闘病記 31-

 こうして父の入院の方向で話がすすみ、家族でも話合った結果この病院で
いこうということになりました。

 ここで働いてみて思うところなのですが、病気を持った方御自身よりも
家族のかたのほうが強い場合というのを時々見かけることがあります。
家族の方が熱心というのはいいことだと思うのですが、ときおり御本人の
意志をさえぎってというところまでいってしまっているのを感じること
があります。日ごろから、病気になったときのことを話し合うことも重要
だと思いますし、常に本人の意志を尊重するという姿勢が家族といえ必要
だと思います。まだ、このあたりは自分の気持ちをはっきりしない、また
いざというときは、家族が本人の代弁者というスタンスが強いように思い
ます。

 その人の本当の気持ちというのは、はかりしれないと思いますし、知りえない
側面というのも必ず持っていると思います。前に聞いたとても悲劇的な話
ですが、頭頚部の悪性腫瘍の患者さんで、家族が強く、強く、手術、手術という
形で話を持っていき、入院となり、その手術の数日前に御本人は自らの手で
命を断ってしまったという話も聞きました。

 入院後に思ったことですが、父は自分で料理をしたりとか、実際にまた
食べることも好きなほうだと思います。その中で病院の食事というのは、
これだけ世の中が豊かになったのに、とても食欲が出る食事ということから
かけはなれているのでしょうか。私もいくつかの病院で、恐らくは厳しい
制限の中、栄養士さんや調理師さんたちが知恵を絞っておいしい食事を出し
ている病院に巡り合うこともありました。しかしながら、明らかに特に
術後やもしくは化学療法といった食事に対して気持ちがすすまなくなって
きてしまう状況に対してああいった食事が漫然と出され続けているのだろうか
と当時は思いました。今、働いてみると様々な病院経営の問題やら、規制の
問題があるという状況を感じます。こういったところは是非とも厚生労働省の
ほうに改善願いたいものだと思います。

 また入院中の父の話を聞いて思ったのが、実際に入院している身にとっては
医師よりも看護士さんのほうがずっと近い存在であるんだなということです。
私も働いてからなるべく、近い関係でいられるようにと思っていますが、なか
なか恐らくは不十分なんだと思います。そうした中、医師の言葉は突然に必要
以上に重く患者さんに、不十分な形で伝わってしまうことがあるようです。
 そう思うと医師の側から患者さんへの説明の場である、いわゆるムンテラと
呼ばれているものの重さを感じます。

 ここのところ、入院中のことを書いていて、少々内容が以前発行分と重なって
いるところがあることも感じ、少し変えまして最近のことを書いてみたいと思い
ます。最近は父もだいぶ回復に自信が見えてきたのか、海外旅行に行ってみたり
とか趣味のスポーツをいくらか再開しています。しかしながら、やはり再発の
可能性という思い影のちらつきをいつも感じているように思います。いまのとこ
ろ術後3年を経過し、だいぶヤマを越えてきたなという感じを私としては受けます
が、まれに父の喉の違和感などといった言葉を聞くと内心穏やかでないものを
感じることがあります。今のところ運良く定期的な診察にて再発の兆候は見られて
いないようです。どうしたらこの影を消し去ることができるのか、なにを持って
完治と見るのか、こういった悪性腫瘍の場合5年が経過すればそれでいいのか、
3年ではだめなのだろうか、悩みはつきません。父の言葉の一つ一つ、それが
何かまずいことを反映している言葉なのか、それか癌という病気がもたらした
重しが話させる言葉なのか、逃すことのできないサインです。

 心のリハビリというのは果たして家族に可能なことなのだろうか、それか
もしくは医療者にとって可能なことなのだろうか。例えば今現在健康である
私自信でさえ、その心の複雑さ、また何か困難にぶつかったときの解決には
そうそう簡単ではないものであることを実感しています。ましてや、生死を
かけた病と向き合った心の回復はどうして癒されるものなのだろうかと思い
ます。明らかに、肉体的にも精神的にも以前にくらべ繊細になってしまった
ように感じます。「頑張れ」という言葉だけでは説得力もなく、そういった
生存率といったデータ、もしくは統計では響かないように思います。