
Macintoshがこの世に初めて誕生したのは1984年。通称“Mac”で親しまれている「Macintosh」とは、Macのコンセプト提唱者ジェフ・ラスキンが考えついたネーミングで、綴りが少し異なるが、カナダ原産のリンゴ「McIntosh」に由来する。そのコンパクトなモニター一体型のコンセプトは、現在もiMacへと引き継がれている。そしてMacintosh伝説の幕開きとして語り継がれているのが、デビュー直前に流された伝説の予告CM『1984』だ。1984年1月、アメリカでもっとも人気のある「スーパーボール」の中継どきに放映され、結局わずか数回のみでこのCMは以後放映されることはなかった。『1984』を手がけたのは、映画『ブレードランナー』で知られるリドリー・スコット監督。もちろんタイトルに『1984』とあるように、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』が下敷きになっている。内容の方はというと、手にハンマーを持ち、MacのTシャツを着た女性が駆け込みながら、巨大なテレスクリーンに映る独裁者ビッグブラザーに向かってそのハンマーを投げつけ、その独裁者を粉々に打ち倒す、といった超過激な映像で、そこに次のメッセージがテロップで流れる──

支配者に立ち向かっていく女性とは、つまりアップル自身であり、そこに描かれている独裁者とは当時コンピュータ業界を支配していたIBM/PCのことだったと言われてもいる。「残された人びとのためのコンピュータ」("The Computer for the rest of us")、それがMacの拠りどころだった。ところでこのCM、いま再放映してもじゅうぶん面白いと思うのだが、さて独裁者には一体誰を?
そして記憶に新しいところでもっとも感銘的だったのは、1997年9月に発表された『Think different.』広告キャンペーンであろう。アインシュタイン、エジソン、ガンジー、ジョン・レノン、ピカソ、ヒッチコック、モハメド・アリなど、偉業を成し遂げた人物のフィルムをつなぎあわせたモノクロのCMだが、そこに流れるナレーション(以下訳文はアップルのWebサイトから転載)とともに強烈なメッセージを訴えかけた──

現在これらのコマーシャルは、下記YouTubeで閲覧できるほか、非公式サイトながらこちらでもムービーを見ることが可能だ。ただし英語版のみ。要QuickTime。日本語版の『Think Different.』はこちらまで (※閉架資料:メール照会にて閲覧可)。
■Apple - 1984
■Apple - Think Different.
かつてMacを“知の自転車”("Wheels for the Mind")と名付けたスティーブ・ジョブズは、1997年8月ボストンで開催されたMACWORLD Expoの基調講演でこう語っていた──
現在でも、アップル社のコンピュータを買うには、普通の人々と少々違っている必要があると私は考えています。Macを買う人はクリエイティブな人間であり、仕事をこなすために働いているのではありません。世界を変えるために働いているのです。彼らは世界を変えていくために、常に最高の道具を求めます。私たちは、そのような人たちのための道具を作っているのです。(中略)これまでも、アップルの製品を買う人は「ちょっと変な人」と言われてきたはずです(笑)。しかしその変わっているところから、天才が生まれてくるのです。そして、私たちアップルは、そういう人たちのためのツールを作り続けていくのです。
(『MacPower』 1997年10月号)

【2001/09/12 江原・記】
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「Macintoshの父」ジェフ・ラスキン氏が亡くなる
「Macintoshの父」として知られているジェフ・ラスキン氏が2月26日、癌で亡くなったと複数のWebサイトが報じた。61歳だった。
ラスキン氏はMacintoshのオリジナルのアイデアを考えつき、Apple Computerでプロジェクトを進めていたが、そののちに当時のスティーブ・ジョブズ氏にプロジェクトを奪われたという経緯がある。同氏はMacintoshの名付け親とも言われている。
2004年のMacworld Expo/Bostonで行われたMacintosh開発チームのオリジナルメンバーによる「同窓会パネルディスカッション」でラスキン氏はMacintoshプロジェクトがApple誕生以前から存在していたことを明かし、ユーザーインタフェースの専門家である自分と「ボックスは理解していた」というジョブズ氏とは確執があったことを認めている。
ラスキン氏は後に新たなユーザーインタフェース論「ヒューメインインタフェース」を提唱し、その実行のための組織「The Raskin Center」を設立した。彼のコンセプトを実現するための実証プログラムとして、3月1日を目標に「AARDVARK」(Archy Alpha Release Development Version Archy)がリリースされる予定となっている。(ITmediaニュース 2005/02/28)オリジナルMacチームのJ・ラスキンが死去
マンマシン・インターフェースの専門家で、Apple Computer在職時にはMacintoshプロジェクトの立ち上げに大いに貢献したJef Raskinが、米国時間2月26日に61歳で亡くなった。「The Humane Interface」という著書もあるRaskinだが、死因は癌だったと、同氏の自宅で電話に答えた男性が明らかにした。
Raskinは1978年1月に31番目の社員としてAppleに入社。その後1982年に同社を去ることになったが、この時のSteve Jobsとの仲たがいはよく知られている。
同氏は元カリフォルニア大学サンディエゴ校の助教授で、1970年代にStanford Artificial Intelligence Laboratoryに客員研究員として赴任していた当時、Xerox Palo Alto Research Center(PARC)を初めて訪れた。Appleは、PARCで開発されたグラフィカル・ユーザインターフェース(GUI)をコピーして、Mac OSに組み込んだとよく非難される。
「PARCができて間もない頃、私は研究者の立場でよく遊びに行き、議論に参加したり、開発中の技術の一部を見て喜んでいた。またPARCの研究者のほうも、ユーザインターフェース(UI)に関して私が彼らとかなりよく似た考えを持っているのを知って喜んでいると思った。私には、UIとグラフィックが将来のコンピュータにとって最も大切なものになる、という考えを売り込む必要がなかったからだ」と、同氏は後に書いている。
Raskinは1976年にSteve JobsとSteve Wozniakに初めて出会った。当時2人が仕事場にしていたガレージで、Raskinは自分がPARCで目にしたものの話をした。同氏はAppleで働き始めたのを機にPARCに足を運ぶのをやめたが、これは「利害衝突の可能性を避ける」ためだった。
Raskinはその後JobsがMacintoshプロジェクトに口を出すことが多くなったのを受け、同社を去ることにしたとされている。
RaskinはAppleを去った後、Canon Catというマウスやアイコン、グラフィックを使わないテキストベースの小さなコンピュータを設計した。しかし、Canon USAのマーケティングがうまく行かなかったことから、この製品は短命に終わった。
Raskinはニューヨーク大学で数学と心理学の学士号を取得し、ペンシルベニア州立大学からコンピュータ科学の修士号も取得している。(CNET Japan 2005/02/28)
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