うさぎの島 | 大久野島 (広島県)
年間約10万人の観光客が訪れる「ウサギの楽園」として知られる大久野島に行ってきました。
大久野島は広島県竹原市から沖合い3キロメートルに位置し周囲は4.3キロメートルで歩いて廻っても3km程度と小さな島です。
私の場合は四国側からなので、しまなみ海道経由で大三島I.Cで降り左折あとは10分程度道なりに標識に従って走れば到着。盛港から左斜めに見えるのが大久野島。
フェリーの時刻表は「休暇村 大久野島 ≪公式≫ホームページ-瀬戸内海に浮かぶリゾートアイランド大久野島。うさぎと温泉で癒され瀬戸内海の恵みに舌鼓♪」のPDFにあります。
| 盛(さかり)港発 | 大久野島着 |
|---|---|
| 9:00 | 9:13 |
| 10:00 | 10:13 |
| 12:00 | 12:13 |
| 14:00 | 14:13 |
| 15:00 | 15:13 |
| 16:00 | 16:13 |
盛港フェリー乗り場
片道 大人210円。この写真の右側に待合室があります。駐車場も広いし無料。
大久野島
大きな鉄塔が2本建っているのが大久野島。約10分の船旅。
大久野島 フェリー乗り場
無料の送迎バス。休暇村まで歩くのもよし。僕は歩いていくことに。左はフェリーの待合室。お茶などの自販機があります。上の写真で送迎バスの裏にもうさぎ達がいます。
なれているからカメラを近づけても逃げません。
ここがキャンプ場。のんびり釣りをしている人も。向かいに見えている島が大三島。こんなところにもウサギはうろちょろ...というか、ウサギが居ないスペースを探す方が難しい。
「ようこそ 大久野島」案内板。
大久野島は1周およそ3.3kmの小さな島です。豊かな自然を楽しみながら、貴重な戦争遺跡も見学して下さい。と環境省。ウサギの「ウ」の字もない。
同じく環境省の「大久野島」についての案内板。
この島は、1900年以来旧陸軍の要塞として、また毒ガス製造の島として、一般の人々の入島は禁じられていました。
今も島の各所に、砲台や発電所建物などの施設が残っています。
向こうに見えているのが大三島。
灯台。
道を間違えて...
でも、こんな場所にウサギのためにエサを与えている人がいる。
階段のところで小ウサギがいた。
あまりにもかわいい。まったく逃げない。
かわいい。
休暇村 大久野島。
ウサギのエサはここのフロントで買います。最初わからなくて売店の人に訊いたら教えてくれました。自販機のコーヒーカップ1杯分くらいの量が100円でした。
毒ガス貯蔵庫跡。
案内文の一部が欠けているけどたぶん下記の内容。
旧陸軍は、1929年から終戦まで、この島でひそかに毒ガスの製造を行っていました。主な製品はイペットとルイサイトで、いずれもびらん性ガスと呼ばれ、皮膚をただれさせる性質を持ち、年間生産量は1200トンに及んだと言われます。第二次世界大戦が終わると同時に進駐してきたアメリカ軍は、この島にあった毒ガス向上や製品を1946年から約1年間かけて、薬品で消毒したり、太平洋の底に沈めたり、火炎放射器で焼いたりして処分しました。
この建物は、それら毒ガスの貯蔵庫の一つでした。コンクリートの内壁が黒く焼け焦げているのは、当時の火炎放射器で処分した後で、そのすさまじさを物語っています。
中部砲台跡。
うさぎのエサ用に洗面器が置かれている。こういった洗面器は島のあちらこちらにあった。
砲台跡の奥。
砲台跡に居座っていたウサギ。
振り返って砲台跡をパチリ。
このままずっと歩いていくと
発電場跡。
案内板。
この建物は、大久野島で毒ガスを製造する際(1929-1945年)に、電力を供給していた発電場跡です。当時両方の写真に写っているディーゼル発電機が8基設置され、いずれも重油を燃料にしていたました。
また、この建物では1944年11月〜1945年4月までの間、「ふ号作戦」に使用する風船爆弾の風船をふくらませ、弱い部分を補修する作業も行われました。使用した風船は、動員学徒の女学生が和紙をこんにゃく糊で貼り合わせて作っていました。
発電場跡にもウサギ達がたくさん。
脱兎。
鼻水たれのウサギ。
発電場跡を見ていると背中から小ウサギの視線。
子作り中のウサギ
最後はコロっと
また子作り (^^;)
ニンジンはやっぱり好物だ。
カキカキ中。
海が綺麗。
日帰りなのでフェリーに乗船。
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