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![]() Cafe Dodo仮設店舗で喫茶室を始めたつもりが、姉妹店を出すまでになりました。特定の人を排除しないのがポリシーですから、他人に迷惑がない限り特に禁煙ではありません。コンテンツの中身はけっこう頻回に更新していますので、これまで同様、ごひいきのほどを。 コンテンツ(1)目次へ・・ 逆順コンテンツ(1)目次(最新順)へ2003.09.03-11.04 第二店舗 (姉妹店 Cafe Dodo2)、第三店舗 (姉妹店 Cafe Dodo3)へはここからどうぞ・・・ コンテンツ(2)目次・・ 逆順コンテンツ(2)目次(最新順)2003.11.11-2004.02.07 コンテンツ(3)目次・・ 逆順コンテンツ(3)目次(最新順)2004.02.07-07.10 コンテンツ(4)目次・・ 逆順コンテンツ(4)目次(最新順)2004.07.11- |
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---------------------------------------------------------------- 201: 店主の自己紹介です 2003/009/15 ここは、できるだけ仕事ぬきの場所にしたいので、自己紹介はごく短く。 私の名前は高木俊治です。 知的障害者・重症心身障害児(者)の施設に勤務している医師で、勤続10年をこの春迎えました。もうすぐ54歳です。紹介すべきことはほとんどこれがすべてですが、おそらく、インターネットで私の名前を検索しても何も出ないと思います。通常医師が自分を紹介する上で必須の業績(論文や著書の類)、専門性など、インターネットにかかるものが何もないからです。 (どういうわけか、皆無ではなくわずかにあるものもあるので、それは別のところで紹介します) 10年同じ所に勤めていると、そのことだけで、その場所の「専門家」と呼ばれていいと思いますが、特に自分でそう意識しているわけではありません。むしろ自分で自分のことを「医師免許を持つ施設(幹部)職員」だと考えています。 自己紹介を続けると、生まれは福岡、育ちは関西、卒業大学は奈良県立医科大学、研修の始まりは、東京女子医科大学小児科、しばらく(10数年)臨床から離れたところで研究をしたものの、ネズミをたくさん殺しただけで業績にならず、また、しばらく臨床の見習いからやりなおして、1993年、今の職場に就職しました。 若いころからずっと胃が悪く、そのため、あるいはそれにもかかわらず、やたらとがぶがぶコーヒーをいれて飲む人間なので、あれではコーヒーの味などわかるはずはないと誰からも思われています。アルコールも多少たしなみます(たしなみ以上かも知れない)。通常は黙って人の話を聞くタイプではないかと思っていますが、場合によってはやたらおしゃべりになって、結局、人の話を聞いていないと言われること(主に妻から)があります。 趣味は? コーヒーでも飲みながら話しましょう・・・・ ああもうひとつ、重要なこと・・・私の妻も同業者で同僚です。 (2006.04.28における加筆) 私の妻は、2006年4月より、国立の知的障害児施設、国立秩父学園の施設長(園長)になりました。すなわち、今でも同業者ですが、同僚ではなくなりました。 (2006.04.28における加筆、ここまで) 連絡先。 高木俊治へのメール shnjtkk@fb3.so-net.ne.jp 高木晶子へのメール akikotkk@fb3.so-net.ne.jp 池田正行氏 (かつての同僚・友人)のホームページです。毒もあるが楽しめます。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 202: ドードーの絶滅 2003/09/15 ドードーという鳥は、すでに地球上から絶滅した鳥です。インド洋の孤島、モーリシャス島に生息し、1598年にはじめて人類と出会った(ポルトガル人と出会っただけで、それ以前からインド洋を航海するアラブ人たちとは接触があったようですが)のち、100年足らずの1681年には地球上から消滅してゆくことになります。 詳しい解説はこちら あるいはこちら(英語) その鳥の名前を私のホームページに使うとは、と、おしかりを受けそうですが、由来は以下のようなことでした。 私はこれまで自分のコンピュータにシリーズでキャラクターの名前をつけるようにしておりまして、初期には、 Charlie、 Lucy、 Linus、 Schroeder、 Schulzといった一連の名前、最近では、 Mad_Hatter、 March_Hare、 Dodo、Dormouseといった一連の名前(「不思議の国のアリスのキャラクター」でAliceとのいう名前のコンピュータもあったのですが、今はありません)をつけています。今回、ホームページとして公開するきっかけとなったコンピュータの名前がDodoでその機種がG3(アップル社製のコンピュータのカテゴリー)であったということで、この名前を世間にさらすことになりました。語呂合わせではありますが「ドードー爺さん」としておつきあいください。 ドードーは「アリス」という有名な物語の中に登場したため、未だに多くの人から愛されていますが、絶滅の原因となった大量捕獲やことから考えても、鳥の性質は、のろまで、融通の利かないものであったろうと容易に想像できます。「アリス」の中に登場するドードーの性格も、まさにこうした特徴を色濃く持っていて、やはりどこか私に似ているのかなと思います。 絶滅生物に共通する「変化に適応できないものは滅びる」というルールと、人間の側のわがままがあいまってのことだったのでしょう。 「アリス」のこの部分は「堂々めぐりと長い尾話」と訳する方があるほどだじゃれの宝庫です。だじゃれの説明ほどばかばかしいものはなく、その翻訳ほどむずかしいものはありませんが、ときにはここでこのように笑ってくださいと説明が必要でしょう。「堂々めぐり」は「コーカスレースcaucus race」というどっちにどれだけ走っても良いレース(競走?)のことですが、「政党などの幹部会議」の意味があり、「行く先不明の会議や集会」という皮肉がこめられています。そのあとの「長い尾話」は、「long tale(長い話)」を「long tail(長いしっぽ)」と誤解したアリスの見当違いの質問に続きます。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 203: 愛と知恵が企業を救う(?) 2003/09/15 寝ても覚めても「経営だ・合理化だ・改革だ」という声を聞かされる毎日において、数少ない私の趣味の1つが映画鑑賞です。今の若い人には信じられないことでしょうが、私たちの世代は、30歳ころまで、映画は映画館かテレビ放送で観るものだと思っていました。今はどこに行ってもビデオレンタルがあり、最近ではDVDも安く手に入るものが多いので、映画の見比べとか、くり返し観てディテールを鑑賞したりすることも可能です。また、DVDの場合は、しばしば「Making of ・・・」のおまけ映像やインタビューが付いていて、それが本体より面白かったりします。 単なる娯楽のつもりが、また「経営だ・合理化だ・改革だ」の話をする気かとひんしゅくを買うかも知れませんが、見方によっては私がよく使う「知恵」を得るきっかけになるかも知れません。知ったかぶりをする気はありませんが以下、おつきあいください。 「ウオールストリート」「アザーピープルズマネー」「プリティウーマン」「ユーガットメール」と並べると、ごらんになったかたはいずれもが、「経営だ・合理化だ・改革だ」の話を含んだ物語であることにお気づきになるでしょう。米国では傾いた企業を二束三文で買い取って、ばらして売ってしまうという企業(「プリティウーマン」では車をばらして部品を売るという例えが出てきます)が猛威をふるっています。