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米軍特殊部隊、日本で生体実験か幻覚剤LSD使い自白を強要
1976年4月28日(中日新聞)米軍特殊部隊、日本で生体実験?
62年のベトナム戦争当時 幻覚剤使い自白迫る
【ワシントン27日時事】米陸軍のLSD特殊部隊が日本を舞台に活動していたことが、27日午後米陸軍省の公表した調査報告によって明るみに出た。これは上院情報活動調査特別委員会(チャーチ委員長)が、海外において幻覚剤LSDをスパイ容疑者などに自白を強いるための生体実験に使っていた事実を明らかにしたのを受けて、これまで極秘扱いにしていた陸軍自体の調査報告を公表したもの。
同報告によると、61年中に欧州でLSDの生体実験を行った米陸軍化学戦研究所(メリーランド州エッジウッド基地)の特殊目的班は、同様の実験をアジア・太平洋地域でも行うため、翌62年2月27日にハワイの米太平洋陸軍司令部に派遣された。特殊部隊の編成は、LSDを投与する軍医中佐1人と、尋問を担当する情報将校2人(いずれも陸軍少佐)から成り、6月から活動を開始している。
これによると、アジア地域でのLSD生体実験「ダービー・ハット作戦」に従事していた特殊目的班(SPT)は1962年夏から同年11月にかけて日本におり、それからおそらく南ベトナムへ向かったことが示されている。
陸軍省の生体実験に関する調査報告は全文259ページ、前文を除き11章から成っているが、海外での生体実験について述べた第9章は地名その他重要事項が削除されでおり、どの国で何国人に対しLSDの生体実験を行ったのかわからないようになっている。しかし、検閲官の手落ちのためか、146ページに1カ所だけ、削除されなかった地名がマジックインクで消してあり、消し方が不十分なため「IN JAPAN」とタイプ印刷されているのが確認された。
LSD部隊のそれから先の足どりは、報告の主要部分が大幅に削除されているため明確につかめない。報告の一部を引用すると、「特殊チームは10月の終わりに(…削除…)に移動した。この間、情報将校の1人はチームから離れて(…削除…)に赴いた。ところが、(…削除…)で米軍の将校が薬剤の服用から入院したとの報告が入ったため、全員(…削除…)に集結した」といった記述が続いている。
しかし問題の146ページでは、「1962年11月の末に、SPTは陸軍参謀本部情報局から、新たな命令があるまで(5字削除)にとどまるよう指示された。チームの1人はすでに米国へ向かっていたが、あとの2人は“日本に”(この部分削除もれ)とどまり、次の命令を待っていた」と、一行が日本にいたことが明らかにされている。この文脈からみて、削除された5字がJAPANだったことは確実である。
このあとSPTは、太平洋地域での作戦を60日間延長して某地点(13字削除)へ赴くよう、同年12月初めに命令を受けている。当時、南ベトナムでの情報活動が米軍にとって緊急事だったことからみて、削除された13字はSOUTH VIETNAMだったとみられている。日本にとどまっていた2人の将校は、62年12月7日に同地の6文字削除の場所(SAIGON?)に到着するよう命じられ、同地に赴いた。しかし報告によると、SPTは、同地ではLSDの投与実験は行わなかったという。その理由として、報告は(1)適当な対象が見つからなかったこと(2)機密を保ち、かつ安全を確認できる適当な場所がなかったこと──などを挙げ、「いかなる理由からにせよ、同地でLSDを使用したとの証拠は発見されていない」と述べている。
陸軍省報告ならびに上院特別委の報告によると、SPTはアジアでの「ダービー・ハット作戦」で、麻薬密売人やスパイ容疑者など7人の外国人に対し、予告や同意なしにLSDを飲ませ、自白を強要している。7人の国籍は陸軍省報告でも伏せられているが、一行がかなりの期間日本にいたことが確認され、さらに最後の目的地だったとみられる南ベトナムではLSD投与のチャンスがなかったことが明らかにされたことからみて日本を舞台にLSDの生体実験が行われていた疑いが極めて濃厚となった。また、生体実験の対象者の中に日本人が含まれていたかどうかは、日本政府が米側に対し陸軍省報告の削除部分の公表を求めれば、おのずから明らかになるとみられている。
1976年4月5日(読売新聞)厚木にLSD保管 CIA、人体実験か 朝鮮戦争時
【ワシントン4日=高浜特派員】ロッキード事件に関連して、米中央情報局(CIA)の日本での暗躍ぶりが暴露されているが、読売新聞ワシントン支局はこのほど、CIAの日本国内での活動の一端を知るCIAメモを入手した。このメモは1953年12月1日付で、CIAの調査部長から監査局長にあてた「LSD(幻覚剤)使用に関するメモ」。これによると、CIAは当時、「米国内での販売を禁じた実験用のLSD」を厚木米軍基地内に保管していたことがわかる。CIAの常駐工作員はわが国に60人から75人いるといわれ、そのほとんどが厚木基地を根拠地としているとされているが、朝鮮戦争終結から半年後のこの時期に、なぜCIAが厚木に“危険な薬品”を持ち込んでいたのか。米専門家の間には、朝鮮戦争で捕虜にした北朝鮮、中国の兵士への生休実験に使ったのではないかとの見方も出ている。
このメモによると、CIAは当時、LSDを、米国内ではCIA本部技術局と財務省ニューヨーク支部麻薬局に保管、残りは厚木とマニラに置いていた。同メモは、なぜLSDを厚木に置くべき理由があったのか、また実際に使われたか否かについては、一切言及していない。
同メモを読むと、これは、CIA監査局長が当時、CIAが所有していたLSDの数量、その保管場所、生体実験の状況について問い合わせてきたのに対し、調査部長が答えているものであることがわかる。同部長は、担当官である技術局長、ウィリス・ギボンズ博士に調査を依頼、同博士は(1)CIA当局者が計画あるいは実施してきたLSD実験は53年12月1日付で停止され、その旨“現場”にも訓電を出している(2)CIAが所有するすべてのLSDは、同博士の金庫、ニューヨークの財務省麻薬局ジョージ・ホワイト局長の金庫、海外では厚木とマニラの4か所に分散して保管している(3)実験停止命令と同時に“現場”に対しては、保管するLSDの数量、保管責任者名を報告するよう命じている──と回答している。
LSDといえば、60年代に、米国の青少年層の間で流行、米当局は取り締まりにきびしい監視の目を光らせてきた。その危険物がそれよりも十数年前に、CIAの手でなぜ厚木に運び込まれたのか。CIA秘密活動に詳しいジョン・マーク国家安全保障研究センター研究員は、いくつかの可能性の1つとして、朝鮮戦争時、捕虜にした北朝鮮、中国兵士を生体実験の対象にするため、距離的にも近い厚木に運び込んでいたようだ、と解説している。
そのほか、専門家の間には(1)捕虜になった米兵が洗脳されており、それを“逆洗脳”するためLSDを使っていた(2)日米安保条約調印から2年、日本国内の政情不安定を憂慮して、対日本人“危険分子”用に使うことを考えていたなどの見方もある。<LSD> 微量で激しい幻覚作用を起こし、ヘロインよりも麻薬性が強いといわれる。昭和40年ころアメリカのヒッピーらの間で流行していたが、厚生省では日本での流行を警戒して45年2月に麻薬に指定して監視、取り締まりに乗り出した。
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