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9/11の矛盾

デビッド・レイ・グリフィン




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「科学という考え方においては、良い理論と悪い理論を区別するための二つの基本的な規準がある。第一に、ある理論は、関係する事実のいずれについても、矛盾してはならない. . . . 第二に、それはいかなる内部的な矛盾もなしに、首尾一貫していなければならない。もしもある理論に一つ内部的な矛盾があれば、それは受け入れがたい理論だ。」

──デビッド・レイ・グリフィン


9/11の矛盾:教室のブッシュ大統領

デビッド・レイ・グリフィン
Global Research、2008年4月4日

9/11の公式説明は内的矛盾に満ちている。こうした矛盾の一つに、9/11朝、ブッシュ大統領がどれだけの時間、フロリダ州、サラソタの教室にいたのかという疑問がある。

ブッシュは、小学生が本を読むのを聞いている所を撮影させて、彼の教育政策を宣伝するためにそこにいた。彼は午前8:55に学校に到着したが、その頃には、彼は飛行機がツイン・タワーの一棟に突入したことを初めて聞いていたとされている。突入は事故だと片づけて、ブッシュは、そのまま進めよう「とにかく読書をしよう」と言ったのだ。

ブッシュは、サンドラ・ケイ・ダニエルズ先生が教える二年生の教室に、午前9:03頃入った。9:06頃、大統領首席補佐官アンドリュー・カードが入っていき、ブッシュの耳元でささやいたが、後にカードが語ったところによると「二機目の飛行機が、第二棟に突入しました。アメリカは攻撃されています。」と言ったのだ。

その後に起きたこと

2004年に公開されたマイケル・ムーアの映画「華氏911」のおかげで、世界中がそれから何が起きたかを知っている。ブッシュはそこに何分も、何分も、そこに座り続けたのだ。

ところが、ジャーナリストたちはブッシュの奇妙な振る舞いを早くから報道していた。例えば、2002年9月1日、ジェニファー・バーズは、カードがブッシュの耳元でささやいた後、大統領は教科書を持って、子供たちと一緒に「8分か9分」読んだとタンパ・トリビューンで報じている。2002年に書いた著書「Fighting Back(反撃)」で、ワシントン・タイムズのホワイト・ハウス特派員ビル・サモンは、本を読む授業が終えた後も、ブッシュはぐずぐず居残り、サモンは彼に「最高なまけ漢」(最高司令官のもじり)というあだ名をつけることになったと書いている。

一周年におけるホワイト・ハウスの説明

しかしながら、9/11一周期に、アンドリュー・カードが先頭となって、ホワイト・ハウスは根本的に異なる説明をし始めた。2002年9月9日、カードはNBCニューズのブライアン・ウィリアムズに語っている。「私が大統領を離れると、それから何十秒もしないうちに、大統領はお別れを言って教室を去り、私たちは待合室に集まり、状況について話し合いました。」9月11日のサンフランシスコ・クロニクル記事で、ブッシュに二番目の攻撃を伝えると、大統領が「見上げていたのは、わずか数秒間でしたが、何分間ものように思えました. . . . それから彼は先生と生徒たちに、とても丁寧に挨拶し、退去したのです」とカードは語っている。

その同じ日、カール・ローブはNBCニューズのキャンベル・ブラウンに語っていた。

アンディー・カードが入っていって大統領に話をしましたが、彼が大統領の耳元でささやいている有名な写真を覚えておられるでしょう。すると大統領は、やや、ええ、彼は子供たちをびっくりさせたくなかったのです。彼は授業が終わり近づいているのを知っていました。それで彼はしばらく間を置き、まあ、文字通り、終わるまでは、決して長い時間ではありませんで、それから彼は休憩室に入ってきました。

また、その同じ日、カードとローブは、9/11の一周期に放送された別番組のABCニューズに出演し、彼らの修正版説明を請け合った。この番組には以下のような部分があった。

アンドリュー・カー:瞬間、衝撃を受けて、大統領はほんの一瞬、あらぬ方を見ていたように思います。

チャールズ・ギブソン:大統領は落ち着いて、生徒たちが終わるのを待ちました。

カール・ローブ:大統領は、ほんの一瞬だけ、立ち上がって教室から歩いて出ることを考えました。しかし、授業も終わりに近づいていたので、生徒たちを脅かしたくなかったのです。

ギブソン:そうはせずに、ブッシュは間をおいてから、生徒たちにお礼を言い. . . そして隣の無人の教室に向かいました。

ダニエルズ先生の援助

この改訂版説明を提示するだけでなく、ブッシュ−チェイニー ホワイト・ハウスは、明らかに、サラソタ小学校の二年生の教師サンドラ・ケイ・ダニエルズの支援をも求めていた。2002年9月11日に掲載されたロサンゼルス・タイムズの記事の中で、彼女はこう言っている。

ブッシュ大統領が、教科書を手にして、授業に参加しようとはしないので、何か起きたことがわかりました.... 彼は言いました。「ダニエルズさん、私は行かなければなりません。フランク・ブローガン副知事に残ってもらい、私の代わりに演説させますから。」彼の表情から、何かまずいことになっているのがわかりました。私は大統領のために短いお祈りをしました。彼は私と握手して、立ち去りました。

ダニエルズによるこの説明は、わずか10日前に書かれた上記のジェニファー・バーズ記事で言っていることと根本的に違っている。「ブッシュ大統領は、膝の上の教科書を忘れたまま、明らかにじっと考え事をしていました」と言った後、ダニエルズはこう言ったと、バーズは引用している。「彼をそっと蹴りつけるわけにもいきません。. . . . 「さあ大統領。教科書を持ってくださいな。とは言えませんでした。世界中が見ていますからね。」

ダニエルズ先生が、わずか10日前にこの説明をしたという事実からして、彼女の訂正版を、記憶力の悪さで説明するのは無理だろう。唯一、あり得る説明は、ホワイト・ハウスが、彼女に改訂版の説明を広めてくれるように説得したということであるように思える。虚偽の説明を広めたり、ダニエルズ教師に手伝うよう説得までするホワイト・ハウスの動機とは一体何だったのだろう?