株主総会に出向いていって、会社再建という名目で株主にも配当金を上げると約束しますが、買い取った経営者が自分の給料だけを上げたうえで従業員を解雇したり、最初から企業をばらす目的で買い取ったりといろいろあるようです。日本でならば、経営が傾いた中小企業の社長さんは自殺に追い込まれることになるのでしょう。 自殺にならずにそれぞれがハッピーエンドに近い物語にしあがっている秘密を私の独断で述べるなら、「愛と知恵が企業を救う」ということなのでしょうか。まあ、そこがとてつもなく嘘っぽくハリウッド映画の問題ではありますが、楽しめる映画たちです。 「ユーガットメール」はちょっと違うのではないか・・・と? 確かに。これは企業合併に発展するのでしたっけ? コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 204: ある企業の危機と再生 2003/09/03 21:30 「ITバブル」という言葉も完全な市民権を得るようになり、情報産業に対する冷静な評価も以前に比べるとできるようになってきましたが、コンピュータがこれほど爆発的に普及していなかった1980年代半ば、コンピュータはまだまだ高価で、誰でもが操作できる道具ではありませんでした。その時期「専門家以外の私たちのために( for the rest of us )」というキャッチフレーズで売り出されたのが現在まで続くマッキントッシュというコンピュータでした。この会社・アップル社は、当時、他の多くのベンチャー企業と同様に若い数人の創業者たちによって作り上げられてきましたが、大企業に成長した後にも、草創期の若々しい自由な体質をかなり長い間保持しており、この会社を訪問する人たちが最初に連れてゆかれたのは、社内保育施設であり、自慢は手厚い社員福祉制度の数々であったと聞きます。 しかし、1990年代の半ば、強力なライバル会社たち(マイクロソフトのウインドウズ・インテル連合と多くの箱詰め会社たち)により安い類似品の組み合わせが大量に普及するようになると、このアップル社の市場シェアは急速に落ち、株価もどんどんと低下していったといいます。当然のことですが、株主は株価の下落を許さず、創業者はアップル社を追われて、会社のリストラが進みましたが、そうなると、社内保育所なども整理されてゆくことになります。鶏と卵の関係かも知れませんが、こうした状況は会社の自由な雰囲気を奪い、社員の創造性を低下させましたが、同時に、これまで固定客として何度もアップル・マッキントッシュ製品を買い続けてきた多くのユーザーもアップル製品から離れてゆくことになりました。 ところが、1990年代後半に、こうしたじり貧状態でありながらも、この会社がゆるぎないブランド力を持っていることに気づいた株主たちの意向が働き、会社を追われていた創業者の一人がこの会社に復帰、新たな指導力のもと会社の建て直しにも成功してゆきます。もちろん、1980年代とはちがって、コンピュータや情報産業をとりまく環境は大きく異なり、会社草創期と同じやり方が通じるわけではないのですが、10年ほどの浮沈の歴史の中でもこの会社の固定客がいてくれたことが、この会社の再建の大きな支えになりました。競争社会にあって、10年、20年と自分たちの製品のブランド力を落とさず維持し得た会社は珍しく、また、一時期圧倒的に強力で市場をすべて独占的に支配すると思われていたマイクロソフトのOSが、今、多くの方面から挑戦を受けているという(リナックスなどの普及)情勢もあって、今後とも、この会社はしっかりと前進し続けることでしょう。 会社がつぶれかけたとき、株主が会社の経営者を交代させるのは当然のことであり、これが経営者が「結果責任を取る」ということの中身です。しかし、その後この会社の株主が気づいたことは、表面的に利益を出そうとする経営者が提供するありきたりの製品より、理念や理想を形にする創業者の作り出す製品を消費者が求めていたということです。そこには、会社のトップが単に株主だけに責任を持つのではなく、消費者に受け入れられてこその会社なのだというあたりまえの事実が、回り道をしたうえで再確認されたということでしょう。私たちのような「県の出資法人」の「株主」にあたる存在はもちろん県民です。その県民が、さまざまな管理機構を通じて法人の経営をチェックしてゆきますが、お客様(コンピュータの場合はユーザーであり、私たちのサービス産業の場合はサービス利用者)の意向を無視する形で収益だけを「健全化」しても、良い結果をもたらしません。先日書いた私の「マニフェスト」は、「県民の付託」に関してのこうした複雑な関係を少しでもお伝えしたかったということです。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 205: はっきり言って講師が自慢です 2003/09/16 仕事の話になるのかも知れませんが、このコーナーはビジター向けのコーナーですから、こういう宣伝に利用させてください。 私たちの法人では、毎年、ホームヘルパー2級の研修をおこなっています。法人の3施設がそれぞれ地元の人たちを対象に講義、実習をふくめてのもので、詳しくは、埼玉県社会福祉事業団ホームページをごらんください。 ここからが宣伝です。毎年、この講義をしている講師陣の中で、医療の部門、特に医師が担当する部分はとても評判が良いと聞いております。それもそのはず、私と私の施設の松本病院長が担当しており、私はともかく、病院長は以前埼玉医大小児科の助教授をなさっていた方ですから、格調高く、私の場合は長年の嵐山郷での経験をご披露したり、ちょこちょことしたイラスト付きのテキストや、その他さまざまな工夫もあって、決してみなさんを退屈させることはないと思います。 もう、締め切りかも知れませんが、毎年やっております。お早めに。 どこかの予備校チェーンのような広告で失礼しました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 206: エブリバディー、ヒーロー。 2003/09/06 21:00 自宅の壁に無造作に、ある新聞を途中で折り曲げたものがはり付けてあります。 1998年9月27日の朝日新聞の[全面広告]で、7人の若者の群像の白黒写真です。中心部はピントが合っていますが周辺はぼけています(レンズが良くないのでしょう)。人物は実に奇妙な格好をしていて、最初はどこの人たちだかわかりづらいのですが、南北戦争、西部劇時代の洋装です。帽子をかぶっていない少年たちがすべてチョンマゲを結っており、4人は洋服の腰に刀、ひとりはピストルを持っているので、今の日本人からかなりかけ離れた顔つきながら幕末の日本の少年たちだとわかります。写真中央に「エブリバディー、ヒーロー。」のキャッチコピー。その下に、かなり小さな活字で・・・彼らは「騎兵隊」。誰もが、日本はこのままじゃいかん、と思っていた時代に生きた日本人です・・・とこの広告の内容が続きます。なかなか読ませる文章です。本当に気持ちを引き立てる広告です。 ところで、これは何の広告なのだろう。この写真ばかりが気に入って長い間壁に貼っていたのですが、そんなことを気にしたことはありませんでした。壁に貼っている状態ではとにかく何の広告かわからないので、この古びた新聞を壁からはずし、普段隠されている下半分の折りたたまれた部分(本当の広告の中身)に目をやりました。 あるシンポジウムの広告でした。なかなか立派な顔ぶれの人たちが「第二の開国へ~日本を変える人材とは~」というテーマでシンポジウムをするというのです。広告主は「山口県東京事務所」なのか、「全国地域情報発信推進協議会」なのか、それとも・・・。要するにどこかの補助金(すなわち税金)を受け取って運営している団体の広告だということだけはよくわかりました。 