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テロは世界を変えたか

エドワード・サイード氏に聞く




2002年9月17日(朝日新聞)

テロは世界を変えたか
エドワード・サイード氏に聞く

(聞き手 ニューヨーク支局長 五十嵐浩司)


■対テロ戦が生んだのは

──「テロとの戦い」で、世界はより安全になりましたか。

「より危険になったと私は感じる。突発的なものであれ、国家によるものであれ、以前より暴力に支配され、人々は安全でないと感じている。それはテロのせいではなく、米国が交戦状態にあるからだろう。テロという抽象的な悪との戦いは、終わることも勝利することもありえない。いま、ブッシュ政権はパレスチナ、イラクそしてイランの指導部や体制を変えると公然と言い放っている。各国は『米国につくか、敵に回るか』を迫られる。だれも抑えられない。これは米国の傲慢(ごうまん)さ、単独行動主義の勝利だろう」
「ほとんどの米国人は怒りに駆られている。我々だけがこうした攻撃にあったように振る舞っている。米国がアフリカで、アジアで、中東や中南米で何をしてきたのか、まったく知らない。反対意見は愛国心の名の下に抑え込まれている。星条旗、車にはステッカー。膨大な予算を持つ国防総省、疑問を挟まない議会。その結果、我々は戦争へと向かっている。それは中東だけではなく、世界全体の安全を脅かすものだ」
「米国人は自分は神で中東全体を変えられると考えている。国防総省では中東の地図を書き換え、民主主義をもたらすなどとあけすけに話されている。しかし、どうやって戦争で民主主義をもたらすんだね」

──アフガニスタン再生は数少ない救いの一つでしょう。

「しかし、状況は悪くなっている。体制は不安定だし治安もよくない。軍閥が割拠する状態だ。それでも米国人はアフガンで起きていることを知らない。こうした状態をもたらしたのが我々だということをメディアが忘れてしまっているからだ」


■親イスラエル政権

──国家による暴力とは何を指すのですか。

「被害者の数と国際法への違反ぶりを見れば、イスラエル軍にかなうものはない。それを米国は堂々と支持している」

──ブッシュ政権はとりわけイスラエルに近い。

「イラクの体制を覆そうとする最大の理由はイスラエルに絡むものだろう。イラクに民主主義をとか、イラクの民衆を救おうとかではない。シャロン(イスラエル首相)とすればサウジアラビア、エジプト、ヨルダンを無力化しイラク攻撃を進めれば、アラブ世界を政治的に破壊してパレスチナ人を『終わり』にできる。ヨルダン川西岸、ガザ両地区にも入植し、パレスチナ人を追い出すかも知れない」


■国連の「対米制裁」

──地球上の大多数が望んでいない戦争を、止める手だてはないのでしょうか。

「まず団結すること。そして国連で米国とイスラエルを孤立させ、戦争に誰も協力しないと明確にする。それでも戦争を起こせば米国に制裁を科す」

──米国に制裁?

「対米制裁! その通り! 他に道はない。米国は人類史上最強の軍を持ち、誰も抑えられない。だから使える手だては外交、政治そして経済の力だ」

──しかし、米国は国連安保理で拒否権を持つ。安保理を通さずに制裁などできますか。

「米国が拒否権を使うなら、『平和のための結集』と呼ばれる国連総会を招集する。極めて重要な事実に関してはそこで安保理決定を覆せる。そうした例はあった(注)。世界をたった一つの国、いや、世界から孤立したたった一握りの人々の自由にさせてはならない」

──難しい手法です。

「しかし、驚くほどに誰もがイラク攻撃に反対している。ブッシュは『あらゆる手段を講じる』といっているが、(イラクに国連の)査察団を復帰させようなどとは望んでいない。米国はイラクが核保有の能力があるだけで攻撃する必要があると説明する。だが、そうした国は50ほどもある。イスラエルはすでに核を持っているのに、誰も査察を言い出さない」


■国外渡航14%のみ

──正義と悪、イエスかノーか。米国のこの単純な2分法は何が原因なのでしょう。

「19世紀に大国になってから米国は戦争に負けた経験がなく無敵だという意識がある。それが、米国は特別で常に正義の側にある、暴力を使うのも良い目的のためという意識につながっている。そこでは教育の役割が大きい。若者たちは米国が特別な目的と使命を持つと教えられる。また、米国が世界で最も宗教的な国だというのも一因だ。『神の下の国』の意識。それに国民の14%しか国外に行ったことがなく、連邦議員も30%しかパスポートを持っていない」

──この内向きぶりがテロ後の反イスラムの空気に?

