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アメリカとイスラエルのための狂騒組曲
「新世界秩序」

[第5楽章:1995年]




「北朝鮮への軍事行動検討した」 昨年の査察拒否で米側明かす
【ワシントン5日=五十嵐浩司】米国防総省高官は5日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する黒鉛減速炉閉鎖の代替エネルギー提供問題で、米朝枠組み合意が規定した今月21日の期限までに、重油5万トンを供与できるとの見通しを示した。また同高官は、昨年6月に北朝鮮が燃料棒交換への査察を拒否し、国際社会が制裁に向かっていた時点で、「我々は軍事行動の真の可能性に直面していた」と語り、昨秋のクウェート出兵を除けば戦争に「最も近づいていた」と語った。
この日ワシントンで講演したペリー国防長官は、この「危機」発言について、制裁決定に備え韓国への米軍増派を同時進行で検討していたが、北朝鮮を抑えるには十分ではないとみていた。しかし、北朝鮮が核開発を続けて「核爆弾4、5個分のプルトニウムを製造されるよりは、(不十分ながらも抑止の)危険性を選んだ」と語った。結局、カーター外交で危機は回避された。(朝日新聞 1995/01/06)

CIAが大規模対日工作 最盛時は要員100人 自社議員らに報酬も 関係筋証言
【ワシントン5日共同】米中央情報局(CIA)は日本国内に、最盛時には100人以上、現在も約60人という在外支局としては「世界で最大規模」の要員を配置し、自民党や社会党の議員、政府省庁職員、朝鮮総連幹部、左翼過激派、商社員らに定期的に報酬を渡して秘密の情報提供者として確保してきたことが、複数のCIA関係筋の証言で明らかになった。CIAはこうした政治・安全保障分野だけでなく、経済・技術分野でも日本の対米貿易の交渉方針、日本企業の高度技術(ハイテク)を対象に、情報活動を展開してきた。

在日CIA工作の全体的な実態および陣容はこれまでほとんど知られていなかった。CIAスポークスマンはこうした工作について「ノーコメント」と論評を拒否した。
CIA関係筋は、CIAの情報提供者となっていた自社両党の議員の名前を明らかにすることを拒否したが、社会党議員については「長老で、1980年代に月25万円の報酬を手渡し、党の運動方針などを聞いた」とだけ述べた。また数人の自民党議員にも同様の報酬が支払われ各種の政治情報を得た、と同筋は指摘した。
情報提供者には地位に応じて、現金で月10万−25万円をホテルなどで手渡したという。
政治情報では、第1に首相の動向が最大の関心事。CIAは歴代首相の側近、周辺に常に情報提供者を確保してきた。
例えば、85年5月ボンで行われた中曽根・コール両首相の日本・ドイツ首脳会談の際にはCIA要員もボンに出張、会談直後に中曽根氏の側近からその内容を入手するといった方法。レーガン米大統領が中曽根首相にゴルフクラブを贈る際、好みをCIA要員が調べ、ロン・ヤス関係演出に一役買った。
自民党の中では金丸元副総裁がCIAに協力的だった。90年9月の金丸氏による北朝鮮訪問の前後には、同氏と親しかった中尾宏・元衆院議員(92年7月死去)が訪米、CIA側に状況を説明したという。
日米間の貿易交渉をめぐっては、主に通商代表部(USTR)の要請を受けてCIAが日本側の交渉態度を探るのが通例。88年6月決着した牛肉・オレンジ市場開放交渉では、農林水産省内の情報提供者から「日本の最終譲歩リスト」を入手していた、と別の関係筋は証言した。
電気通信分野の交渉に関連しても郵政省の内部やNTT、さらに通産省内部からも情報を得ていたという。日本企業のハイテクの軍事的側面も調査、京セラや大日本印刷、宇宙開発事業団、三菱重工、石川島播磨重工業などが調査対象となった。
このほか、中東の日本赤軍に国内の支援勢力がブラジル経由で数十万ドルを送金したことも突き止めるなど、左翼過激派の動向調査も怠らなかった。(中日新聞 1995/01/06)

報酬受け提供「考えられぬ」 自民事務局長
米中央情報局(CIA)に関する共同通信の報道について、名前をあげられた中曽根康弘元首相の事務所は、「CIA要員であるかどうかは別にして米大使館員との交流は昔からあった。しかし、こちらから情報を提供するということはなかった」と話している。
また、自民党の村口勝哉事務局長は「議員が報酬を受け取って情報を提供するということは考えられない」と話している。(朝日新聞 1995/01/06)

核実験やその除染で100万人被ばくと推定
米国で1950年代に行われた核実験で被ばくした軍人は100万人にのぼる可能性があると、被ばく退役軍人協会のオスカー・ローゼン博士が23日、米議会から委任された委員会の調査に対して証言した。
米政府によると、広島、長崎への長崎投下のあと、235回の大気圏内核実験に約20万の部隊が参加、除染作業にも約20万が参加したという。これに対し、博士は被ばくした軍人は約100万人と推定。この中には、潜水艦の乗組員や核兵器取り扱い作業者、墜落機の救助参加者らが含まれるとしている。
別の証言では、638人の被ばく退役軍人へのアンケートで、重度の遺伝的障害とがんにかかっている子供がそれぞれ26%、骨の欠損障害を持っている子供が20%いることなどがわかったという。(AP)(朝日新聞 1995/01/25)

米プルトニウム実験 末期患者以外も対象
米政府によるプルトニウム人体実験を調査している大統領諮問委員会は18日、実験が余命の短い末期患者だけでなく比較的元気な患者まで対象にしていたことを明らかにした。入手した実験の実施手順を示す資料から分かった。
それによると、11人の実験を担当したロチェスター大では、プルトニウムの体内での吸収や排せつを調べるため、がん患者でも肝臓や腎臓の機能が正常な人や、逆に10−20倍のプルトニウムを注入する必要から、わざわざ末期患者を選んでいた。
一連の実験を明らかにした新聞報道では、患者の3分の1が実験後10年以上、一部は30年以上も生存したことから、委員会は末期患者だけでなく、元気な人も対象にしていたのではないかとみて調査していた。(ワシントン=大塚隆)(朝日新聞 1995/01/30)

米のプルトニウム人体実験 マンハッタン計画だった 米政府が報告書
【ワシントン9日=大塚隆】米エネルギー省の放射能人体実験調査室は9日、米国で1945年−46年、18人に対して実施されたプルトニウム人体実験が、原爆開発のマンハッタン計画の医学部門の研究として周到に実行されていたことを突き止めた、と詳細な報告書で明らかにした。
同省ロスアラモス研究所や、実験に参加したロチェスター大学などで埋もれていた資料を追跡して分かった。実験は同計画医学部門の研究に参加した内科医ルイス・ヘンぺルマン氏と化学者ライト・ランハム氏が計画、ロチェスター大やシカゴ大などの協力を得た。
原爆製造過程で強い毒性のあるプルトニウムを大量に扱うため、労働者の健康への影響を知るのが最大の目的だったようだ。
人体実験をしたのは「体内に入ったプルトニウムが排せつされる早さを知るのが目的」だった。ロチェスター大では11人に注入したが、うち1人は6日後に死亡、解剖で詳しい結果が得られた。
この直後、ランハム氏はメモで「患者が末期段階なら、プルトニウム注入量を増やすよう」に指示、シカゴでの実験は、2人に94.91マイクログラムという多量のプルトニウムが注入され、患者はすぐ死亡している。
しかし、患者のうち4人は20年以上生存、うち3人はアルゴンヌ研究所が追跡調査を実施した。
他の実験も含めた約300ページの調査報告書を公表したエリン・ワイス室長は「4月半ばまでには論文や資料が見られるよう準備を急ぐ」と約束した。(朝日新聞 1995/02/10)

通常兵器の輸出を継続 米大統領が承認
【ワシントン17日=五十嵐浩司】米ホワイトハウスは17日、マカリー大統領報道官名で声明を発表し、クリントン大統領が同盟・友好国への通常兵器輸出を今後も認める政策を承認したことを明らかにした。一昨年から政権内で検討が続いていたもので、声明では武器譲渡を「米外交政策の合法的な手段」と擁護した。しかし、軍縮の流れよりも国内の防衛産業保護に重点を置いた観は免れず、米国の軍縮推進団体はこの点を批判している。
米国は、昨年の政府間の武器輸出額が世界最高の約120億ドルだったが、今回の決定でこのレベルが今後もおおむね維持されるとの見通しが強い。
今回の決定では、武器の譲渡に12項目、すでに各国が持つ兵器の改良には8項目の条件を設けている。(朝日新聞 1995/02/18)

生物兵器テロで防衛態勢を調査 米国防総省が模擬演習
【ワシントン13日=時事】朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員が細菌入りの時限爆弾を米国各地に仕掛け、在韓米軍の撤収を要求――米国防総省はこのほど、こんなシナリオの模擬演習(ウォーゲーム)を行った。
米シンクタンク「生物・化学兵器管理研究所」のオルソン副所長が13日明らかにしたもので、演習の参加者から説明を受けたという同副所長によると、この演習は生物兵器によるテロ攻撃に対する防衛態勢について調べるため実施された。その結果、生物兵器による攻撃を防ぐ有効な手段が現時点ではないことが確認された。
国防総省はこの模擬演習を受けて、陸海空3軍合同の生物兵器防衛チームを編成したほか、生物兵器用のワクチンの増産体制の検討も始めたという。(朝日新聞 1995/03/14)

