中判・大判カメラ


大判カメラ

TOYO FIELD45A2

 全てが手作業、マニュアル操作のカメラで、撮影にはとても時間がかかり、しかも失敗が多いという・・・どうしようもない(^^;

大判カメラに興味を持たれた方は

大判カメラへのお誘い

へどうぞ!!

 大型カメラというのは一般的な35mmカメラのようなロール状のフィルムではなくシート状のフィルムを使うカメラです。その昔、集合写真(学校のクラス全員で撮るような写真)で写真屋さんが黒い幕を被ってなにやら板を出し入れして撮影していたことを思い出して頂けるでしょうか。あの写真屋さんが操っていたカメラが大型カメラです。

 私の持っているカメラは 酒井特殊カメラ製作所(2002年の秋に倒産し、「SAKAI Machine TooLという会社が新に設立され業務を引き継いでいます)の TOYO FIELD45A2というカメラです。フィルムサイズは4×5です。4×5とは4×5インチという意味で、大型カメラの中ではもっとも小型の部類に属します。

 しかしメインに4×5を使っていてはお金がいくらあってもたりません。だから69ホルダーというものを使い ブローニーフィルムを使って撮影するということをやります

 大型のボディは脅かしに使っているようなものです。富士山麓では、ずらりと立ち並ぶ ジッツォの三脚の上にペンタックスや マミヤの中型一眼レフや泣く子も黙る ハッセルブラドが鎮座するんです!せめて安くともデカサで威圧しなければ・・・。 (笑)

 

中判カメラ

PLAUBEL makina67

2002年11月9日早朝
不幸な事故により惜しまれつつ他界。

富士山五合目にて、三脚を風で倒してしまいました
全損、トホホ・・・・

 「プラウベル」というブランド名は、今世紀初めからカメラを製造しているドイツのカメラメーカーの名前です。それを1975年に日本のドイが買収。そして1978年に発表されたのがこの「マキナ67」というカメラなのです。この「マキナ」という名前も、もともとプラウベルが戦前から1950年代まで製造していたカメラの名前でした。新生ドイ・プラウベル・マキナはボディはマミヤ、レンズはニコンが開発を担当しました。

 このカメラは既存のカメラメーカーが商売としての戦略に則って開発・販売したカメラではなく、開発サイドが自分が使いたいカメラを作り上げて販売したカメラであるともいえ、そのテイストは重量感のあるそのボディーからにじみ出ているように感じられます。必要な機能は全て備わっており、無くても良い機能は一切搭載されていない潔さです。

 カメラの分類としては「露出計内蔵型蛇腹沈胴式距離系連動レンズシャッター中判カメラ」で、その蛇腹の先に装着されたレンズはニッコール80mm/F2.8です。

 僕が写真を本格的に撮り始めた学生時代(1980年代初期)はちょうど「マキナ」が現行機種として発売されていた時代で、当時から山にカメラを持ち上げていた僕にとっては憧れではあるものの到底手の届くはずも無い高額なカメラという認識でした。兄弟機にワイドレンズを装着した「マキナW67」、改良型後継機の「マキナ670」が存在します。改良されたのは220フイルムが使用できるようになったことと、巻き上げが二段巻き上げになったことらしいのですが、私のとしては確かな知識を持っていません。確かデザインもわずかにお洒落に変身(ほんのわずかだが)していたように記憶しています。この両者とも中古市場を目の玉の飛び出るような高値で流通しています。

 フイルムフォーマットは名前からわかるようにブローニーフイルムを使う67フォーマット。したがってガサはでかいが、沈胴式を採用することによってレンズを収納すれば携帯に便利な弁当箱型になります。重量は約1.2kg。シャッターはメカシャッターだから電池の心配は無用。巻上げがやや重いと感じられますが、これはもしかすると、最近巻き上げをしなくなった僕の指が退化したからそのように思えるのかもしれません。露出計はLED +○−表示のシンプルなものだすが、思ったより正確な露出を示してくれます。
 

PENTAX 67

 フィールド用中判カメラの雄。現行67IIの先代にあたるモデルだが露出計無しなので程度の割には安い6万円という価格でキタムラ富士宮店のウインドーで私を呼んでいました。(2001年頃かな?)

 中古で揃えたレンズは全て「タクマー」の名を冠した旧型で、55mmは静岡のトップカメラ、75mmは名古屋の米兵、200mmは甲府の三光カメラ、と多彩な購入先を誇っています。このセット全部合わせてmakina67とほぼ同じ価格。

 その後、マクロ135mmをキタムラ富士宮店で購入。初めての「タクマー」で無いレンズとなりました。

Minolta AUTOCORD MXV

 1955年に登場した「AUTOCORD」。2004年の夏、市内の酒屋で17000円で購入しました。フードとレンズキャップが無いのが難点ですが、作動については全く問題なく、撮影結果も良好でした。

 ネームプレートにある「Minorita」は、あくまでカメラのブランド名で、ことのきのメーカー名はまだ千代田光学でした。もちろん後の「ミノルタ」(現コニカミノルタ)です。

 3群4枚テッサータイプのRokkor 75mm F3.5の優秀性については、石元泰博氏の「ロッコールはローライのプラナーよりもシャープ」いう言葉に代表されるように、すでに伝説の域に達しています(大げさ)。

 ボディーについても、二眼レフの標準機であったローライのコピーではなく、独自の工夫を凝らしているのがミノルタ(千代田光学ですが・・)らしいところです。

 その一つがフイルム給送。平面性保持に着眼して、フイルムを下から上に巻き上げる方式にして、撮影前のフイルムにクセが付くことを防いでいます。

 もちろんセルフコッキング仕様。シャッター速度と絞りは上から確認可能。ピントについては、本体下部のヘリコイドレバーで行う機構で、カメラをレリーズ体制で構えたまま操作することができます。このように使い勝手も優れたもので(実感できます)、我が国が誇れる二眼レフの名機のひとつと言って過言ではないでしょう。

 ウエストレベルで構える二眼レフは子供の目線に撮影レンズを持っていくことが簡単。二眼あるとはいえ小さなボディーに小さなレンズは威圧感がないので、子供の撮影には適しているんじゃないかと思います。ただファインダーは左右逆像なのでフレーミングには慣れが必要ですが・・・。水平もなかなか取りにくいことも確かです。

 露出はだいたいのところに予めセットしておいてブラブラ歩き、シャッターチャンス優先でカチャリとやるというのが良さそうな感じです。

 1960年代、私が幼い頃に撮られた写真は全部四角いフォーマットです。メーカーは覚えていませんが、親父の二眼レフをときどきいじくってファインダーを覗いたりしていた記憶が残っています。そういう意味では二眼レフは私の写真人生の原点(大げさ)。



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