ハチと秋田犬

小学生時代、毎年夏休みは1ヶ月間、当時沼津御用邸のそばにあった祖父母の家で過ごした。
泥棒に何回か入られたのがきっかけで 犬嫌いだった祖母は、やっと番犬を飼う気になった。
あの頃、田舎で犬と言ったら日本犬の雑種が主立ったが、祖母は秋田犬のごま牝を貰って来た。
名前はチーコと言った。今でこそ、胡麻色の秋田等見かけられないが,当時は現在の赤等,
見る事は出来なかった。

 私はチーコの事をなんて泥臭い犬だと思っていた。
昼はお客が出入りするので犬小屋に鎖で繋がれていて,夜はいつも広い庭に放してもらっていた。
食べるご飯は,例のぶっかけご飯.残飯に残りのお味噌汁と卵。勿論、ドッグフードなんてビタワンしかなかった時代でこういうご飯はごく自然だった。今考えると、煮干しや刺身の残りは貰っても、一生チーコは肉を口にした事がなかったんではないか?そんなチーコがある日皮膚病になった。獣医も殆どいなかった時代だから,祖母は毛が抜けた所に赤チンを塗ってやった。赤く染まったチーコは何だか痛々しかった。祖母はここは海岸端だから,潮のせいで皆、犬が皮膚病になると言っていた。何年後かにチーコは痩せ細って死んでしまった。
祖母はチーコの大好物だったサツマイモと一緒に海に流したと言ってた。(当時はゴミも海に捨てる人が沢山いた)

チーコがいなくなって,何年かのちに祖母のお隣さんが凄く高いお金を出して買ったという赤牡を
得意になって海岸端を散歩させているのを見た。チーコとは比べ物にならない程立派な犬だった。

それ以来、春を飼うまで日本で本物の秋田を見た事はなかった。
白い犬が好きだったので、日本犬を飼うなら紀州犬がいいなと思っていた。
秋田犬に白があるなんて、フランスに来るまで知らなかったからだ。
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秋駄第一号、春が家にやって来て
200511月ですでに13年。
ハチも年を取ったけど、色んな事があったね。楽しい事、悲しい事、展覧会の思い出、出産、等等

1992年11月X日 快晴
この日の午後、主人にも内緒でノルマンディーのブリーダーさんの所に秋田の2ヶ月半になる白の子犬がいると言うので見に行く事に決める。勿論、帰りは白い牝を連れて帰って来た。
ブリーダーさんの所には5匹の子犬がいた。赤3匹,白2匹、その内、白一頭は牡だった。後で知ったのだが,フランスでは白の人気はあまりない。きっと、白い牝を買いに来た日本人を見て驚いた事だろう。
白と決めていたのに、もう一匹の赤牝とどちらにしようか迷ったが、白牝は犬舎の中でなかなかったのでこの子と,決めた。

彼女が春、我が家の秋田第一号である。車の中では、食事を戻してしまったが、夜泣きもせず抜群に大人しい子であった。その名は「春犬」と書いて「はるけん」と読む。フランス人が付けた名前にしてはまあまあの選択だ。
勿論、愛玩犬として飼ったのだから、元気な子だったら良かった。
血統書が付いていれば、秋田犬と呼ばれる以上,日本で買っても、フランスで買っても差はないと思っていた。体重が余りない割には骨太犬だった。目はロンパリで白目が良く見えた。


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春は兎に角可愛かった。お利口さんでおしっこもすぐに覚えた。だが、一つ困らされたのは,ドッグフードには一切、目をくれず,他の食事にも余り興味を示さない事だった。
ブリーダーさんに電話して食欲がないがどうしたら良いかと尋ねると、「その内お腹がすいたら食べますよ.心配しないで下さい。それから,ドッグフードはセルフサービスで食べられるようにいつも水と一緒においてやって下さい。」と、言われた。しかし、2日経って,一口は食べてもすぐに止めてしまう。こういう状態が何日か続き,遂にこちらが根負けしてしまった。成長期に食べないんでは,きっと体に悪いと思い缶詰フードを買って来て混ぜてやった。
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最初の頃は珍しいのか少し食欲も出たが、すぐに飽きてしまった。


続く