喜納昌吉と笠木 透──個立無限



これまで私は歌を聴きながら不意に涙ぐんでしまったことが2度ほどある。忘れもしない2003年11月1日、東京で開かれた「東北アジアの平和を考えるピースシンポジウム」で、喜納昌吉が『花 〜すべての人の心に花を〜』を熱唱してくれた。いつの間にか自然と落涙していた。そして2度目はつい一昨日の7月18日京都で開かれた「宵々山コンサート」で、笠木 透が『海に向かって』を朗唱したときにも涙してしまい、私にとってはともにどちらも得がたい幸福なひとときであった。



花 〜すべての人の心に花を〜
(詩・喜納昌吉)

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れがつくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ


涙流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れをこの胸に
花として 花として 迎えてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ


花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが自然の歌なのさ
心のなかに 心のなかに 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ






海に向かって
(詩・笠木 透)

わたしは ひとり 海に向かって
立っているのです
海の風に 吹かれながら
立ちつくして いるのです

あふれる思いを
とめようもありません
何が 私に
出来ると言うのでしょうか

わたしは ひとり 海に向かって
立っているのです
海の風に 吹かれながら
立ちつくして いるのです

こわれる世界を
とめようも ありません
分かって いるのに
どうにも 出来ないのです

わたしは ひとり 海に向かって
立っているのです
海の風に 吹かれながら
立ちつくして いるのです

流れる 涙を
とめようも ありません
それでも それでも
せいいっぱい 生きたいのです

それでも それでも
せいいっぱい 生きたいのです



■喜納昌吉 - 花 〜すべての人の心に花を〜


言うまでもなく『花』は喜納昌吉の代表作であるばかりでなく、今日国境を越えてさまざまな国でカバーされるなど世界的に知られている、ジョン・レノンの『イマジン』と双璧をなすと言ってもいいくらいのスタンダード・ナンバーである。この歌が世界中でヒットしていることについて、喜納当人は「2年前の読売新聞の調べで世界60カ国で3000万枚売れたとあった。不思議なことに印税という概念のない国を選ぶようにヒットしているので経済的恩恵にはあずからなかった」と笑いながら答えている(2001年10月17日付「琉球新報」)。

喜納によれば、この歌は1978年秋、東京・渋谷にある東武ホテルのレストランで一気呵成に書き上げたという、それも紙ナプキンにである。それで興味深いのは、あの『イマジン』もニューヨークのヒルトンホテルで、それもメモ用紙に書き留められたということ。「本当にどこからか降りてきた気がする」と喜納がしみじみ述懐するように、名曲とは欲目や作為なく自然と生まれ出るのであろう。喜納は言う、「わたしはヒットさせるために曲を作ったことは一切ない。この曲も泣いて、笑って素直な心になり、人間の復権を目指そうという歌です」(2000年3月26日付「中日新聞」)。そしてこの歌の原点には、高校1年のときにテレビで見た東京オリンピック閉会式での1シーンがあると喜納は回想する。白人と黒人が人種を超えて歓喜し抱き合っている姿を見ながら、ただむしょうに涙が出てきたと。彼の言葉を援用すれば、「人びとの心が和合している」姿こそが「花」ということになろう。イデオロギーに関係なく誰もが自然と口ずさめるこの歌こそ、日本の象徴歌に、ひいては地球歌(アース・ソング)にふさわしいと私は思う。


核のバランス、力の均衡という視点から語られる「理性」概念は、
人間の本質を馬鹿にしている。
人類は武力に頼らなければ平和を保てないほどの知性しか持ち得ないのか。
人間はもっと目覚めることが出来るはずだ。

武器は、人類を覚醒させるものではない。
武器は、自分を守るためにあるのではない。
武器は、人を傷つけるためにある。
すべての基地を花園に

──喜納昌吉語録 2001


喜納の主張は首尾一貫している。他国から侵略されないためには「武器を持たなくてはならない」「戦力を保持しなくてはならない」と政治家や知識人たちは口角泡を飛ばすが、とうにこの日本はアメリカに侵略・植民地化されていよう。「もし他国が侵略してきたら、武器を持って戦うのが当然」と言うなら、ぜひその武器を手にアメリカと戦ってもらいたい。それとも、アメリカだけは例外的な存在なのか? かつての沖縄戦が教えてくれるように、ひとたび戦争になれば、軍隊は民衆を守らない。軍隊は軍隊を守るのであって、むしろ戦時において敵と交戦するのに民衆は邪魔なだけであり、しょせん国のため犠牲になるべき存在でしかない。「武装せずにどうやって戦うつもりなのか?」などと好戦的態度で軍備武装を扇動する輩にあっては、専守防衛や国際法違反などお構いなしで「他国に平気で侵略している」のはどうでもいいことらしい。しかし喜納の立場は明確だ。「イラク派兵の動機が『テロを恐れない、屈しない』というのならば、『アメリカの強権にも恐れない、屈しない』という一貫性を持つことが真実に裏づけられた大義と人道支援を可能にさせる」(2004年1月、沖縄タイムス「喜納昌吉の平和日誌」)。また喜納は、現在のアメリカを牛耳るネオコンについてもこう発言している、「ネオコンは権力にたかる寄生虫であり、以前からおり、日本にもいる。軍産複合体などは典型的な利権あさりだ。いまの米国のネオコンは〈米国+イスラエル〉だ」(2003年10月9日、うるま十・十平和祭りシンポジウム「38度線に虹の橋を〜国境を越える平和の波〜」レポート)。そして以下は、喜納の著書『すべての人の心に花を』(双葉社刊)から。


「いつの日か、争いあう人々が武器を捨て、世界中から戦争や破壊がなくなる」
それが私を動かす夢である。

非現実的だと、理想論だと笑われてもかまわない。
しかし、夢こそが理想を現実にする、最大のエネルギーなのだ。


そんな喜納は「見果てぬ夢」を追い求める現代のドン・キホーテなのかもしれない。だが、無謀なまでに風車に向かって突き進んでいく彼の行動力は、そして「夢見る力」は、愚直であっても愚かではない。



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(出典:憲法フォークジャンボリー公式サイト)


この『ピース・ナイン』は、フォーク・シンガー笠木 透が、「戦争の放棄」という日本国憲法第9条を守るために自ら発案・企画した「憲法フォークジャンボリー」のオリジナル・ソングとして書き上げた歌である。知名度という点で言えば、笠木 透はそれほど知られているわけではないが、実は彼こそ伝説的なコンサート「中津川フォークジャンボリー」の仕掛け人であり、今日までずっとフィールド・フォークの旗手として音楽活動を続けている人だ。このページの表題に掲げた「個立無限」という言葉は、笠木が生み出した造語だが、「孤立無援」でないところがいたく気に入っているので勝手に拝借した。

憲法9条と言えば、彼の作品集『私の子どもたちへ』(1993年)の中に、『あの日の授業──新しい憲法の話』というメッセージ・ソングが入っている。冒頭で触れた「宵々山コンサート」でも歌われ、笠木は主に間奏パートの『あたらしい憲法の話』を朗読した。題名にもなっている『あたらしい憲法の話』とは、1947年8月2日文部省(当時)によって発行されたザラ紙70ページほどの中学1年の社会科教科書のことで、文部省はそこでこう述べている。


みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。


不幸にしてこの教科書は1952年に早々と途絶えてしまったが、幸いなことに今日もずっと復刻されており、ネット上でも電子図書館「青空文庫」で自由に閲覧することができる(「あたらしい憲法の話」)。


あの日の授業──新しい憲法の話 (詩・笠木 透)


あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んで下さった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業

 「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことをきめました。
 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。
 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかし、みなさんは、決して心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行なったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」

あの日の先生は 熱っぽかった 
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた あの日の授業

 「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手をまかして、自分のいいぶんをとおそうとしないということを決めたのです。おだやかに相談をして、決まりをつけようというのです。
 なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。
 そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友だちになってくれるようにすれば日本の国は、さかえてゆけるのです。」

あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業

あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んで下さった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業


笠木がそうであるように、喜納もまた『憲法行進曲』という歌を紡ぐなど憲法問題に関心が深く、昨今の改憲論議にも一家言を持っているようだ。以下は、現在国会議員として政治活動を行っている喜納の憲法調査会での発言録(2005年3月2日)から。


民主党・新緑風会の喜納昌吉です。私は沖縄の有識者たちの意見を参考にしながら、憲法改正にあたって次の提案をしたいと思います。
結論から申しますと、憲法改正は基本的に必要であり賛成です。ただし、国民全てが自分たちの憲法として関心を持つような、新しい憲法作りがぜひとも必要だと考えます。
わが国は戦後60年間にわたり、国民の民主主義化に努力してまいりました。現在の憲法を改正する必要があるならば、今度こそ世界に誇れる日本国民の自主憲法を制定するチャンスにしなければなりません。ただし、第9条は現状のまま残すのが望ましいと思います。
47都道府県には法律を専門とする弁護士や学者、憲法に関心の深い市民たちがたくさんいます。各都道府県別憲法草案コンクールを呼びかければ、日本国中が憲法に関心を持つと思います。ぜひとも全国創憲運動を呼びかけるよう提案したいと思います。
沖縄には、「市民憲法草案」起草研究会があって、私も呼ばれましたが、市民による「手作り憲法」は難しいことではないと確信しました。夏の甲子園野球と同じように、各都道府県は名誉にかけて「おらが憲法草案」作成で競争するだろうと思います。
現在の憲法問題の要点をしぼったら、第10章の98条2項の「日本が締結した条約や国際法規は遵守する」という条項の解釈がまず問題だろうと思います。私の考えですが、これは実定法の取り決めであって、自然法である憲法に規定されるべき条項ではないと考えます。ですから憲法から削除しなければ、外国の都合で憲法の上位にくるような解釈の矛盾をきたすことになると考えられます。
そうした解釈矛盾の延長線上で「集団的自衛権行使」を可能にするための、第9条改正が焦点になっているわけですが、それはギリシャ神話に出てくる、寝台に合わせて手足を切り捨てるというプロクロテウスの話と同じような、逆立ちした理屈でしかないと思います。
また自衛隊は、現実に大きな軍隊になっています。しかし憲法では、外国と交戦する軍隊としては認められていません。なぜなら、憲法の第9条は、現代戦争の無差別殺戮、ジェノサイドに対する反省から立てられた、人類普遍の理念だからです。
もしどうしても9条を削除するというなら、その理念を沖縄がもらって、独立してもよいと思っています。私たち沖縄民族は、過去の歴史の教訓からそう言いたくなるのです。
東京空襲、広島、長崎の原爆被災、沖縄戦、そしてアジア全域、世界各国における、ルールを見失った無差別殺戮の戦争体験を忘れることなく、9条の非戦規定と自衛隊の存在を矛盾なく整合させる方法はあると思います。
つまり、第9条にはさわらずに、国連待機部隊設立など、自衛隊の役割を国連と関連させて新たに規定するという方法です。
現実に足を引っ張られず、人類100年の展望を見据えて、国際社会にどう関わるべきか、日本国をどういう国にするのか、平和憲法の理念をしっかり定める必要があると考えます。以上です。


