200万人のベトナム人が飢餓のために死んだ


200万人のベトナム人が飢餓のために死んだ

                    フエ・ヴァン
                    エスペラント訳 N. L.

 1943年と1944年、ベトナムを大きな災害が襲った。大雨と干ばつである。生長した稲が突然海のようになった大水につかり、次には照りつける太陽が稲を干しあげ、田畑はひび割れてしまった。米が不足して高騰し、農民は米の代わりにサツマイモやカサバ、野菜などを食べなければならなかった。
 当時、フランス行政局は高い税金を取り立て、そのあとに占領した日本軍は農民たちに稲を抜いてジュート麻を植えることを強制した。圧政に耐えきれず多くの農民がやむにやまれず戦いを起こし、殺された。
 隣接する地方から農民たちの集団が首都ハノイに逃れてきた。市場・食堂の周りや寺院・公園などに彼らが集まって施しを願うのだった。彼らは露天で寝泊まりしていた。みな、やせ細り、土色に青ざめ、衰弱して、幽霊のように歩いていた。やせ衰えた顔に、眼窩と歯だけが飛び出していた。
 その年は骨にしみるほどの寒さだった。気温は3、4度にまで下がった。飢餓で弱った貧しい者たちが、どうしてこの寒さに耐えられるだろう?
 ある時、私が自分の家の戸口に立っていると、一つの影が近づいてきた。その人はぼろぼろのムシロを縄で身体に巻いているだけだったので、私には男か女かも分からなかった。私の問いに答えて、その人は、父親が自分の畑で日本の兵隊に撃ち殺されたことを語った。自分で育てた稲を将校の命令によって自分で引き抜くことを嫌がったためだった。
 ハノイに逃れてきた農民たちの大部分は、タイ・ビン、ナム・ディン、ニン・ビン、フー・リー省などのベトナムの穀倉地帯からやってきた。彼らは毎日、ごみをあさって食べ物を探した。彼らにとって、果物の皮や腐ったものさえ食べ物だった。
 通りには死体があちこちに転がっていた。それを埋葬するために、手押し車が列をなして大きな共同の墓穴に運んだ。飢餓だけでなく、伝染病によっても人々は死んでいった。

 タイ・ビン省の村を歩いて、私は自分の目で廃墟と荒廃を見た。竹林、屋根瓦はすでになく、果樹には実が付いていなかった。米を買うためにすべて売り払われてしまったのだ。田畑は墓地のように荒れていた。水牛や牛、鶏、アヒルの鳴き声も全く聞こえなかった。
 突然、恐ろしい光景が私を驚かせた。何体かの死体の腹から、ネズミの群が腸を引きずり出しているのだ。私を見てネズミたちは逃げていった。死んだ人たちは、一つの家族だった。いくつかの村では半数が死に、生き残った者たちは生きるために村を出てしまった。
 当時のベトナムの人口は2400万人だったが、その内の200万人が自然の災害と、フランスの侵略、日本軍の占領によって死んだのであった。

   フエ・ヴァン1927年生まれ・ホーチミン市在住 ジャーナリスト




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