広島「調査」の学者 人体実験にも関与 米ジャーナリスト明かす
【ワシントン17日=氏家弘二】原爆投下直後に広島を訪れて被爆の実態を調べた米国の学者らが米政府のプルトニウム人体実験にもかかわっていたことを、人体実験の報道でピュリツァー賞を昨年受賞したジャーナリストのアイリーン・ウェルサムさん(44)が明らかにした。
ウェルサムさんによると、取材の中で2つの調査にかかわっていたことがわかったのは、物理学者ら3人。原爆投下後間もなく、広島に入り、被爆の影響などについてデータを集めた。その中には、子どもの体への放射線の影響や発病状況の項目もあったという。
日本などに広島・長崎への原爆投下は人体実験だったという意見があることについては、「投下の目的が実験だったといえるデータは持っていないが、投下後に実験と同じように調査したのは事実だ」と話した。(朝日新聞 1995/03/18)

米→イラン「核兵器開発可能な製品を大量に輸出」 米専門家が議会で語る
【ワシントン17日=共同】米企業がイランに対して核兵器やミサイル開発に利用できる部品やハイテク機器類を大量に売却しており、米企業のイラン原油購入と併せて、米国がイランの最大の貿易相手国だとする米専門家の議会証言が17日、明らかになった。
証言したのは元下院外交委員会スタッフのケネス・ティママン氏で、16日の上院銀行住宅都市委員会の公聴会でイラン情勢について説明した。
同氏が米商務省の統計などを基に分析した結果、米企業は1993年に(1)核兵器開発に利用できる遠心分離装置(2)生物兵器開発に使える微生物(3)巡航ミサイルに利用できるターボジェット・エンジン(4)ミサイル誘導システムの試験飛行に利用できる電子分光計―など各種の軍民両用の物品をイランに輸出した。
ティママン氏は米の政策が「抜け穴」だらけと批判、ダマト上院銀行住宅都市委員長が提出した対イラン全面禁輸法案を支持した。(朝日新聞 1995/03/19)

原爆は東京湾へ 示威投下で十分 「水爆の父」が言明
【サンアントニオ(米テキサス州)17日=AP】原爆など核兵器の開発を担当し、米国の「水爆の父」と呼ばれる物理学者エドワード・テラー博士は17日、第2次世界大戦末期の広島、長崎への原爆投下について、戦争を終結させるために日本に投下したのは正しかったが、東京湾に示威的に投下し、その威力を東京周辺の1000万人の前に示すことにとどめた方がよかった、と言明した。
また、テラー博士は、マンハッタン計画で原爆を一緒に開発したオッペンハイマー博士がこの「示威投下」の案に反対したとした上で、特に二つ目の長崎への原爆投下については「明白かつ全く不必要だった」と述べた。
テラー博士は示威投下で戦争を終結できただろうとした上で「死者を一人も出さずに済んだと思うし、道徳的観点からも、この方がよかった」と語った。
テキサス州のトリニティ大学で開かれた戦後50年のシンポジウムでの発言。(朝日新聞 1995/03/19)

米英が地下鉄で細菌実験 テロの攻撃想定 汚染状況を調査
60年代 乗客に報せず

【ロンドン22日時事】英民間テレビITNは21日夜放送の番組で、英政府が1963年に、ロンドン市内の地下鉄を利用して細菌戦争に備えた模擬実験を行っていたと報じた。
実験に当たったのは英国防省兵器研究所の科学者らで、テロリストによる細菌を使った攻撃を想定、走行中の電車からバクテリアの胞子をまいた。胞子は地下鉄網を10マイル(約16キロ)にわたって運ばれ、ほかの電車に高濃度の汚染が見られたとしている。

【ニューヨーク22日共同】米陸軍当局者は22日、生物兵器によるテロ襲撃に備えるため、1966年にニューヨーク市の地下鉄で人体に無害の細菌を乗客に知らせず線路にばらまき、その拡散状況を調査する秘密実験を行っていたことを明らかにした。
AP通信によると、以前に陸軍の生物戦センターが置かれていたフォートデトリック基地(メリーランド州フレデリック)のスポークスマンが実験の概要を公表。それによると、ラッシュアワーのニューヨーク市の地下鉄駅で細菌を詰めた電球を線路にたたきつけて壊し、細菌が拡散する速度と範囲を調べた結果、20分後に10ブロック(約500メートル)離れたところで細菌を検知したという。
スポークスマンは、公衆衛生の改善、医薬品の十分な備蓄、予防の徹底が生物兵器への防衛策としての結論だったと述べた。(毎日新聞 1995/03/24)

イスラエル「核」暴露の元技師 モサド女性工作員に誘惑、拉致された
週刊誌が詳細報道 政府に痛手

【エルサレム24日=村上宏一】イスラエルの週刊紙コールハイルは24日、イスラエルの核兵器製造を示唆する情報を英国の新聞に漏らしたとして服役中のモルデハイ・バヌヌ元技師(40)が、1986年にイスラエルの情報機関に拉致され、国に連れ戻された経緯を生々しく報じた。同事件は国家機密にかかわるとして、詳細を報じることは禁じられていたが、同紙はこのほど、最高裁の掲載許可を勝ち取った。
コールハイル紙が、実行に関与した人などの証言をもとに書いた拉致の状況などは、次の通りだ。
バヌヌ氏は、イスラエルのディモナ原発工場の技師として約10年間働いたが、イスラエルのレバノン侵攻に疑問を持ち、左翼運動にかかわるようになって解雇された。
86年の半ば、工場の写真を含む情報をいくつかの新聞に売り込んだところ、英サンデー・タイムズ紙が関心を示した。科学者に確かめ、バヌヌ元技師の証言は信用できることがわかった。証言をもとにイスラエルは既に100発の原爆を持ち、年間10発ずつ製造できるとの推計も示された。
同紙は9月23日、駐英イスラエル大使館にコメントを求めた。大使館側は否定すると同時に本国に連絡。当時のペレス首相(現外相)がイスラエル各紙の編集長を集め、英紙の記事を転載する場合もできるだけ小さく扱うよう要請。各紙は応じた。
情報機関モサドの工作員が、バヌヌ氏捜索のためロンドンに送られた。何人かがテレビ関係者のふりをしてサンデー・タイムズの建物の前に立ち、出入りを監視しているうちに同氏を発見、尾行してホテルを突き止めた。
次は女性工作員が誘惑。これに引っかかったバヌヌ氏は、ローマに行って姉の家で暮らそうという女性の言葉にのせられてロンドンを離れ、拉致された。
イタリアの海上に停泊していたイスラエル船の乗組員は、9月30日、急に食堂に集められ、政府に徴用されたことを告げられた。
間もなく、2人の男性と1人の女性が、1人の男を連れて乗船してきた。その男は手足を縛られ、薬で気を失っているようだったという。新聞を見たある乗組員は、男がバヌヌ氏であることを知った。
同氏は88年、スパイ・国家反逆罪で禁固18年の判決を受け、服役中だ。(朝日新聞 1995/03/26)

ロシア貯蔵の化学兵器4万トン 6割が神経ガス 軍が厳重に警備
生物化学兵器条約委員長会見

【モスクワ29日=西村陽一】ロシア大統領直属の生物化学兵器条約委員会のシュトキン委員長(53)は28日、朝日新聞記者と会見し、ロシアに貯蔵されている化学兵器は4万トンあり、その60%がサリン、ソマン、VXの有機リン酸化合物系の神経ガスで、残る40%がルイサイトやイペリット(マスタードガス)などのびらん性ガスであることを明らかにした。サリンは5カ所の兵器庫に貯蔵されている、と語った。同委員長によると、サリンは、キーロフ、ブリャンスク、ペンザ、クルガン各州とウドムルト共和国のロシア軍の兵器庫に保管されている。サリンの正確な量は明らかにしなかったが、3種類の神経ガスはほぼ等量といわれており、約8000トンと考えられる。また、すべての化学兵器は、計7カ所の兵器庫に貯蔵されているという。
保管状態については「自分の目で全兵器庫を確認したわけではない」としながらも、「軍にしっかりと警備されており、今日、何らかの危険が発生したとは聞いていない。また、サリン製造の技術や知識は世界で広く知れ渡っており、ロシアから技術が流れたという仮説があったとしても、何の根拠もない」と語った。
シュトキン氏は「兵器庫のある地域の住民は、化学兵器の『人質』に取られているようなものだ。潜在的な危険があるので、廃棄時期を早めるため、環境と社会基盤の整備に配慮し、地元とともに、解決しなければならない」と語った。
また、完全な廃棄には、50億−80億ドルの費用がかかる、と述べた。廃棄後は、化学兵器工場の軍民転換が最も重要な過大となる、という。(朝日新聞 1995/03/30)