これも5年ほど前、夏の休みに両親がいた北九州に遊びに行ったおり、まったく偶然ですが、広大な劇場の写真を背景にして「今年一年間、シェークスピアは埼玉にいます(語句は違うかも知れない? 恐らく違うでしょう)」というコピーが書かれた新聞の[全面広告]を見ました。このときはさすがに気分が悪くなり、そのあと、2、3年、シェークスピアの芝居を見に行く気になりませんでした。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 207: 七人の侍 2003/09/19 私たち50歳を越えた人間は、30歳近くまで、映画をビデオレンタルで観るという習慣がなかったと以前書きましたが、私が20歳前後に(あまり正確に覚えていないのですが)、黒沢映画のリバイバル上映がありました。「何々映画のリバイバル」というのは、映画館でその作家や俳優や監督の映画を観ることができる機会があるということです。つまり、普段から名前は聞いたことがあり、有名な作品や監督だということも知っているかたでも、映画館で上映されないかぎり観る機会がないので、何年かおきに、どこかの映画館が古い映画をまとめて上映するのです。また、その時だけ、新聞などに「何々フェスティバル」のような広告が出て、その映画を目当ての観客が集まります。その当時、映画産業の衰退は目を覆うほどで、「世界の・・」がつく有名監督の黒沢さんですらそんな機会がなければ観に行けなかったように記憶しています 学生時代で比較的時間もあったのでしょう、何編かの作品をまとめて観ました。その中に「七人の侍」がありました。とても面白く、興奮して観た覚えがあるのですが、どうも後半になると、ストーリーが理解できなくなってきます。この話は有名なので、ご存じのかたが多いでしょうが、話の前半は「リクルート物語」、後半は迫力ある「戦闘シーン」が続きます。私は前半の「リクルート物語」の部分の緊張感がとても印象に残りましたが、後半のストーリーはあまり面白いと感じませんでした。 数年たって、これも有名な「荒野の七人」を観る機会があり、これもとても楽しんで観たのですが、ストーリーの後半部分まで十分に理解できて、みごとな映画だと思いました。 それから10年以上がたち、30歳代半ばに、ふたたび「黒沢フェスティバル」のような企画があり、映画館でこの映画を観ました。今回は映画を理解できる年齢になっている家族といっしょで、かなり長時間の映画に、小学生の子どもたちがずっとついていっているのに感心しました。私も再びこの映画を観て、今回は、後半の話がずっと繋がってゆきます。以前、「荒野の七人」では理解できたのに、「七人の侍」で理解できなかった後半部分が、両者の対比とともによく理解できました。 種明かしをすると、黒沢映画は全編で4時間近い映画なのですが、そのうちの後半40分間がカットされてそれまで上映されていたのです。初めてかどうか確かではないのですが、私が30年代半ばに観たとき、はじめめて一般大衆は「ノーカット版」の上映を観ることができ、また、それが鳴り物入りで宣伝されての一般公開の「フェスティバル」でした。 ここで、黒沢のノーカット版が日の目を見たのは、海外で、とくに米国のハリウッド系の若い映画監督たちが、黒沢監督を神様のように言う風潮が出てきたからでした。国内では日の目を見なかった作品が海外で評価されて初めて国内で観ることができるという図式はこれ以前から日本の伝統です。ちなみに、「荒野の七人」をとった監督は、この海外での「ノーカット版」を下敷きにしたことは当然です。なお、この、私の30歳代半ばあたりから「七人の侍」の2本組ビデオレンタルが、どこのレンタル店でも借りられるようになりました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 208: 解剖標本 2003/09/19 医局の壁にある展覧会のポスターが貼られいています。誰が貼ったのか不明ですが、医師会からのもののようです。 ポスターそのものは一般のひとたち向けの展覧会の広告で、「人体の不思議展」と書かれ、ひとりの人間の皮膚を剥離して筋肉が露出した死体を正面と背面から並べたカラー写真が画面いっぱいに広がっています。病院の医局という場所で、しかも、解剖図を見慣れた私の目にも、やや強烈で違和感さえ感じさせるポスターです。このポスターを制作した人も、その「強烈さ」や「違和感」を十分に意識して作成していることがわかりますが、小さな字で書かれたこの展覧会のキャッチコピーには、「からだ=未知なる小宇宙」「匂いもなく、弾力性に富み、手で触っても汚れない」とあり、特殊な加工技術で本物の人間から作成された解剖標本の展覧会であることがわかります。 一般の人向けに展示される解剖標本というのは、それはそれで非常に意義深いものがあります。日本では、なかなか一般の人が解剖標本に接する機会が少ないのですが、海外では以前から、人体の輪切り標本などの展示が一般の博物館でおこなわれていると聞いたこともあります。これらの人体標本を使って何を示そうとしているのか、その意図がもうひとつはっきり書かれていない広告ですが、けっして興味本位ではなく、しかし、普段なかなか接することができないチャンスを生かして、人体の不思議を感じることは、大切なことだと思います。 ちなみに、私は毎年のホームヘルパー研修のとき、受講生さんに、まず人体解剖標本(もちろん本物ではありません)を使ってお話をすることにしています。また、その標本を触って、動かして、いろいろと学んでいただくことにしています。 展覧会のご案内はこちら コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 209: マヌケのメイ 2003/09/21 ウッディ・アレンの近作(2000)に「おいしい生活 (Small Time Crooks)」というのがあります。ウッディ・アレン扮するさえない犯罪常習者とその妻が、仲間を集めて銀行破り、それも、とても古くさいやりかたの、地下道を掘っての銀行破りを計画します。そのため、銀行のすぐ隣の建物を不動産屋から借り受け、妻はそこにクッキー店を開店。いっぽう、男たちはどたばたをくりかえしながら地下道を掘り進んでゆきます。そのうち、このクッキー屋が大繁盛するようになり、妻は毎日へとへと。どうしても助手を雇いたいと言い出します。他人がはいれば、銀行破りがばれてしまいかねません。妻は、「私のいとこのメイはどう?」と言い出しました。 ウッディが「メイなんて、あんなとろい女を計画に加えたら計画がどうなることか・・・」というのが日本語音声切り替えのせりふです。(この声優さんはウディのキーキー声とあまりあっていない) また、「マヌケのメイを仲間にしろと?」というのが、字幕です。 「May is a dodo.」が、実際に聞こえてくるウッディの声ですが、もちろん「dodo」が何者かみなさんはよくおわかりですね。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 210: まなざし 2003/09/10 18:00 以下のエッセイは、98年度の「嵐山通信(保護者会会報)」の原稿として、98/03/30に書き上げたものです。保護者会会長の許可を得てここに転載します。書き上げた時期もあり、春の日差しを感じていただければ幸いです。 (まなざし) コロニーのゲストハウスの食堂は、普段は職員食堂として使われています。ここからは、南に広い芝生をはさんでその先に保育所を臨むことができます。人の少ない時間帯に食堂にかけ込み、食堂の南側に一列に並んだテーブルでいそいで食事をすませると、そそくさと仕事にもどることが多い私の目に、保育所の子どもたちの一群の姿が止まりました。暖かい日差しにさそわれて、芝生の中にしつらえられた日傘と丸テーブルの周辺で、これから楽しい食事が始まるような気配です。 椅子につこうとする4、5人の幼児たち。その子どもたちに目を配りながら、テーブルのセットをする二名の職員、保母さんの姿。