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Today 6月10日 義和団鎮圧のため、8か国連合軍が北京へ侵攻開始 (1900年)


歴史の教科書には、8カ国の軍服を着た兵士(ターバンを頭に巻いたインド兵はイギリス軍と数えられているので実際は9人)の記念撮影が載っている。
というのはただの枕で、またまた映画の話、より正確には主演していた俳優の話題である。

映画は、もちろん『北京の55日』(1963年/アメリカ)である。
映画としては別にどうということのない、ただのハリウッド娯楽映画なのだが、ブラザーズ・フォーが歌っていた主題歌の「The year was nineteen hundred...」から始まる歌詞は今でも大部分憶えているところをみると、かなり気に入っていたのかもしれない。

自殺した伊丹十三さんが、日本軍の柴大佐として出演していたが、ピーター・オトゥールと共演していた『ロード・ジム』のほうが重要な役だった記憶がある。

それよりも、問題は主演のチャールトン・ヘストンである。
『十戒』(1956年)のモーゼといい、『ベン・ハー』(1956年)といい、もう少し後では『猿の惑星』(1968年)の、あのマッチョな体と、男臭い雰囲気が相当気に入っていたような気がする。
今見直しても、たぶんどうということはないような気はするが。

そのチヤールトン・ヘストンに最近スクリーンでお目にかかった。
言わずとしれたマイケル・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』 (2002年/カナダ)である。
全米ライフル協会の会長としてのヘストンの自宅を監督が「突撃アポなし取材」する。
銃の乱射事件のあったコロンバインやフリントなどへは、事件後すぐに現地を訪れて、わざと全米ライフル協会の集会をうつのはおかしいのではないか、とムーア監督に問いつめられていく。
80歳になってもハンサムな老優は、最初のうちは「なぜアメリカから銃がなくならないのか?」と問われて、
「合衆国憲法補正第2条で国民が銃を持つ権利が認められているからさ。それに銃を持っているというだけで安心感を得ることができる」とか、
「アメリカの歴史は血にまみれた歴史だからだ。それに、他の国に比べたらアメリカというのは人種のるつぼだろう?」
などと、開き直ったような屁理屈を並べているのだが、しだいに答えに窮していく。

そして、ついに、(これがムーア監督の撮りたかった台本のないドラマなのだろう)答えることができなくなり、逃げるように部屋から出て行く。
別の映画でムーア監督は、ナイキ社の社長を問い詰めて逃げ出させるシーンも撮っているが、さすがにこちらはビジネスマンだった。
決して笑みを絶やさず、にこやかに話を切り上げさせていた。
だが、老アカデミー主演男優賞俳優は、答えることもできないようなことに偏執している、愚かな老人にしか見えなかった。
実際のヘストンは、ジョージ・ブッシュにも近く、銃社会アメリカの頂点に君臨する権力者に違いないのだから、同情する余地などないのだが、あの男らしい風貌に幻想を抱きたい映画ファンとしては、何ともやり切れない気分にさせられる。


Posted: 木 - 6月 10, 2004 at 08:35 åflå„          


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