私は一応は「物書き」の端くれであり、仕事道具としてのコンピュータについても、ハード・ソフトともにそれなりの拘りがある。ただしこの「拘り」にも二種類あって、そのひとつが純粋に「道具として実用に耐えること」であるのは勿論、もうひとつの「感覚的に気持ちよく使えること」という点も結構馬鹿にならない。そしてこの点でいわゆるWintel機(正確には、MS-WindowsがインストールされたPC/AT互換機)は、個人的には失格である。これは単に私が「Windows95騒ぎ」以前からのMacユーザーであったという経緯によるところも大きいのだが、基本的にはWintel機のあの「事務機器」然とした佇まいと操作感に我慢がならないのだ。
「VAIOがあるじゃん」という声も聞こえるが、「ほんとはMacになりたい」とでも言いたげな中途半端さはむしろ気にくわない。あれなら「事務機器」と割り切った潔さをもつIBMあたりのほうがましだろう。特に最新のVAIO-Wは最悪。うちではあれを「文豪V」と呼ぶことにした(^^;。
しかし悲しいかな、我が業種も世間のシェアを反映してWintelの圧倒的優勢、ゆえにCD-ROM等で供給されるデータベースの類もWintel版のみという有様で、何とも困惑する。が、そんなときにはVirtualPC。エミュレータ故のパワー限界もあり「満足」とまではいかないものの、ちょこっとデータベースを検索するなら、まあ実用に耐えるというところ。必要な史料を表示させたら、後はMac側にコピー&ペースト、そこそこ快適である。
とはいえ、汎用性・半永続性が求められるはずの学術データが、特定プラットフォームの、しかも特定のバイナリ・ファイル形式に依存しているのは問題だろう。これでは「Macで使えない」どころか、将来におけるWindowsの仕様変更にも対応できない危険性があるし、長期的にはシェアの変動も絶対ないとはいえないのだから。やはり今後はXMLベースにする等、データの汎用性を高める配慮が必要ではないか?
ま、以上は所詮は「趣味」の問題であり、実用上はWintelだろうとMacだろうと、さして違いはないのも事実(^^;。しかし「違いがない」ということは、共通した実用上の欠陥を抱えているということでもある。それは専ら「縦書きに弱い」という一点に集約される。コンピュータというものがもともと英語ベースの出生である以上、この弱点はやむを得ないし、それと関係してかビジネス用途を始めとする日本語文書も圧倒的に横書き優勢になってきた現状では、「縦書きのサポート」がますます優先度の低い課題であることも承知している。それに私がMacを使い始めた1994年頃には「縦組み印刷」すらできないワープロ・ソフトだらけだったことを思えば、ずいぶんとマシになったのも事実だろう(私の知る限り、EGWORDがv.5でようやく「縦組み印刷」(「編集」ではない)をサポートした。)。現にMS-Wordをはじめとする最近の巨艦ワープロは、縦組みでも様々な「小技」が使えるようになっている。「いったい何が不満なのだ?」と訝しげに思う人もいるだろう。しかし私にとってそれらの機能は、結局は意図が実現できないか、あるいは実現できてもえらく面倒な手間がかかったうえに、別の意図を犠牲にする羽目になるというものばかりなのだ。どうせ使えぬ機能なら、いっそない方が動作も軽くてよろしいということになってしまう(そんなわけでわりと最近まで、古い古〜いEGWORDv.6を愛用していた。)。
具体例を挙げよう。学術論文にとって<注>というものは必須だ。で、たいていのワープロには「脚注・後注作成機能」がある。こいつは本文中に注挿入命令を与えれば、別ウィンドウが開きそこに注を書き込んでいけるもので、しかも注番号を自動管理してくれるため、注の加除も楽である。まことに有り難い。何を隠そう、ワープロ専用機からMacに乗り換えた最大の理由の一つはこの機能が使いたいが故であった。