食事といっても何を食べるのでしょうか。子どもたちも皆そろって席に着いているわけではなく、ひとりが立ち上がってテーブルのまわりをはしったり、そのあとからその子をおいかけて、また別の子が走ったり、職員さんに呼び止められたりとなかなかいそがしい集団です。 子どもたちのうちのひとりを目で追っていると、芝生の先に走り出し、勢い余って転んでは、ひとりの保母さんに目で助けを求めています。助けを求められた保母さんは、その子と目をあわせたまま、自分の位置は変えずに、その子が起きあがることを目で促しています。半分泣き出しそうにしていたその子も、やさしい視線に励まされ、自分で起きあがって、みんなのいるところにもどって来ました。 助けを求める視線、自分で立ち上がることを促す視線、それを遠くの食堂のテーブルから眺めている視線。考えてみればその時、その場所で何本の視線がお互いに交差したりすれちがったりしながら動いていたことでしょう。私たちが普段考えている以上に、「ひとのまなざし」はいろいろな意味や人間関係をその中で伝えあっているように思えました。「ひとのまなざし」には力があります。医者である私たちの仕事の中で「診る」「看る」「みたてる」「みとる」などの仕事が、言葉より「まなざし」の力に基づいているのだなどとぼんやり考えながら、私は珍しくゆっくりとした昼食を終えました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 211: みずほの教訓 2003/09/11 05:30 「9.11」二年目の話題として・・・。 2002年4月1日から約1ヶ月に渡って続いた「みずほ銀行」のシステム障害のことを憶えておられるでしょうか。同銀行の現金自動払出し機が停止したことや、銀行トップの危機管理の甘さなどが連日ニュースをにぎわしました。この「事件」にはとても根深い問題があり、企業や社会のありかたそのものが問われることになったのですが、日経BP社から「システム障害はなぜ起きたか みずほの教訓」という本が出て、この問題をさまざまな角度からとりあげていたので、昨年の7月に購入して一気に読みました。 この本の初版(1版1刷)の日付は5月30日となっています。4月1日から5月の連休明けまで続いた「事件」をとりあげてまとめたとすれば、突貫工事のような出版であったはずですがよくまとまっています。猛スピードの出版が可能だった背景には、あの「事件」が「起こるべくして起こった」ということがあります。取材をしていた「日経コンピュータ」の記者たちは、何年も前から、「みずほ」という会社に統合されてゆく各銀行の合併過程が、いかに「いいかげん」であるかを「システム統合」という視点から追い、何度もその危険性を記者会見などで質問していたようです。したがって、「はだかの王様がはだかであること」はかなり以前からわかっていて、こうした本の出版の準備もしていたようなところがみられます。 あつかっているテーマとしては、「システム統合という難題」「ビジネスモデル」「危機管理」「トップの責任の取り方」など、いろいろな読み方ができ、私たちの「企業=法人=施設」でも応用問題としていくらでも考えるネタがあるので、私の上司に「ぜひ」とお勧めしました。私の現在の上司は柔軟な思考の持ち主なので、いろいろな読み方をしていただいたものと思います。 ISBN4-8222-0783-8、1400円です。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 212: 堂々の運命 2003/09/12 05:30 お気づきの方もおられるでしょうが、ホームページの最初の扉を「Dodo's fate」から「Dodo's destiny」に変えました。どちらも「ドードーの運命」と訳すことのできる言葉です。もともと、「dodog3」の由来は上に書いた通りで、ドードーという鳥が17世紀には絶滅したといった話に悪のりして、最初は表題をつけてしまいました。「Fate」という単語は「fatal(致命的)」という形容詞が示すように、あまり良い「運命」ではないので、「ドードーの運命」すなわち「私の命脈ももうこれまでか・・・」といった「のり」だったのです。 このところ、こうした表題のつけかたを少しばかり反省しております。あまり自分をみじめと考えない。したがって、変な表題はつけないほうがいいだろうと思い至りました。アクセスカウンタが200を越した本日をもちまして、同じ「運命」ではありますが、「天命」とか「使命」とかの意味をもつ「destiny」という単語に置き換えてみました。(ちなみに、「calling」という単語も、「職業」「使命」「天職」などの意味を持っています) たまたまですが、「manifest(manifestoではありません念のため)」という単語と結びついた「Manifest destiny」という言葉は、米国建国当時に好まれて使われた言葉です。この言葉における「destiny」は「神様の導き」というような意味もあり、「神様に西部の開拓を約束された(宿命づけられた)」と言った意味までも持つ言葉の組み合わせです。ですから、たとえばネイティブ・アメリカン(日本でインディアンと呼ぶ人たち)などは嫌う言葉だと思いますし、現在の米国の一部の人たちが示すキリスト教原理主義的な文脈でこの言葉を使うと、とほうもないこと(ネオコンサーバティブの世界観)になるのでしょう。しかし、こうしたむずかしいことさえ言わなければ、「西部劇」や「大草原の小さな家」などが好きな私は、単純に、この「Manifest destiny」という言葉がとても好きです。 開拓時代の米国に学ぶことはまだありそうだからです。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 213: Help!! 2003/09/21 コンピュータというのはやつかいなものです。 もともと、今のコンピュータが「マイコン」などと呼ばれていたころから、コンピュータを仕事に使用してきた私ですが、未だに、あっちこっちでつまずくことが多い毎日です。 今年の8月末に埼玉県知事選挙があるというのはその1ヶ月以上前からわかっており(土屋前知事がおやめになったのですから当然ですね)、その結果が出るより先に自分の考えを発表する場を作ろうと心に決めていましたが、いざ、ホームページを作るとなると難儀しました。 最初は、自宅に設置してあるコンピュータのうちの1台をホームページに公開するつもりでした。あっちこっちの設定をいじって、プロバイダという接続業者さんからうちのコンピュータが「見える」状態にする必要があるのです。つまり、自宅のコンピュータが世界中から見られるということは、そのいちばん最初の時点で接続業者さんから「見える」状態にしなくてはいけないのです。そのため、こちらからプロバイダへ接続する設定だけでなく、私のコンピュータへ接続するための番号と名前を別に購入して、いろいろ設定をして、ということをしなくてはならないのです。ここで、あっという間に、1ヶ月ほどの時間を使ってしまいました。参考書も10冊ほど買って、いろいろいじってみたのですが、なかなかかゆいところに手が届かない。土曜日、日曜日をほとんどフルに使っても、いろいろな業者の電話相談は土日が休みのことが多くて・・・といった泥沼状態でした。 8月の最後の10日間も半分ほど使って、こんなことをしていたら、肝腎のことができなくなることに気づき、以前から保険のつもりで加入していたアップル社のサービス内容を見直し、「.mac」サービスというのを使うことにしたのです。しかし、これも難題でした。「.mac」サービスの中に「HomePage」というソフトが組み込まれており、これに「ちょこちょこ」と書きたいことを入力すればできますよと広告にも参考書にも書いてあるのですが、あまりフォーマットがないのです。