私がここに喜納昌吉と笠木 透を紹介したのは、ミュージシャンとしての2人の活動にはとても共通した部分があると思ったからである。喜納は沖縄を、笠木は岐阜をそれぞれ拠点にしており、地域にしっかりと根を下ろした音楽活動を行いながら、もっぱら自然との共生や生活感のある歌を生み出している。彼らの音楽を聴きくらべると、題材やテーマ性に驚くほど接点があることに気づかされる。「喜納昌吉&チャンプルーズ」「笠木 透&雑花塾」というネーミングにしても、彼らがいかに風土というものを大事にしているかが伺い知れるし、またそうした音楽活動を通じて、反戦・平和活動を意欲的に展開していることも2人の共通項である。そのバイタリティ溢れる反骨精神や豪放磊落で大らかな人柄においてもどこか似通っている気さえするが、もしこの両雄が同じステージに立ったとしたら、エネルギーがまさにぶつかり合って火花のスパークが飛び散ること受けあいであろう。

喜納昌吉と笠木 透は、おそらくいま日本でもっとも精力的に反戦・平和のメッセージを伝えようとしている、平和を希求してやまないミュージシャンである。たとえ彼らの名前は忘れ去られたとしても、彼らの作った歌は後世へと歌い継がれ、ずっと残ってゆくだろう。私にはそれが羨ましくも、同時代人として少し誇らしいのだ。


軟弱者 (詩・笠木 透)


この国を守るために
軍隊がなくてはならないとしたら
軍隊がなくては滅びていくとしたら
滅びていこうではないか

私たちは どんなことがあっても
戦力はもたない
私たちは なんと言われようと
戦争はしない

この国を守るために
核兵器がなくてはならないとしたら
核兵器がなくては滅びていくとしたら
滅びていこうではないか

私たちは どんなことがあっても
戦力はもたない
私たちは なんと言われようと
戦争はしない

軟弱者と笑うがいい
非暴力で滅びた国があったと
無抵抗で滅びた人びとがいたと
愚かにも滅びていったと

私たちは どんなことがあっても
戦力はもたない
私たちは なんと言われようと
戦争はしない

この国を守るために
戦争をしなければならないとしたら
戦争をしなければ滅びていくとしたら
滅びていこうではないか

私たちは どんなことがあっても
戦力はもたない
私たちは なんと言われようと
戦争はしない

私たちは どんなことがあっても
戦力はもたない
私たちは なんと言われようと
戦争はしない


喜納昌吉、国連主催ミレニアム宗教精神指導者代表者会議スピーチ


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The Earth is the Sanctuary for Human-beings


地球こそが人類の聖地である。覚醒した人々はそのことを勇気をもって宣言せねばならない。無限に広がる宇宙、そこに浮かぶ水色の美しい惑星、太陽から遠くもなく近くもなく、神の愛のダンスと歌に育まれし生命達の宴を、奇跡と呼ばずに何と呼ぼうか。宇宙の本質とは喜びであり至福に満たされたもので、決して不幸や争いや憎しみではない。また宇宙に開かれた知性は、空気や水、自然の恵みはこの地球の特性であって、それが無限ではないことも知る。故に人類は苦悩と目覚めによって知識と技術を分かち合い、この地球に益として返す本能を持ち合わせている。

The earth is the only sanctuary for human-beings. Those who are awake must bravely declare it. We are blessed with this beautiful blue planet which floats in the infinite universe. It sets itself with ideal distance from the sun and enjoys a banquet of life nursed by God's love songs and dances. This is by no means anything but a miracle! The essence of the universe is joy and bliss but not grief or conflicts or hatreds. The intelligence opened to the universe recognizes that air, water and the blessing of nature are all special properties of the earth, but that they are not inexhaustible. That is why man-kind has an instinct of sharing knowledge and technology, driven by distress and awakening, so that it can benefit the planet.

人類は3000年の間に5000回も戦争をしてきたと言われる、そしてなおかつ破壊兵器を生産し、地球を何十回、人類を何千何万回も滅ぼす核と化学・生物兵器をもっていると言われる。人類の不幸とは、精神的に目覚めている人達よりも目覚めていない人達に技術の使用権を握られ、何十万人ともいわれる科学者達の頭脳が愚かな武器開発に使われているところにある。資本主義も共産主義もその意味では不完全である、なぜならば限りある自然の富を軍産複合体のシステムによって生命の破壊の方向に使っているからだ。決して科学や文明が悪ではなく、原因は人間の内にあることに気づく。有限である自然の恵みと永遠につきあうこつとは“共に生きる”ことであり、傷つき病み疲れたこの母なる大地を見たとき、戦争にはいかなる勝利者もなく、人類の敗北であることを知る。そして戦争だけが人類の滅びの道ではないことも知るだろう。

Man has gone into wars over five thousand times in the past three thousand years. Yet, it still continues production of destructive weapons. We carry nuclear, chemical and biological arms that could exterminate the whole planet dozens of times and the entire man-kind thousands of times. The misfortune of man-kind is that those who are not awake, rather than those who are, hold an access to technologies. Scientists waste their intelligence over absurd weapon development. Neither of capitalism nor communism is perfect in this regard because both systems use limited wealth of nature for killing, through the mechanism of military-industrial complex. Science or civilization itself is not an evil. We must realize that everything starts from man's mind. Eternal relationship with the limited blessing of nature means to "live together". Seeing our motherland being exploited, hurt and exhausted, we realize war generates no winner but it only brings defeat to human-beings. We will also find war is not an only path for annihilation.

私達は対立する概念を、強い意志を持って跳び越えなければならない、国家と国家、民族と民族、人種と人種、宗教と宗教、あらゆる対立するものを和合させる地点へ。鳥や魚、雲や風、それらは自由に飛び泳ぎ、目的さえ持たず流れ吹いている。生命の本質とは分断なきものであり、人工物である情報や電波さえも国境にとらわれない。皮肉にも進化の頂点に立つ人間だけが国境に閉じこめられ、地球規模の問題を産み、互いに憎しみあい、他の生命を道連れにする争いをしている。いかなる意識がこの地球に線をひいたのか、その誤りを正し、国境と人と人との心のボーダーを無くしたとき、人類は一つであり地球は一つであるという一体感に包まれ、慈愛に目覚める。

With strong determination, we must leap over contradictory conceptions and reach the place where any national, ethnic, racial, or religious confrontation disappears but they harmonize with each other. Birds and fishes or wind and clouds all fly or swim freely and float without purposes. The substance of life does not suffer from divisions. Even artificial information or a radio wave is free from captivation. Only the species that stands at the top of evolutionary pyramid gets contained by national borders, generates problems on a global scale, hates each other, and fights the fights that entangle other species in destruction. No matter what intention drew lines on this planet, we must rectify this error. When we eliminate national and mental boundaries, we will be able to sense the unity of human-beings and the unity of this planet, and realize the existence of love and affection.

この宇宙に見事に浮かぶ地球の神秘とは、神の計りによってもたらされた友達というバランスにある。兄弟は近すぎるし他人は遠すぎる、太陽に近すぎても遠すぎても生命は存続するのに難しい、その両方に虹の橋を架けるのが友なのだ。繰り返されるテロと報復はそれらを物語る、いかなる理由と正義があろうがそこには死体の山しか見いだせない、どこかに間違いがあるはずだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、これらの絶対一神教の関係は近すぎる、そして熱すぎる。そこにはまったく違う神性を持った多神教との交流が必要だ、そして他の宗教はその両極に友という橋を架け人々が生き輝く方向に和合をはかることだ。ヤーフェやアラーに代表される一神教を無限に広げていけば全てになり、シャーマニズムである多神教を無限に分けていけば全てに至る。ミクロとマクロは決して分離しているのではなく、個と全体が融合したところに真実の宗教性が花開き、そのとき神の扉が開かれ天と地が結ばれる。

The special characteristic of the earth is its balanced setting in the universe planned by God, and the same goes with the balanced relationship of friends. Distance from your brother is too short, and that from a stranger is too long. Creatures cannot survive if the temperature is too high or too low. Friends are the people who build the bridge of rainbow and fill the distance gap between a brother and a stranger. Repeated terrors and retaliations illustrate these. Whatever the reason or so-called justice, what you find there is scores of dead bodies. There is something wrong with it. Judaism, Christianity, Islam; their absolute monotheism is too close and too hot in its relationships. They need exchange with polytheistism that has totally different divinity. Other religions must be of help in building a bridge between the extremes and try diverting our courses to the direction where we can live with happiness. Endless expansion of monotheism represented by YHWH would create entirety. In the same way, endless division of Shamanism should also create entirety. Micros and Macros are not separate. Genuine nature of religion will flourish where individuality and entirety fuse together, and it opens the door to the God, resulting in the linkage between the heavens and the earth.