パレスチナ活動家の死亡 秘密警察が拷問した
【エルサレム30日=村上宏一】イスラエル秘密警察の取り調べを受けたパレスチナ人が死亡した事件でこのほど、拷問死であることがわかった。秘密警察問題調査委員会の一員であるサリド環境相は30日、「調査の公開は秘密警察が厳しく監視されていることの証拠である」と弁明する一方で、テロ防止のためには速やかな尋問が必要であるとして、「身体的圧力」と呼ぶ拷問を正当化した。
死亡したのは、イスラム過激派組織ハマス活動家のハリザート容疑者(30)。4月22日、ユダヤ人入植者を攻撃する部隊を指揮していた疑いで、秘密警察に連行されたが、エルサレム市内の病院に意識不明で運び込まれ、25日未明に死亡した。
外国人医師が立ち会った解剖の結果、28日に「拷問による死」と断定された。報道によると、ハリザート容疑者は約20分にわたり、イスラエル政府に協力するパレスチナ人によって殴打されたという。
イスラエルでは、秘密警察のパレスチナ人に対する強引な捜査が問題になり、8年前に特別委員会が不当な逮捕や拷問の禁止を勧告した。しかしテロリストの場合は、爆弾を仕掛けた可能性があり、一刻も早くそれを聞き出す必要があるとの理由で、「軽い身体的圧力」を加えての尋問は許されるとされている。(朝日新聞 1995/05/01)

核実験後の爆心への軍事演習「恐怖克服のため」 米内部文書
【ワシントン1日河野俊史】1950年代、ネバダ州での核実験に合わせて行われた米軍の軍事演習は、広島・長崎の原爆投下で高まっていた放射能に対する恐怖を抑え込むのが目的だったことが、国防総省の内部文書で分かった。対ソ核戦争は避けられないとの認識を持っていた米軍指導部は被爆を恐れる下士官たちを「戦闘に好ましくない心理状態」と懸念、被爆承知の“ショック療法”を実行したという。
問題の軍事演習は51年から57年にかけて8回にわたり行われた「砂漠の岩」作戦。核実験場の爆心近くに部隊を配置、核爆発の直後に爆心に向けて進攻するもので、少なくとも4万人が参加していた。
今回明らかになった内部文書は当時の「米軍特別兵器計画」に関するもので、核人体実験を調査しているクリントン政権の大統領諮問委員会とAP通信が国立公文書館で入手した。
53年2月27日付の報告書は演習について「兵士の心理から、放射線被害など核爆発をめぐる迷信を取り除かなければならない」と指摘。対ソ核戦争を控えて「心理的操作」が不可欠だとの認識を明らかにしている。(毎日新聞 1995/06/02)

太平洋戦争時の米首脳「原爆不要と認識」 米の歴史研究家が論文
【ワシントン3日=時事】米歴史研究家のガー・アルぺロビッツ氏はこのほど、外交専門誌「フォーリン・ポリシー」に「広島−歴史家たちの再評価」と題する論文を寄稿、「太平洋戦争早期終結のために原爆が必要なかったことを、当時のトルーマン大統領ら米政府首脳は知っていた」と結論付け、原爆投下の目的はソ連に対する力の誇示だったと告発した。
同氏はトルーマン大統領やスチムソン陸軍長官、バーンズ国務長官ら当時の米政府首脳の日記や手紙などを分析した結果、この結論に達したと述べている。
この論文によると、米首脳部は日本の暗号電文解読から、1945年7月のポツダム宣言の前に昭和天皇が戦争終結の意思を持っていることを知っていた。米側も当初は原爆を使用しないでも、ソ連の対日参戦方針の明示や天皇制の維持を保証することによって日本が降伏に応じると判断していた。
ところが、ドイツ降伏後、米国は戦後のソ連との対立関係を意識し、「対ソ外交戦略の切り札」(スチムソン長官)として日本に原爆を投下する方針に転じた。(朝日新聞 1995/06/05)

原発からのプルトニウム 小型の原爆 製造可能 米国立研報告
【ワシントン10日=北島重司】原発の使用済み燃料から取り出されるプルトニウムでも、戦場でも使う小型の戦術核兵器を製造できるとの報告書を米国立研究所が米政府に提出していた。日本や欧州では、こうしたプルトニウムは軍事用に適さないとの見方があるが、それを真っ向から否定した内容。米政府筋も「必要以上に持つ国には、見直しを促したい」としており、日本も含め、管理強化や保有量の抑制などが核拡散防止の新たな枠組みづくりの政策課題に浮上する可能性が出てきた。

前ホワイトハウス科学技術政策局次長のフランク・フォン・ヒッペル氏(現プリンストン大教授)が朝日新聞とのインタビューで明らかにした。報告書は昨年9月、ホワイトハウスとエネルギー省の担当官に出された。全容は秘密扱いだが、核兵器の設計図などを削除した概要説明書が作成されたという。
ヒッペル氏と概要説明書によると、ロスアラモス、ローレンスリバモア両国立研究所の核兵器設計の専門家グループは、使用済み燃料を再処理して出るプルトニウム(原子炉級プルトニウム)でどれぐらいの性能の核弾頭を製造できるか、核実験データなどをもとに検討した。
テロ集団などが核開発を企てる場合、核弾頭には初期の設計が使われる公算が大きいとして、とくに1950年代に米国が開発した核弾頭をつくるとして分析。その結果、設計上の爆発力よりやや落ちる可能性があるものの、高性能火薬に換算して、少なくても1キロトンほどの爆発規模を確保できると結論づけた。

原子炉級プルトニウム
プルトニウムには15種類の「兄弟」が知られているが、核兵器の材料には、核分裂性の239が多いだけでなく、240の割合が少ないほど適しているとされる。240は、起爆剤で一気に爆発させる前に、勝手に爆発を誘発する「やっかい者」だからだ。240の割合が2−3%のプルトニウムをスーパー級、7%以下を兵器級と呼び、プルトニウム生産用の特殊な炉でないと作れない。240が18%以上を原子炉級という。(朝日新聞 1995/06/11)

大量破壊の生物・化学兵器 核で対抗、米が指針 参謀本部内部文書
【ロサンゼルス13日=杉本宏】米統合参謀本部が「冷戦後の脅威」として浮上してきた生物・化学兵器に対しても核兵器の使用を認めていたことが13日、環境・反核団体グリーンピースの入手した同本部の内部文書で明らかになった。こうした兵器も念頭に置いた米軍の核兵器指針が詳細に分かったのは初めて。米政府は核不拡散条約(NPT)に加盟している非核保有国に核不使用方針を再宣言しており、条約にある核保有国の「核軍縮義務」に違反する疑いを招きかねず、論議を呼びそうだ。

この文書は、1993年4月付で米統合参謀本部が3軍の核兵器を統括する戦略司令部などに通達した「統合核作戦のドクトリン」。同団体が米情報公開法により入手した。
米政府は現在、大量破壊兵器(WMD)には基本的に通常兵器で対処する見解を強調しているが、核使用を否定しているわけではない。WMDのなかでも生物・化学兵器に核で対処するかどうかは不透明だ。文書によると、同本部は核、生物・化学兵器の3種類を一括してWMDと総称し、「米核戦力の基本目的はWMD使用の抑止」としている。
その上で「敵の政治指導層は(米国とは)異なった文化的観点から国益を判断する」などと指摘し、指導者の「合理性」を前提とする抑止が必ずしもきかない場合も想定。80年代のイラン・イラク戦争で化学兵器が使われ、米軍が主力となった湾岸戦争でも、WMD使用の危険性が指摘されたことなどを考慮しているとみられる。
特に、同文書は「地域紛争」が発生した場合を重視、(1)まずWMD使用の抑止に「最優先順位」を与える(2)「動く標的」であるWMDには即応態勢の強化が必要(3)「核、生物・化学戦で被る兵力の弱体化を相殺するには」、特殊防衛などが必要――などの対処指針を挙げている。
さらに、「戦略核と非戦略核の双方が地域の標的を狙う」と明記。破壊力が大きい戦略核兵器の使用も辞さないとしている点が注目される。(朝日新聞 1995/06/14)

子供の死体で米政府が実験 米TV報道
【ワシントン20日=共同】米ABCテレビは20日、第2次世界大戦後に米政府が実施した放射能の人体実験に、家族に無断で病院などからひそかに運び出された約1500もの子供の死体が利用されたと報じた。
それによると、計約200回の大気圏内核実験が実施された1945年から63年に、核実験で生じる核分裂生成物ストロンチウム90が子供の骨に与える影響を調べるために、全米の病院から病死した子供の死体が運び出された。その数は約1500体に上り、ほとんどは家族の同意を得ていないという。人体実験の方法については報じていない。(朝日新聞 1995/06/21)