試しに作ってみると、「入り口」の画面と「マニフェスト」は簡単にできてしまいましたが、私のように少し長い文章を読んでもらいたいひとには不向きでした。 でもここは、少しがんばれば、今はどんなワープロでも「HTML」のファイルを作ることができる。これは、以前から知っていたので、MS-Wordで文章を書き、セーブの時に、「HTML」フォーマットを選んでと、めでたく、8/30に間に合いました。 ここから先、まだ、いろいろあるのですが、ごく初期の私のホームページをご存じのかたは、毎日のコンテンツの追加とともに、「見栄え」が少しずつ変わってゆく過程を楽しんでおられるかも知れません。本当は「ヘルプ!!」の連続だったんです。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 214: Help!! (2) 2003/9/21 アップル社の「.mac」サービスの見本のようなものがほしくて、アップル社に電話したことがありました。もう少し文章を入力しやすいページの設定はないのか。あるいは、入り口のあの体裁は、もう少し工夫できないか。他に使用しているひとのホームページを見れば、参考になるはずだからです。結論から先に書くと、アップル社は「http://homepage.mac.com/」のあとに続くホームページの一覧のようなものは発表していないようでした。したがってさがさなくてはいけません。ブラウザーでランダムにさがすことにしました。 欧米人なら「/」のあとにきっと「John」だの「Mary」といった名前を持つホームページがあるだろう。とにかく、思いつくだけ、いろいろな名前を入力して呼び出してみようという発想でした。これは、なかなかのアイデアでした。たしかにひっかかって来ます。10個ほどの名前をランダムに入れると、1人か2人はひっかかります。下はその例です。ちゃんと公開されているホームページですから、遠慮なくアクセスしてみてください。これは、ホームページ制作には実はほとんど役に立ちませんでしたが、欧米の人たちがホームページに関してどのような楽しみ方をしているかを知ることができ、それなりにおもしろい体験でした。 一例だけあげると、piperです。http://homepage.mac.com/piper/ このほかひっかかってくる名詞は、aristotle、bob、charlie、david、dodog3(もちろん)、gilbert、lion、peter、piper、peter_piper、owl、richard、will などでした。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 215: 中山道 2003/9/27 先日用があって、長野県南部の駒ヶ根市に行く機会がありました。諏訪湖に面した岡谷インターチェンジから、中央高速で45分ほど名古屋方面に下ったところです。私は実家が大阪にあり、中央高速道路を使うことが比較的よくあります。 10年前、愛媛から家族で埼玉県へ引っ越してきたとき、乗用車に家族と身の回りのもの、それにとても大切で運送業者になどにはけっしてたのめなかった「かさばるコンピュータ」を乗せ、ぎゅうぎゅう詰めの状態でこの道を通りました。宮崎駿さんの映画の始まりに、どうしてこの引っ越しのシーンが多いのでしょうか(「トトロ」や「千と千尋」)。現代日本人のライフステージの中でけっこう大きな部分なのかも知れません。 10年前は、愛媛から大阪の実家で一泊(ここまではフェリー使用)。次の日、大阪から埼玉県中央部に位置する東松山市まで出ることになるのですが、名神高速で小牧までは選択肢なし、その先は二通りのルートが可能です。東名高速は過去に何度か通ったことがありますが、トラックが多く、事故にでも巻き込まれたら悲惨です。何より夕方に関東圏を通過するので、関東圏の迂回は・・・と八王子のほうへ抜けるルートなどをさがしても、ため息が出るばかりでした。 中央高速を通ってみてはと考えました。何度か岡谷までは行ったことがあり(大阪から本気でスキーがしたいときは、はるばる中央高速で岡谷まで行き、その先延々と「塩の道」を北に行く)、途中の伊那谷の道は比較的視界良好、のんびりとしているので、安心して諏訪までは出られそうです。ただ、その先、中央高速で東京方面に向かうとなると、結局、夕方八王子を通らなくてはならず、同じ問題が浮かびます。 ここで地図をよく見ると、下諏訪から、いくつか峠越えをして佐久に出るというルートがみつかりました。引っ越しが3月の末で、私は愛媛でも冬は雪道用のタイヤでしたので山道の通行は可能でしょう。佐久に出れば、勝手を知っている軽井沢、碓氷峠、松井田と18号線で山を越して上信越道路に合流できる、そう考えました。 下諏訪から神社のわきを通って、和田峠越えの山道(R142)にはいります。新和田トンネルは当時まだ新しく、有料ですがこれがあるのでこのルート選択が可能なのです。その先、またいくつかの峠を越して佐久に出るのですが、諏訪から佐久までのこの道は昔の中山道で、遠く浅間山を望み、ところどころで松並木が旧街道の面影を濃厚に残しています。 佐久に出てみて、初めて知ったのですが、その年の3月中旬、上信越道路は佐久まで開通しました。まっさらの高速道路でたくさんのトンネルを越え、東松山に到着したときにまだ明るかったので「やった」と思いました。ちなみに、日本地図で大阪と東松山を直線で結ぶと、この直線にいちばん近いルートでもあります。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 216: 五稜郭 2003/9/27 今年は「中山道」を2回通りました。 1回は、今年6月末に岐阜市で催された「重症心身障害児を守る会・全国大会」への出席のため、2度目は先日の駒ヶ根市の施設(西駒郷)見学でした。 いずれも、前日の午後3時ころ、診療を院長さんにお願いして早退させてもらい、夫婦二人で車で出発しました。たまたまですが二回とも雨の日で、霧雨にけむる笠取峠の松並木などを横目にみながら、ただ通り過ぎるだけの急ぎ旅でした。6月の旅の数日前、まだ、宿舎とルート(新幹線で岐阜に行くことも考えていたので)が決まらなかった時に、インターネットで下諏訪に宿をさがし、いい宿を見つけたので、この山越えのコースを選ぶことにしました。6月の大会出席は、翌日のお昼までに岐阜市に着いていればいい旅だったからです。 6月の時は、下諏訪神社に6:30過ぎに着いて、しばらく下諏訪神社の神域を歩きました。この神社は巨木に乗って坂を下る祭りで知られているお宮ですが、霧雨の中に夕暮れの森が深く沈んで、とても落ち着いた雰囲気でした。梅月旅館(0266-27-0055)は、夫婦お二人でやっておられるような本当に小さな宿(私は「父ちゃん母ちゃん個人商店」と呼んでこのような経営に敬意を払っています)で、私たち夫婦以外に客があったのかどうかもわからないほど静かでしたが、おかみが自慢する料理(創作懐石)が売りの店でした。 今回の旅も、行きは同じコースで下諏訪で一泊、翌日、施設見学をしましたが、比較的早く見学が終わったために、帰りの旅に少し余裕ができました。そのため、かねてから行きたいと思っていたところに立ち寄ることにしました。過去に何度も旧中山道を通りながら、少し回り道になるため気になっていながら行けなかったところとは、臼田町にある龍岡城です。佐久市の南に隣接する臼田町の中心から少し山側にいったところに「日本に二つある五稜郭」のもうひとつがあります。幕末の江戸幕府はそれなりに改革に努めており、独自の開化政策や人材の登用、人事の一新をおこなっていました。当時の開明的な幕府の人材により洋式築城技術を用いて函館に作られ、榎本武揚や新撰組の残党が立てこもったあの有名な五稜郭と同じ造りのやや小さな五稜郭が、信州の片田舎にあることを知っておられるかたは少ないと思います。このお城のことは以前から気になっていたのですが、先日、やっと訪問することができ、いくつかの私が知らなかったことにも気づかされ、感銘を受けて帰ってきました。 