不完全な過去は戦争という道に逃げ、不完全な未来は平和という道に逃げてきた、戦争を正義としてきた人達、平和を正義としてきた人達が、主義主張を捨てて手をとり、「調和」と呼ばれる和合の宴に参加したとき、過去と未来は永遠という舞台にいざなわれ、至福の現在を迎えるであろう。それ故に恐怖に縛られた核の傘の調和ではなく、真理に根ざした愛の傘の調和を実現し、力によるファシズムではなく、宇宙に開かれた世界をうちたてることである。神の味を知った宗教者達だからこそ、いかなるものよりも早く和合し、この地球を争いの場から全人類が全人類と友達になるためのエルサレム、メッカ、そしてブッタガヤに変えることに力を注がねばならない。人類が夢見てきた天国、浄土、ユートピア、フリーダムを実現するために、新しい天と地の扉を開き、人類の雛形として私が生まれた沖縄を、諸悪の根源である国境主義から独立させることをここに宣言する。

As the incomplete past took refuge in the course of wars, the incomplete future did the same in the course of so-called peace. Those who justified wars or so-called peace should now abandon their principles but instead, go hands in hands and join the banquet of concord called "harmony". That is when the stage of eternity invites the past and the future to the blissful present. What we need is to bring about harmony of the love umbrella based on truth, instead of harmony of the nuclear umbrella bound by terror. We also need to build a world which is open to the universe instead of fascism. Because you, men of religion, know the taste of God, you should dedicate yourselves in changing this planet from a battle field to a place like Jerusalem, Mecca, Buddh Gaya where humanity can create friendship with each other. To realize heaven, the Pure Land, Utopia and freedom, I here declare to open new doors to the heavens and the earth, and to establish my mother island Okinawa's independence from principles of national boundaries, the root of all evil.

すべての武器を楽器に
すべての基地を花園に
すべての人の心に花を
戦争よりも祭りを

All weapons into music instruments.
All the military bases into flower gardens.
Blooming Flowers into hearts of all.
No wars, but Celebration!


喜納昌吉Shoukichi Kina国連主催ミレニアム宗教精神指導者代表者会議にて

(出典:喜納昌吉&チャンプルーズ公式サイト ※現在はリンク切れ)


【2005/07/20 江原・記】



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アジア発にっぽん 海越え広がる琉球の旋律
今年のメーデーの5月1日。北京の観光名所、故宮東広場に、「琉球」の旋律が流れた。出演したのは沖縄音楽界を代表する喜納昌吉&チャンプルーズ。東南アジアでも広く知られている喜納昌吉=きな・しょうきち=さん(46)の「花」に合わせて、人の輪が揺れた。

■  ■  ■

「海でつながるアジアに向けて、沖縄が発信できるのは平和を願うメッセージが一番ふわさしい。人を包みこむ柔らかな文化こそが、歌と芸能の島・沖縄の財産なのですから」
喜納さんらの沖縄文化交流訪華団を実現させた那覇市の経済誌主幹山口芳弘さん(50)の声に力がこもる。

河は流れてどこどこ行くの/人も流れてどこどこ行くの/そんな流れが着くころには/花として/花として/咲かせてあげたい/泣きなさい/笑いなさい/いつの日か/いつの日か/花を咲かそうよ

「花」を、米軍統治下の1968年、20歳の喜納さんが作詞、作曲した。
地下にもぐったこの歌は、86年にタイのヒットチャート1位になり、インドネシアに広がった。逆輸入される形でテレビのコマーシャルソングになり、91年の紅白歌合戦で「チャンプルーズ」が歌い、本土で二十数年ぶりに間欠泉のように噴きあがった。北京語と英語にも訳され、今年7月中旬、喜納さん自身の歌唱で、全米でも発売された。
「戦争を起こさない音楽をテーマにしてきた僕の姿勢には変わりないよ。時代が遅れて僕の歌を追いかけてるわけさ−」
喜納さんは淡々と語る。
70年代半ば、本土ロック界を席巻した沖縄のロックバンド紫のドラマー、宮永英一さん(43)は、去年10月、ベトナム・ハノイ市での「日本文化フェスティバル」に招かれ、不思議な体験をした。土地の歌手がうたう古典民謡なかに「花」とそっくりの旋律を聞いた。
「沖縄の音楽が、東南アジアとつながっていることを実感しましたね。15世紀、琉球王朝は東南アジアとの交易で栄えたのだから、同じ文化圏だったのでしょう」
新沖縄民謡「芭蕉布」(65年)の作詞、作曲で知られる普久原恒勇さん(58)は「ド、ミ、ファ、ソ、シの5音階を基本とする琉球音階は、マレーシアやインドネシア、中国のチベットに多いが、どこから沖縄に伝わってきたのか、正確には分からない」と言う。

■  ■  ■

那覇市在住の大城光雄さん(47)は最近、島唄(しまうた・沖縄民謡)の語句を手掛かりにして、故郷の精神風土を分析する本を出版した。
島唄にひんぱんに出てくる語句は「我ん」「心、肝」「人(ちゅ)」「花」など。一方、本土の歌謡曲には「泣く」「涙」「夜」「恋」などが多い。
「島唄の方が総じて明るい。会社人間より社会人間、競争より共生、効率より余裕、タテ型よりヨコ型。沖縄の人たちの行動様式が島唄に反映されている。本土の人たちが、いまになってやっと大切さに目覚めはじめた価値観ばかりです」
45年、約80日間の激烈な地上戦で約20万人の戦死者を出し、廃虚と化した沖縄。人々に再び生きる勇気を与えたのは、民族の心をかきたてる三線(さんしん)の音色だった。
戦後、沖縄芸能界を支えてきた照屋林助さん(65)は終戦直後、家族とともに島内の難民収容所にいた。
「私のおやじは戦前から三線屋をやっていて、収容所の中ですぐカンカラ三線を作り始めたんです」
カンカラ三線は、米軍支給の缶詰の空き缶を胴として、ありあわせの棒でさおを取り付け、落下傘のひもを弦にした。喜納さんの父で、沖縄民謡の戦後復興を担った昌永さん(75)は、収容所の中でカンカラ三線を持ち、島唄を歌っては、打ちひしがれた仲間たちを慰めたという。
復帰前の70年12月、米兵が起こした交通事故で、MP(米軍憲兵)の威嚇発砲をきっかけに支配される島民の怒りが爆発した「コザ暴動」。コザ市(現沖縄市)の民謡クラブで自作の新民謡「ハイサイおじさん」を歌っていた喜納さんも、三線を放り出して群衆の輪の中に飛び込んだ。
「あの事件は、自分の力で立とうとする沖縄のうねりではなかったかと思うんです。僕の音楽活動の方向性も、あの事件で定まりました」
民謡の中に、ロックやレゲエを含めた様々な要素を採り入れた独自のチャンプルー(混ぜ物)音楽を発展させる一方、少数民族の復権を訴える。

■  ■  ■

米軍統治下の「アメリカ世(ゆ)」が27年。そして、本土復帰後22年。だが、47都道府県のうち県民所得は最下位、失業率は1位という現実は、いまも変わらない。
ロックバンド紫の宮永さんは、
「沖縄には数字では表せない豊かさがある」
と言う。
「沖縄のよさは、一度外に出て見て分かるんです。本土での活動に見切りをつけて帰ってきた83年、海と空に再開して、ハッシャビョー、アンシーチュラサガヤー(あらまあ、こんなにもきれいだったか)という言葉がつい、出ました」
「本土に追いつけ、追い越せ」という合言葉は、あるいは、死語になっているのではないか。
沖縄国際大学の石原昌家教授(53)はいう。
「本土の政治的、経済的な混迷を見て、困難の中で沖縄が培ってきた生き方や独自性に自信がもてるようになってきた。効率一辺倒のヤマト(日本)を追いかけるより、アジアへ、さらに世界へ、沖縄の重心を移そうという自覚です。喜納さんらの音楽は、早くからその方向を示していたと思います」
喜納さんの「チャンプルーズ」をはじめ、照屋林賢さん(45)の「りんけんバンド」、知名定男さん(49)が育てた「ネーネーズ」。
伝統の中から生まれた音楽が先陣を切り、沖縄は、アジアへの新たな一歩を踏み出しているように見える。(文・中山 尭/写真・堀 英治)

<花> 『花』の日本での発売は、作詞、作曲してから12年後の1980年、喜納さん2枚目のアルバム「ブラッドライン」(ポリドール)に収録されたのが最初だった。
アジア各国へ広がっていった『花』は、現在、タイ語、インドネシア語、北京語、英語に訳され、世界で歌う歌手はアフリカ・マダガスカルまで、日本人を含めて30人以上。著作権が確立していない国でのヒットが多いため、シングル盤の売れ行きもはっきりせず、「世界で5、60万枚」と喜納さんの音楽事務所ニライ企画の話。(朝日新聞 1994/08/31)

ニライカナイ祭り 沖縄サミットに喜納昌吉が仕掛ける
“楽土”に集う各民族 神々と平和祈る
7月21日から沖縄県名護市で主要国首脳会議(沖縄サミット)が開催される。これに合わせて平和をメッセージとして送り続ける沖縄の代表的ミュージシャン、喜納昌吉が音頭をとり、市民レベルの音楽・芸能祭「ニライカナイ祭り」を沖縄を中心に東京でも開く。遠くアメリカ先住民のホピ族、北海道のアイヌ民族、在日朝鮮・韓国の人たちも、この祭りに参加する。平和を訴えてきた喜納の、沖縄サミットへの思いは−。(吉岡逸夫)

