Today 5月31日
天満から堺へ宿替え
(1920年)
いま扇町公園になっている辺りに、1882年堀川監獄署というのが作られたらしい。
調べてみると、この当時周りは一面の農地で、人家は数えるほどしかない場所だったらしいから、そこにできた監獄というと、相当に怖いイメージだったのではあるまいか。
その監獄が、大阪の中心地が市街地として開けてきた結果、この日に堺へ移転となり、現在の大阪刑務所になった。
1882年といえば、自由民権運動が盛んな頃なので、できたばかりの堀川監獄署には「政治犯」もたくさん投獄されていたはずで、「泣く子も黙る」と恐れられたらしいから、いわば大阪のバスチーユみたいなところだったのかもしれない。
1920年に堺へ引っ越し、1923年には跡地を扇町公園として整備したようだ。プールができたのは戦後のことだ。
以前にも書いたが、僕の卒業した中学校は、天神橋の近くにあったので、この辺りの話題は懐かしい。
地図を見ると、扇町公園のすぐ隣に僕の卒業した中学校の名前が書いてあった。
もちろん、僕が通っていた頃の中学校はそんな場所にはなかったから、廃校の前に移転していたのだろう。
昔中学校があったところは、小学校の名前が書いてあった。
天満橋から北のほうには、与力町とか同心町などという地名が今も残っているし、天満橋の南には奉行所があったようだ。
大阪城の外堀がどの辺りまでを含むのか、よく分からないが、巨大な城下町の一部だったのだろう。
江戸時代の牢獄がどの辺りに作られていたのか、まだ調べていないが、堀川監獄署とはたぶん無関係なのだろう。
扇町公園と言えば扇町プールだった。
今では大阪にも大きな競技大会ができる室内プールはいくつもあるが、大きな観客席のある50mプールは扇町しかない時期が長く続いた。もちろん、屋根のない青天井のプールである。
水泳部員だった娘が出場する大会が扇町プールで開かれたことがあり、応援に行ったことが一度だけあった。
泳ぐ選手にとって、プールサイドの壁に当たって戻ってくる波の多少は影響があるらしく、今のプールは壁を作らず、水がオーバーフローするように作られているのだ、と娘から聞いた憶えがある。
そのプールも、何年か前に閉鎖されて、今はどうなっているのだろうか。
それ以外では、労働組合の決起集会がここでよく開かれた。
プールサイドに主催者の並ぶ席があり、参加した府内の組合の赤旗や横断幕が、それを取り囲むように広い観客席を埋め尽くしていた。
僕が組合員であった頃から、府全体の組合闘争はアリバイ作りの消化スケジュールと酷評されていたが、今はもっとひどくなっているのだろう。
扇町公園から梅田に向かって出たところに「扇町ミュージックスクエア」という施設があった。(もう閉館してしまったようだが)
演劇や音楽の登竜門のようなライブの場所として有名だったようだが、僕は何度か映画を見に行ったことがあった。
ほんの何十人が座れば一杯になるような小さな映画館で、商業的には成り立ちにくいようなマイナーな映画に力を入れていた。
僕が見た記憶があるのは中上建次の足跡を辿るドキュメントで、冒頭のシーンは熊野への道を車で走りながらフロントガラス越しの風景を、長回しで撮り続けるという斬新な(?)映像だったが、延々と同じようなシーンとナレーションが続くので、途中で退屈して居眠ってしまった。
僕のすぐ近くにいたオジサンは、最初から最後まで大きなイビキをかきながら熟睡していた。が、人のことは言えない...。
Posted: 月 - 5月 31, 2004 at 10:43 åflå„