「こうした空気はかなり前からある。私は20年前に『イスラム報道』という本を書いた。今もその内容と変わらない。いや、少し悪くなったか。9.11は米国人にとって、イスラムがいかに狂信的かを示すものだ。だが、何がイスラムかと尋ねられて知っている者はいない。ここではメディアの責任が大きい。極めて単純化し、『イスラムは病んでいる、欧米を嫌っている』と繰り返す」

──米メディアの9.11報道をどう見ますか。

「ひどいものだ。メディアがこれほどまでに政府に従順だったことはかつてない。政府が言うとおりに『我々はいま、爆撃しています』と伝えるのは、国の広報機関に過ぎない」

──知識人の役割は。

「米国の学者は政府入りを視野に入れている。政権交代のたびにワシントンに群がり、シンクタンクや政府機関に入る。最も重要な学者は政府の一部となる。だから政府を攻撃しない。また、真の反対勢力が組織されたことがない。民主、共和の2大政党は本質的には同じだ」

──あなたは米国籍ですが、パレスチナ生まれでアラブ世界の一部でもある。あなたが「私たち」といって批判するとき、それは誰を意味するのですか。

「……たぶん、その全部を意味するのだと思う。私を形作る様々なものを区別しようとは思わない。2つ以上の世界に属するというのはいいことだ。もっともアラブ世界から離れて長く今はもうアラブには住めない」

──代々のキリスト教徒ですね。イスラムとの葛藤(かっとう)は?

「まったくない。文化も言語も同じ、教会が違うだけ。子どもの頃は双方とも同じ学校に通った。(イスラエルが建国を宣言した)48年より前はユダヤ教徒も同じ学校。違いはわかってはいたが、それで攻撃的になることはなかった」


■テロも撲滅できる

──9.11後、悪化する一方のパレスチナ問題で国際社会は何をするべきなのでしょう。

「イスラエルとパレスチナの間に国際部隊を入れ、パレスチナ人を保護する。それがたぶん唯一の方策だろう。多くがそう主張するが、米国が安保理で拒否権を使うため実現しない」

──テロの根源を絶つのは難しい作業です。

「私は楽観的だ。教育や貧しく絶望している人々の境遇改善などで、テロを根絶やしにできると思う。いま世界が直面する問題はテロだと誰もが思っている。だが、グローバル化や米国の巨大な覇権が、先進国と開発途上国、飢えたる者と満ち足りた者との関係をどれほど変えたか、見落とされがちだ。21世紀の政府は共通の問題に協調して取り組む必要がある。例えば環境、飢餓、エイズ。いずれも対処できるものであり、テロもその一つだろう。天然痘を克服したようにテロも克服できる」
「短期的には悲観的だが、中長期的には楽観的。そうでなければ教育者として世界の目と心を開かせることはできない」


(注)平和のための結集 安保理が常任理事国間で合意できず平和への脅威や侵略行為に対処できない場合、総会が肩代わりする。だが、肩代わりを決めるのは安保理。50年の朝鮮戦争の際に使われたが、ソ連(当時)が欠席したため可能だった。


エドワード・サイード
米コロンビア大学教授(比較文学)。代表作に「オリエンタリズム」(78年)。エルサレム生まれのキリスト教徒でカイロの大学を出た。いまは米国籍。パレスチナ民族評議会(PNC)の議員を91年までの14年間務め、米国におけるパレスチナの最も強力な代弁者。9.11絡みでは言語学者ノーム・チョムスキー氏と並ぶ「武力行使批判派」。同氏は米主流メディアに無視されているが、サイード氏はなお発言を求められる。体調がおもわしくなく、久々に大学へ。66歳。



【関連記事】

パレスチナ出身の米思想家、エドワード・サイード氏、死去
ニューヨーク──米コロンビア大学教授(比較文学)で「オリエンタリズム」などの著作で知られるエドワード・W・サイード氏が24日夜、ニューヨーク市内の病院で死去した。67歳だった。出版社クノップ社の編集者が25日、明らかにした。同氏は長年の間、白血病を患っていた。
1935年に英委任統治下のエルサレムで生まれたパレスチナ人。カイロで少年期を過ごし、英米系の学校に通った。その後、米プリンストン大学に入学、ハーバード大学で博士号を取得。コロンビア大学で教鞭をとり、米国籍を取得した。
77年から91年にかけてパレスチナ民族評議会に参加。イスラエルの占領政策を「国家テロ」と激しく批判し、米国内でパレスチナ人の立場を代弁する論客となった。一方で、93年のオスロ合意でイスラエルに妥協したとして、アラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長と袂を分かち、PLO幹部の腐敗なども告発した。
イスラエル寄りの米国では常に論議を巻き起こしたが、「アウトサイダーとして米国・アラブ双方に批判的視点を加えるのが私の役割」と述べ、同時多発テロ後もその姿勢は変わらなかった。最近はアラブ系メディアへの寄稿が増えていた。
78年に「オリエンタリズム」(平凡社)を出版。西欧が作り出した「東洋」概念を分析し、小説などの言説を通して西洋の世界支配の仕組みを分析し、大きな衝撃を与えた。94年にはより広い地域を取り上げ、植民地主義と文化の関係性と影響を考察した「文化と帝国主義」(みすず書房)を発表した。
一方で、パレスチナやアラブに関する著作にも力を入れ、西欧メディアのアラブ報道の問題点を整理した「イスラム報道」(みすず書房)、自らの経験を交えてパレスチナ問題の本質を問うた「パレスチナとは何か」(岩波書店)などを発表した。
95年に「国際メセナ会議」に招かれ、妻メリアムさんとともに来日。当時から白血病を患っており「週7日働く。次の日曜日はないかもしれないから」と述べていた。死に備えて当時から執筆していた「遠い場所の記憶──自伝」は99年(邦訳01年、みすず書房)に出版された。(CNN 2003/09/26)



【関連サイト】

エドワード・サイードのオンライン・コメント(RUR-55 Outlet)



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