「私は、サミット賛成、基地反対です」。喜納はキッパリこう宣言した。
サミットが沖縄で開かれる裏には、米軍普天間飛行場返還に伴い、海上ヘリ基地を、沖縄県名護市の海岸に、建設したいという日本政府の思惑が見え隠れするといわれる。そんな状況下、サミットに合わせた祭りの開催は、誤解されかねないが、「基地は反対」と喜納は決然と否定。
「ずっと戦争を否定し、文明という欲望に惑わされなかったアイヌ民族、アメリカ先住民ら世界の人を集めて、市民サミットを開き、平和宣言をしようと思っているんです」と続けた。
「すべての武器を楽器に!」をテーマに喜納は、平和運動やお祭りを展開してきた。1996年のアトランタ五輪では、公式文化イベントに出演したりもした。今回も、「コンサート」でなくニライカナイ“祭り”としたのも彼独特の考えによる。
「平和運動では、過激派と警察が入って、暴力的になったことが何度もある。ところが、お祭りは、暴力的バイブレーションを最初から跳ね返す。コンサートは、利権が1カ所に集中するが、祭りはみんなのもの。昔の祭りは、神との交信で、計算がなかった。民族のエネルギーが純粋に出る」とだんだん声に熱がこもる。
それは、ガンジーらの提唱した無抵抗主義と同じかというと、そうでないという。喜納は「僕らは、創造という手段を持っている。暴力を超えてしまう。祭りが戦争を打ち溶かしていく」という。
沖縄には、楽器を床の間に置くという習わしがある。それほど芸事を大事にする風土が、喜納の平和主義を生んだのかと思わせるが、現実はそう単純な話でもなさそうだ。
喜納はいう。「2、3年前までは、芸能人、文化人はみんな基地反対だった。今、それが変わりつつある。お金に惑わされている」
喜納は祭りに合わせて、新アルバムを出す予定だ。基地が建設されることになると生息が危ぶまれるジュゴン、基地問題、サミットを別の視点から見た歌だという。
「日本の問題は、勤勉な日本人が稼いで、不謹慎な日本人が使っている所にある。官僚は詐欺師、政治家は泥棒。リーダーが模範にならないから、少年犯罪も減らない。八岐大蛇(やまたのおろち)伝説ではないが、ジュゴンが娘で、基地建設は八岐大蛇に見える。泡盛を飲まして退治し、しっぽから剣ではなく、楽器を取り出したい気分だ」「ニライカナイ」とは、奄美・沖縄地方で、海のかなたにあると信じられている楽土のこと。祭りの祈りで、そこから神々が訪れ、豊穣(ほうじょう)をもたらすと伝えられている。
祭りは7月17日から23日まで開催。米軍のヘリポート基地建設候補地の名護市辺野古海岸を会場にする(20日夕、東京・日比谷野外音楽堂で)。喜納昌吉&チャンプルーズ、朴保Bandほか海外からの賛同者が出演。参加者全員で韓国の名曲「アリラン」を合唱する計画もあり「一緒にアリランを歌えば、朝鮮南北が1つになるという志を共有できるでしょ。『大和』って大いなる和でしょ。本当の日の本になるためには、日本が和合しなければいけない」と喜納はやる気満々。
祭りの入場料は、通しで1000円。東京会場は、当日4500円(前売り発売はチケットぴあで4000円)。準備のためのボランティアも募集中。問い合わせは「すべての武器を楽器に」委員会・電098(868)6809。

<きな・しょうきち> 1948年、沖縄県コザ(沖縄市)生まれ。中学時代に「ハイサイおじさん」を作曲。68年、大学でバンド「チャンプルーズ」を結成。80年に出したアルバムの中の「花」が大ヒット。93年、国際先住民年を記念したシンポジウムと祭り、95年の終戦・被爆50年平和記念イベントなど、各地で平和運動を展開している。(中日新聞 2000/06/17)

基地いらぬ 地球を守ろう ニライカナイ祭りピース8
沖縄の音楽家・喜納昌吉さんが呼びかけ
米国先住民や自然環境保全活動家ら国内外の20余人 草の根サミット
「すべての武器を楽器に」と、基地に囲まれている沖縄から訴える音楽家喜納昌吉さんの呼びかけに、アメリカ先住民や自然環境保全活動家ら国内外の20余人が沖縄に集まり、主要国首脳会議(沖縄サミット)期間中の7月21、22の両日、シンポジウム「ニライカナイ祭りピース8」を開いた。ニライカナイは沖縄の方言で「神々が住む国」という意味。平和や環境について活発に討論した“草の根サミット”を紹介する。(山本 哲正)

今回のシンポは喜納さんらが「地球と仲良くし、戦争を否定する人たちを呼び、沖縄に地力をつけたい」と企画。那覇、名護市で2日間にわたって開催した。
地元沖縄で活動している「基地軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんは「沖縄は悲惨な戦争の後も、軍事基地として金網が張られて先祖の墓も訪ねられない中で戦後がスタートした」と指摘。「今もなお、世界を支配するための軍事力が沖縄の場所を使っている」と訴えた。
米軍普天間基地から名護市辺野古沖にヘリ基地を移設する計画について、琉球大法文学部教授の高良鉄美さんはこう話す。
「沖縄方言に肝(チム)という言葉がある。心のこと。基地というだれでも嫌なものを、多数決で(辺野古に)持っていくと決めるのは、肝がない。やってはいけない多数決だ」
住民の意思が、国などの行政になかなか反映されない問題について、徳島市議で、吉野川の可動堰(ぜき)問題に取り組む「第10堰住民投票の会」の村上稔さんが住民投票で9割が反対したのに、建設に向けた動きが止まらずにきた経過を報告。「建設促進期成同盟を関係自治体につくらせ、建前の民意をつくってきた。基地問題と吉野川の問題は、国民が物事を決める主権在民が実現されていない点で似ている」と述べた。この意見には、元国連大学副学長の武者小路公秀さんらが賛同した。
このほか、アメリカ先住民、アイヌ記念館長の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんらが、白人や日本人への同化政策で文化が破壊され、虐げられてきた歴史を説明。沖縄在住のフリーライター安里英子さんが「沖縄の、本土への同化政策と通じるものがある」と応じる場面もあった。
このような厳しい状況を克服するため、先住民の権利を実現する運動を展開するアメリカ先住民の発言が注目を集めた。
その1人、フレダ・ジーン・ジャックさんは「すべての生き物は平等。水、土、風などそれぞれに感謝しよう。私たちは人だから怒りは持つが、他人を傷つけない規律を守ることで、警察を必要としなかった。グッドマインド(良い心)を持つことが大切」と強調。
ホピ族のロリーナ・バニヤッカさんは、ホピの予言に「灰のヒョウタン」として登場する核兵器を批判し「優しさ、愛を通して過去の過ちを取り除き、この世の修復を」。同じホピ族のキャサリン・バートンさんも「私は科学者ではないが、1人の人として、母なる大地の破壊に反対を唱える権利を持つ」という考え方を披露し、参加者を勇気づけた。

◇  ◇

会議を終えた参加者は辺野古海岸で開かれた「ニライカナイ祭りコンサート」に合流。「地力がついた」という喜納さんは、聴衆にこう呼びかけた。「聖地はメッカ、エルサレムだけじゃない。地球は、人間だけじゃなく生きとし生けるものの聖地。そう考えれば、戦争は消える」(中日新聞 2000/08/01)

HEART&SOUL Special Article 気になるあの人 喜納昌吉
"Birds, winds, oceans, even radio waves go through them freely.
Borders only bind humankind on Earth." --- Kina Shoukichi---
「僕はこの沖縄を国境主義、国家主義から唯一人類史上はじめて独立させたいんだ。地球なんていうものは本当は国境がない訳さ。それなのに人間だけが国境に閉じ込められているんだ。人類を解放するために地球の卵の殻を割るのさ」
喜納昌吉はただの歌手ではない。「ハイサイおじさん」や“泣きなさい。笑いなさい。”の歌詞で知られる「花」を作詞・作曲したこの歌手には裏があるのだ。彼は音楽活動を通じて、地球を救いたいともくろんでいる。
1977年、東京デビューを果たした喜納は、デビュー曲「ハイサイおじさん」をどの曲からも敬遠された。理由はこの曲が既成のジャンルに当てはまらないものだったからだという。民謡でもロックでも、演歌でもクラシックでもないと言われた彼の曲は放送局をたらい回しにされ、喜納は商品と利権が複雑に絡み合う社会のシステムというものをみせつけられた。喜納は言う。「これをどうにかして克服しようとしているうちに、だんだんいろいろな問題がぶらさがってきたんだよね。それじゃあすべてを解決しよう、と思った訳ね」こうして喜納昌吉はいろいろな社会問題に携わるようになった。
喜納昌吉の活動範囲は広い。先住民族が少数であるがために社会に参加できない事実を目の当たりにしたときは、自分の音楽が世間に受け入れられなかったときの悔しさを思い出し人権運動を興した。自然が商品化され、壊されているのを見ては、エコロジー問題に取り組んだ。すべてを破壊する戦争にも大反対だ。
喜納の思い描いている世界は上記のような社会問題は何もない。つまり今の時点では地球上に存在しないユートピアなのだ。
「資本主義経済や共産主義社会、あるいはこの文明が造ったカテゴリーには欠陥がある。」だからまったく新しい文明を切り開くのさ。」そう言う喜納は文明をあるべき姿に“シンプル”に戻すことが必要だと説く。
「文明を利用しようとするから文明に利用されるんだ。利用せずに共に生きていこう。家族とも、文化とも、あるいは自然ともね。」
喜納昌吉には夢がある。このユートピアを沖縄に造って、沖縄を人類の未来の実験場所にしたいと考えているのだ。「戦争よりも祭り、武器よりも楽器、基地よりも花園を。そしてすべての人の心に花を咲かす。命の花が咲くということ。」
そういう躍動する空間とういうもの、(例えば)他の生命に対しても慈しみを持つとか、人類非核宣言とか、非武装地帯であるとか、そういう地球単位の、人類ビジョン、未来のビジョンを沖縄に掻き集めてしまうの」
彼はそう言って笑う。
喜納に話を聞いていると、本当に近い将来ニライカナイ(沖縄の神話で「神々の住む」という所)が現れる気になる。(文・高島あをい)(毎日ウィークリー 2000/10/14)