上記は正確には、“ぱそこん”なるものに乗り換えた理由に過ぎない。それがNEC-PC98やDos/Vではなく、Macであった積極的理由は「かつてのマイコン少年の、高嶺の花AppleIIへの憧憬」以外の何物でもない(^^;。
しかし有り難いのだが、いかんせん柔軟性がない。私の業界では、一般に注の様式は下図の如きものになっているが、
こういった「カッコ」の扱いや、「カッコ」のなかの数字を組文字にするといった細かいカスタマイズにはまず対応してくれない。ことに数字なんぞ「横に寝る」という間抜け極まりない事態になる。よって脚注機能を使った場合、プリント・アウトした原稿の注番号の部分を手で修正するという阿呆なことになってしまう。ま、それだけなら「阿呆」で済むが、より致命的なのは「脚注」か「後注」しか作成できないという点である。「日本語縦組み論文」の注を置く場所については「本文後尾にまとめる」だけでなく、「章末ごとにまとめる」というのもあるのだ。「注機能」の恩恵に与りつつこれに対応しようとすれば、「ひとつの論文を章ごとに別ファイルにする」という、どうにも現実味のないお話にならざるを得ない。
これじゃせっかくの「注機能」も無用の長物、いや、ガシガシ書き・消ししたい原稿作成段階では、重いばかりの巨艦ワープロではかえって能率を下げることにもなりかねない。よって結局はエディタでサクサク原稿作成、清書だけはワープロで組文字なんぞ使って「注番号」を仕上げつつ・・・、となってしまうのだ。
ついでにもうひとつ。下図は前近代の日本語文献にしばしばみられる「割注」というものである。
これは最近のワープロなら「組文字」機能を使えば表示できないこともない。しかしその方法たるや、例示した「大治四年/四月日」の場合だと、「大+四」「治+月」「四+日」「年+ 」の組み合わせで「組文字」しなきゃならんのだ。こんな短いものならともかく、「割注」には途方もなく長いものもある。いったい誰が「見栄え」のためにそこまでの手間をかけるだろう? そこでワープロが普及して以降は「・・・文書<大治四年/四月日」>(<>は割注)」なんて史料引用の姿が増えてしまっているし、拘る場合には印刷に回すプリント・アウト原稿に手書きで指示を入れる、なんてことにもなるのだ。以上、「日本語縦書きによる学術」用途にとってワープロ・ソフトというものが如何に「使えない」か、ご理解いただけただろうか?
さて、そんなこんなでワープロというものに「痒いところに手の届かない」思いを抱いていたところ、2年程前ひょんなことから“TeX”というフリーの組版ソフトの存在を知り、手を出してみることとなった。以来その汎用性と柔軟性とに魅了されてしまい、もはや“ワープロ”なる代物はとんとお見限り、という生活を送っている。この“TeX”については、詳しくはひとまずNiftyのTeXフォーラムのページあたりをご参照いただくとして、思いっきり簡単にいうとまず「htmlみたいなマークアップ方式のテキスト・ファイル」で原稿を作成し、そいつをコンパイラにかけて印刷用のバイナリを生成する、という手順を踏む組版ソフトである。もともとはスタンフォード大学のクヌースというオッサンが、自分の著書の版下をコンピュータでつくっていて、その組版能力のあまりの貧しさに、「なら組版ソフトも自分でつくっちまえ!」っと出来上がったというゴイスなもの。基本的な組版命令のみで構成されているものを“TeX”あるいは“プレーンTeX”、基本命令を組み合わせて定義された実用的命令セットをもっているのが“LaTeX”、それぞれを日本語にローカライズしたものを“pTeX”“pLaTeX”と呼び、私が日常お世話になっているのは当然pLaTeXである。
TeXはその成り立ちからいって本来は、複雑な数式の記述が要求される理系学術を念頭に置いている(事実、多くの国際的学術誌の投稿が各雑誌ごとに準備されたTeXのフォームに依るようになっているそうな。)のだが、日本語文系学術においても、十分その恩恵に与れる。たとえば「割注」など、大阪大学文学部の金水敏氏が作成された“kunten2e.sty”というコマンドを導入することで、いとも簡単に実現できてしまう。先程の例の場合
