闘病記 第10d回

 ちょうど、3年前、正確には3年と5ヶ月前に戻ります。12月の年も終わる頃でした。コートがないと、外出もはばかれるような寒さに身が引き締まる思いのする朝でした。私の家は東京のやや郊外にあり、父と母と弟、妹の5人家族でした。特になにか問題があるわけでもなく、日々の平凡なこのかたちが幸せなのだろうという生活をしていました。その頃、私は医学部の5年生でり、BSLというベッドサイド実習をまわりはじめて数ヶ月がたとうとしている頃でした。そうはいっても、学生ですから素人同然であり、ただ試験のたんびに蓄えられた知識だけが、形だけ頭にあるという感じでした。ちょうど大学に出かけようと朝食を食べているときでした。正面に座っていたスーツ姿の父が、たいしたことではないがなんとなく日々ひっかかるような言葉のニュアンスを込めて、こう伝えたのです。「最近、フランスパンや、硬い感じのものがノドに引っ掛かる気がする」と。このような言葉を聞いて、大げさに考えて医大生としてひっかかる病気はおおよそ一つに絞られてきます、それは食道癌なのです。

 しかしたいていは、食道とか胃とか言っても実はカゼかなにかの炎症で、このあたりと言って首の付け根から胸のあたりをゆび指していても、のどの炎症であったりすることが多いので、恐らくそうなのではないかと思い、とりあえずは耳鼻科か会社の医務室にかかることを勧めたのです。そうしたら父は会社の内科医にかかり、そこでマーロックス(胃の粘膜保護剤)のようなものをもらい、父もなんとなく良くなった気がすると言っていたのです。しかし一週間くらいたったころやはり違和感があるというのです。しかし、どうしても父に食道癌とは思いがたかったのです。というのも、大学のときには柔道をやっていて体格もガッチリしていますし、ヘビースモーカーでもなければ、大酒飲みでもなく、おおよそ食道癌になるようなリスクを持っているようには思えなかったのです。しかし、その数ヶ月前に大学の実習でちょうど外科をまわっていた私には、なにかこうもしかしたらという気持ちが抜けなかったのです。

 ちょうど、その数ヶ月前、大学のベッドサイド実習で外科をまわっていました。そのときに、これも巡り合わせなのでしょうか、ちょうど食道をメインにやっているグループにあたっていたのです。そのせいも、あり2週間の実習の間に2名の食道癌の患者さんのお話と所見とりをやることがあり、1名の方のオペにも実際に入りました。二人とも、水も飲めないくらいになって病院に来たという方でした。その二人の方の話しを聞いていたからでしょうか、父の話しになぜか不安なものを感じたのです。ちょっと、まさかとは思うものの、なにかまずい気がする、そんな感覚です。それで、一応急ぎで内視鏡をやってもらったほうがいいだろうと思い、母がいつも毎年検査してもらっている、開業医のほうに行ってもらうことにしたのです。そこの先生のご好意もあって、すぐに予約が取れて内視鏡をやることとなりました。そうして父は一通の封筒をもって帰ってきたのです。

 その日のことは本当に良く覚えています。夕食も終わった頃でしょうか、父が背広姿で一通の封筒と一緒に戻ってきたのです。そのときは、家族全員いたように思います。そうして、父が言うには、どうやら悪いものらしいと、またその内科の先生が月に何度かT病院に勉強に行っているため、そこの外科にかかるほうがいいと紹介状を渡してくれたことなどを話しました。
平静を装っているようですが、動揺がやはり見られ、まだ悪性のものつまり癌と限ったわけではないという期待と、癌なのではないかという不安が入り混じっているようでした。しかし、封筒を透かして見ると、どうにもCaの字が見て取れるように思えたのです。Caつまりは、carcinoma(=癌)を指す略語です。恐らくは内科医は内視鏡にて、食道癌であるとのだいたいの診断
をつけたのだと思います。しかし、その時はそのような事は言えず確かに父が言うように食道の腫瘍として良性のものもあることにはあるという話しをし、仮に癌であったとしても、自覚症状が出て間もないのだから早期のものに違いないという話をしたのです。

 そうして内科医からの紹介状を前に家族みんなで、まさに期待と不安が入り混じった独特の高ぶった雰囲気が流れていました。その中、父がポツリとこう言ってきたのです「どうも写真が入っているみたいなので、中を開けて見て欲しい」と。こういったことは、本当は信用の点で絶対にやってはいけないとは思ったのですが、そのときはそんな余裕もなく、いくらか躊躇したものの中を開けてしまったのです。その瞬間、気持ちが止まってしまいました。病変はかなり大きく隆起しており、食道の全周2/3くらいを占めていました。大学の実習でいろんな画像を見ていますから、それがかなり悪いものであろうことは一目瞭然でした。しかし、不思議なもので、それを見ても気持ちとしては、きっとなんだかんだ言って、実際に他の検査もやってみたら良性の腫瘍だとか言われて、なんだかんだ心配したけどたいしたことなくて良かったねと、あとから笑えるんじゃないかとそのときは本気で思ったのです。そうして、同じように私は、悪いもののような気もするが、もしかしたら良性のものかもしれないという説明を繰り返したのです。