米が核の人体実験検討 51年に29項目 ビキニ関係者が文書入手
広島市で28日開幕した世界平和連帯都市市長会議・アジア・太平洋地域会議に出席したマーシャル諸島の関係者が、米国が太平洋で原水爆実験を繰り返していた1951−52年、核戦争の調査には人体実験が不可欠と米国政府内で考え、具体的に実験項目を検討したことを示す資料の存在を明らかにした。「米国公文書館から入手した」といい、最近、相次いで明るみに出ている米国の核人体実験の証拠の1つとしている。
明らかにしたのは、ビキニ・アトール市の代表に随行している米国人法律顧問、ジョナサン・ウェイスガル氏。米軍医療政策委員会が52年、国防省長官にあてたメモは「核及び生物化学戦争の調査は、人体実験なしにはデータを得られない時点まで到達している。委員会は、この種の調査に人体を利用することを満場一致で承認した」と記しているという。
ウェイスガル氏は、その前年に米国防省医療団が、29の放射能実験を提案した文書も入手。生存者体内の放射能汚染、核爆発のせん光の目への影響、核実験人員の体液の放射性同位体の測定などの項目があり、「将来の核兵器テストに、生物学者や医師の参加が必要と考えるべきだ」と結論付けているという。(毎日新聞 1995/06/29)

『日本、核兵器開発着手も』 中国が内部報告で懸念
【北京1日共同】日本は中国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への警戒感から軍備増強を加速しており、今後は核兵器開発に着手する可能性もある、と分析した中国政府の内部報告の内容が1日までに分かった。この報告は今年4月、党・政府・軍の閣僚級以上の幹部向けに配布された。日本の軍事大国化への強い懸念を示しており、指導部内のこうした共通認識が中国の国防力増強路線や核実験強行の重要な理由付けの1つとなっているとみられる。

中国では日本の戦後50年国会決議について、江沢民国家主席自ら「真の反省」に疑義を呈し、メディアも批判の声を強めているが、その背景にはこの報告に象徴される対日不信感があるとみられる。
報告は(1)北方重視戦略の転換(2)戦域ミサイル防衛(TMD)の重視(3)自衛隊の精鋭化――の3部構成で、まず「冷戦終結によって、日本は従来の対ロシア中心の北方重視戦略から、朝鮮半島、中国など西南部を加えたバランス型戦略に転換した」と分析。
理由として、北朝鮮の核疑惑や、尖閣諸島(釣魚島)、南沙・西沙諸島など中国絡みの領土問題への懸念に加え「特にここ数年、中国の経済力、軍事力が強まり、既に中国の“脅威”に直面している。将来、中国が超大国となる前提で新戦略を練り直すべきだ、と主張する者もいる」と中国脅威論の高まりを挙げた。
さらに、北朝鮮の中距離ミサイル「ノドン」発射実験を引き金に、日本はTMD構想参加の検討を始めた、と指摘。「日本は米国の“核の傘”では、局地的な核兵器使用抑止は難しいと考えている。今後、核による自衛を口実とし、核兵器開発に着手する可能性がある」と決め付けた。
また報告は、F15戦闘機など新鋭兵器配備や、高性能の次期支援戦闘機(FSX)の開発などを挙げ、日本の先進的な軍備の「脅威」を強調した。

『核兵器開発あり得ない』 政府が否定
政府は1日、中国政府が内部報告で日本の核兵器開発などに懸念を示したことについて「核兵器開発はあり得ない話だ。日本は非核3原則を堅持し核拡散防止条約(NPT)に加盟し、国際原子力機関(IAEA)の査察も受けている」(樽井澄夫外務省安全保障政策課長)と否定。1995年版防衛白書で「相手国の壊滅的破壊にのみ用いる攻撃的兵器の保有はいかなる場合にも(憲法上)許されない」と明記しており「核実験を繰り返す中国に言いがかりを付けられる理由はない」(防衛庁筋)と反発している。(中日新聞 1995/07/02)

NASAずさん医学実験 女性飛行士、命拾い
【ニューヨーク7日=ロイター】ロシアの宇宙科学ステーション「ミール」とのドッキングを果たし、7日帰還した米スペースシャトル「アトランティス」の女性飛行士ボニー・ダンバーさん(46)が、米航空宇宙局(NASA)のずさんな医学実験のせいで昨年10月にあわや死亡しかけていた、と米CBSテレビが同日伝えた。
それによると、ダンバーさんはテキサス州のNASAジョンソン宇宙センターで行われた体液測定実験のために、米国で認可されていない薬を規定の4倍の速さで投与され、アレルギー反応を起こして心拍と呼吸が停止、病院にかつぎ込まれたという。
CBSは、NASAの内部文書や関係者とのインタビューでこの事実を確認したとしている。また、同じ薬がその後、別の2人の飛行士にも使われたほか、1990年には妊婦に放射性同位体が投与されるなど、ほかにもずさんな医学実験があったことが分かったという。
NASAの宇宙センターの医学実験ではたびたび過ちが起きており、第三者が実験を監視する新しいルールづくりに着手した、とCBSは伝えた。(朝日新聞 1995/07/08)

日本への原爆投下 開発科学者156人が反対 トルーマン大統領に嘆願書
【ワシントン15日共同】米国の原爆開発に参加した科学者たちが、原爆投下がもたらす悲惨さへの道徳的責任を考慮、日本への投下前に、その威力を示す公開の実験を実施するようトルーマン大統領に求めた嘆願書をめぐる詳しい経緯や内容が15日、米国国立公文書館の文書などで明らかになった。当時書かれた嘆願書や草案類は17あり、計156人の科学者が署名した。うち今回初めて明らかになった1945年7月4日付の嘆願書は、日本に降伏拒否がもたらす悲劇を考える機会を与えるため、示威実験の実施を迫るなど科学者の心のかっとうが浮き彫りにされている。
同公文書館は17日に、存命中の科学者によるシンポジウムをワシントンで開催、嘆願書を広く一般に公開する。
原爆開発のためのマンハッタン計画の中核施設だったロスアラモス研究所は50年前の45年7月16日未明、ニューメキシコ州で世界初の原爆実験をした。署名者の一人であるジョン・シンプソン・シカゴ大名誉教授や公文書館の関係文書によると、開発の中心的存在だったレオ・シラード博士らが実験の半月前の7月1日からロスアラモス研究所で署名集めを始めた。この際の嘆願書は、ウラン加工施設があったテネシー州オークリッジの研究所にも送られ、7月4日付で計67人が署名した。
嘆願書は「(核)兵器の威力が世界にもたらす結果により、米国には道徳的義務が生じる」と指摘。「この兵器が使われる前に、威力を示すべきであり、日本は降伏拒否が招く結果を考慮する機会を与えられるべきだ」と勧告している。
同公文書館が今回一版公開する資料では、陸軍の開発責任者だったグローブズ将軍が署名集めを知り、150人の科学者の意見を聞いたのに対し127人が示威実験を求めたことも明らかにされている。

人間模様よくわかる
伏見康治・元日本学術会議会長(物理学)の話 当初はマンハッタン計画に積極的に参加した研究者たちが、日本への原爆投下が間近になって悩み抜いたことは、物理学者の間でうわさ話に伝えられていた。その人間模様が今回の史料公開で初めて具体的に分かると言える。(中日新聞 1995/07/16)

トルーマン大統領 原爆18発投下を承認 米紙が報道
【ワシントン16日関口宏】米ワシントン・ポスト紙は第2次世界大戦中の米国の原爆開発計画と日本への原爆投下に焦点を当てた16日付の特集記事の中で、当時のトルーマン大統領は1945年7月24日、日本への原爆投下計画として、8月に2発。9月、10月、11月に各3発、12月に7発の合計18発の原爆を投下する軍事・科学顧問提出のプランを承認していたと報じた。
同紙はこうした事実を国立公文書館が保存する記録を3カ月にわたって調べた結果として報じており、トルーマン大統領は原爆の性能が実験によって確かめられていない状況から、原爆投下だけでは戦争終結に十分ではないかもしれないと判断し、11月に米兵76万5000人を九州に上陸させる計画も併せて承認したとしている。
日本への原爆投下計画として広島、長崎に投下された2発のほか、さらに16発の投下が計画されていたことは、米国が大規模な日本破壊作戦を計画していたことを物語るとみられる。同紙は計画の詳細を明らかにしていないが、米国の原爆開発計画の進行状況からみて短期間に多数の原爆を投下するのは困難であり、計画は単なる机上プランにすぎなかったとみられる。
記事はまた、原爆投下をめぐっては歴史家の間で正当性が論議され、さらに日本を降伏させることよりもソ連への圧力強化に狙いがあったなどとする見方に触れながら、「トルーマン大統領は第2次世界大戦をできるだけ早く米国の勝利で終結させるという最終のゴールのために原爆を使用した」との見方を裏付ける十分な証拠があると述べている。(中日新聞 1995/07/17)