「失ってはいけない理想」「インドの寛容性に期待」
「武器を溶かし平和のモニュメントを」
日印国交50周年 喜納さんの歌声は届いたか

「世界の武器を集めて溶かし、平和のモニュメントをつくろう」―。日本とインドの国交50周年記念コンサート(両国政府機関など後援)が12日、首都ニューデリーで開かれ、招待された沖縄のロック歌手、喜納昌吉さん(53)らが世界に向けてメッセージを発信した。インドとパキスタンの軍事的緊張が高まる最中へ飛び込んでの主張を、インド国民はどう受け止めただろうか。(ニューデリーで立尾良二)

平和コンサートは、ニューデリー市内のシリ・フォート(約3000人収容)で開かれ、市民や関係者らでほぼ満席になった。来賓として、インド側からフェルナンデス国防相ら政府関係者、日本側から平林博駐インド日本大使らが出席した。

『絶対平和の思想お返しに』

熊本県の山鹿灯ろう踊りや沖縄県の琉球舞踊が披露された後、喜納さんのバンド「チャンプルーズ」が登場。アジアでもヒットした「花・すべての人の心に花を」や「キルタン」などをヒンディー語を交えて歌った。喜納さんは「日本はインドから絶対平和の思想を教えてもらった。それをいまお返しに来た。インドから世界へ、テロと報復の繰り返しを止めるメッセージを送ろう」と呼びかけた。
終盤、インドやパキスタン、アフガニスタンなど7カ国の民族衣装を着た子供たちが舞台に上がり、ライフルや刀の模造品をひつぎに納めるパフォーマンスも披露した。
コンサートに先立ち、喜納さんや平和モニュメントづくりのために立ち上げた市民団体「平和創造地球市民ネットワーク」の高江洲朝男共同代表らが、フェルナンデス国防相を表敬訪問した。
市民団体は「21世紀は米国の同時多発テロと報復戦争で幕開けしたが、戦争が生み出すのは絶望と憎しみ、そして死だけだ。インドとパキスタンは兄弟のような関係にあり、対話で平和の道を模索できると信じる。各国から武器を提供してもらい、溶解して平和の木のモニュメントを世界中につくりたいので、まずインドから脇力してほしい」とする要望書や、被爆都市の広島、長崎両市長から託された「核兵器廃絶」を願う親書を手渡した。
フェルナンデス国防相は「バジパイ首相に伝える」と応じた。

パキスタンとの緊張高まる中で

昨年9月の米中枢同時テロ後、米国がアフガニスタン攻撃のためパキスタンに急接近し、インドとパキスタンの緊張が高まっている。パキスタンのイスラム教過激派やテロ組織が親米政策に反発し、カシミール地方からインド国内に潜入してテロを活発化。昨年12月にはニューデリーのインド国会議事堂を、ことし1月にはインド東部のコルカタのアメリカンセンターを襲撃した。
カシミール停戦ラインには、両国が約80万人の兵力を展開させ、散発的に戦闘が続く。両国とも「領土と国民を守るためにあらゆる手段を講じる」と核兵器使用も辞さない緊迫した情勢だ。インドは1月25日、核弾頭搭載可能な中距離弾道弾ミサイル「アグニ」の発射実験をしてパキスタンを威嚇した。

日本からの参加 テロなどで激減

国交回復50周年事業を主催したインド文化協会は当初、日本から300人規模の代表団を派遣する予定だったが、米国の同時テロに加えインドとパキスタンの緊張から一般参加者はキャンセル続出でゼロに。代表団は関係者だけの62人に激減した。12日に計画していたインド門から大統領官邸までの平和パレードも、参加者の家族が「テロの危険があるのでそれだけはやめてほしい」と申し入れて中止になった。
インドの内政も、ヒンズー教の寺院建設をめぐり連立与党内に亀裂が生じているが、インド政府は与野党ともに代表団を歓迎した。11日には、野党の国民会議派が使節団を招いて交流パーティーを催し、ラオ元首相も出席。12日の平和コンサートには、与党のインド人民党や国民民主連合の議員が多数駆けつけた。
喜納さんにはインドのメディアの取材も相次いだ。ダイニック・ヒンディスタン紙のアジェイ・ミシュラ記者は「音楽で世界平和を願っても、実現性はあるのか」と質問。喜納さんは「政治家も音楽家も、それぞれの立場で自分のできることをあきらめずにやるしかない。米国のロックは争いのビートだが、インドと沖縄の音楽には生命や平和を感じる」と答えた。

『現実世界は厳しいけれど』

エイシアン・エイジ紙のプラティバ・クマール記者から「米国のテロの被害者にはどう貢献したか」と尋ねられた喜納さんは「ニューヨーク市民とアフガニスタン難民の両方にコンサートの収益金などを分けて送った」と説明。「われわれのようなメッセージを携えた者が、軍をつかさどるフェルナンデス国防相に会えるのは奇跡ではないか。ラムズフェルド米国防長官にはできない。インドの寛容性に期待する」と述べた。
インタビューを終えたダイニック・ジャグラー紙のミーナ・コシュク記者は「武器を花に変える理想は甘くてせつない。そう簡単に変えられるとは思わないが、いいアイデアだ。ただ、インドの現実世界は巌しい。失ってはいけない理想ということは分かる」と印象を語った。

『日本が他国へメッセージを』

喜納さんの音楽や市民団体の平和モニュメントづくりの主張を聞いたR・K・アナンド上院議員は「インドと日本の文化、平和を求める思想はよく似ている。音楽は言葉より意思を伝えやすく、喜納さんらの主張はすばらしいと思う」と同調した。その上で、カシミール紛争の平和的解決について「日本がほかの国へメッセージを発してほしい。日本もインドも争いを好まないが、米国はそれを理解しない。9月11日の後は特にそうだ」として、米国に対し日本が独白の主張をすべきだと注文した。
国立ネール大学のバルマ名誉教授は「第2次大戦後の紛争はアジアに集中しており、アジアの安定は全世界の平和に直結している」と指摘。同時テロ後の米国について「テロの根元は(タリバン政権を支えた)パキスタンにあることを知っているのに、米国は正直ではない。米国は世界のテロを阻止すると言うが、自国のテロ対策しか考えていない。アジアの平和と安定に関心がない」と言い切る。
インドの核兵器やミサイル開発については「キリスト教とイスラム教は武器を使って宗教を広げてきた。しかし、インドの仏教とヒンズー教は、武器なしで教えだけを伝えてきた。核開発は周囲の国からの核攻撃を抑える手段であり、先に使うことは絶対にない」と断言する。
喜納さんは「インド政府の与野党に歓迎され、インドから平和のメッセージを発信するという目的は達成された。5月には日中国交30周年にも招待されており、中国政府にも武器の提供を申し入れる」と話す。(東京新聞 2002/02/13)

武器を捨て平和の調べを インド国防相、ライフル提供
武器を溶かして平和のモニュメントに作り替える運動をしているNGO(非政府組織)「すべての武器を楽器にピースメーカーズネットワーク」(事務局・那覇市)は7日夜、京都市東山区の知恩院の本堂で、活動に賛同したインドのフェルナンデス国防相から壊れたライフル銃の提供を受けた。
同ネットワーク代表の1人で歌手の喜納昌吉さんが2月、日印国交50周年記念イベントに参加した際、国防相と会い、武器提供を呼びかけていた。
同ネットワークが武器を受け取ったのは今回が初めて。国防相が私用で京都を訪問したのに合わせ、提供式を催した。国防相が式典に遅れたため、アフターブ・セット駐日大使が壊れたライフル銃を喜納さんに手渡した。喜納さんは沖縄の楽器、三線(さんしん)を贈った。その後、国防相が約1時間半遅れで来場し、喜納さんと握手をかわした。(朝日新聞 2002/07/08)

喜納昌吉さん:「すべての武器を楽器に」 イラクで15日に熱唱
沖縄に住む歌手の喜納昌吉さん(54)らでつくる「戦争よりも祭りを!イラク訪問団実行委員会」が15日、イラク・バグダッド市内のオペラ劇場で「ピースコンサート」を開く。喜納さんらは武器を溶かして世界中に平和のモニュメントをつくろうと計画中で、イラクでも武器の提供を受ける予定だ。米国の攻撃準備が進み、緊張が高まるイラクで「人間の英知を結集して戦争を止めよう」と訴える。

川は流れてどこどこ行くの/いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

今月初旬。喜納さんは、経営する那覇市の国際通り沿いのライブハウスで、自らが作詞・作曲した「すべての人の心に花を」(「花」)を熱唱していた。「ブッシュの心に花は咲くでしょうか」「フセインの心には?」。約150人の観衆に喜納さんが問い掛けると、観客から「咲くよ、絶対に咲く」の声が飛び、歌声は祈りのような大合唱に変わった。
80年に発表された「花」はタイや中国、台湾など世界各国でカバーされている。喜納さんは連日行っているライブで、反戦のメッセージを発信している。
96年のアトランタ五輪の公式文化イベントに喜納さんはアジア代表として出演し、「すべての武器を楽器に」と訴えた。思いを実現するため、昨年3月にはNGO(非政府組織)「すべての武器を楽器に・ピースメーカーズネットワーク」(事務局・那覇市)を立ち上げ、共同代表の1人になった。その活動の第1弾として昨年7月、趣旨に賛同したインド政府からライフル銃の提供を受け、代わりに沖縄の楽器、三線(さんしん)を贈った。
「人類は戦争そのものを超えなければならない。21世紀は共生の時代なのです」と喜納さんは言う。
今年1月18日に東京・日比谷公園で開かれたイラク攻撃反対集会にも参加した。その際、駐日イラク大使館のガザル2等書記官と会い、武器の提供を受けたいと申し入れた。書記官は「直ちに本国政府へ伝え、検討する」と語ったという。
15日は世界各国で反戦行動が同時に行われる。喜納さんはイラク市民と一緒に「花」を歌うつもりだ。現地では、政府関係者に「イラクへの提言」として武装解除や米国との対話などを提案する。バンドを組むチャンプルーズのメンバーらとともに、13日に日本を出発する。
「戦争は死体の山をつくるだけ。そんな愚かな行為は打ち壊さないといけない。国境を超えて連帯し、戦争をストップさせたい」。喜納さんは願う。【藤後野里子】(毎日新聞 2003/02/11)