 当時父は会社勤めをしていて、なかなか診察といってもままならないと思われたのですが、さすがにそのときはすぐに、紹介のある病院の外来を受診することとなりました。そのとき、弟は就職しており妹は大学受験を控えていました。母も含め、どちらかというとうちの家族はのんびりしているというか、おだやかに暮らしていたので、あくまでも私からの家族への説明は始めのうちは、穏やかにあくまでも私の知りうる一部しか話しませんでした。というのも心の準備として、まだまだ厳しかったであろうということと、性格として受け入れのショックが大きすぎるのではないかと思ったからなのです。そうして、1人胸に秘める日々が始まりました。

 そうしてとうとう、その紹介病院への初めての受診日がやってきました。私も大学の実習の休みをいただき、父と母と3人で行くこととなったのです。覚悟はしていましたが、相当待ちました、恐らくは2時間くらいは待ったのでしょうか、途中無駄だと知りつつも看護婦さんに待ち時間などを聞きながらその長い待ち時間は経過していきました。やっと、父の名前が呼ばれ診察室に入っていったのです。担当の医師はその病院の外科部長で、父と一緒に入ってきた私の姿に一瞬驚いたようでしたが、父がすぐに医大に行っていることを話し、同席の許可を求めたところ快く応じてくれました。わりあい年も若く外科医としてまさに勢いがあるという感じでした。大学病院の教授のような経験に支えられた重い雰囲気とはまた異なる感じがしました。そうしてその医師は、紹介状の封筒を開け、中の紹介文と写真をまじまじと見始めすぐに、本題に入ってきたのです。説明じたいは、私が同席していたせいなのかはわかりませんが、あっさりしたものでした。恐らくは悪いものであるだろうこと、CT、内視鏡等至急で検査が必要なこと、可能ならば来週にでも入院としたいことなどを話されました。そうして、最後にわかりますねと言ってきたのです。確かに、わかりますし、悪いものであろうことは、その内視鏡像で明らかなのですが、なぜかそのときは、全ての検査が終わるまで癌とは言いきれないと思ってしまったのです。そうして診察室を出て母と合流しました。

 その父の初回の診察と時を同じくするころ、私はある人と会う約束を取り付けていました。その方は私の母校の外科の前教授で食道癌の権威の先生だったのです。私が病棟実習をまわるときには既に退官されていて、一度もお目にかかったことがなかったのですが、事情を外科の秘書さんにお話したところ、快くお時間をつくってくださり、お会いすることができたのです。その出会いは感銘深いものであり、今でも心の中で尊敬し、医師の一つの姿としてこうありたいという気持ちに今でもさせられます。どちらかといえば小柄で、権威を振りかざすわけでもなく、とても落ち着いた雰囲気の紳士然とした方でした。とても穏やかな口調で、おおげさと思われるかもしれませんが少しお話をしただけで、本当に救われたという気持ちに正直なったのです、というより、そういうふうに思わせる物腰、雰囲気を持っていたのです。心の中の重みがスーッと消えていく、そんな度量の深さを持った先生だったのです。一つ一つしっかりと私の疑問と不安に答えてくださり、本当に助かり、また母校のほうですぐに入院から始まり治療までのプランを立てましょうとおっしゃってくださいました。しかしながら、紹介で行った病院で検査がほぼ済んでいる状態だったので、父と相談し、悩みましたが、再度検査をする負担等を考えると前の病院でもいいのではないかということになったのです。

しかしながら迷うところは大きく、母校の病院であれば、毎日顔を出すこともできますし、無理を言うこともいくらかはできますし、なによりも大きいのは全ての情報を把握できるという点がありました、しかしながら逆にそれは医療者としての立場で父の病気に立ち向かうことになり、それよりは知らなくていいことは知らない状態でという患者の家族としての立場のほうが気持ちのバランスとしてはいいのではないかとも思えたのです。もしかしたらそれは一つの逃げで真実に向き合う勇気が持てなかったのかもしれません。

 そうして、また診察後に戻ります。その後、父と母と三人でホテルのラウンジに入り、いろいろと今の状況を話合いました。やはり母には不安が大きいらしく、その表情には困惑がはっきりと表れていました、そうしてなぜ父がという思いが強いらしく、本人も気づかないうちに、なんでなんだろう?ということを繰り返していました。私が振り返ってみましても、父のこの病気については「交通事故にあったみたいな気持ち」としか言いようがありません。なにも、病気になるような事はしていないのに、突然病気のほうがやってきた、まさにそんな感じだったのです。
 

 そうして家に帰り入院はいつごろだろうかという話をしていました。なるべく早くとう話だったので2,3週間後くらいになるのだろうかと話していたら、入院の話は突然電話でやってきました。しかも翌週という内容で。これにはいささか驚きました。本人でないとはいえ、まだ心の準備ができていないのにと。初めは文章かなにかで、いついつの予定になりそうですといったようなものが来るのかと思っていたら、それは突然の電話とともにやってきました。そうして、慌ただしく、半分、大きな流れに押し流されるような形で父の入院となったのです。