「B2ステルス」重大欠陥表面化 米議会調査文書 米紙伝える
【ワシントン17日共同】レーダーに映りにくいことを売り物とする米国のB2ステルス戦略爆撃機に重大欠陥があることが表面化し、今後の生産計画をめぐる論議に影響を与える可能性が出てきた。
15日付の米紙ニューヨーク・タイムズが、議会会計検査院の調査報告書草案の内容として報じたところによると、欠陥は(1)B2爆撃機が搭載しているレーダーが、雨天の際に雨雲と山の地形とを区別できない(2)最大の特徴である敵のレーダーに機影が映らないという「ステルス性」が、技術的側面から当初の計画ほどの性能ではない――の2点。
報告書は、国防総省の当局者から会計検査院が聴取し作成。「ステルス性」については、これまで開発に要した14年に加え、さらに6年の開発期間が必要とみられると指摘している。
B2爆撃機は、20機が総額444億ドル生産済みもしくは生産中。開発費は240億ドルに達し、最も高価な戦闘機といえる。
国防力を重視する下院共和党は、さらに20機の生産追加を求めているが、国防総省はこれ以上のB2は不要としており、上院では共和党議員の一部からも「冷戦時代の遺物」(マケイン議員)と反対が出ている。(中日新聞 1995/07/18)

大戦中の日本 北朝鮮で核兵器研究 米学者が新説紹介
【ワシントン21日共同】米空軍歴史博物館の主催で21日開かれた「太平洋における第2次世界大戦」と題するシンポジウムで、日本が戦時中、現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本海沿岸にある咸鏡南道・興南で核兵器の研究開発に当たっていた、との説を米学者が紹介し注目された。この学者はメリーランド大学のシオドア・マクネリー名誉教授(政治学)。連合国軍総司令部(GHQ)民間諜報局(CIS)勤務の経験があり、この情報は米情報当局関係者や各種資料から得たとしている。
興南では核分裂物質トリウムによる核開発を進めていたとみられ、敗戦後に侵攻したソ連が施設を接収、要員らを逮捕したという。
開発がどれほどのレベルにまで進んでいたかは不明だが「重要施設があったのは事実」とマクネリー博士は述べている。(中日新聞 1995/07/23)

米国防総省 広島、長崎の原爆被爆者データ 核戦争研究に利用
ABCC収集解禁文書で「モルモット説」裏付け
【ワシントン30日共同】米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島、長崎の被爆者から収集した医学データを、国防総省が将来の核戦争を想定した軍事目的の研究にも利用していた事実がこのほど、同省や全米科学アカデミーなどの解禁文書で確認された。
国防総省は、核使用の際の医療対策に収集データが役立つと期待。広島、長崎のデータとビキニ環礁での原水爆実験の資料を比較し、爆心周辺で放射線から身を守るには服装をどうするか、などといった分野も研究していた。
ABCC設立当初から被爆者が抱いていた「モルモット扱いしているのでは」という疑いを裏付けるものだ。
また日本で「ABCCの研究は非人道的」との非難が強まることを恐れた米側が、病理標本やデータを重要機密資料として、その保護に極度に配慮していたことを示す文書も見つかった。
1946年11月26日、トルーマン大統領は「原爆が人間に与える長期的影響の研究を継続すべきだ」との陸、海両軍医務総監の勧告を承認。これを受けて全米科学アカデミー研究評議会に原爆傷害委員会(CAC)が設置され、現場機関として広島、長崎にABCCが発足した。
CAC議事録によると、47年3月のCAC第1回会議で海軍の代表が「防御的措置」と「攻撃的措置」の両面で被爆者データを利用することを提案した。またパターソン陸軍長官は同月、ジュエット科学アカデミー総裁に送った書簡で被爆者研究の「軍事的重要性」を強調し、極東司令部による協力を約束した。
翌48年6月に「特殊兵器プロジェクト」(国防総省国防核兵器局の前身)のハズブルック参謀長がまとめたメモは、被爆者データは「放射能戦争研究に非常に重要」だとして、核攻撃の際の死傷者数や負傷者の治療などに関する情報への利用に期待を表明した。
ABCCで収集されたデータや生検、解剖標本はこうして同プロジェクトや陸軍病理研究所で保管され、47−49年にまとめられた核戦争防護の各種研究に生かされた。
同プロジェクトのワイナント放射線防衛局長の論文は広島、長崎より良い防護施設がなければ「米国の大都市では10万人以上の死傷者が出る」と核シェルターの重要性を強調。ホートン同局医療部長の論文は、広島の被爆者の生殖能力や遺伝的影響などのデータを引用した。
さらにクーニー原子力委員会軍事応用局放射部長の論文は、広島、長崎でのデータとビキニ実験との比較から身体器官への影響を分析。「爆心から1.5キロ離れた地点なら軍服、シャツの着用でも防護になる」などと指摘した。

今さら驚かないが…
近藤幸四郎・広島県被団協事務局次長の話 中学生の時、先生に(調査のためABCCへ)行ってくれんか、と言われた。アメリカにはとても協力する気になれず断った。モルモット扱いは、我々は前々から言っていて今さら驚かない。50年たって、ようやく証明されたかという感慨が強い。

ABCC
原爆放射線の長期的な医学影響調査を主な任務として1946年11月、トルーマン大統領が設立を指示した。47年から広島、長崎で調査を開始、予算は米国原子力委員会などから出された。日本からは国立予防衛生研究所が参加。約12万人を対象に寿命(死亡)調査、成人健康調査、病理学的(解剖)調査、遺伝的調査などを実施した。(共同)(毎日新聞 1995/07/30)

見えない爆撃機も見える? チェコ製レーダー 旧ソ連の某国購入
【ウィーン31日=宮田謙一】米国が開発した「見えない(ステルス)爆撃機」も探知できるというレーダーシステムを開発したチェコの兵器メーカーが、旧ソ連の共和国の1つにシステム一式の売り込みに成功したことが、明らかになった。
「タマラ」と呼ばれるこのシステムは一式約2000万ドルといわれる。レーダーから電波を発射し、そのはねかえりを利用して探知する従来型のレーダーと異なり、精密なセンサーとコンピューターを組み合わせ、ステルス機から発するわずかなレーダー妨害電波などでも存在を感知できる受動式システムだという。
売却先は公表されていないが、輸出を認可したチェコ通産省当局者は「国際的にみて何の問題もない国」としている。
タマラは1980年代後半に開発されたとされ、西側の軍事専門家の中には性能を疑問視する声もある。
しかし、チェコの軍需産業の技術水準は共産党政権時代から定評があり、こうした懐疑的見方に対しては、「米国がばく大な開発経費をかけたステルス技術を守るためのPR作戦」との反論も国内のメディアには出ている。
昨年、総額9000万ドルのイランへの売却話が米国の圧力でつぶれたと伝えられたほか、中国、台湾、韓国、インド、タイなどが関心を示しているという。(朝日新聞 1995/08/01)

米元機長「戦争勝利に原爆必要だった」 戦友会で正当性強調
【アルバカーキ(米ニューメキシコ州)7日=上治信悟】広島、長崎に原子爆弾を投下したB29の乗員が7日、戦友会が開かれているアルバカーキで記者会見し、当時の心境などを語った。会見したのは広島に投下した「エノラ・ゲイ」の機長だったポール・ティベッツ氏(80)や他の乗員、原爆を製造したマンハッタン計画にかかわった科学者など10人。
質問が集中したティベッツ氏は「当時我々は戦争していたのであり、目的は勝つことだった」と述べ、「使える兵器は何でも使え」という戦略家の格言を引用して、原爆投下の正当性を強調した。さらに「戦争にモラルはなく、戦いの場で私は別人だった」と語った。
また、広島に出撃した元航空士ダッチ・バンカーク氏(74)は「今日、自宅の留守番電話に日本軍の捕虜だった人たちから  原爆投下を感謝する7本の電話が入っていた」と述べた。
一方、長崎に投下した「ボックス・カー」のパイロットだったダン・アルバリー氏(74)は戦争直後に長崎を訪問し、「ひどい破壊だった。(原爆の)影響は続くと思った」と語った。(朝日新聞 1995/08/08)

途上国への武器輸出 米を抜いて仏が1位に
【ワシントン9日=AFP時事】米議会調査局がこのほどまとめた報告書によると、湾岸戦争後、第3世界に対する武器輸出で独占的な地位を占めてきた米国が昨年、フランスに首位の座を譲った。
フランスの途上国向け武器輸出額は1993年の38億ドルから昨年、114億ドルに急増。これに対して、米国は93年の154億ドルから61億ドルに激減した。
同報告書はフランスは昨年、アゴスタ級潜水艦をパキスタンに、ミラージュ2000−5戦闘機をカタールに、ラファイエット級フリゲート艦をサウジアラビアに輸出する大型商談をまとめたとしている。(朝日新聞 1995/08/10)

