|
私たちはどのように勝利したか?<上> | |||||||||||||||
私たちはどのように勝利したか? フェニクサ(ホング・ミン・フン) あなたに、侵略との戦いについての私の思い出を話す前に、戦争が起きたときに予想される困難な状況を乗り越えるために、ホー・チ・ミンおじさんがすでに私たちを教育していたということを話さなければなりません。あらゆる予想外の出来事を恐れないことが必要なのです。 南ベトナムではフランス人たちが戦争を挑発し、戻ってこようとしていました。 私は、「宣伝のために突撃する若者たち」という組織に所属していました。私たちは、文化的な活動をしていました。しかし任務は突如、政治に向けられ、「長期の抵抗運動は必ず勝利する」が指標になりました。私たちは、まもなく戦争に直面しなければならないことを知っていました。 まず最初に、国の様々の組織が疎開をしなければなりませんでした。同時に、人々も背中に荷物を背負って、だんだんと町から脱出し始めました。道路は混雑しました。 戦いというものはム私は知っていましたム力で戦うことではなく、ましてや集中的な攻撃や、残虐な銃殺、死刑執行などでなく、戦術なのです。 私たちは、何よりもまず、人々とそして軍を守るために戦いました。人々は、自らの生活を守るために、土地にとどまり、稲田を耕し、食物を育て、家畜の世話をし、そして、可能な限り、生産物を町から離れて売らねばなりません。みなよく働き、生徒や学生は、学校や大学にきちんと通っていました。彼等は鉄砲の弾から守るために、わらの帽子を頭にかぶっていました。農民たちは、移住してくる人たちをいつでも両手を広げて受け入れられるように、家をきれいにして準備しました。一家の主人は、他の家族たちともども自分の家を明け渡して、納屋に移り住みました。みな、避難してきた人たちにベッド・寝具・なべ・食器等々を貸し与え、しばしば食べ物も提供しました。みなそれぞれに、喜びも苦しみも分け合い、助け合ったのです。町から来た人も持ってきたものを提供し、農民はサツマイモやトウモロコシを・・・ホームシックはちょっぴり和らぎました。かれらム農民たちと移住者たちムはともに暮らし、団結し、祖国を守るという同じ考えを持ち、敵を倒すという同じ望みを持っていました。移住者たちは楽な気持ちになりました。人々はこの新しい習慣に慣れました。 人々は政府や地方の職員と移住者の面倒を見ました。彼らは心から働き、兵士たちの生活に必要なものを作りました。私たちは、敵がとても手強いと予想し、そして私たち自身は意志を強く持ち、辛抱強く、とりわけ経済的な基礎の建設に力を入れました。 敵がやってくるときには、彼らの活動を妨害するために、私たちはすぐ、「作物のない土地と、家具のない家」を残して去りました。職員たちは上級職員に従い、人々は抵抗運動の委員会と、人民委員会を信頼していました。 ホー・チ・ミンおじさんは、すべてのことに注意深く気を配りました。人々は常に食べ物と着るものを持っていました。彼はまた、自分のかわいい「孫たち」が勉強出来るようにも気を配りました。摂氏五度以下になると、子供たちは学校には行きません。 「ミルクは子供たちに、絹物は老人たちに!」 このト・フーの詩の一節は、ホーおじさんが自分自身のことよりも、みんなのことを心配していたことを表しています。さらに、 ホーおじさん、あなたの心はなんて広いんでしょう 全世界とあらゆる種類の人々を抱擁している! 困難な時期、ミルクが不足していました。そのため、乳の出の少ない母親のためにミルクが割り当てられました。そして、貴重で値段の高い絹は老人のために使われたのです。 |
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||