考えられる動機

その一方で、大統領を、その生命に対するいかなる潜在的脅威からも守る責務を負っているシークレット・サービスは、テロリストが重要な標的を追っていることが明らかになった後で、大統領がそうした標的の一つであると想定すべきであった。ある記事にあるように、「ブッシュの居場所は、. . . 予定されていた読書会の催しは、予測される標的となった」「宣伝の行き届いた小学校での催しのおかげで、その日のブッシュの居場所が秘密でないことは確実だった」のだ。一方、人々は、シークレット・サービスが、その通りには行動しなかったことを観察していた。9/11の翌日、カナダのグローブアンド・メールはこうコメントしている。「何らかの理由で、シークレット・サービス職員は[ブッシュ]をせき立てなかった。」

このコメントの背景を、シークレット・サービスに関する本の著者フィリップ・メランソンは、こう説明している。メランソンは言う「テロリスト攻撃が進展する中では、大統領をできるだけ早急に最寄りの安全な場所に連れて行くのが手順のはずです。」これこそが、標準作戦手順であったはずだということは、ワールド・トレード・センターへの二番目の突入がテレビで報道されるやいなや、一人のシークレット・サービス職員が、サラソタ郡保安官のビル・ボークウィルに「我々はここから退去する。皆に準備させて貰えるか?」と言ったという事実が、例証している。

しかし、ブッシュは教室に7分あるいはそれ以上居続けることが許されたばかりでなく、小学校に更に20分も滞在したのだから、この職員の判断は、誰かシークレット・サービス幹部職員によって、明らかに覆されてしまったのだ。大統領が依然として小学校にいることを万人に知らしめる、国民へのテレビ演説をすることさえ許されてしまった。

当時、11機もの飛行機がハイジャックされたという報告が出されていたことを考えると、この振る舞いは、とくに無謀に見える。シークレット・サービスは、こうした飛行機のうちの一機が、まさにその瞬間、小学校に向かっているのではと懸念するべきだった。ところが、シークレット・サービスの行動は、シークレット・サービスは小学校が攻撃されるだろうという不安を全く持っていなかったことを示唆している。

このシークレット・サービスの振る舞いは、イスラム教テロリストが、ブッシュ大統領を殺害する目的で、イタリア、ジェノバでの先進国サミットに、旅客機を突入させるかも知れないという報告に対する2カ月前の反応と実に対照的だ。イタリア政府は、ジェノバ上空の空域を閉鎖し、空港に対空ミサイルを設置した(2001年9月25日、ニューヨーク・タイムズ、デビッド・サンガー記事)。これだけの防備をしたにも関わらず、ブッシュは、他国の首脳たちのように豪華客船ではなく、航空母艦に宿泊した(CNN、2001年7月18日)。なぜ、7月のジェノバでの単なるテロリストによる飛行機攻撃の可能性では、それほど懸念したのに、そのような攻撃が実際に行われつつあった9月のサラソタでは、そうした懸念が皆無なのだろう?

シークレット・サービスが、ブッシュをせき立てて移動させそこねたことは、チェイニー副大統領や、コンドリーザ・ライスや、数人の主要議員は、素早く安全な場所へ案内されたという報告に照らして、一層奇妙にみえる。ブッシュ大統領の保護こそ、より優先度が高いはずではなかろうか? セント・ピータースバーグ・タイムズのスーザン・テイラー・マーチンは、2004年7月4日に書いているが、「あの日について、答えがされていない多くの疑問の一つは、ディック・チェイニー副大統領に対しては明らかにそうしたように、なぜシークレット・サービスが、即座にブッシュを安全な場所に移動させなかったのかということだ。」

この疑問が9/11直後に提起され、その後も提起され続けたという事実を、ホワイト・ハウスが危険だと感じ取った可能性がある。この疑問は、実際、危険な結果を引き起しかねない。なぜなら、実際いくつかのサークルではそうなったのだが、これはブッシュが小学校から避難しなかったのは、シークレット・サービスが、彼は狙われないことを知っていたからだ、という推論を導きかねないからだ。この種の推測は防ぎたいという願望がブッシュの行動に関する改訂版の説明を大衆の意識に染みこませるというホワイト・ハウスの企みの背後にあった可能性が高い。

9/11委員会によるこの件の扱い方

9/11の犠牲者の家族にとって、サラソタでの、ブッシュと彼のシークレット・サービスの奇妙な振る舞いは、重要な懸念の的だ。9/11委員会・家族運営委員会が提示した核心となる疑問の一つは、「なぜシークレット・サービスは、ブッシュ大統領が、子供たちに本を読んでいたサラソタ小学校にとどまることを認めたのだろうか?」というものだ(この疑問が提示されたことを、2006年の本の中で、委員会の議長と副議長のトーマス・キーンとリー・ハミルトンが認めている。Without Precedent: The Inside Story of the 9/11 Commission、54ページ)。9/11委員会は、しかしながら、これに答えてはいないのだ。委員会の唯一の答えは以下のものだ。「シークレット・サービスは、大統領をより安全な場所にぜひ移動させたかったが、大統領が走って外に出ることが、どうしても必要だとは思わなかった」(9/11委員会報告、39ページ)。しかしながら、この対応は、シークレット・サービスには、二つしか選択肢がなかったということを暗示している。(a)大統領が走って教室の外に出る(b)大統領に、さらに30分間、そのまま小学校にいてもらう。だが三つ目の選択肢があったのだ。シークレット・サービスは、大統領に歩いて出てもらい、大統領リムジンに乗せ、さっと連れ出せたはずだ。

マスコミの扱い方

2004年3月のウォール・ストリート・ジャーナルの「9/11に関する政府説明には、空白や矛盾がある」という記事は、9/11に関する公式説明中の矛盾について報じる大手マスコミでは数少ない記事の一つだった。ジャーナルが、ホワイト・ハウスにとくにサラソタでの出来事の矛盾について尋ねたところ、スポークスマンのダン・バートレットは、ホワイト・ハウスの改訂版を守ろうとはせず、二度目の突入の報告を受けてから、少なくとも7分間、ブッシュが教室にいたままだったことを確認した。バートレットは言った。ブッシュ大統領は、すぐさま立ち去りはしませんでした。なぜなら、大統領は「いきなり教室の外にとび出すことで、子供たちを脅かさないほうが良いと直感したからです。」