米の放射能人体実験は40年間以上に1万6000人
【ワシントン17日共同】米エネルギー省は17日、米政府関係研究機関が戦前から行ってきた放射線の人体実験は1930年代から70年代の40年間以上にわたり計435件、対象者約1万6000人に上ったとの最終報告書を発表した。
戦争中のマンハッタン計画で原爆開発が行われたワシントン州ハンフォード、テネシー州オークリッジの両施設などのほか、国立研究所、カリフォルニア大などで行われた人体実験を網羅した決定版。今年2月に発表された報告書では約150件(約9000人が対象)の実験が確認されたとしていた。
最も古い実験の1つは、精神障害者に対するラジウム226注射で、31−33年にイリノイ州エルジン病院で行われた。この研究はアーゴン国立研究所が引き継いだ。マンハッタン計画推進中にはオークリッジなどでプルトニウム注射、エックス線全身照射などが行われた。
70年代まで続けられた実験は、ワシントン大(シアトル)が63−73年に同州刑務所の健康な囚人232人を対象に行った睾丸への放射線照射実験などがある。
記者会見したオレアリ・エネルギー長官は、多くの実験は医学の進歩を目指したものと指摘。一方、オトゥール同省次官補は、確認された実験のうち約10%には「倫理的に問題があった」と認めた。(毎日新聞 1995/08/19)

イラクの生物兵器 湾岸戦争時も保有
【ニューヨーク22日=上治信悟】イラクが1991年の湾岸戦争当時、毒性の強い細菌を使用した生物兵器を保有していたことを、国連のイラク大量破壊兵器廃棄特別委員会のメンバーに認めた。23日付のニューヨーク・タイムズ紙が報じた。イラクはこれまで、生物兵器用の原料を製造し、湾岸戦争前に廃棄した、と主張していたが、開発状況は、これまで同国が明らかにしていたよりも進んだ実用段階だった、という。
同紙によると、イラクは生物兵器を湾岸戦争では使用せず、戦争後に廃棄した、と説明している。(朝日新聞 1995/08/24)

50年代末 三沢、板付に「核」あった 米の元整備兵3人が証言
【ニューヨーク28日共同】1950年代末に沖縄に駐留していた米空軍の第7戦術弾薬補給中隊の3人の元部隊員が、28日までに共同通信のインタビューに応じ、沖縄のほか米軍三沢基地(青森県三沢市)、同板付基地(福岡市)に派遣され、両基地にあった核兵器(複数)を整備した、と証言した。核積載米艦船の日本寄港と異なり、核兵器が陸上の基地にも持ち込まれていたとの当事者の証言が明るみに出たのは初めて。
3人のうちの1人、米ペンシルベニア州の地元紙のコラムニストであるポール・カーペンター氏は核兵器整備兵としての体験を、原爆投下50周年に合わせて、同紙に公表した。
3人は沖縄の嘉手納基地の同中隊に57年に配属され、核兵器の各部分が使用時に設計通り作動するかどうかを点検する「核兵器整備班」に所属、戦闘機搭載用の核爆弾MK7の整備を担当した。
カーペンター氏が保管する命令書によると、3人は58年3月末に「緊急任務のための特別命令」を受けて三沢基地への出張を命じられ、4月1日ごろから2カ月間三沢に滞在しMK7を整備した。
キューバ危機が起きた62年10月には、同氏は韓国・群山の米軍基地に急派され、核兵器の戦闘機搭載を準備した。「核は中国に投下すると思った」とカーペンター氏は語った。この後、沖縄では最新式水爆のMK28の整備が主な任務となった。
匿名を条件に取材に応じた残り2人の元隊員は、カーペンター氏と共に三沢に派遣されたほか、2人とも57年から59年にかけて三沢に1回、板付に1回出張し、核兵器を整備した。
2人は、両基地の核兵器にはコアと呼ばれるプルトニウムやウランの核物質部分がなく、コアは緊急時に、当時まだ米施政権下にあった硫黄島(68年に日本へ返還)から運び込む態勢になっていたなどと指摘、コアも基地内にあったとの同氏の証言と食い違った。
初期の核兵器は事故爆発を防ぐため、コアを分離して保管していたが、2人が起爆装置専門の整備兵だったため、コアを見る機会がなかったと同氏は説明している。

MK7
最高60−70キロトンの破壊力(広島型原爆は12.5−15キロトン)を持つ核爆弾。核爆弾の小型化に成功し量産され、1952年7月から67年半ばまでの間に、約470個造られ空軍、海軍に実戦配備された。最も長期間にわたって配備された核爆弾の1つ。重さは約770キロ、長さ約5.5メートルなど10種類がある。

MK28
最高1.4メガトンの破壊力を持つ水爆。58年8月から米空軍、海軍に配備された。実戦配備の水爆としては米核兵器史上草分け的存在。87年半ばで、約1000個が貯蔵された。重さ約930キロ、長さ約4.2メートルなど5種類ある。(中日新聞 1995/08/29)

湾岸戦争で核使用を計画 パウエル前議長、自伝で秘話
【ニューヨーク9日=ロイター】10日発売の米誌タイムに掲載されるパウエル前米統合参謀本部議長の自伝の中で、湾岸戦争の際、パウエル前議長が核兵器使用に関する秘密報告書を作成したものの、最終的にはこれを破棄した、との秘話を明らかにしていることが分かった。
「わがアメリカの旅」と題された自伝によると、チェイニー国防長官(当時)がイラク軍に対して核兵器を使用する可能性を打診、これにパウエル前議長はいったん反対を示したものの、チェイニー長官がさらに迫ったため、報告書を作った。
パウエル前議長は「砂漠に散開するたった1個機械化師団に大きな打撃を与えるためだけでも、相当の数の小規模戦術核兵器を必要とする」とし、「私はこの分析を長官に示した後、報告書を破棄した」としている。(朝日新聞 1995/09/11)

仏機関が細菌作戦計画 10年前、反核運動を妨害
【パリ15日=磯松浩滋】核実験に反対するグリーンピースの行動を阻止するため、仏情報機関は黄熱病などのウイルス注射作戦まで計画していた−−。11日のルモンド紙によると、10年前の1985年9月にフランスの核実験に反対する活動をしていた、カリブ海のオランダ領アンティルに停泊していたグリーンピースのメンバーに対し、仏対外治安総局(DGSE)が予防接種と称して、黄熱病や激しい下痢を引き起こすウイルスを注射し、メンバーの活動を妨害する計画を立てていた。同紙はDGSEに近い筋から情報を得たという。
DGSEは同年7月、ニュージーランドのオークランド港でグリーンピース調査船「虹(にじ)の戦士」を爆破、メンバーの1人を死なせていた。その後も続く活動を妨害するため、同情報機関はこの計画を立てたが、過激すぎるとの理由で変更された。結局、地元税関を抱き込んで、停泊中だったグリーンピースの船の出港を遅らせたという。(朝日新聞 1995/09/16)

米政府、責任認める 冷戦時の放射能人体実験 大統領諮問委 最終報告書
【ワシントン3日=北島重司】国防総省など米政府機関が冷戦時代に実施した放射能人体実験を調査していた大統領諮問委員会は3日、実験は1944年から74年まで約4000件にのぼり、ほとんどは医学実験として適正なものだったが一部は倫理的問題があったとして、政府の責任を認め、被験者への補償と謝罪を求める最終報告をまとめた。クリントン大統領は同日、補償の具体策を検討するよう関係機関に指示し、再発防止のために実験被験者の保護を目指す全米生命倫理諮問委員会を新たに発足させた。
報告書は、数十万点にのぼる原子力委員会(エネルギー省の前身)の文書をはじめ、国防総省、米航空宇宙局(NASA)など政府機関の資料から放射能人体実験は約4000件と推計した。しかし、ほとんどのケースは医学研究などに重要で、健康被害を起こすものではなかったと結論した。
しかし、40年代に計18人に対して行われたプルトニウム注入人体実験や第2次大戦直後から70年代まで大学病院などで行われた放射線全身照射など3種の約30人に対する実験は、「実験と身体的被害の因果関係が明確」とし、倫理的な問題があったことを認めた。
クリントン大統領は「政府には、過ちを認める道徳的責任がある」と謝罪する一方、最善の救済策を検討していきたいと述べた。
この最終報告に、人体実験の被害者団体は「補償対象が限定されすぎている」と反発している。(朝日新聞 1995/10/04)

米艦船入港 核搭載の有無問わず 日本政府『約束』 米公文書で初確認
【ワシントン27日共同】日本政府は、米核兵器搭載艦船の日本への入港に際しては「核兵器の存在を肯定も否定もしない」(NCND)との米海軍の原則を尊重して、核搭載の有無を問うことを避け、自由な通航を認めてきたことが27日、米外交文書と元米政府高官の証言で初めて確認された。
このほど秘密扱いを解除された米国務省メモによると、日本政府は沖縄沖で起きた核搭載機転落事故(1965年発生)が明るみに出た89年5月、「NCNDの厳格な維持の重要性」を米側に伝達、現実には米核艦船の寄港と領海通過を事前協議の対象にしないことを約束してきたことが分かった。
また、60年安保改定交渉に詳しい元米政府高官は共同通信に対し「安保条約調印の際、岸首相とアイゼンハワー大統領が、日本はNCNDを尊重するとの秘密文書を交わした」と指摘。米核艦船通航の根拠が35年前に交わされた日米間の秘密文書にあると明言した。
政府は公式には、一時寄港・領海通過を含む核持ち込みは安保改定の際の岸・ハーター(国務長官)交換公文により事前協議の対象となった、との解釈を示し、これまで「米側からの事前協議がない以上、核兵器の持ち込みはない」との立場をとってきた。
核の存在を肯定も否定もしないとの米海軍の原則を日本側が尊重するという形で、抜け道が設けられたことが判明したのは初めて。過去何度も繰り返された持ち込み疑惑の真相がこれで解明された。
国務省メモは89年5月15日付でベーカー国務長官(当時)あて。沖縄の東沖合で65年12月、空母タイコンデロガの艦載機が搭載した水爆とともに甲板から転落、空母はその2日後、横須賀に入港した――との事実を国際環境保護団体グリーンピースが89年5月米海軍文書を入手し暴露、波紋を広げたことに関するもの。

