のボルト・ナットが緩められ、継ぎ目板がはずされていた。さらに、レールを枕木上に固定する犬釘も多数抜かれており、25mのレール自体、ほとんどまっすぐなまま13mも移動していた。明らかに意図的な列車妨害だった。またしても国鉄と東芝の労働組合員20人が起訴され、一審、二審とも死刑判決を含む有罪判決が出されたが、最高裁判所で破棄され、1963年に全員の無罪が確定した。「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」は、国鉄の大量首切りに呼応するように起きた事件で、結局のところどの事件も犯人がはっきりしない点で共通している。「松川事件」で犯人とされた全員の無罪が確定したということは、この事件が「でっち上げ」であったことが証明されたことになる。これほどの列車転覆事件の真犯人が別にいるということは、この事件の謀略説を裏付けている。たとえ全員の無罪が十数年後に確定しても、この「謀略」らしい事件によって労働組合側が受けたダメージは、もう取り返しのつかないものであったことを忘れてはなるまい。
(下山総裁の轢死体が発見された直後の現場)
Posted: 月 - 7月 5, 2004 at 08:50 åflå„