なお、6月、9月の両旅行とも、自費で年休をとっておこなった、大会出席、施設見学でした(うるさくいう人がいるので念のため)。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 217: 父ちゃん母ちゃん型個人商店 2003/9/29 5年ほど前の話です。 当時、「日本型雇用の限界」や「早期退職による起業家への道」などがさかんにマスコミに取り上げられていました。すなわち倒産や解雇による失業・求職ではなく、自分の意志で(・・・と信じて)の独立、転職、新たな仕事の開拓、創出というのがひとつの流行になっていたような時でした。ただ、同時にマスコミでは、男性失業率が女性を上回っており、中年男性の再就職が困難だという事実も伝えられていて、私と同僚の間では「これまでの経験を生かして管理職をさせてください、なんて、再就職の面接で言っているのじゃあないのかな」と話をしていたころでもあります。 1998年8月27日の夜のニュースステーションで、3つの転職の物語が放映されました。 その半年前まで普通のサラリーマンだった3人の男性が、それぞれ、ラーメン屋、お好み焼き屋、清掃会社を起業して半年がたった、その後の彼らについての密着取材だというのです。 清掃会社を起こした男性は、妻と二人で仕事さがしから始めました。夫が社長、妻が仕事人の役割分担を予定していましたが、仕事がなければ何事も始まりません。いろいろな企業をまわるため、スーツに身を包んで、名刺を持って、これまでやってきた「営業」の仕事の延長線上で「仕事さがし」をしてゆくのですが、なかなか仕事の受注がありません。 あるパチンコ屋で「営業」を始めた夫を見かねて、妻がいきなり男性トイレにずかずかとはいってゆきました。そして、男性小便器の排水口のところにさしこまれている、陶器の「ゴミ受け」(とでもいうのでしょうか、よく、タバコのフィルターなどがひっかかっているところです)を素手で持ち上げると、そのまま、夫が「営業」を続けているお店のマネージャのところへ持ってゆきました。妻はその便器の「ゴミ受け」をひっくりかえして相手に見せ、表面的にはきれいに掃除されているおたくの便器も、こうして裏返すと黄ばんで汚れていますとさかんにアピールしています。その妻の勢いに気圧(けお)される形で、パチンコ屋さんのマネージャは、定期清掃の契約を結ぶことになりました。水滴がしたたり落ちる「ゴミ受け」をもとの場所にもどしながら、妻は、これからの会社の覚悟を態度で示せたことに満足した表情でした。 「父ちゃん母ちゃん型個人商店」は、究極の、効率優先、優良経営の企業となる可能性を持っています。私たち夫婦がひいきにしているレストランにも、旅館にも、歯医者さんにも、この型の優良企業があり、私どももここに加わることが可能なので、こうした企業のありかたに敬意を払い、今後も応援してゆきたいと思っています。 ここまでは、5年前の、「起業」に少しばかり「夢」があった時代です。ところでその後はといえば、今、国内の景気が少し上向いてきたとはいえ、「jobless recovery」「jobloss recovery」(ともに、「雇用なき景気回復」、「解雇に基づいた景気回復」)と言われるように、仕事のない人たちをとりまく情勢はそのころより一段ときびしくなっているようにも思います。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 218: 自己紹介(2) 2003/9/30 数人のかたからご質問があったので、とりいそぎお返事します。 このコラムの一番最初の「自己紹介」で、「おそらく、インターネットで私の名前を検索しても何も出ないと思います。通常医師が自分を紹介する上で必須の業績(論文や著書の類)、専門性など、インターネットにかかるものが何もないからです」と書きました。また同時に「(どういうわけか、皆無ではなくわずかにあるものもあるので、それは別のところで紹介します)」と書いておきました。 この「自己紹介」をそのままの状態で放置していたので、インターネット検索(Exite 、Yahooなど)をおかけになったかたから、わざわざご連絡いただいたしだいですが、「高木俊治 嵐山郷」とスペースをひとついれて検索をすると、2件、名前と所属の併記された検索結果が得られるというのです。 この検索で得られる「高木俊治」さんは、まったく別のかたです。たまたまですが、埼玉医大のリハビリ関係のかたのようで、また、同じファイルに「嵐山郷」の名前が出るらしく、このような検索結果になるようですが間違いなく別のかたです。 もし、検索をなさるのであれば、「高木俊治 遺伝子」や、「高木俊治 生命倫理」、「高木俊治 自閉症」で検索してみてください。それぞれ翻訳の書籍が検索されてきますが、これは間違いなく私が関係したものです。早い時期に、きちんと紹介しなくて関係者にご迷惑をおかけしました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 219: お休み宣言(Manifesto of sleeping) 2003/09/30 18:00 わけあって、このホームページは本日24時に休止いたします。まだしばらく、時間の猶予がありますので、お楽しみください。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 220: マルコビッチの穴 2003/10/10 「マルコビッチの穴」というちょっと風変わりな映画があります。 非常に個性的な顔を持ったジョン・マルコビッチという実名の俳優に変身することをテーマにした映画で、映画の原題は「ジョン・マルコビッチになること(Being John Malkovich)」といいます。日本語の題名にとりあげられている「穴」は、この変身のための「抜け穴」であるというこれまた突拍子もない設定です。 小難しく言えば「あるひとを、そのひとたらしめている何か」にまつわる哲学的な問題に行き着くのでしょうが、単純に「抜け穴の魅力」としてとらえても楽しめる映画です。 「抜け穴の魅力」とは、「不思議の国のアリス」でもわかるとおり、いっけん何でもない草むらや木の洞をのぞくこと、おそるおそるその中にはいってゆくこと、急に後戻りできない不思議な力が働き、どんどん奥へと引き入れられてゆくこと、その先に、まったく知らなかった世界を発見し、さまざまな驚きや、苦労をかさねること、などなどがあります。 子ども時代にはだれでも「隠れ基地」で遊んだり、ちょっとした抜け道をみつけたりすることで、わくわくしたことがあるでしょう。トトロの大木の森に通じる茂みの中のけもの道のような秘密の道も、メイちゃんだけが、ある許された条件のもとで入るときだけ「わくわくランド」に導いてくれるのです。 このたび「堂々たる眠り」のページから、はるばる抜け道を抜けてこのホームページに到達していただいた方々が退屈されることがないように、Cafe Dodo の店主はできるだけの努力をします。今後ともよろしくお引き立てのほどを。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 221: 劇場型政治 2003/10/12 10月5日の日曜日、「重症心身障害児(者)を守る会」の「第13回関東・甲信越ブロック研修会」が守る会の埼玉県支部主催でありました(会長・岩崎百子同支部長)。 関係者は普段からよく存じ上げている方々で、この1年間の楽屋裏のご苦労をよく知っている妻と私は、二人でご招待を受けましたが、何かお手伝いすることがないかと、比較的早い時間帯から会場となった「ラフレ 埼玉」にうかがいました。例年は、この会は2日にわたりますが、今回は交通の便の良い「さいたま新都心」での開催なので一日だけの会となり、その分、時間的に濃密なスケジュールで運営されました。 