風景写真の定番―富士山を追う人々2

狭すぎる世界

【競争】
 ある人に聞いた話だが、すばらしい朝焼けの富士山を35mmカメラで撮ったので、富士山写真家の仲間にみせたら
 「大きなフォーマットのカメラを持っているやつはそこに居たか?」 と聞かれたことがあるそうだ。

 FPNで富士山カレンダーという企画をやっている。メンバーは5,6人だが、本格的に揃っているのは今年からで、一月のうち半分くらいの日の富士山写真が存在する。もちろん富士山がご機嫌に見えた週末は、場所はともかくほぼ100%写真はあるはずである。昨年の分もかなり揃ってきた。
 だから富士山の写真クラブの写真展、あるいはコンテストなどで写真を見ると
「ああ、これは何月何日に撮った写真だ」
ということがわかってしまう。goodな写真の撮影時間はたいてい朝でそのときの雲の様子には日によって特徴があるからである。もちろん撮影場所はわかるし、それはたいてい自分が出かけたことがある場所だから、もうその日の撮影状況が目に浮かんでしまうくらいにわかってしまう。
 そうすると、自分の身を振り替って、
「寝ているんじゃなかった」
とか
「あああそこに行けばよかったのか」
などと大いに悔やむことになる。

 これが山岳だとか激しく遠方の場所であれば「行けばよかった」と思いはしても、おいそれと簡単に行けたわけではないから、後悔の度合いも低いわけだが、富士山の場合は、ほんの1時間、2時間早起きすれば行けたというケースが極めて多いわけで、しかも僕の場合、朝、自宅の窓から外を眺めて、
「ああ今日はきっと向こう側でよい写真が撮れたわ」
ということがほとんどわかってしまうのであるから、よりいっそう性質が悪い(最近はインターネットライブカメラがあるから遠方の方でも同じかもしれない)。
 富士山写真というのは、そういう狭い世界なのだ。

  富士山をテーマにした写真コンテストというものがいくつか存在するが、それに参加しようとするものは、この狭い世界にうごめくライバル達の存在が当然気になる。そしてそれを端的にあらわしているのが、冒頭の言葉だと思う。

 大いなる自然が目の前にしながら、富士山写真という矮小な世界に身を置いて、周りの人間の写真を気にしながら一喜一憂することのなんと虚しいことか。

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