慰めようのない苦しみ!


慰めようのない苦しみ!

                    N. I.

 ベトナムへの侵略戦争で、アメリカ軍は15種類の化学毒物を南部の広い地方でふりまいた。 この作戦は「Ranch Hand」と言われ、葉を枯らし、植物を枯らすこと、森を破壊してベトナム人民軍の野営地をあばき、彼らの生活物資を奪い、アメリカ軍の基地を守ることを目的としていた。アメリカ・ペンタゴンのデータによれば、1961年から1971年までの間に、南ベトナムの300万ヘクタールの土地と森に、7,200万リットルのオレンジ剤がふりまかれ、その中には170kgのダイオキシンが含まれていた。ダイオキシンは呼吸によって、皮膚からそして毒された食物から人体に侵入する。
 この化学戦争は重大な結果をもたらした。森林の破壊は雨期には洪水を引き起こし、乾期には干ばつと山火事の原因になり、野生動物の命を脅かした。様々な国からの多くの科学者が、人間生活へのダイオキシンの影響を調べた。アメリカの科学アカデミーは、ベトナムで闘った元アメリカ兵たちが11の病気におかされていることを確認した。WHOはダイオキシンが癌を引き起こすことを確認した。流産、早産、死産、生まれながらに弱い子供、奇形児等々、出産における悲劇が起こった。
 このことについて、ベトナム科学記録映画会社が「戦争が通り過ぎた」(原題:Where War Has Passed)という映画を製作した。シナリオはルォング・ドゥク、演出はヴ・レー・ミーである。この映画は、ドイツのフライベルクで行われた国際映画祭で1位に入賞し(1997)、カナダのモントリオールの映画祭では特別賞に(1998)、東京で行われた地球環境映画祭(2001)で2位に入賞した。ダイオキシンにおかされた子供たちの映像を見た人たちは、感動し、苦悩し、同情して涙を流し、さらには激しい怒りをも感じた。その代表的な情景は次のようなものである(別ページの写真参照)。

 1.レ・チ・ニョン 26才、タイ・ビン省の村に居住。四肢が未発達のままである。
 2.ダン・チ・ニョー 16才、ダン・チ・フエ 18才、タイ・ビン省チェン・ハイ県フン・クン村在住。彼女たちには目と歯がなく、話すことも笑うことも出来ない。
 3.タイ・ビン省に住むヒエンさんの5人の子供たちは、全員が盲目である。
 4.レ・バン・ドゥクさんの妻、グェン・チ・ズンさんは9度流産し、10人目は死産だった(写真はありません)。

 1〜3の8人の子供たちの父親たちと、グェン・チ・ズンさんはいずれも南の前線で戦った兵士であった。
 映画は次のような解説から始まった。
 「戦争は幾百万人の命を奪い、幾百万人の体の一部を奪った。さらに無数の人々が、体には傷を負っていなくても、数十年にわたってダイオキシンによる想像を絶する被害に苦しんでいる。第2世代だけでなく、第3世代まで、苦しみに耐えねばならない・・・」
 映画はアメリカのエルモ・ズムワルト将軍によって書かれた「私の父、私の息子」という本を紹介している。彼の息子は南ベトナムの前線で戦った。ダイオキシンにおかされ、10年後にガンで死に、そしてその息子(将軍の孫)は正常ではなかった。
 ベトナム労働・戦争被害者・社会省の調査によれば、死者やこれから生まれるものを除いて、戦争被害者は約100万人にのぼり、そのうち15万人が生まれながらの障害者である。ダイオキシン被害者を支援するための人道的基金がベトナム赤十字によって創設された。1998年には犠牲者援助基金が国内外の財政的援助を目的として創設された。オーバーハウゼン(ドイツ)の国際平和村とドイツ政府の財政支援によって、子供たちの機能訓練のための平和村が7か所に建設された。国際退役兵協会の援助によって創設された友情村も同じ機能を果たしている。
 ダイオキシンの重大な影響にうち勝つことは、祖国のために身をささげて戦った人々への責任であり、犠牲者に対する人道的な問題である。それには科学者と人道的な諸組織、そして全世界の心ある人たちの協力が必要である。1999年9月20日の「アーミー・タイムス」は、おそらくアメリカの退役兵担当省が、南ベトナムの戦場に住んでいて障害者を生んだ女性たちに補償するだろうと報じた。同じ年、戦争に参加した韓国の元兵士たちが、アメリカ政府と化学兵器を製造した会社に対して公式に補償を要求した。
 化学戦争は過去のことであるが、しかしその影響は現在も、そして将来にも深い傷をもたらすものである。
(ダイオキシン被害者援助基金の報告、および映画「戦争が通り過ぎた」を参考にした)

   写真は、障害者教育・訓練施設 タンスアン平和村(ハノイ、2001:翻訳者撮影)




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