しかし、たとえバートレットの発言が、カードとローブが大統領がやったと主張したことを、なぜブッシュがしなかったのか、ということの説明として容認できるものだとしても、WSJ記事が触れなかった本当の疑問は、なぜホワイト・ハウスが、カードや、ローブや、ダニエルズ教師を通して、虚偽の説明をしたのかということなのだ。確かに、これはマスコミが全体として調査すべき問題だった。とくに、ホワイト・ハウスの虚偽の説明を流布するために利用された、ABCニューズ、NBCニューズ、サンフランシスコ・クロニクル、そしてロサンゼルス・タイムズは、ホワイト・ハウスに、なぜ全く虚偽の説明をしたのかという説明を要求すべきだったのだ。これら新聞や放送局には、読者や視聴者に訂正し、なぜホワイト・ハウスが、嘘を広めるために彼等を利用したのか調査を試みる義務がある。

なぜホワイト・ハウスが嘘をついたのかを調べながら、マスコミは、もちろん、元々の疑問、なぜシークレット・サービスが即座にブッシュを安全な場所に移動させなかったのか、に対する答えを発見するよう努力もすべきだったのだ。


著者について:
このエッセイは、デビッド・レイ・グリフィンの著書“9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press”(Northampton: Olive Branch、2008年3月刊)の第一章の省略版である。

デビッド・レイ・グリフィンは、Global Researchの常連寄稿者。

記事原文のurl:http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8555


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9/11の矛盾:チェイニーはいつバンカー(掩蔽壕)に入ったのか?

デビッド・レイ・グリフィン
The Canadian


9/11の朝、9:03(ワールド・トレード・センター南棟が攻撃された時刻)からしばらくたって、10:00前に、ディック・チェイニー副大統領が、ホワイト・ハウス東翼地下にある、時には単に「バンカー」と呼ばれる大統領危機管理センター(PEOC)に降りて行ったということは皆が同意する。一度そこに入れば、自分で決定を下すか、ブッシュ大統領の決定を伝えるかして、チェイニーが統括するのだということも誰もが同意する。だが、正確にいつチェイニーがPEOCに入ったのかについては、非常に大きな不一致がある。

9/11委員会報告によれば、チェイニーは「10:00ちょっと前、おそらく9:58に」到着した(9/11委員会報告[以下、9/11CRと略す] 40)。この公式時間は、しかしながら、中には9:20以前に彼がいたとしているものもある、ほとんどすべてのそれ以前の報告と矛盾する。もしも9/11委員会の時刻が正しければ、ペンタゴンが攻撃された時点、あるいは、ユナイテッドの93便がワシントンに接近しつつあった時間の大半、チェイニーは、PEOC中で統括していなかったことになるので、この差異は重要だ。しかし、もしも9:20には彼がそこにいたという報告が正しければ、彼はずっとPEOC中で統括していたのだ。

チェイニーが早く到着していたとするミネタの報告

9/11委員会と矛盾する最もよく知られている発言は、運輸長官ノーマン・ミネタが、2003年5月23日の9/11委員会での公開証言で行ったものだ。彼は「午前9:20頃にPEOCに到着した」と語った。ミネタはそこで、明らかに彼が到着する前から始まっていた、一人の若者とチェイニー副大統領との進行中の会話の一部を耳にしたと報告していた。この会話はワシントンに向かって飛んでくる一機の飛行機についてのもので、チェイニーが「命令は依然有効だ。」と確認して終わった。委員のティモシー・レーマーが後に、ミネタに、彼が到着してどれほどしてから、この命令が依然として有効かどうかについての会話を耳にしたのか尋ねると、ミネタは答えた。「おそらく5分か6分です」これはつまり「9:25か9:26頃」であることを意味するとレーマーは指摘した。

これは著しい矛盾だ。ミネタによれば、チェイニーが、進行中の会話をしていたという事実からすれば、ミネタが9:20に到着する数分前から、彼はPEOCにいたに違いない。もしもチェイニーが、そこに9:15からいたのであれば、ミネタの証言と9/11委員会報告の間には、43分間の矛盾があることになる。なぜこれほど大きな矛盾が存在するのだろうか?

あり得る説明の一つは、ミネタは間違っていたということだろう。彼の話は、しかしながら、他の多くの証人たちの証言と一致している。

チェイニーが早く到着したことを支持している他の報告

リチャード・クラークは、彼とチェイニーと、コンドリーザ・ライスは、9:03のすぐあと短い打ち合わせをし、その後で、シークレット・サービスは、チェイニーとライスに、PEOCに入ってもらいたいと思っていたのだと報告している。ライスは、しかしながら、まず最初にクラークとホワイト・ハウスのテレビ会議センターに行き、そこでクラークがテレビ会議を設定することになっており、それは9:10頃に始まった。そこで数分間すごした後、クラークによると、ライスはこう言った。「至急、いくつか判断をもらわなければなりません。私はPEOCに入り、副大統領に合流します。何が必要か言いなさい。」9:15頃、ノーマン・ミネタが到着し、クラークは「彼に副大統領と合流するよう提案した」(Against All Enemies、2-5)。クラークはここで、9:15の数分前にチェイニーはPEOCにいたことを暗に語っている。

9/11一周年のあるABCニューズの番組で、チェイニーのホワイト・ハウスのカメラマン、デヴィッド・ボーラーは、9:00のすぐ後で、何人かのシークレット・サービス職員がチェイニーのオフィスに入り、「長官、我々と一緒に参りましょう」と言ったと報告している。この同じ番組で、ライスは言った。「長官たちの全員を見つけようとしていると、シークレット・サービスが入ってきて言いました。「今出て、バンカーに行っていただかなければなりません。副大統領はすでに入っておられます。ホワイト・ハウスに向かってくる飛行機があるようです。」そこで、ABCのチャールズ・ギブソンはこう言った。「バンカーで、副大統領はライスとノーマン・ミネタ運輸長官と合流しました」(“9/11: Interviews by Peter Jennings,” ABCニューズ、2002年9月11日)。

9/11委員会の、到着は遅かったという主張

9/11委員会は、一機の飛行機がホワイト・ハウスに向かっているという話を受けた後で、副大統領がPEOCへとせかされたことには同意している。報告書は、しかしながら、この話は9:33までは受けなかったとしている。だがそうであっても、委員会によると、シークレット・サービス職員たちは、飛行機が方向を変えたことを伝える他のメッセージを即座に受け取っており、それで「この時点で副大統領を避難させる動きは何も行われなかった。」シークレット・サービスが、チェイニーに地下に行きましょうと言ったのは、「9:36直前」より前ではなかった(9/11CR 39)。しかし、9:37に地下の廊下に入った後でさえ、チェイニーは即座にPEOCには行かなかった。そうではなく、