・・・文書\sougyou{大治四年}{四月日}」・・・
と記述してやればよい。また懸案の「注番号」や「章ごとの注」についても、既存の“endnotes.sty”という英語版コマンドにちょっとだけ手を入れて何とか解決できた。実はこのページで用いた事例の画像もpLaTeXによって生成したものの取り込みである。これらはエディタ上で「注を( )に入れながら原稿を練る」のと殆ど変わらない手間で実現できるわけだから、その分「内容」吟味に集中でき、しかも「仕上がり」はワープロ以上、何とも素晴らしいではないか。
【2003年2月24日補足】
日本語版“endnotesj.sty”が必要な方、こちらで第2版の圧縮ファイルをダウンロードできます。この版では、utf.styのインストールされた環境であれば、“utf”オプションによって、より美しい注の組が可能になるはずです。ただし言うまでもありませんが無保証ですので、ご自分の責任でお使い下さい。
さらに美点としてあげられるのは「プラットフォームを選ばない」こと。大規模なフリー・ソフトの例に漏れずTeXの場合もそもそもはUNIXで生まれたが、様々な方々の努力によりDos、Windows、Macといった主要プラットフォームすべてに移植されている。Mac版pLaTeXの場合、慶応大学理工学部の内山孝憲氏がその労をとられており、氏のページはMacでTeXを利用する者にとっての総本山といっても過言ではないだろう。しかも本来のUNIX版の、インストールに際する当然の如く素人には手の出せない面倒さや、(っていうか、ふつう文系の研究者にはUNIXそのものが敷居高いッス。)またWindows版でもDosのコマンド・ラインの知識がちょっとだけ要求される面倒さと異なり、このMac版は基本的には「ふつうのMac用アプリケーションと同じ感覚」でインストール&利用できてしまうというのが、おそろしく素晴らしいところだったのだ。内山先生、ありがとう(^^)。
・・・「素晴らしいところだった」と過去形なのには意味がある。これはClassicMacOS版の話であり、一方私の現在のメイン環境はフォントのあまりの美しさに早期導入してしまった「BSDUNIXベースの」MacOSXだからだ(轟爆)。そりゃ“Classic環境”で旧来のMacpLaTeXを使うという手もありますよ、しかしそりゃエレガンスに欠けるってもんじゃありやせんか(^^;。ここはひとつ、きちんとUNIX版のTeXをインストールしてOSXネイティヴな環境で動かしたいというもの。しかし「こまんど・らいん」ですよ、「こまんど・らいん」! 自慢じゃないが私のコンピュータ歴は、中学時代に“まいこん”なるものの上でBasic使って簡単なゲーム組んで悦に入っていたところから大きなブランク挟んでポ〜ンと飛んで、MacのGUIに行っちまったというものなんで、Dosをはじめとして「こまんど・らいん」なんてものには一切触ったことがない、あじゃぱー!! 「何とかなるわい」と安直に始めてみたものの、導入に成功するまでには、それはそれは想像を絶する(っていうか、当然「想像の範囲」だったのだが・・・)“UNIX設定ぢごく”が待っていたのだった。
・・・てなわけで次回に続く。
【2002年3月5日補足】
内山氏のサイトではClassic版ライブラリとともに用いる“MacpTeX 2.1.9 carbon 対応テスト版 <04-Nov-00>”というものも配付されているが、すでにライブラリのヴァージョンが変わってしまっているためか、あるいは、このアプリケーション自体がOSXpublicbeta段階のものであったためか、私の環境では動作しなかった。内山氏ご自身、UNIX版のmake方法を紹介する一方、この版の後継ヴァージョンが公開されていないことから見て、開発そのものが中断されたのかもしれない。よって現状では、OSXではUNIX版を利用するしかないと思われる。