父の視点

4月15日
 手術後2週間が経ち大分落ち着く。日に1,2時間点滴を外して近場を散歩
できるようになる。1.5キロぐらい離れたドイツレストランに行きランチ
メニューを一応は食べた。
4月22日 後半の抗がん剤と放射線開始。
5月10日  二回目の放射線と抗がん剤治療の第二週目。
後から食道を手術したほかの患者さんに聞いたところでは、通常手術後、安定
したら一回退院して一月ぐらい休養を取リ、それから始めるという治療を、経過
が良好ということで、二週間ぐらい繰り上げて始めたわけだが此れがいけなかった
ようだ。8日目ぐらいから吐き気が激しくなり、何時間もトイレの前の公衆電話の
椅子にうずくまって過ごすようになった。(自分のベッドで四六時中ゲイゲイやる
わけにもいかぬので)。先生方としても11時間を越える手術の翌日に、のこのこ
ベッドの上に起き上がって日経新聞を読んでいる患者さんも珍しく(実際は株価
のことが気になって株式欄を見ようと思ったのだったがが眼鏡をかけていなかった
せいか字がにじんで良く見えなかったのを覚えている)、どこまで早期回復が
可能かを試すということがまんざら無かったとも言いきれぬようにも思うし、
僕自身も、定年後の契約の延長の問題があり少しでも早い職場復帰を望んでいた。
この時期、食欲は殆ど無く、点滴をじゃあじゃあと滝のように流し込んでいる
にもかかわらず、朝体重計りにのると、ちょうど一キロずつ減っており70キロ
あった体重が2週間でいっきに54キロまで落ちた。事実、手術の前後では体重は
2,3キロしか減らなかったのだが、このときばかりは体重計にのるのが怖かった。
この体調の急激な悪化と体重の落ち込みは、二回目の抗がん剤、放射線の開始時期
が早すぎたことに起因するのではないかと今でも思っている。  

 執刀医の先生が僕のその様子を何回かみかけ、看護婦さんからの報告もあった
のであろう、抗がん剤は中止になり放射線だけを続けることになった。抗がん剤で
体を痛め続けるのをやめるのはいいとして、治療が中途半端になるのには多いに
不安を感じた。放射線科の先生に、抗がん剤はやらず放射線だけの場合もあると
きいて何となく納得。友人が見舞いに来てくれたが話もしないで帰ってもらった
のもこのころだと思う

5月11日  
ところで、放射線治療室は地下4階にあるのだが、意欲だけはあったので
フランス語のクロスワードパズルをもって歩いていた。いや歩くのはきつく
車椅子で押してもらっていたのだが、こんなことをやってフランス語を勉強
しても果して再びこれを使うような日が来るのだろうかという思いが頭を
よぎった。  

5月15日 
 一階の駐車場の辺りまで出てサラリーマンや街を行きかう交う人達の横顔を
見ていて、この人達は今日あることが明日も変わりなくあるということに何ら
疑問も持っていないのだなあと、何か不思議なものを見ているように感じた。
いや、それは不思議でもなんでもなく、それが通常な健康体の人のありようなの
だ。  
5月17日
 2回目の放射線、抗がん剤の治療を受けて、白血球の数もなんとか2000を
大きく割込まずに済み外出が許されるようになって、友人のオフィスまで足を
のばした。友人は居なかったが隣のビルの喫茶店に入りミルク・テイーを頼んだ。
やがてミルク・テイーがはこばれてきた。砂糖を入れてぼやっとガラス戸越しに
街ゆく人を見ていてああ自分も普通の世界に戻ってきたのだと思った。  

5月20日
 週末家に戻り、久しぶりに自宅近くの駅の方に行く。道行くサラリーマン、
OL, 学生, おばさん達、誰も今日のことが当然明日もあると信じて疑って
いない様子を見て不思議の感に打たれる。そしてこんな事も考えた。
 もし、明日が無いということがわかったら、ものごとについての価値観は
全くちがった位相に転ずるのではないか。我々の価値観というのは、明日が
今日と同じようにあるものとして成り立っている。しかし、諸行常無しである。
統計学的には、明日も今日と同じように続いているはずだから、おおかたは
その前提でよいのであろうが、諸行無常の前提も計算の中に入れ、心の備え
人生観のありようも考え巡らせておくべきではないか。テレビを見るのも
新聞を読むのも、自分の明日からの生活に何らかの関係があるから情報として
見聞しているわけで、もし、明日が無い、或いは、人生に残された時間が
限られたものだと分かったとき、テレビの画面は無声画像に変じ、遠い小さな
画像となって遠ざかっていく。明日があることに疑いを持たぬから未来があり
全てのものが価値を持つ。  

 6月始めにいったん退院。2週間ほど体を休めてから会社に出始める。
もとのとうり働けるということをデモストレイションしておこうと思った
からだが、後から考えるとばかなことをしたものだ。
もともこもなくすところだった。

 7月に再入院、最後の体全体のためという抗がん剤を1クルーおこない
2週間ほど様子を見たが、特に大きな問題は起らなかった。  
 いやはや人生何が起こるか分からないもの。昨年暮に食事の時に何かのどに
つかえると思って年が改たまってから内視鏡で見てもらったら何と食道ガン。
即、入院し、chemiterapyやradiation、そして3月30日オペ。11時間15分
かかったが無事終了。その後、再度抗がん剤、放射線をやって先週末仮退院
まで漕ぎ着けました。万事OKですので、今年は無理でも、来年には海外旅行
もしてみたい。
 当初は2月の初めに手術の予定でしたので、桜の花の咲くころには目鼻が
つくと思っていましたが、抗がん剤、放射線、手術の繰り返しで、退院は
秋風の吹き始めるころになりそうです。

8月17日  退院。