地球の恵みを戦争の手段によって奪い合ってきた文明のあり方に終止符を打たなければならないときが来た。あらゆる文明悪を浄化し、地球の恵みを人類の福祉と地球の再生に向け、人類は一つ、地球は一つという全く新しい、宇宙に開かれた“輝く惑星文明”に目覚めなければならない。
それ故に文明の故郷を持つイラクと文明の先端をになうアメリカがぶつかるほど愚かなことはない。対話する勇気があるならば、理解の門を開くことができる。
中東問題の争いの元であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じアブラハムを祖にもつ。奇しくもカナンを求めてきたアブラハムの出生はイラクにあるウルの地である。きっとそこに和合のヒントがあるだろう。
戦争が早いか祭りが早いか、真実の平和運動が試される時が来た。

 すべての武器を楽器に
 すべての基地を花園に
 すべての人の心に花を
 戦争よりも祭りを

喜納昌吉


イラク問題:喜納昌吉さんもバグダッドで「反戦」訴える
【バグダッド福島良典】バグダッドで15日、世界各国の平和団体とイラク国民による反戦デモが繰り広げられ、沖縄在住の歌手、喜納昌吉さん(54)が参加して「平和のために勇気を使おう」と訴えた。
喜納さんらで作る「戦争よりも祭りを―イラク訪問団実行委員会」の20人は三線(さんしん)を奏で、沖縄の伝統的な踊り「エイサー」を披露しながらデモ行進し、住民の歓呼を受けた。喜納さんは「戦争という愚かな精神の次元を超えなければいけない。フセイン・イラク大統領とブッシュ米大統領がテーブルをはさんで人類の平和のために話し合ってほしい」と呼びかけた。
一行は、16日夜にはバグダッド市内の国立劇場で平和コンサートを開き、世界に向けてメッセージを発信する。
バグダッドでは15日、地域住民による大規模な反米デモが2カ所で行われ、数千人が参加した。英語教師のナダ・ターレムさん(32)は「今、世界中が米国に反対している。私たちが平和を望んでいることを世界に伝えたい」と語った。官製デモの色彩が強く、関係者によると、前日の14日にはイラクの支配政党バース党が戸別訪問で住民にデモ参加を呼びかけたという。(毎日新聞 2003/02/15)

両大統領の握手、全世界が喜ぶ バグダッド、喜納昌吉さん熱唱
【バグダッド18日共同】「戦争ではなく話し合いを」−。米国の対イラク攻撃に反対するためバグダッドを訪れている沖縄の歌手、喜納昌吉さんが17日夜(日本時間18日未明)、市中心部のアル・ラシド劇場で平和コンサートを開いた。
約200人の観衆を前に喜納さんは「戦争をするのは非常に簡単だが、平和(の達成)は非常に難しい。ブッシュ(米大統領)とフセイン(イラク大統領)が手を握ることができたら、全人類は喜ぶだろう」とあいさつすると、会場から拍手がわき起こった。
喜納さんとバンド「チャンプルーズ」は「花」や「アリラン」など約10曲を約1時間にわたり熱演。会場は熱気に包まれた。(中日新聞 2003/02/18)

名作散歩  喜納昌吉作詞・作曲  花 すべての人の心に花を
世界の人々の共感を誘う

いま、沖縄県は沸いている。7月に開催される「九州・沖縄サミット」。サミットに合わせて道路や建物の整備が進んでいるが、それだけではない。第2次大戦中の沖縄戦を含み、過去4回全焼し、平成4年、沖縄戦から47年ぶりによみがえった首里城は、ことしユネスコの文化遺産に登録される予定だ。さらに城の楼門である守礼門が、新2000円札の図柄になる話題は耳新しい。

琉球王国時代から近代―現代に至るまで、沖縄の歴史は波乱に満ち、独自の文化をはぐくんできた。
昭和47年に沖縄が正式に復帰した8年後、1つの歌が世に出た。地元のミュージシャン、喜納昌吉が作詞・作曲し、仲間のバンド、チャンプルーズと歌った『花』である。
 川は流れて どこどこ行くの
 人も流れて どこどこ行くの…
実はこの歌は、昌吉の苦闘の中から生まれている。47年、昌吉に言わせれば「あまりにも無知だった」ためにある事件にかかわり、逮捕されてしまった。地獄を見た。
服役し、出所した昌吉に世間の風は冷たく、島を追われるように上京した。あるホテルのロビーにいたとき、寂しい心の底からスラスラと歌詞が浮かんできた。リフレインの
 泣きなさい 笑いなさい
 いついつまでも いついつまでも
 花を咲かそうよ
のうち「『泣きなさい 笑いなさい』だけは21、2歳ころにできていたのですが、このときは全体をものの2、3分で書き上げてしまいました。不思議なくらいでした」と昌吉。曲は大ヒットする。
『花』は国境を越えた。タイ、インドネシア、韓国、中国、英語圏… マダカスカルでも歌われている。
「もう数えきれない。自国の歌だと思っている人もあるほど。いつの間にかラブソングになっちゃったりして…。そうじゃないのにね」
昌吉が経営し、自らも出演しているライブハウスが、那覇市の国際通の一角にある。この通りは戦後、驚異的なスピードで復興、「奇跡の1マイル」と呼ばれたメーンストリート。アメリカ兵の姿もちらほら見える熱いエネルギーの街だ。

喜納昌吉&チャンプルーズの演奏も、このエネルギーに負けずパワフルだ。チャンプルーズ・サウンドは沖縄民謡をベースにロックなどの要素をとり入れた沖縄ポップスだが、根底には「沖縄の心」がある。大詰めは沖縄のリズムによる速い踊りカチャーシー。かつて人々は野原に集まり、夜を徹して踊る「もーあしび」(毛遊び)を楽しんだという。「毛」は野原。ステージも客席も一体になっての「もーあしび」は、長い歴史と風土の中で培われた沖縄人のおおらかさを伝える。
『花』は沖縄を飛び出し、日本を突き抜け、ボーダレスの曲となって世界の人々の共感を誘った。ここに出てくる花は、もちろん特定の花ではない。曲に題されているように「すべての人の心に咲く花」だ。
「私はヒットさせるために曲を作ったことは一切ない。この曲も泣いて、笑って素直な心になり、人間の復権を目指そうという歌です」
という昌吉はこうも語る。
「自然との共生を大切に。地球は無限ではありませんから」
『花』が誕生して20年。古くて、そして新しい歌である。【文・阿部孝子 写真・中田昌宏】

<きな・しょうきち> 昭和23年、沖縄県沖縄市生まれ。高校時代に「ハイサイおじさん」を作詞・作曲。昭和43年に喜納昌吉&チャンプルーズを結成。55年に発売されたアルバムからシングルカットされた「花(すべての人の心に花を)」が大ヒット。現在も世界中で愛唱されている。「沖縄問題」に積極的に発言、行動している。(中日新聞 2003/03/26)

喜納昌吉氏 沖縄の視点
「すべての武器を楽器に」。沖縄を拠点に音楽活動する喜納昌吉さん(56)の呼びかけは、基地の町の日常から出た骨太なメッセージとして響く。米軍ヘリは墜落事故後も頭上を飛び交い、県民の怒りは収まらない。小泉純一郎首相は1日、在沖縄米軍基地の一部本土移転を初めて表明したが、地元には不信感も強い。参院議員に初当選した今、平和の歌をどこに向けるのか。沖縄からの視座とは。(松井 学)

米軍ヘリの拠点、普天間飛行場(宜野湾市)の日米返還合意から8年。代替地の辺野古(へのこ)沖移設ばかりが焦点となってきたが、墜落事故は普天間の危険な日常を浮き彫りにした。米軍は事故後もヘリの発着を繰り返し、事故機と同型機の試験飛行も通告してきた。喜納さんは声を上げる。
「辺野古移設には断固反対する。1996年の合意そのものが沖縄の声を反映していなかったし、沖縄が自ら基地建設を認めてしまった歴史はこれまでない。ところが、辺野古を含む北部振興策には10年間で1000億円が投じられる。普天間でひどい事故が起きたばかりなのに、沖縄県内への移設で政府は再び沖縄を犠牲にするつもりだ。沖縄ではいつも基地で恩恵を受ける人と、基地反対の人とがけんかをさせられ、全体として反対の声が高まらない」
一方で、小泉首相は1日の講演で、在日米軍再編問題をめぐり、沖縄の米軍基地の本土移転を進めたいとの考えを初めて示した。普天間の返還合意がぬか喜びに終わっている現状の中、2日付の琉球新報は首相発言に「もうだまされない」との県民の声を報じた。

■日米両政府に「利害計算」が

喜納さんはこう訴える。「世界的な米軍再編の動きの中、米軍の方が在沖米軍基地の縮小の余地があるとみている。普天間も、辺野古も米軍の戦略上もはや重要ではない。だから小泉政権は、普天間返還の実現を次の政局のサプライズに必ず使う。辺野古移設見直しも打ち出し、本土に持っていこうとするかもしれない。しかし本当に沖縄の危険負担が減るのか、だまされずに日米政府の利害計算を見抜いていかなければ」
喜納さんには、沖縄は日米安保体制や時代の流れにほんろうされてきたという強い思いがある。県民感情には今も屈折があり、95年の米兵による少女暴行事件にも表れたとみる。
「事件後、宜野湾市で8万5000人の抗議集会があった。ただ、基地反対運動の勢いは一瞬で消えてしまっている。翌年の普天間の返還合意をはじめ、準備されたかのように日米政府の対応策が出てきたからだ。反対運動が県民感情の『自然発火』であれば、簡単には終息しないはずなのに、政府をはじめ他人に火をつけられているから県民感情が政治的にコントロールされてしまうのではないか。沖縄の内側にいるともどかしさを感じる。僕らが本当の火をつけていかないと」
本土の沖縄ブームを見る目も慎重だ。NHKのドラマ「ちゅらさん」や「癒しの島」イメージなど若者が好きな沖縄と基地の沖縄はどう結びつくのか。
「沖縄の海や空をはじめドラマはきれいな部分だけを描く。逆に米兵の犯罪や基地問題は出てこない。これは意図的だ。ドラマの視聴者は楽しんでいいとしても、作り手に対しては強い不満がある」
喜納さんは沖縄人の心の奥底を歴史を踏まえて解説する。江戸時代、薩摩藩(現在の鹿児島県)島津家は琉球王国を実質統治下に置き、多額の税を課した。
「薩摩が入ってきて沖縄から搾取する傀儡(かいらい)政権をつくった。第2次大戦の敗戦後、沖縄は米国統治になった後、また日本に戻った。しかし、搾取する側は変わっても、沖縄が搾取される体制はいまも続くとみる方が正しいのではないか。歴史を『時間』でみれば遠い過去でも、『トラウマ(精神的外傷)』としてみると現在も痛む傷が残る。沖縄にとっては薩摩の時代から続く傷がうずいている」

