<$BlogBannerImage$>

Today 3月21日 米軍岩国基地でべ平連などスピーカーで米兵向け「反戦放送」を始める。(1970年)


岩国へは2度行ったことがある。
一度目は、本土唯一の海兵隊基地だった岩国基地の周りをデモするためだった。ベトナム戦争の真っ最中で、戦闘機や輸送機の離着陸も見えた。英語でシュプレヒコールをしたのも初めてだった。と言っても「Peace, now!」とか「GIs, Join us!」といった程度のものだったように記憶するが。

二度目は、生まれたばかりの長女をお祖母ちゃんに預けて、夫婦で広島と長崎へ原爆の日に合わせて旅した時に立ち寄った。
アメリカ兵向けの反戦喫茶『ほびっと』にも寄って、今は東京の出版社で編集者をしているらしいNが二代目マスターをしているのに会った。初代マスターは、現在京都の市会議員をしているSだった。

その頃、Sはアメリカ兵の脱走を支援する活動もしていたが、そのSに頼まれて、『ほびっと』の店で使うマッチのラベルをデザインしたことも懐かしい。ベトナム戦争反対のメッセージを伝える方法をあれこれ工夫していて、その一つがマッチのラベルだった。

団塊の世代にとっては、学生時代とベトナム戦争とが完全に重なっている。
沖縄の嘉手納基地から、北ベトナム爆撃に向かうB52が飛び立っていたし、日本政府が公然とアメリカの政策を支持し(今と同じだが)、爆弾の先端につけられたテレビカメラを日本のメーカーが作り...、あらゆる意味でわれわれの日本が戦争に荷担していた。
われわれ「団塊の世代」にとって、ベトナム戦争とは何だったのか、また稿を改めて考えてみたい。

Posted: 日 - 3月 21, 2004 at 07:54 åflå„          


©