会の役員さんたちから「確実ではないが・・・」との前置きがあったものの、本日の会には知事がおいでになるかも知れないとうかがいました。就任したばかりの上田埼玉県知事さんは、まだ、あまりいろいろな行事に顔をお出しになることがないと常々噂を聞いていましたので、その話にややおどろきました。例年のことを考えても、昨年の仙台での全国大会に、講演を依頼された障害福祉のプロを自認する浅野宮城県知事が出席されたのは例外中の例外で、昨年の千葉の関東ブロック研修会、今年の岐阜での全国大会とも、代理の方のあいさつ朗読が普通だと考えていました。したがって、本当に知事さんが来られるのならたいしたことだと感心しました。 私たちは施設関係者ということで、埼玉県内の他の施設関係者とともに、400人以上の参加者で満員の会場の最前列に指定席をしつらえられ、壇上に並ぶ主催者側役員や来賓と直接対面する形で座っていました。会が始まり、型どおりのあいさつなどがしばらく続きましたが、真正面にしつらえられている「上田埼玉県知事」と名札の付いた空席と数メートルの間隔しかなく、目があったらどうしよう・・・など、少しそわそわ、わくわくするような気持ちでもありました。 会は粛々と進み、「もうすぐ到着されるかも知れませんが・・・」という司会の言葉に会場が少しどよめきながら、何度か、会場の内外での役員さんたちのあわただしい動きが感じられたりしましたが、11時過ぎに、「やはり、お忙しいようで・・・」と代理の方のあいさつ代読になり、知事出席問題にはピリオドが打たれました。 家に帰ってニュースを見ると、当日は民主党と自由党の合併党大会でした。「そうだ、そうだった。たしかに、先日までニュースでも話題になっていたことだが、今日という日だったということをころっと忘れていたな。これでは、最初から、上田知事さんが会にあいさつに来られるはずはなかっただろう」と勝手に納得しました。また同時に、ニュースで道路公団民営化問題の「藤井総裁首切り劇」を、日曜日であったこの日に当ててきた「小泉首相の劇場型政治ドラマ」の手法に、感心もし、また、その日一日の私自身の気持ちのありかたなどに、改めて反省もしました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 222: 森林太郎陸軍軍医総監 2003/10/18 「折々のうた」という短いコラムがあります。 大岡信という歌人がずいぶん昔から朝日新聞に毎朝掲載し(最近10年ほどは隔年になっている)、その後、一年分がまとめられて岩波新書に収録されます。「新折々のうた3」(岩波新書531.1997年出版)の「夏のうた」の中にあるふたつの短歌が新聞に連載された当時(1996年夏)、とても感動して(共鳴して)読んだ記憶があるので、図書館で調べてみました。ふたつの短歌とは後に陸軍軍医総監となる森林太郎(鴎外)の素顔を垣間見ることのできる作品です。 大多数まが事(こと)にのみ起立する会議の場(には)に唯(ただ)列び居(を)り 「まが事(ラッキーでないこと)」が何かはわからないのですが、たいていの会議それ自体が、森林太郎にとってはまが事(災難)と感じられたのかも知れません。 をりをりは四大仮合(しだいけごう)の六尺を真直(ますぐ)に竪(た)てて譴責を受く 四大仮合が、四大元素(地水火風)から構成されている自分の身体(六尺)のことだという解説がなければ、意味を正確に読みとることは困難ですが、直立不動で上司から譴責を受けている森林太郎陸軍医官の姿を想像すれば、私自身の身に引き寄せやすくなります。もちろん、この二つの「うた」は、医師である私だけが共鳴するものでなく、多くの私の職場の仲間たちにとっても共通の思いを持ちうるものでしょう。 1996年の夏に何があったか、日記を検索してゆくと、すぐ、それに相当する記載がみつかりました。まさに「まが事」で「譴責」を受けたことがわかりました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 223: 劇場型政治(2) 2003/10/19 最近のニュースをみると、劇場型政治の見本に事欠きません。 道路公団民営化の議論そのものが、「見せ物」的な要素を色濃く持っていましたが、国土交通相への石原伸晃氏の起用から始まって、民主党・自由党の合併党大会へぶっつけた10/5の「藤井更迭未遂劇」、10/17の石原大臣の「高名な哲学者」発言から、同日の「聴聞」の「国土交通省・先輩後輩対決」まで、ひやかし半分に観るかぎりこれほど楽しませてくれる出し物はありません。 官僚の多くは、確かに優秀な人材集団です。今回の一連の藤井治芳・日本道路公団総裁の発言や行動を見ても、これだけ優秀な官僚を、これまで日本の政治家(ひいては有権者)がきちんとコントロールして使うことができて来なかったことを悲しむべきだと思います。単に「官僚」「役人」を非難する(スケープゴートにする)ことで自分たちの正当性を主張しようとするような政治家なら、多くの場合、「役人嫌い」の風潮(主にマスメディアが作り出す)に誘導されつつある有権者におもねる政策しかできないでしょう。 官僚の本来の姿は、決定された政策を実行に移す際に持っている知識や機構を動かす職能集団であり、政策如何で右にでも左にでも向くことができるはずです。ただ、多くの場合、政策を決定すべき政治家や有権者が、明確なビジョンを持たず、官僚組織に政策決定や選択を丸投げするため、職能集団としては、政策決定者(政治家)に補佐やアドバイス以上のことをする必要があるのでしょう。それが「既得権益」と呼ばれ、政治家とこの権益を共有する集団になっているのですから、なかなか、借りのある立場の政治家たちが、「高名な哲学者」の指導で「見せ場」を演出したつもりでも、足下を見られてしまいます。 私どものような県の出資法人の職員の場合、お役人と私どもとの関係をどう考えればいいのでしょうか。単純に考えれば、国土交通省と道路公団の関係は、県の担当部署と事業団との関係そのものです。職能集団である県の官僚、出向先・天下り先にいる県職、県職同士の上下関係や足の引っ張り合い、県職と私どもの関係。こうした複雑な関係が、相互に政策・方針をめぐって働きかけあいます。しばしば県職は、「あなたたちの仕事を守るために自分たちは改革をおこなうのだ」と言います。それは、「道路を造り続けるというためだけに、国民の税金を使って道路公団という組織を存続させようとする」という形でマスコミに取り上げられる図式と同じです。しかし、私たちの「福祉の仕事」は県職に守ってもらわなくてはなくなってしまうようなものではありません。こうした関係は「劇場」でお示しできるほど単純ではないのです。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 224: コンピュータにもキャラクター 2003/10/21 以前、コンピュータの名前の話をしました。その続きの話です。 1993年に3人の若手(?)医長が嵐山郷に就職しましたが、その中の一人、池田正行氏の強い推薦で、3人はその当時まだ珍しい部類にあった、アップル社のコンピュータを使うことになりました。そこで、翌年度の1994年はじめ、医療部門で3台のコンピュータを購入してもらいました。この当時としては先進的だったと思うのですが、この3台をネットワークで結ぶため、それぞれのコンピュータに名前をつける必要がありました。そこで、漫画のキャラクターからヒントを得て、Charlie (Brown)、Lucy、Linusと名付けました。 私のコンピュータが少し大きめの機種で、Charlieを名乗り、以下、妻のコンピュータにLucy、同僚の池田先生のコンピュータにLinusを名乗っていただきました。それは、どことなく、この漫画のキャラクターがそれぞれの医長と似たところがあると感じたためでした。 同僚の池田先生に関しては、嵐山郷を去った後も現在まで大活躍されています。