中に入ってから、チェイニー副大統領とシークレット・サービス職員たちは、トンネルの中の盗聴防止機能付き電話と、ベンチとテレビがある場所で休止した。副大統領は大統領に電話をしたいと言ったが、電話がつながるまで時間がかかった。彼はトンネルの中でペンタゴンが攻撃されたことを知り、建物から煙が出てくるテレビ報道を見た。(9/11CR 40)

次に、リン・チェイニーが「トンネル中の夫に加わった」後、委員会は、電話会話を終えた後で「チェイニー夫人と副大統領はトンネルから、シェルターの会議室に移動した」と主張しており、それは9:55以前ではなかった。ライスに関しては、委員会は、彼女が「副大統領のすぐ後に、会議室に入った」と加えている。(9/11CR 40)

これ以上矛盾を明らかにすることはできない。委員会によると、チェイニーは、9:20前にPEOCに入るどころではなく、ミネタや他の人々が言っているように、9:38のペンタゴン攻撃から20分後の9:58頃まで、そこに到着してはおらず、チェイニーは、攻撃について、廊下で知ったのだ。

「ミート・ザ・プレス」でのチェイニーの説明

9/11委員会の説明は、チェイニー自身がある有名なインタビューで言ったものとさえ矛盾している。9/11からわずか5日後、NBCの番組「ミート・ザ・プレス」で、ティム・ラサートに、チェイニーはこう言っている。「大統領と話をした後、. . . 私は . . . 大統領危機管理センターに降りて行き. . . . すぐそこに到着し、ペンタゴンが攻撃されたという話を聞いた。」チェイニー自身、それゆえ、 ペンタゴン攻撃(9:38)の前にPEOCに入ったと言っており、委員会が後に主張するように、その20分後なのではない。

矛盾への対処

チェイニーのPEOC到着時刻に関する委員会の主張が、ボーラー、クラーク、ミネタ、ライス、何人かのマスコミ報道や、チェイニー自身のものにさえ矛盾するという事実に、9/11委員会はどのように対処したのだろう? 委員会は単純に、これらの矛盾する報道に対する言及をまったく省いたのだ。

そうした省略の中で、最も重要なものは、委員会が公開聴聞会の委員会で行われたものである、この委員会(2003年5月23日)の筆記録を読めばわかるとおりのノーマン・ミネタの証言に触れなかったことだ。9/11委員会記録の9/11委員会聴聞会の公式版ビデオ記録からも、ミネタの証言部分は削除された。(ただし、インターネットでは見られる。)

2006年のカナダ放送のインタビューのなかで、ハミルトンは「午前10時前に、ディック・チェイニーがどこにいたとミネタは委員会に答えたのですか」と質問された。ハミルトンは答えた。「覚えていません」(“9/11: Truth、Lies and Conspiracy: インタビュー:リー・ハミルトン” CBCニューズ、2006年8月21日)。ミネタが、若者とチェイニーの会話の話をしたことを質問していた人物なのだから、ハミルトンが思い出せないのは驚くべきことだった。ハミルトンは、さらに、ミネタにこう言って質問を始めていたのだ。「あなたは、あそこ[PEOC]に、あの日かなり長時間おられましたね。副大統領と一緒にそこにおられたのだと思います。」そして、ミネタが9:20頃に到着したことが確実だとされることになった、ミネタのティモシー・ローマーとのやりとりは、ハミルトン尋問のすぐ後に行われたのだ。それなのに、ハミルトンはこれをまったく思い出すことができず、ただこう言った。「チェイニー副大統領は10時ちょっと前にバンカーに入ったのだと思います」

ミネタの問題含み証言の痕跡抹消

公的記録から、ミネタの話を消し去ろうと9/11委員会が努力するあり得る動機を考えるには、彼が委員会に報告した会話を検討する必要がある。彼はこう言ったのだ。

飛行機がペンタゴンに接近しつつある間、入ってきて、副大統領に「飛行機は50マイル先です」「飛行機は30マイル先です。」という一人の若者がいたのだ。そして、それが「飛行機は10マイル先です」となった時点で、若者は副大統領にこうも言った。「命令はまだ有効でしょうか?」すると副大統領は振り向き、首の回りを叩いて言った。「もちろん命令はまだ有効だ。君は何かそれと反対のことを聞いたのかね?」

ミネタの話には、9:38に起きたペンタゴン攻撃に関して危険な含意があった。9/11委員会によると、軍は一機の飛行機がペンタゴンに接近しつつあったことを9:36まで知らず、「ワシントンに接近しつつある正体不明の飛行機に対応するために、最大で一ないし二分」しかなかった(9/11CR 34)。この主張は、何よりも、なぜペンタゴンで、攻撃される前に避難しなかったのかという、125人の死者を生じさせてしまった事実を説明するのに必要不可欠なのだ。ラムズフェルド国防長官のある広報担当官は、なぜ避難をしなかったのか尋ねられて答えた。「ペンタゴンは、単にこの飛行機がこちらにやってくることに気づいていなかったのです。」(Newsday、2001年9月23日)ミネタの証言は、対照的に、チェイニーや他の連中は、攻撃の約12分前に、一機の飛行機がワシントンに接近しつつあることを知っていたことを暗示している。

一層問題なのは「命令」の本質にかかわる疑問だ。ミネタは推測して、それは飛行機を撃墜させる命令だと言った。だが飛行機は撃墜されなかった。また、とくに、二機のハイジャックされた旅客機がニューヨークのビルにすでに突入したという日に想定される命令は、ワシントン上空の「民間の飛行が常時禁じられている」「禁止」空域に侵入するいかなる非軍事的航空機でも撃墜せよというものだったろう。(“Pilots Notified of Restricted Airspace; Violators Face Military Action,” FAA報道発表、2001年9月28日)。こうした命令が下されていれば、命令が依然として有効かどうか尋ねる理由などなかったろう。飛行機を撃墜するのではなく、何かただならぬことをする命令であった場合にのみ、この質問は意味をなす。したがってこれは、ミネタが、ついうっかり警備態勢を解除しておくという命令をチェイニーが確認したことを報告してしまったように見える。

ミネタの報告が危険視されたことは、9/11委員会が、ミネタの証言を削除し、チェイニーがバンカーに入った時刻をおよそ45分遅らせ、ミネタの話を、侵入してくる飛行機についての新たな話で置き換えたという事実が示唆している。9/11委員会報告によると、本当に起きたのはこういうことだという。

