Today 8月23日
白虎隊、飯盛山で自刃
(1868年)
白虎隊と言えば、思い出すことがある。
高校時代、友人たちの同人誌に誘われて、生まれて初めて小説を書いたことだ。
どんな経緯だったのかは、あまり記憶になく、その同人誌も残っていないので確かめられない(のが幸いな?)のだが、その下手クソな小説の題材が「白虎隊」だった。
なぜ時代小説などを書こうとしたのか、なぜ幕末の会津藩なのか、まるで憶えていない。少年たちの友情と、淡い恋と、すさまじい戦闘シーンと、飯盛山での最期を書きたかったのだろう。色々と史料を調べたことは確かで、戊辰戦争については、かなり詳しいことまで記憶しているのは、そのせいに違いない。その幕末の会津藩に、もう一度出会ったのは、『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』(中公新書)だった。明治新政府に、最後まで楯突いた会津藩士が、敗北後徹底的な報復と見せしめに遭ったのは自然の成り行きだったのだろう。後に陸軍大将となる柴五郎は、会津城が落城した時、10歳だった。母や祖母は自害し、生き残った父や兄たちとともに流刑地に等しい津軽で過ごした、餓死線上の日々が綴られる。白虎隊は、17歳以下の藩士の子どもたちで組織されていたいわば予備役だったので、柴少年ももう少し年長であれば、飯盛山で自刃していたかもしれない。敗北した側からの明治維新を知る上でも貴重な証言だが、辛酸をなめたを柴少年が、どうして陸軍大将にまでなったのか、は直接読んでいただくこととして、僕に強い印象が残っているところだけを書き留めておく。それは、幕藩体制のもとで、武士階級がどれほど威張っていたか、という点だった。そんなことは当たり前と言ってしまえばそれまでなのだが、一人の少年の生々しい記憶のなかで綴られる光景は、それを改めて実感させる。この本は、陸軍大将にまで上り詰めた人物が、10歳で体験した戊辰戦争から、流刑地同然の津軽での悲惨な生活などを思い出しながら「遺書」として書いたものなので、当然大人になってから書いたものである。その大人になってから思い出す昔の話が、武士階級以外の人々に対する、ごく当然のような差別意識が言葉の端々に感じられる。これにはビックリした。本人は、まるっきりそんなことを意識している訳ではないだろう。困窮のどん底から、使用人として扱き使われ、学費の要らない陸軍幼年学校に入学することになる柴五郎少年は、想像を絶する辛酸をなめたはずなのに、「武士階級」のプライド、つまり「お前らとは違うんだ」という意識が最後まで消えないのに呆れた。そのプライドが彼の苦境を支えてきたことは想像に難くないが、江戸幕府は滅ぶべくして滅んだのだ、と改めて実感したことだった。(因みに、柴五郎は、義和団事件を描いたアメリカ映画『北京の55日』で、故伊丹十三さんが演じていた柴大佐その人である。)
Posted: 月 - 8月 23, 2004 at 11:45 åflå„