■官僚システムが自立を阻む一因

現在、沖縄には国の出先機関の沖縄総合事務局がある。沖縄の自立を阻む一因に官僚システムがあるとも批判する。
「沖縄への公共事業補助金をみると、財布の入り口と出口が総合事務局と防衛施設庁にしっかり握られている。そのうち8、9割は本土の大手企業に吸い上げられるという指摘もあり、県内の一部の受益者を除くと多くの弱小企業は追い落とされているとの不満が強い。沖縄が経済的に自立できない現状につながる」
沖縄では米兵による人権犯罪や基地問題はじめ、憲法が定める戦争放棄や基本的人権、財産権などが守られない日常がある。「沖縄は第2次大戦の苦しみの中から平和憲法の国を目指して祖国復帰を果たしたが、小泉政権は戦争法案といわれる有事立法を立て続けに制定した」と訴えてきた。
「憲法9条が空洞化されるならば、沖縄の復帰運動とは何だったのか。沖縄は憲法1条にではなく憲法9条に復帰したはずだ」
「憲法98条には国際条約の順守が織り込まれ、これによって憲法は日米安保条約のさらに下に位置づけられてしまっている。護憲や改憲を超えて、憲法の独立を果たすという次元から憲法問題をとらえなければ。民主党が真剣に憲法問題に取り組むのなら、まず論憲でその制定から現在の拡大解釈へ至った経緯を総括し、創憲で憲法9条を基本にしたいっそう平和的な世界を目指し、日米安保条約を対等な平和友好条約へと切り替える。そうすることで憲法の独立がかなう」
喜納さんは95年に沖縄伝統の船「サバニ」をこいで与那国島から広島、長崎まで回った。分かったのは「魚や鳥には国境がない」ことだった。その目は「沖縄の独立」に向けられる。
「もし日本が憲法9条を捨てるというのなら、沖縄がその精神をもらって独立しよう。その上で沖縄がどこに向かって独立するか。僕は未来に対して独立しないと意味がないと思う。『国境主義からの独立』だ。海に乗り出した時、風や雲には国境がない。国境を自由に行き来できないのは人間だけで、ここに争い事の根源もあると知った。戦争も環境問題も地球規模の問題なのに、国家レベルの対策では間に合わない」

■平和は人類の最高のアート

「40年以上にわたり平和の歌を書き、演奏してきた」。喜納さんが先月25日、第2回世界平和音楽賞を受けた理由だ。同賞は、ベトナム反戦運動に力を尽くしたジョーン・バエズさんやPPMのメンバーもたたえた。授賞式で喜納さんは「すべての武器を楽器に」と呼びかけた。世界の平和の現状はどう映るのか。
「世界にはあまりにも戦争があふれている。よくミュージシャンの平和運動は抽象的で効果はどうなのかと問われる。平和運動は戦争があってから起こるリアクションになりがちだ。でも、本当は平和は戦争よりも先にあるアクションであっていいはず。平和は1人でつくれるものではない。だから平和とは人類の精神の最高のアートではないだろうか。僕は、ミュージシャンというより平和アーティストでありたい」

<きな・しょうきち> 1948年、沖縄市(米軍占領下のコザ)生まれ。沖縄国際大中退。「ハイサイおじさん」「花(すべての人の心に花を)」が大ヒット。2002年に「すべての武器を楽器に」をスローガンに、武器を集めて溶かし平和のモニュメントを造ることなどを目的としたNGOを設立。今年の参院選比例代表で民主党から立候補、当選。(東京新聞 2004/10/03)

戦後60年・もういちど聴きたい平和のうた 「花」
◆「花〜すべての人の心に花を〜」──喜納昌吉さん
◇敵味方も民族もない光景──国境からの独立。国と国との境を無意味なものにしたい。そうすれば戦争は起こらない
「生まれつき、どうしても型にはまれない。自然に境界線をはみ出してしまうんだね」。名曲「花〜すべての人の心に花を〜」を生んだミュージシャン、喜納昌吉(きなしょうきち)さん(57)はそう言って笑う。参院議員会館の事務所からは国会議事堂が間近に見えるが、長髪にひげを生やし、三線(さんしん)を抱えた姿は議員には見えない。
沖縄民謡の大家・喜納昌永(しょうえい)と母千代の四男に生まれた。だが、その曲は民謡の枠には収まりきらない。ロックの要素もあるが、純粋なロックとは違う。沖縄的でありながら軽々と越境していく独自の普遍的な音楽だ。

★オリンピック

「花」は種子が風に飛ばされるように世界の各地に渡り、そこに根付いた。1980年の第2アルバム「BLOOD LINE」の一曲としてリリースされ国内を席巻。87年にはタイでヒットし、台湾では「花心」として中国語で歌われる。やがて中国本土、インドネシア、マレーシアなどアジア全域に広がった。「10年ほど前からアメリカでも歌っているね。先住民の居留地で『花』を歌ったら、現地の人が一緒に歌い出したよ」
「花」の原点は64年、高校1年の時だ。「学校帰りの定食屋で東京五輪の閉会式の映像が流れていた。欧米人やアジア人、アフリカ人の選手みなが抱き合い、健闘をたたえ合う姿に涙がこぼれた。敵も味方もない。民族も人種も国家もない。忘れられない光景だった」。アナウンサーが叫んだ「泣いています。笑っています」。この時、芽吹いた心情が曲に育つ。だが歌詞はなかなか出来上がらなかった。
言霊(ことだま)は不意に訪れた。78年秋、東京・渋谷のホテルのティールーム。喜納さんはあわてて手元の紙ナプキンをたぐり、ボールペンで書き留めた。「川は流れてどこどこ行くの 人も流れてどこどこ行くの……」。書きながらハミングした。閉会式のあの日から14年たっていた。

★食糧難

喜納さんは地上戦の余燼(よじん)くすぶる48年、米占領下の沖縄に生まれた。食糧難の時代。2歳のころ、アイスキャンデーからの感染症で死線をさまよう。「栄養をつけるため、父がカエルを捕ってきて、母がスープにしてスプーンで飲ませてくれた。1000匹分は飲んだかな」。小学校入学後、最初は着ていく靴も服もなく、学校へ行けなかった。「秋から通ったけれど、教科書を買うお金がなかった。家計の助けに新聞配達したりしたね。あとはひたすら遊んだ。中学2年まで高校というものがあることも知らなかったよ」
父親から民謡を習ったことはない。「息子の音楽活動については何も言わなかった。ただ父の音楽への厳しさは身近に見ていた。音を外した弟子を舞台上でけ飛ばしたり、自分がうまく弾けない時は、家に帰って全身に水をかぶって泣いていた」。中学生の時、見よう見まねで三線を爪弾(つまび)いている時、沸き立つようなメロディーが体の奥からほとばしり出た。霊でも宿ったようだった。デビュー曲「ハイサイおじさん」の誕生だ。

★ハイサイおじさん

ハイサイおじさんにはモデルがいる。近所にアルコール依存症の男性がいた。いつも冗談を言って笑う明るい人だが、過去に凄絶(せいぜつ)な悲劇があった。精神障害を抱えた妻が娘の頭をオノで切り落とした。沖縄全土を揺るがした事件だった。「中学校の近くにあるおじさんの家からすさまじい悲鳴が聞こえて、授業どころではなくみな走っていった」。現場には血のにおいがした。
「おじさんは村八分になって、子どもから石を投げられても明るかった。自分で空に石を投げて、頭でそれを受け止めて笑っていた。あのころは戦争で家を失ったりおかしくなった人がたくさんいた。おじさんは周りのストレスやゆがみをすべて引き受けていたところがあったね」。最近、近しい人から「(喜納さんは)ハイサイおじさんに似てきた」とからかわれる。
72年5月15日の沖縄日本復帰当日。喜納さんは刑務所にいた。67年開店の民謡酒場「ミカド」の経営が大成功し、裸一貫から、外車を乗り回し、テーラー、喫茶店、ルーレット店など数店を経営するまでになった。ギャンブルも天才的で「夜の帝王」と呼ばれたが、なぜか心は満たされなかった。
失速は急だった。72年1月、知人から知らずにヘロインを預かり、麻薬不法所持容疑で逮捕され、翌年7月まで獄中で過ごした。「静かな環境で、聖書、仏典、マルクス、プラトン、ニーチェ、ヘーゲルから法律書まで読みふけりました。自分を取り戻す転機になった」
76年に「喜納昌吉&チャンプルーズ」を結成し、本格的なライブ活動をスタートさせた。

★イラクで

戦後60年。現在の主張は「沖縄独立」だ。一瞬ドキリとするが「ただし日本からでなく、国境からの独立です。国と国との境を無意味なものにしたい。そうすれば戦争は起こらない」と続く。
イラク戦争開戦前の03年2月、喜納さんはバグダッドで三線を奏で、沖縄舞踊のエイサーを踊りながら反戦デモに加わった。平和コンサートでは「花」を熱唱した。「戦争という愚かな精神の次元を超えなければいけない。フセイン大統領(当時)とブッシュ米大統領がテーブルをはさんで話し合ってほしい」。1人の沖縄人(ウチナンチュ)からの力強いメッセージだ。あたかもそれと呼応するように世界400都市で1000万人が反戦デモをした。歴史的な瞬間だった。