10:02に、シェルターの通信担当官たちは、一機の侵入してくる飛行機についてのシークレット・サービスからの報告を受け取り始め. . . . 10:10から10:15までの間のどこかの時点で、ある軍事顧問が副大統領や他の人々に飛行機は80マイル先だと言った。チェイニー副大統領は、飛行機と交戦する権限を要求された. . . . 副大統領は戦闘機がやってくる飛行機と交戦することを承認し. . . . 軍事顧問が、数分後、おそらく10:12から10:18までの間に戻り、飛行機は60マイル先だと言った。彼は再び交戦する許可を求めた。副大統領は再び、許可すると言った。(9/11CR 41)

9/11委員会はこうして、侵入してくる飛行機の話を、警備体制解除ではなく、撃墜の命令で終わるものとして提示した。10:10以後にそれが起きたことにすることで、委員会は、それをペンタゴン攻撃から切り離したばかりでなく、チェイニーの撃墜承認が、ユナイテッド航空93便(委員会によれば、10:03に墜落した)の撃墜に至った可能性をも阻止したのだ。

チェイニーのバンカー入室についての9/11委員会説明が、ノーマン・ミネタの証言ばかりでなく、チェイニー自身を含めた他の多くの証人とも矛盾するという事実からして、議会とマスコミは、何が実際に起きたのかを判断するための調査を立ち上げる必要がある。


著者について:
本エッセイは、デビッド・レイ・グリフィン博士によるThe Canadianへの寄稿連載記事の二編目。本記事は、グリフィン博士の著書“9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press”「9/11の矛盾: 議会とマスコミに対する公開質問状」(Northampton: Olive Branch、2008年3月刊)の第二、三章の簡略版である。

記事原文のurl:http://www.agoracosmopolitan.com/home/Frontpage/2008/01/22/02147.html


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9/11のバーバラ・オルソンからの電話というテッド・オルソン報告と、それに対する3つの公式な否定

デビッド・レイ・グリフィン
Global Research、2008年4月1日


9月11日遅く、CNNはこういう出だしで始まるニュースを放送した。「保守的な評論家で弁護士のバーバラ・オルソンが、火曜日の朝、自分が乗っている飛行機がハイジャックされていると、夫の司法省訟務長官テッド・オルソンに警告する電話をかけてきたと、テッド・オルソンがCNNに語りました。」この報道によれば、オルソンは妻が「アメリカン・エアラインズ77便から、彼に二度電話をかけてきた」と語り、「乗客全員とパイロットを含む全乗務員が、武装したハイジャッカーによって飛行機の後部に集められた。彼女が言及した武器は、ナイフと開墾用カッターナイフだけだ。」と言ったという。

テッド・オルソンの報告はきわめて重要だった。ペンタゴンに突入したとされるアメリカンの77便が、午前9:00頃にFAAのレーダーから消えた後も、依然として空中にあった(この消滅後に、飛行機はオハイオ州-ケンタッキー州境に墜落したという報道もあった)唯一の証拠となったのだ。しかも、バーバラ・オルソンはCNNできわめて著名な解説者だった。アラブ人イスラム教徒たちにハイジャックされた飛行機の中で亡くなったという報道は、ブッシュ政権の「対テロ戦争」に対する国民の支持を獲得する上で一つの重要な要素だった。テッド・オルソンの報告は別の点でも重要だ。ハイジャッカーが開墾用カッターナイフを持っていたという、広く受け入れられている情報の唯一の根拠なのだ。

とはいえ、妻からの電話会話というテッド・オルソンの報告は、9/11の公式説明の中心的な主柱であるにもかかわらず、この報告は完璧に崩されてしまっている。

オルソンの自己矛盾

オルソンは、この取り崩し過程を、自己矛盾した陳述から始めた。彼は最初CNNに、我々が見聞きした通り、妻が「携帯から二度電話をかけてきた」と語ったのだ。しかし彼は9月14日にこの主張を否定し、報道番組ハニティー・アンド・コルムズで、彼女は司法省に受信者払いのコレクト・コールで自分に電話をしてきたのだと語った。したがって、「彼女はともかく自分のクレジットが使えなかったので」彼女は「飛行機の電話」を使っていたにちがいない、と彼は推測した。 しかしながら、オルソン談話のこのバージョンは、彼の最初のバージョンと矛盾するばかりでなく、自己矛盾でさえある。なぜなら、客席に設置されさた電話を起動するには、そもそもクレジット・カードが必要なのだから。

同じ日遅く、オルソンはさらに、ラリー・キング・ライブで、「飛行機上の携帯電話からの信号はあまり良く機能しなかった」ので、妻からの二度目の電話は突然切れてしまったと語った。最初のバージョンにこうして戻った後、彼は最終的には、二つ目のバージョンに落ち着いた。つまり、彼の妻はコレクト・コールで電話をかけてきたので、財布を持っていなかったからには、「客席の電話」を使ったのにちがいない、というものだ。

最終的にこの話に落ち着くことを選択して、オルソンは技術的な落とし穴を避けた。2001年当時に使われていた携帯電話システムでは、高い高度の飛行機からの電話は不可能だった、あるいは、少なくとも事実上、不可能だった(オルソンの発言「飛行機上の携帯電話からの信号はあまり良く機能しなかった」というのは極端に控えめな表現だ。)高い高度の飛行機からの携帯電話通話を可能にする技術は、2004年7月まで開発されていなかった。

しかしながら、オルソンの二つ目の話は、自己矛盾するだけでなく、アメリカン・エアラインズによって否定されている。

アメリカン・エアラインズは、オルソンの二番目のバージョンを否定している

AA77便はボーイング757であることを知っていたある9/11研究者が、アメリカン・エアラインズのウェブ・サイトには、同社の757には客席電話が取り付けられていないとあるのに気がついた。彼が2001年9月11日もそうだったのかという質問をすると、アメリカン・エアラインズの顧客サービス部担当者はこう答えた。「そのとおりです。弊社のボーイング757には電話を設置しておりません。77便の乗客は、テロリスト攻撃時には、ご自分の携帯電話を使って通話されています。」

この新事実に対して、公式説明を擁護する人々は、テッド・オルソンの最初の話は明らかに正しいではないか。彼女は自分の携帯電話を使ったのだ、と答えるかも知れない。ただし、2001年当時に使われていた携帯電話技術にからして、このシナリオはありそうにないという事実のみならず、FBIによっても否定されているのだ。