『米軍核兵器の持ち込みない』 政府、従来見解を強調
政府は27日、「核兵器の存在を肯定も否定もしない」(NCND)との原則を日本政府が尊重する方針を表明した米外交文書について「文書を確認していないため、論評はできない」(外務省)としているが、核持ち込みについては事前協議制度が機能しており、NCNDにかかわりなく、これまでに核が持ち込まれたことはない、との従来の見解を強調している。
また、1960年の日米安保条約改定交渉の際に、当時の岸信介首相とアイゼンハワー米大統領との間で交わされた、と指摘された「日本はNCNDを尊重する」との秘密文書の存在についても否定している。

米国務省メモ全文
米国務省の1989年5月15日付「日本―1965年核兵器紛失事故」と題する国務長官あて重要メモの全文は次の通り。
一、沖縄東方約128キロ沖での米海軍機と水爆の紛失に関する報道は、日本国内で強い不安を起こし、米マスコミもかなりの報道をしている。
一、この空母が2日後に横須賀に停泊した事実は、米国の核搭載可能艦船が核艦船通航に関する日本の政策を日常的に「無視」しているとの疑惑を強めた。
一、加えて、核兵器搭載に関する元乗組員のマスコミへの証言は、核兵器の存在に関しては肯定も否定もしないとする米国の政策への圧力を高めた。
一、われわれは環境への影響評価(無害)とともに、事故に関するさらに詳しい内容を国会での利用のために日本政府に提供した。日本政府はこの追加情報を高く評価し、肯定も否定もしないとする米国の政策を厳格に維持することの重要性を強調した。(ワシントン、共同)(中日新聞 1995/10/28)

武器輸出 5大国なお突出 輸入目立つアジア各国 国連発表
【ニューヨーク1日=共同】国連は1日、通常兵器移転登録制度に従って84カ国が報告した1994年の兵器輸出入量を発表、5大国(米、ロシア、英国、中国、フランス)の兵器輸出が依然圧倒的な量に達していることが分かった。また、アジア各国の兵器輸入も目立っている。
報告によると、米国は84カ国の総戦車輸出量の6割に当たる702両を、装甲戦闘車両も3割に当たる1036両を輸出。このほか大口径火砲を121門、戦闘用航空機82機、ミサイルおよび発射装置316など、総輸出量は群を抜いている。
英国、フランスがこれに続き、中国も戦車82両をパキスタンに、軍艦5隻をイランに、1隻をタイに輸出した。
ロシアは報告しなかったが、他国の輸入報告から大口径火砲をインドに120門、ミサイルおよび発射装置をハンガリーに342など、多量の輸出がうかがえる。
一方、輸入については、タイの戦闘用航空機(チェコから36機)、マレーシアの大口径火砲(フランス、イタリアなどから)、フィリピンのミサイル(米国から)など、アジア諸国が目立っている。
通常兵器移転登録制度は兵器移転の透明性の確保のため、日本の発案で3年前に創設されたが、毎年報告国は80カ国強にとどまり、世界全体の兵器の輸出入量はつかめていない。

日本は米からミサイル輸入
【ニューヨーク1日=共同】国連が1日に発表した通常兵器移転登録制度による通常兵器輸出入報告(1994年)によると、日本は米国から91のミサイルおよび発射装置を輸入した。
日本は92年報告では76、93年報告で136のミサイルおよび発射装置を米国から輸入した、と報告している。(朝日新聞 1995/11/03)

パレスチナ人少年、撃たれ死亡
【エルサレム支局4日】イスラエル占領地ヨルダン川西岸で3日、イスラエル・ナンバーの車に投石していたパレスチナ人少年(14)が銃で撃たれ、死亡した。パレスチナ側の情報によると、少年たちが投石したところ運転していたユダヤ人入植者とみられる男は停車し、発砲したという。(朝日新聞 1995/11/05)

広島・長崎市長「核使用は違法」 国際司法裁判所で証言
政府は判断示さず

【ハーグ(オランダ)7日=国末憲人、星井麻紀】核兵器の使用や威嚇が違法かどうかをめぐり、国連総会などから勧告的意見を求められている国際司法裁判所(ICJ)は7日、口頭陳述法廷を開き、被爆地を代表して広島市の平岡敬、長崎市の伊藤一長両市長がそれぞれ日本政府証人として証言した。両市長は、市民を大量無差別に殺傷し、放射線障害による苦痛を与え続ける核兵器の使用が「国際法に違反する」と明言し、政府の基本姿勢と食い違いを見せた。一方、日本政府を代表した外務省の河村武和軍備管理・科学審議官は、核使用が「人道主義の精神に合致しない」という従来の見解をあらためて述べ、違法かどうかの政府判断を示さなかった。

口頭陳述は10月30日から始まり、アルファベット順でオーストラリア、フランス、ドイツなどがこれまでに陳述、7日までに10カ国の政府代表が陳述した。15日まで行われ、さらに米英など11カ国が陳述の予定だ。
平岡市長は「やけどで皮膚が縮まって耳たぶが半分になり、左手の指が付け根のところで寄り集まってしまった」という被爆女性の手記などを通じて、核攻撃が生む惨状を説明。「戦後50年たった今なお、多くの人が放射線による障害に苦しんでいる」と証言し、「核兵器による被害は、国際法で使用を禁じられているどの兵器よりも残酷で非人道的だ」と、核使用の違法性に言及した。
そのうえで、市民を無差別に殺傷し放射線障害による苦痛を継続的に与える核兵器使用は「国際法に違反する」と明言した。
このあと証言した伊藤市長は、原爆の惨状を描写した写真パネルを裁判官の前に並べ、核による無差別攻撃の非人道性を訴えた。
さらに、戦闘に関する国際法では兵器の選択は無制限ではなく、(1)文民を攻撃すること(2)不必要な苦痛を与えること(3)環境を破壊することが、禁止されていると陳述。核兵器の使用はこれらの禁止事項に該当するとして、違法性を具体的に指摘した。
両市長の証言に先立ち、陳述した河村審議官は、国際法の見地からの論議をほとんど展開せず、核兵器の使用は「国際法の思想的基盤にある人道主義の精神に合致しない」と述べるにとどまった。さらに同審議官は陳述の中で、両市長の証言について「事実以外の発言があれば、必ずしも政府の見解を表明するものではない」と語った。
政府は昨年、「核使用は国際法上、違法とまでは言えない」という文言を盛り込んだ陳述書を提出しようとしたが、国会などで批判され、この部分を削除した。しかし政府は、この基本姿勢は「変わらない」との立場だ。
ICJは、世界保健機関(WHO)や国連総会から核兵器の使用に関する法的判断の「勧告的意見」を求められていた。来春にもICJとしてどのように対応するか、の結論が出る見通しだ。(朝日新聞 1995/11/08)

国際司法裁で証言 被爆の実態、赤裸々に
広島市長「人間の知性の退廃」 長崎市長 爆死の写真手にとり
【ハーグ(オランダ)7日=国末憲人、星井麻紀】むごたらしい被爆地の写真パネルが、半世紀前の記憶を「世界法廷」によみがえらせた。7日、ハーグの国際司法裁判所で、広島の平岡敬市長(67)と長崎の伊藤一長市長(50)は、原爆による無差別大量殺りくの悲惨さを証言した。そして、「核兵器の使用が国際法に違反するのは明らかだ」。千羽づるを持った被爆2世や被爆者、海外の平和運動家たちが傍聴する中で、被爆都市と、「違法かどうか」を言うことを避けた日本政府との落差が際立った。