★祭り

国旗・国歌法制化の議論の際に「『花』を国歌に」との声があった。だが友人のイラストレーター、黒田征太郎さんは「国歌なんてとんでもない。喜納さんの歌は国境を超えていくところがすごい。国や民族の対立を超えて人々を結ぶのは、もはや政治にも経済にも宗教にも出来ない。文化だけに希望がある。喜納さんなら歌で風穴をあけてくれるんじゃないか」と語る。
「泣きなさい 笑いなさい」と万人の普遍的な感情に訴えかける「花」。「すべての武器を楽器に」と繰り返し叫ぶ喜納さんの姿に、争いのない世界がやがて本当に実現するのではないか、いつしかそう信じ始めていた。【大森泰貴】(毎日新聞 2005/08/10)

戦争が生活壊す 憲法9条テーマにコンサート 笠木透さん きょうから
日本のフォーク歌手の草分けとして知られる笠木透さん(69)=岐阜県中津川市駒場=が、憲法記念日を前に27−30日、東京都立川市などで、憲法9条をテーマにしたコンサート「ピース・ナイン」を開く。
笠木さんは、フォーク愛好家には伝説となった1969年からの「全日本フォークジャンボリー」(中津川市)を仕掛けた1人。商業主義とは一線を画し、「私の子どもたちへ」など生活感があり自然との共生を訴える歌を生み出してきた。
市民生活を壊すのが戦争だと考え、戦争放棄と戦力不保持を規定した憲法9条を愛する歌も制作。改憲に強い意欲を示す安倍内閣の誕生を受け、昨年からコンサートに「ピース・ナイン」と名付け、集中して取り組むようになった。
今回の都知事選でさらに危機感を強めたという。小泉前首相の人気と共通し、明快で元気よく聞こえる石原慎太郎知事の言葉に世論をある方向に引っ張っていく勢いを認めるためだ。
「9条を守ろう」という声は広がるが「自分で考えたか」と笠木さん。コンサートを開いた各地で、自分の思いを表現する力を鍛える「歌づくり運動」を進める。「人任せでは、どちらにも流されやすい。自分で考えて決める力の助けになれば」
笠木さん自身は「軟弱者」で「戦争をしなければ滅びてゆくとしたら 滅びてゆこうではないか」と“丸腰”を歌う。軍備に安心を求め、国防は当たり前とする声もある中だが「戦争で軍隊が国を維持、守ろうとしたとしても、ぼくたちやその家族、仲間が傷つかないよう、死なないよう守りきる姿は想像できない」と話している。
コンサートは27日=栃木・那須塩原市▽28日=宮城・東松島市、仙台市▽29日=宮城・亘理町▽30日=茨城・結城市、東京・立川市。問い合わせは、佐藤正剛さん=電029(822)5307。

<かさぎ・とおる> 1937年岐阜県恵那市(旧岩村町)生まれ。岐阜大卒業後、小学校教員、出版社勤務の後に“脱サラ”。69年から3年間、同県中津川市(旧坂下町)でフォークジャンボリーを開き、フォークブームの火付け役に。代表曲は「私の子どもたちへ」「わが大地のうた」など。2006年に東京で「憲法フオークジャンボリー」を開いた。(中日新聞 2007/04/27)

あの人に迫る/笠木 透 フォークシンガー
中津川フォークジャンボリーの愛称で知られる「全日本フォークジャンボリー」を8月1日、岐阜県中津川市上野の椛の湖野外ステージで、40年ぶりに復活させるフォークシンガーの笠木透さん(71)。昔を振り返るだけでなく、次世代にメッセージを伝えたいという。(本田英寛)

──なぜ今、フォークジャンボリーを復活するのですか?

今からちょうど40年前、普通の青年たちが「自分たちで何か面白いことをできないか」という思いでフォークジャンボリーを開いた。勉強ができて優秀な人物はみんな東京や名古屋に出て行った。それができなかったコンプレックスを持った田舎に残った若者たちが、「何かを作りたい」という熱い気持ちで走り回った。
弁当代すら出ず、みんな持ち出しだった。でも、自分たちが社会の中でやれることがあるとか、みんなで何かを作り上げるという喜び、生きがい、達成感があった。
拝金主義がはびこる今の時代から見ると変かもしれない。しかし、金にはならないが、人や社会のために自分で行動することの大切さを、復活したジャンボリーを通して訴えてみたい。

──当時は地元の若者がすべて企画、運営したのですね。

1969年の正月、仲間たちと「徹夜で野外コンサートを開いて、全国にフォークの素晴らしさを伝えよう」という話で盛り上がった。30人ぐらいで実行委員会を作って、会場探し、設営、警備、出演交渉まですべてやった。
フォークなんて聞いたこともない田舎では偏見が強く、怪しがられた。実行委員会は肩書も権威もない20代、30代の若者ばかりだったから、「若造が何を言ってるんだ」と言われ、会場探しから苦労した。
そんな中、旧坂下町(現中津川市)の吉村新六町長がユニークな人で「面白い。やってみろ」と場所を貸してくれた。会場となった椛の湖畔は原野だった。それをみんなで草刈りをして、ブルドーザーやスコップで整地して会場、ステージを作った。
東京や大阪に出向いて「交通費、弁当代ぐらいしか出ないが、出演してほしい」と、ミュージシャンにお願いした。熱意が通じて、多くのミュージシャンが快く引き受けてくれた。

──3年連続で開催して、初回は約3000人、3年目は2万人以上集まり、社会現象化しました。

自分たちの思い、願い、叫びをたくさんの人に伝えたいという熱意が、若者の共感を呼んだのだろう。当時はヒッピー文化全盛期で、若者が音楽を通じて、愛や平和を求めていた時代にちょうどマッチしていた。
ほとんど知られていなかったフォークを全国に知らせたいという純粋な思いが発端で、政治色は薄かった。1回目の1週間後に米国でウッドストック(40万人以上が詰めかけた野外のロック・フェスティバル)が開かれたことは、その年の秋に雑誌で初めて知った。平和、愛、反ベトナム戦争という時代の流れがあり、国は違っても同世代の呼吸をしていたんだと感じた。ウッドストックと同じくフォークジャンボリーも時代の産物だったのだろう。
しかし、3年目は人が集まりすぎて、水やトイレの確保もできなくなってしまった。結局、数十人の若者の手には負えなくなり、運営がパンクしてしまった。今回も興行会社ではなく、実行委員会が手作りで開催するが、何万人も集めてコンサートを開くのは不可能だ。大きな会社、音楽産業がバックにいないと、大規模なコンサートはできない時代になってしまった。小さくてもいいから成功させたい。

──動員数よりも、あくまで手作りにこだわるのですか。

どこかの会社におんぶになるのではなく、自分たちでやることが大事だ。人数も集まらない、もうからない、苦労も多いかもしれないが、40年前にやったことに挑戦することに意味がある。
今回の実行委員会は、当時のメンバーに加えて、前のジャンボリーを知らない30代の若い世代も参加している。こういう若者が増えるのはうれしい。文化は先輩から後輩に伝えられ、育てられる。そういう意味では、今回のジャンボリーは単に昔を振り返る、懐かしむだけではなく、若い世代に「金にはならないけど、重要なことがある」ということを伝えるものになる。

──笠木さんが音楽事務所に所属せず、地元にこだわって音楽活動をしている理由は。

音楽事務所の仕事は最低でも数百人の客が来ないと成り立たない。地方の小さな町、村ではコンサートができないのが実態だ。どんなに条件が悪いところにも人は住んでいて、人間らしい生き方をしている。そういう人たちに私のフォークを聴かせたい。東京、名古屋に行けば仕事はいくらでもあるが、あえてこの中津川から全国の小さな町や村を回っている。
全国その土地、その土地に友人、賛同者がいてバックバンドをやってくれる。事務所へのマージンはなく、日当、交通費だけなので、50人ぐらいしか客がいなくてもコンサートを開ける。今は北海道から沖縄まで、多い時は年間100〜120回ぐらいコンサートをしている。

──都会よりも地方での活動に力を入れているのですね。

米国のフォークシンガーのピート・シーガーの「シンク・グローバリー アクト・ローカリー」という言葉にとても感動した。「世界のことを考え、地方で活動する」という意味だが、地方が生き生きとすれば、いい世の中になると思う。地域でできることを積み重ねれば、大きな動き、力になる。
たとえば、環境問題について格好のよいことを歌っていながら、都会で二酸化炭素(CO2)を大量消費するような生活を送るのはフォークではない。私は自分が住む中津川の山川をきれいにしながら、世界の環境問題を考えたい。

──憲法9条を守る護憲を熱心に唱えているのは。

国家は正義とかいろいろな理由を付けて戦争をするが、民衆からすれば何にもろくなことはない。終戦の時、7歳だった経験から、どんなことがあっても戦争は嫌だ。これはイデオロギーではなく。民衆の1人として言い続けたい。
この国はここ10年ぐらい前から、大勢順応というか、少数意見、反対意見が言いにくくなっている気がする。フォークは自分の考えを自由に表現できる素晴らしい音楽だ。これからも弱者が安心して生活できるように、強者には耳の痛いことを歌っていくつもりだ。

<かさぎ・とおる> 1937(昭和12)年岐阜県岩村町(現恵那市)生まれ。岐阜大卒業後、地元で小学校教員、東京で出版社勤務を経験し、中津川市に戻ってからはフォークシンガーとして活動を始める。69〜71年、中津川フォークジャンボリーの企画、運営に携わる。70歳を過ぎた今でも、全国の小さな町や村などで年間100回以上、コンサートを精力的に開催している。オリジナル曲は800曲以上あり、代表作は「私に人生と言えるものがあるなら」「あなたが夜明けをつげる子どもたち」「わが大地のうた」など。2005年には全国各地で「憲法フォークジャンボリー」を開いた。(中日新聞 2009/07/31)



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