オルソン談話はFBIによって否定された

テッド・オルソンの話の最終的な崩壊は、2006年、20人目のハイジャッカーとされるザカリアス・ムサウイの裁判で起きた。この裁判で、FBIによって提出された証拠には、9/11の飛行機四機全ての電話通話に関する報告が含まれていた。アメリカン航空77便に関する報告で、FBI報告書は、バーバラ・オルソンは一度だけ電話したとしており、しかもそれは(もちろん)継続「0秒」の「接続されなかった発信」だとしている。FBIによれば、したがってテッド・オルソンは、携帯電話、飛行機電話のどちらかによる妻からの電話など一度も受けていないのだ。

9/11に、FBI自身がオルソンを尋問していた。その尋問の報告書は、オルソンが、FBI捜査員たちに、彼の妻が77便から二度電話をかけてきたと語っていることを示している。それなのに、2006年に提示された、77便からの電話に関するFBI報告書は、そのような通話など皆無であったことを示している。

これは驚くべき進展だ。FBIというのは司法省の一部門なのに、その報告書が9/11に妻から二度の電話を受けたという元司法省訟務長官の有名な主張を台無しにしたのだ。

オルソンの談話はペンタゴンの歴史家にも否定された

テッド・オルソンの話は、国防省が刊行したペンタゴン攻撃についての説明である「ペンタゴン9/11」を書いた歴史家によってもひっそりと否定されていた。

オルソンによれば、彼の妻は「乗客全員とパイロットを含む全乗務員が、武装したハイジャッカーによって飛行機の後部に集められた。」と言ったのだという。これはそもそも本質的に信じがたいシナリオだ。二人のパイロットを含め、60人ほどの人々が、ナイフと開墾用カッターナイフしか持たない三人か四人の男たちによって(ハイジャッカーの一人か二人は操縦室にいただろう)釘づけにされたのを我々に信じろというのだ。このシナリオは、ハイジャッカーだとされる連中が全員小柄で、強健とはいえず(9/11委員会は、「がっしりとしたハイジャッカーとされる連中は、実際には肉体的に堂々としていたわけではなく、彼等の大半の身長は165 cmから170 cmで、体つきはきゃしゃ」であることを指摘し)、パイロットのチャールズ・「シックな」バーリンゲームは、重量挙げ選手でボクサーで、かつての相手選手たちの一人によれば「実にタフ」だったということが分かれば、一層不合理なものになる。それに、バーリンゲームがハイジャッカーに飛行機を引き渡しただろうという発想を彼の弟は否定しており、「操縦室で何が起きたかは知りませんが、連中は兄を動けなくするか殺害しなければならなかったはずです。兄ならあの飛行機に起きたような悲劇を防ぐためなら何でもしていたでしょうから」と語っている。

ペンタゴンの歴史家は、いずれにせよ、バーリンゲームと副操縦士は飛行機を引き渡し、乗客や他の乗務員と一緒に飛行機の後部にいたとするオルソンの話を採用しなかった。彼らは、「テロリストは、二人のパイロットを動けなくしたか、殺害したかのいずれかだ。」と書いた。

結論

アメリカン・エアラインズ、ペンタゴン、そして特にFBIによるテッド・オルソンの話の否定は、この上なく重要な進展だ。バーバラ・オルソンからのものだとされる複数の電話通話以外に、77便がワシントンに戻ったという証拠はない。また、もしテッド・オルソンの主張が嘘とするなら、可能性は二つしかない。彼が嘘をついたか、それとも彼は、彼の妻を装う音声変更技術を使った誰かに騙されたかだ。いずれにせよ、バーバラ・オルソンからの電話に関する公式説明は虚偽に基づいたものだ。そして、もしも9/11に関する公式説明のこの部分か欺瞞に基づいたものであれば、他の部分も怪しいのではと思って当然ではなかろうか?

テッド・オルソンの報告が、9/11に関する公式説明を擁護する他の人々によって否定されたという事実は、9/11の新たな調査を要求する根拠となる。この内部矛盾は、しかも、私の最新著書「9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press」で私が説明した25もの、そうした矛盾の一つにすぎないのだ。

注記

この記事は、デビッド・レイ・グリフィンの最新著書、「9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press (Northampton: Olive Branch、2008)」の第八章に基づいている。
本書は、9/11の中心的な出来事を、一連の25件の内部矛盾として再構成している。読者が、公式説明をそのまま信じ続けられるようにする唯一の方法は、お互いに矛盾する説明をそのまま受け入れることだ。

“9/11 Contradictions”は、デビッド・レイ・グリフィンのあらゆる本(あるいは、いかなる本)の中でも、 9/11の新たな調査を開始させる可能性が一番高い書物かも知れない。

デビッド・レイ・グリフィンは、Global Researchの常連寄稿者。

記事原文のurl:http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8514


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9/11の矛盾:モハメド・アタの三菱の車と彼の荷物

デビッド・レイ・グリフィン
The Canadian


9/11に関する 公式説明の中核は、この日衝突・墜落した四機の旅客機は、モハメド・アタが率いるアルカイダのハイジャッカーの一団によって乗っ取られたという主張だ。この主張に対する証明はこれまで提示されていない。だがさまざまな種類の証拠が提示され、その中でも最も重要なものは、攻撃後アタの荷物から見つかったとされるものだ。この荷物中の資料は、飛行機がアタや仲間のイスラム教徒たちによって乗っ取られたという疑惑を確認するものだと言われた。ジョエル・アッヘンバッハは、2001年9月16日、ワシントン・ポストの記事でこう書いた。

アタはワールド・トレード・センターに最初に突入したアメリカン航空11便を操縦していたと見なされている。ボストンのローガン空港にあった彼の荷物の中に残されたアタが書いた手紙には、彼が殉教者として天国に行けるために、自殺を計画していると書いてあった。荷物には、サウジのパスポート、国際運転免許証、ボーイング旅客機操縦法のビデオ教本と、イスラム教のお祈りの時間表があった。(“'You Never Imagine' A Hijacker Next Door.”「隣人がハイジャッカーだなどと夢にも思わない」)