午前10時すぎ、黒い法服を着た14人の裁判官が、一列に並んで左手のドアから大法廷に入って来た。中央にアルジェリア出身のベジャウィ所長。日本から選ばれている小田滋裁判官も、その隣に着席した。
まず、外務省の河村武和審議官が陳述台に立った。「非核3原則」を紹介し、日本政府が軍縮に貢献してきたことを説明した。しかし、肝心の「違法かどうか」には直接ふれず、避けて通った。
平岡市長はモーニング姿の背筋を伸ばした。ハーグの大法廷では礼服を着るのが慣例だ。「非業の死を遂げた多くの死者たち、放射線障害に苦しむ被爆者たちに代わって核兵器の残虐性、非人道性を証言します」。日本語で読み上げる証言は英語とフランス語に同時通訳された。
平岡市長は約30分の証言の中で、核抑止論を「人間の知性の退廃」と述べ、「人類の運命は、いま、あなた方の手の中にある。神のごとき明察と人間への愛をもって、判断を下していただきたい」と締めくくった。
長崎の伊藤市長は、よく通る声で一言ずつ言葉を区切りながら「私たち長崎市民を最後として、原子爆弾による犠牲が2度と再び、生み出されることがないよう厳正なる審理を願う」と語り始めた。
持参した50センチ四方の大きさの写真パネルを4枚、裁判官席からよく見えるように、陳述台の後ろにある台の上に置いた。その中の1枚は、爆心付近で焼け死んだ黒焦げの少年の遺体の写真だ。
「この子どもたちに何の罪があるのでしょうか」。裁判官の中には、思わず目をそむける人もいた。「すべての核保有国の指導者は、この写真を見るべきです。この子らの無言の叫びを感じてほしい」。伊藤市長は何度も写真を手に取って持ち上げた。
証言が終わると、ベジャウィ所長が「感動的な証言に感謝します」と述べた。
外務省がハーグへの出廷を申請した9月に伊藤市長は「国際法違反を言いたい」と話した。しかし、「違法とまではいえない」とする外務省から再三にわたって証言内容に「指導」を受けた。最後は広島市に支えられる形で「違法」明言にふみきった。

「政府の言葉腹立つ」 被爆者
傍聴席では、日本からの代表団や被爆者ら十数人が証言に聴き入った。
4歳の時、広島の爆心から4キロのところで被爆した東京都在住の月下美紀(よしのり)さん(54)は両市長の証言を聞いて、「これだけのメッセージが世界に向けて、伝えられたのは初めてだ。広島の役割がますます大きくなった」と語った。
伊勢市在住の被爆者西山辰雄さん(67)は、政府代表が両市長の証言に対し、「政府の見解ではない」とあえて付け加えたことについて、「2人の市長の証言が感動的だっただけに、政府のあの言葉には腹が立った。日本人として情けない」と語った。
千羽づるを首にかけて傍聴席から陳述台を見つめていた広島市西区の上本全代さん(40)は被爆2世。
「いくら被爆体験を語っても、違法だと明言しない限り、市長が証言する意味はない。違法性をあやふやにしては、悲劇は繰り返されてしまう」。市長の証言に期待をかけ、生協のハーグ訪問団に参加した。聞き終えて、「感無量です。裁判官が広島を訪問し、被爆者の声を直接聞いてほしい」。(朝日新聞 1995/11/08)

2市長・政府の証言要旨
平岡・広島市長
【ハーグ(オランダ)7日=国末憲人】私はここで、核兵器廃絶を願う広島市民を代表し、特に原爆により非業の死を遂げた多くの死者たち、そして50年後の今もなお放射線障害で苦しんでいる被爆者たちに代わって、核兵器の持つ残虐性、非人道性について証言します。
当日、広島市には約35万人がいました。原爆投下で1945年12月末までに、約14万人が死亡したと推定しています。急性障害は、4カ月くらいで下火になりましたが、被爆後5、6年して、後障害が大きな問題となりました。ケロイド、白内障、白血病、がん、胎内被爆者に生じた知的障害・発育不全を伴う小頭症などです。
私の親せきや多数の友人が犠牲となりました。当時、女学校1年生だったいとこは爆心地から800メートルの地点で被爆し、亡くなりました。裁判官の皆様方には、ぜひ広島・長崎を訪れて、被爆の実相を検証し、理解を深めていただくようお願いします。核兵器の問題を考えるためには、まず、生き残った人々の悲惨な体験を聞き、被爆資料に触れることは欠かせないことだからです。
市民を大量無差別に殺傷し、放射線障害による苦痛を与え続ける核兵器の使用が国際法に違反することは明らかであり、その開発・保有・実験も非核保有国にとっては、強烈な威嚇であり、国際法に反するものです。
人類の運命は、今あなた方の手の中にあります。どうか、神のごとき英知と明察と人間への愛をもって、この核兵器の問題に対して、正しい判断を下していただくようお願いします。

伊藤・長崎市長
【ハーグ(オランダ)7日=星井麻紀】この機会に、私たち長崎市民を最後として、原子爆弾による犠牲が、地球上で再び生み出されないよう訴えます。核兵器廃絶を願う長崎市民の切なる思いを述べます。
被爆から4カ月後、死者約7万4000人、負傷者約7万5000人、市民の3分の2が犠牲となりました。
戦闘に関する国際法では、兵器の選択について無制限な自由は認められておらず、禁止を明文化されていない兵器でも、(1)文民を攻撃すること(2)不必要な苦痛を与えること(3)環境を破壊することは禁止されていると聞いております。核兵器の使用は、まさしくこれらの禁止事項に該当し、国際法に違反していることは明らかであります。
長崎では、毎年8月9日の平和祈念式で「長崎平和宣言」をしています。私は今年の平和宣言で、我が国は、核兵器使用が国際法違反であることを明確に主張するとともに、国是としている「核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず」の非核3原則を法制化し、同時にアジア太平洋地域の非核地帯創設に務めるよう、我が国政府に提唱しました。
核兵器の保有によって、敵対する相手の核兵器使用を抑制しようとする「核抑止論」は、恐怖の均衡を保つことにほかなりません。
長崎では毎年、被爆者約1300人が亡くなり、6万2000人が原爆後障害の恐怖におびえる日々を送っております。人類の文化と歴史に終止符が打たれないよう、人類愛の見地に立った判断を心から願います。

日本政府
核兵器の使用は、その絶大な破壊力、殺傷力の故に、国際法の思想的基盤にある人道主義の精神に合致しないと考える。
我が国は、広島・長崎の悲惨な被爆体験を踏まえ、核兵器が2度と使用されることがあってはならないと考える。惨禍を2度と起こさないために、国際社会が一致して努力していくことが重要であると考えている。
具体的には、非核3原則を堅持するとともに、核兵器の究極的廃絶に向けて努力していく。すべての核保有国に、究極的廃絶という目標に向けて一層の核軍縮を行うよう求める。
さらに、核不拡散条約(NPT)会議でも第1目標として決定された包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期妥結に積極的に貢献していくとともに、あらゆる核実験の即時停止を強く訴えたい。(朝日新聞 1995/11/08)

イスラエル極右代表にスパイ説 全メディアが報道
【エルサレム19日=村上宏一】イスラエルの全メディアは19日、ラビン首相暗殺犯人が所属していた極右組織エヤルのアビシャイ・ラビブ代表が、治安対策の秘密警察シャバクのスパイとして極右活動家の情報を提供したり、暴力活動をあおったりしていたと報じた。本人は否定しているが、このスキャンダルは、首相暗殺事件で右翼に対して強まった逆風を押し戻すのに利用されそうだ。
騒ぎに火をつけたのは、パレスチナ自治の拡大に反対するユダヤ人入植者らの運動体「これぞ我が郷土」の一指導者。先週末、「ラビブ代表がスパイである証拠を持っており、暗殺事件の調査委員会に提出する」と発表した。
19日付のハーレツ紙は、治安当局筋の情報として(1)ラビブ代表は2年前、パレスチナ人やイスラエル要人に対する暴力を防止する目的でシャバクに雇われた(2)任務は、極右組織やその活動に関する情報を提供すること(3)本人は、右翼活動に関する言動を理由には逮捕されないと約束された、などと報じた。
シャバク側は、同代表がスパイであるとの報道を肯定も否定もしていない。
右派陣営は、治安当局が右翼攻撃の材料をつくる工作をしていたとして、反撃に出ている。(朝日新聞 1995/11/20)

「制裁でイラクの幼児死亡増」
【バグダッド10日=AFP時事】イラクのムバラク保健相は10日、同国では今年に入ってからこれまでに2万1000人以上の幼児が死亡しており、幼児の死亡件数の増加は国連の経済制裁によるものだと非難した。
同保健相によると、5歳以下の幼児の死亡件数は、イラクに対する制裁が開始された1990年は年間8906人だったのに対し、今年は既に2万1067人に達している。早産の件数も今年は昨年1年間に比べ22%増加しているという。(朝日新聞 1995/12/12)

レノン国外追放計画あった ニクソン政権時 反戦運動にらまれ
【ニューヨーク14日共同】ニクソン政権時代の1970年代初め、ビートルズのメンバーでベトナム反戦運動にかかわっていた故ジョン・レノンの国外追放を、米政府が準備していたことを示す公文書が14日、カリフォルニア大学のジョナサン・ウィーナー教授(歴史学)によって公開された。
教授が情報公開法に基づいて米連邦捜査局(FBI)から入手した約250ページのレノン関連文書を分析、発表した。
文書の中に、レノンを国外追放処分にできる根拠を列挙したホワイト・ハウスからFBIにあてたメモがあり、根拠の1つとして麻薬など禁制薬物の使用が含まれていた。
レノンがFBIの身辺調査を受けていたことは明らかになっていたが、ニクソン政権が国外追放を準備していたことが裏付けられたのは初めて。
FBIは当初、文書の公開を拒否していたが、ウィーナー教授の請求で裁判所が公開を命令した。文書は全体で300ページあるとされ、一部は非公開のままという。(中日スポーツ 1995/12/16)



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