この発見は明らかに、アタとアルカイダによる事件を立件するのに大いに役立った。

だがなぜアタの荷物が、そこで発見されることになったのだろう? アッヘンバッハはこう言っていた。「当局は、アタと[アブドゥル]アル・オマリが、ボストンで車を借り、メイン州ポートランドまで運転して行き、月曜日夜、コンフォート・インの部屋を借りた . . . . 二人はさらに、火曜日朝ポートランドからボストンの短距離便に搭乗し、11便に乗り継いだと考えている。」

だが一体なぜアタの荷物は、11便に間に合わなかったのだろう? 9/11のスタッフ証言は、余裕のない乗換であったことを示唆しており、こう語っている。「ポートランドへの寄り道のせいで、すんでのところで、アタとオマリがボストンを発つ11便に間に合わなくなるところでした。実際、彼らがポートランドでチェック・インした荷物は飛行機に間に合いませんでした」(スタッフ供述 No. 16、2004年6月16日)。9/11委員会報告が翌月現れた時には、しかしながら、この示唆は消えていた。実際、委員会は「アタとオマリはボストンに6:45に到着した」と書いた後で、「アメリカン航空の11便は7:45に離陸予定だった」と補足した。(9/11委員会報告[以下9/11CRと略す]、1-2)。

もしも荷物を運ぶのにほぼ一時間もあったのなら、なぜそれが積み残されたのだろう? 地上職員がうかつだったと考えることも可能だ。しかしながら、アメリカン航空はこう報じている。「アタは、アメリカン航空11便の81人の乗客の中で、荷物が便に間に合わなかった、たった一人の客だった。」(ポール・スペリー、WorldNetDaily.com、2002年9月11日)

しかし、さらに、より大きなミステリーがあった。一体なぜアタは、もしも9月10日にすでにボストンにいたのであれば、わざわざポートランドに旅をし、一泊し、早朝の定期便に乗る必要があったのだろう? もしもこの定期便が一時間遅れていれば、アタとアル・オマリは、接続便に乗り損ねていたはずだ。すると11便を乗っ取るのにわずか三人しかハイジャッカーがいなかったことになる。アタは、おまけに、この便のパイロットとして指名されていたとされており、しかも彼は何年間もかけて計画した全体の作戦の首謀者だったのに、それで中止を宣言しなければならない可能性さえあったのだ。

一体なぜ彼がそのようなリスクの高い旅をしたのか、決して説明されていない。攻撃から一年後、FBI長官ロバート・ミュラーは、9/11問題の議会共同聴聞で証言して、こう述べた。

攻撃の前日、モハメド・アタは. . . アブドゥル・アジズと落ち合い. . . メイン州ポートランドまでドライブしました。二人は、南ポートランドのコンフォート・インにチェックインし. . . . 二人がそこに出かけた理由は、今日に至るまで不明のままです。(「記録のための証言」共同インテリジェンス委員会聴聞、2002年9月26日)

二年後、9/11委員会は書いている。「なぜアタとオマリは、9月10日の朝ボストンからメイン州ポートランドまで車で出かけ、結局はただローガンに、9月11日朝、5930便で戻るだけだったかについて、説得力のある説明となる、物理的、文書的、あるいは分析的証拠は皆無である」(9/11CR 451n1)。

そこで、ミステリーは二つあることになる。一体なぜアタはポートランドへのリスクのある旅をしたのだろう? そして、なぜ彼の荷物は、11便に搭載されそこねたのだろう? 拙著「9/11の矛盾」は、矛盾についての本であり、ミステリーではない。これらのミステリーに対する手がかりは、しかしながら、本格的な矛盾を調べることによって見つけ出すことが可能だ。アタのポートランド旅行の話は、9/11後すぐの報道に現れた話と矛盾するという事実だ。

大元の話:ボストンとブハリ兄弟

我々が知っている公式説明によると、アタは青い日産アルティマでポートランドまでドライブし、9月11日朝、ポートランドからボストン空港まで飛行機に搭乗し、有罪を示す証拠資料が、その日遅く、彼の荷物の中で見つかった。9/11以後すぐの数日間は、しかしながら、話は大きく異なっていた。

9月12日、あるCNN報道では、アタとポートランドからボストンまで飛行機に登場した男たちを区別していた。

警察当局筋は、ハイジャッカー容疑者のうち二人は . . . [フロリダ州、ヴェロ・ビーチに住んでいた]兄弟で . . . 彼らの一人はアドナン・ブハリだと語りました。彼の写真も手に入れています. . . . 彼もヴェロ・ビーチに住むブハリ兄弟で、アメール. . . .警察当局筋は. . . ブハリ兄弟はボストンを発った二便のうちの一つに搭乗していたものと思われているとCNNに語り. . . . また、メイン州ポートランドで収用された自動車は、警察当局によると、ボストン、ローガン空港で借りられたもので、メイン州ポートランドまで運転されたものだということをお知らせできます。現在、メイン州警察は、ハイジャッカー容疑者二人が[ポートランド空港]から飛び立つU.S. 航空便に搭乗していたことを確認しています. . . さらにFBIも二人のハイジャッカー容疑者を調査していました . . . 、モハメド・アタとマルワン・ユセフ・アルシェヒ」(「攻撃下のアメリカ:どうしてそんなことが起き得たか?」スーザン・キャンディオッティ記者は「ローガン空港」と語ったが、彼女が得た情報は、USエアウェイズ便が出発する空港であり、それについては、メイン州の州警察が情報を持っていただろうポートランド空港についてのものだったはずだ。)

同じ日の別のCNN報道は、有罪を示す証拠資料が、ボストン空港にあった車の中で見つかったと語り、一方でポートランド空港で見つかった日産車について語りながら、それをアタとは結びつけなかった。:

警察当局は自動車がボストンのローガン国際空港で収用されたことと、疑わしい資料が発見されたことを確認した。ボストン・ヘラルドは、車の中にはアラビア語の飛行操縦教習マニュアルがあったと報じました. . . . 一方、メイン州ポートランドで、警察は、飛行機でこの町からボストンに旅をした二人は、調査対象になっていた. . . . メイン州当局は、自動車が、マサチューセッツのナンバー・プレートを付けたシルバーの日産アルティマのレンタカーが、火曜日の晩、ポートランド空港で収用されたと語っています。(“US Says It Has Identified Hijackers”「アメリカ、ハイジャッカーを特定したと語る」)

翌日9月13日、CNNはブハリ兄弟が日産車の借り手だとし、ボストンで見つかった自動車は、三菱の車であり、アタが借りたことがわかったと報道した。:

「彼ら二人は兄弟だった、. . . アドナン・ブハリとアメル・アバス・ブハリ. . . . 二人は、ボストン、ローガン空港のアラモ・カー・レンタルで、シルバー・ブルーの日産アルティマを借り、メイン州ポートランドの空港までそれを運転し、そこで火曜日午前6時に、ボストンに戻るUSエアウェイズの5930便に搭乗した . . . . ローガン空港で収用された三菱のセダンは[モハメド]アタが借りたものだと、当局筋は語っている。自動車には、警察当局筋が調査の「役に立つ」と語ったアラビア語で書かれた飛行マニュアルを含む資料があった」(“Two Brothers among Hijackers”「ハイジャッカー中の二人の兄弟」)

同じ日の別のCNN報道は、警察当局は、日産に関連した文書から、ブハリ兄弟にたどり着いたのだと語っていた。(“Hijack Suspect Detained, Cooperating with FBI”「ハイジャック容疑者が拘留されFBIに協力」)

問題発生

ところが、まさに同じ日(9月13日)に、CNNは訂正をし(「FBIは何人かのハイジャッカーを特定できたものと考えた」)、ブハリ兄弟のどちらも9/11に亡くなっていないと指摘した。アメールは三年前に亡くなっており、アドナンはまだ生きていると。CNNは「複数の警察当局筋からの情報に基づく」「誤報」を詫びた。

しかしながら、この発見によって、すぐさま話を完全に変更するには至らなかった。例えば、翌日(9月14日)、CNNはこう言った。「[アタ]が借りた三菱のセダンがボストンのローガン空港で発見されました。アラビア語の資料が車の中で見つかりました」(マイク・フィッシュ、「フロリダ州の飛行訓練学校学校はハイジャッカーを訓練していたのかも知れない」)。

最終的なお話の登場

その同じ日、ところが、物語はより劇的に変化し始める。あるAP報道は、「ワールド・トレード・センターテロ攻撃の二人の容疑者」に触れてこう言っている。

ポートランドでこの便に搭乗した二人の容疑者のうち一人は、モハメド・アタ、33. . . . 男たちが使った2001年型の日産アルティマは、他の容疑者たちが使った他の自動車と同じボストンのレンタル会社のもので、ボストンのローガン空港で収用された際に有罪を示す証拠資料を載せていた。

メイン州に入ると、翌朝飛行機に搭乗するまで、容疑者たちは一夜を南ポートランドのコンフォート・インで過ごした。(“Portland Police Eye Local Ties”「ポートランド警察は、地元のつながりに注目」)

突然、日産アルティマが、ボストンに翌朝飛行機で戻ったアタと仲間によって、ポートランドまで運転されたことになった。だが後に一般に知られる物語となるものへの遷移は、まだ完全ではなかった。有罪を示す証拠資料は依然としてローガン空港に残されたレンタカーの中で発見されたのだ。だがこの自動車は、不特定の「他の容疑者」が借りたのだと言われており、アタが借りたのではないのだ。

完全な遷移は、9月16日、有罪を示す証拠がアタの荷物の中で見つかったというジョエル・アッヘンバッハによる上記のワシントン・ポスト記事によって行われた。

この新しい話に、まもなく、アタとアル・オマリが攻撃の前の晩にポートランドにいたという物理的な証拠を含む、さまざまな具体的な詳細情報が続いた。ある記事はこう書いた。

FBIは、木曜日[10月4日]、911ワールド・トレード・センター攻撃のハイジャッカー容疑者のうちの二人が、最後の時をグレーター・ポートランドで過ごしたことを示す詳細な出来事の記録を発表した。. . . . モーテルにチェックインした後、アタとアル・オマリが . . . 午後8時から9時の間に. . . ピザ・ハットで目撃されている。午後8:31に、二人はキーバンクの現金自動預払機のビデオに映っており、再度午後8:41に、ピッゼリア・ウノの隣のファースト・グリーンATMのビデオに映っている . . . . 。. . . 午後9:22に、アタはスカボローのウォル-マートにいるところをビデオ撮影されている。(“The Night Before Terror”「テロの前夜」ポートランド・プレス・ヘラルド、2001年10月5日)

ミステリーと矛盾

この新しい話は、ブハリ兄弟が9/11には死ななかったという事実の発見によって生じた問題を解決した。なぜポートランド空港に残されたレンタカーから、警察当局が二人のハイジャッカーにたどり着いたのかの説明だ。この解決は、しかしながら、なぜアタがこのような旅行をしたのかというミステリーと、さらには、有罪を示す証拠資料が、ローガン空港で見つかった、という広く報道された事実を説明する問題をも生み出した。この後者の問題は、それが11便に間に合わなかったアタの荷物の中から見つかったと言うことによって解決された。しかしこの解決案は、今度は、なぜアタの荷物は便に間に合わなかったのかというミステリーを生み出した。新たな話が直面する主な問題は、しかしながら、単純に それが当局が始めの数日間語っていたことと根本的に矛盾する、新しい話であるという事実だ。

9/11委員会は、この矛盾に、単純にそれを無視することで対処した。委員会は、ポートランド空港に残されていた日産の車に、FBIがアドナンやアメール・ブハリにたどり着けるようにした書類があったという初期の報告や、ブハリ兄弟がポートランドからボストンへの早朝の便に搭乗したこと、FBIは、ボストンのローガン空港に残された三菱の車の中で見つかった情報によってアタ(マルワン・アル-シェヒの場合と同様)にたどりついたこと、あるいは、この三菱の車から情報の宝庫が発見されたことに触れなかった。委員会はその代わり、あたかも、それがずっと語られ続けてきた話であるかのごとく、単純に、新たな話を語ったのだ。

議会とマスコミはなぜこの矛盾が存在し、なぜ9/11委員会がそれを無視したのかを問うべきだ。


著者について:
このエッセイは、グリフィン博士がCanadianに寄稿した連載記事の三回目である。本記事は、グリフィンの著書“9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press”「9/11の矛盾:議会とマスコミに対する公開質問状」(Northampton: Olive Branch、2008年3月刊)第十六章の簡略版である。

記事原文のurl:http://www.agoracosmopolitan.com/home/Frontpage/2008/03/18/02267.html


(訳=「マスコミに載らない海外記事」ブログより)



【関連サイト】

Articles by David Ray Griffin
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=listByAuthor&authorFirst=David%20Ray&authorName=Griffin



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