ご本人とは直接関係ないのですが、どことなく、池田先生をほうふつとさせる(ご本人が気を悪くされたらごめんなさいね)話が本家のLinusのキャラクターにあるのでご紹介します。4コマ漫画として読んでください。 まず1コマめは、CharlieからLinusへの問い。「君は将来、何になりたい?」 それに対する、Linusの答えが、3コマ続きます。 I would be a humble country doctor. ぼくは、つつましい田舎の医者になりたいな。 I would be a famouse humble country doctor! ぼくは有名な、つつましい田舎医者になりたいよ! I would be a world famouse humble country doctor!! ぼくはノーベル賞級の、つつましい田舎医者になりたいんだ!! コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 225: 百武彗星(1) 2003/10/24 96/03/26、重症心身障害児を守る会埼玉支部主催の「交流キャンプ」にはじめて参加しました。 これは同支部が在宅の重心障害者、家族、ボランティアの交流を目的におこなったもので、これから毎年おこないたいが、参加者の健康管理と啓蒙活動の一環としての短い「健康講座」のため、コロニー嵐山郷から医師と看護婦を派遣してもらいたいとの要請が県を通じてあり、私とひとりの婦長が派遣されたものでした。 春日部エミナースとかいう年金関係(?)の保養所に行きました。嵐山郷からははるか遠く、真っ平らなところは嵐山郷と違いますが、雑木林やたんぼが広がる静かな保養所です。とても立派でモダンな建物に、午後、在宅障害者とその家族、多くの高校生ボランティア、守る会の役員たちがあつまり、ゆっくりしたペースの会が進行しました。 障害者ひとりに、約2名ほどのボランティアがつきますが、高校生は初めてのかたがほとんどなので、家族や施設関係のボランティアなどから車椅子の押し方などケアの基本を教えてもらいながらのスタートです。ゆっくりとしたスケジュールの中で、当初予定していた「健康講座」の時間は40分という時間に短縮されました。この短い時間に、障害者と初めて触れる高校生から、障害者の家族までに理解できる内容の話をしてほしいと言われました。来る前には少し話題を準備してもいたのですが、実際に高校生やご家族を目の前にすると、共通に理解してもらえる短い話題をしぼりこむのは容易ではありません。ただ、この日は、もし夜、晴れていたら何十年に一度しか観ることができない、巨大な「百武彗星」が観られるという世界的に話題になっていた日だったので、最初に予定していた「障害者と遺伝」という啓蒙的な話題をしぼりこみ、「宇宙と地球と進化と遺伝」の話に切り替えました。 そこで、百武彗星と宇宙の話から始め、生命の40億年の進化の歴史、遺伝子が40億年前から基本的に保存されてきたことの驚異、それはデジタル・コピーというコピー方式を遺伝子がとっているからだという話、などをしました。私の講義を含めてこの日の交流キャンプをビデオ撮影していた佐藤さんという方が、最後に、「今、私が使っているのがデジタルビデオカメラです。とても便利ですし、コピーを何回くりかえしても、まったく同じコピーができるので、こんな小さなテープにとても美しい映像が残ります」とコメントを入れてくれました。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 226: 百武彗星(2) 2003/10/25 百武彗星のかがやく日に、高校生ボランティアさんと障害者の親御さんに少し難しい遺伝の話をしました。もともと、講演依頼者からは、「どうやったら障害児を産まないですむか、高校生に分かりやすく話をしてください」とたのまれたのですが、じつは、私は「どうやったら障害児を産まないか」という問題の設定をあまり好ましく思いません。しかし、お引き受けしたときには、それなりに時間がとってあったので、話の中でなぜこの「産まない」というテーマが適当でないかを話題に加えながら、高校生や親御さんに分かりやすい話をすることができると考えていました。しかし、十分な話の時間がとれなくなったので、まったくテーマを変えて、この日の彗星の話題を枕に、宇宙の歴史と生き物の進化の歴史に少しでも興味を持っていただくため、生き物の身体はコンピュータととても似ているという話をしました。以下、文章にするととても難しくなるのですが、黒板を使って話すとそれなりにわかってもらえる話のさわりの部分です。 (遺伝子情報はデジタルコピー) このときに、遺伝子のコピーのされ方はデジタル・コピーだという点にあります。 デジタルという言葉の意味は、「指を折って数える」ということで、指を折って数を数えるときは、指を伸ばしているか(1)、指を折っているか(0)(この逆でもいいですが)の二通りしかないと考えます。10本の指を端から折ってゆけば、1から10まで数えることができますが、2進法の桁上がりを使うと10本の指で511まで数えることができます。 これをコピーに応用するとどうなるでしょうか。ある情報(たとえば画像)を、くりかえしコピーしてゆくと、しだいにコピーの中身が「うすく」なってゆきます。たとえば、テレビ放送の映像を自宅のビデオデッキでコピーすると、放送されたものより映像の画質は悪くなっています。このビデオテープを二台のビデオデッキでダビングすれば、もっと映像は悪くなるし、これを何回かくりかえせば観られないものになってしまいます。ところが、こうした画像をいったん「0と1の情報」に変換しておけば、何度くりかえしてコピーしても、画質はまったく悪くなりません。この手品のようなコピーの原理は、「コピーもととコピー先を端から順番に足してゆくとき、どのけたでも1になる組み合わせだけが許される」といったひとつのルールをきちんと守ることができれば、永遠にくり返してコピーをしても、まったくだいじょうぶです。 たとえば、コピーもと(01001001101)をコピーするとき、コピー先(10110110010)にすれば、このふたつの数の列びを左端から互いに足してゆくとき、(11111111111)とならぶので、両者が完全なコピー(陽画と陰画の関係ですが)となり、このコピー先をもう一度裏返して、コピーもとと同じ数字の列を作ることができます。 さて、一般にデジタルで物を数える時は、「0か1」の二通りがあり、2進法がすべてだと思われますが、別のデジタルもあり得ます。たとえば、「0,1,2,3」という4通りの選択肢を並べる場合で、この時「足して3になる組み合わせだけが許される」とルールが決めれば、「0の相手は3」「1の相手は2」「2の相手は1」「3の相手は0」という組み合わせしかないことになります(すなわち4進法です)。ここで、「0102332233210」と足して「3333333333333」となる裏の数の列(相補的な列という)は「3231001100123」となります(コピーもとから相補的なコピー先ができたわけです)。たとえば「0をA、1をC、2をG、3をT」という記号に置きかえてみると、「ACATGGTTGGTCA」という情報(遺伝子情報の一部)の相補的な情報は、 「TGTACCAACCAGT」であり、何万回でも間違えずにくり返してコピーを作ることが可能です。 遺伝子の情報はこのような4種類のデジタル情報なので、40億年の生物の進化の歴史の中で、そのほとんどが正確にコピーされてつながって来たのです。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 227: 百武彗星(3) 2003/10/26 96/03/26の埼玉重心児を守る会交流キャンプでは、家族と高校生ボランティアの他、県内の他の重心施設の職員、無認可作業所の所長さんや職員など多彩な人たちと文字通り「交流」することができました。 昼間のイベント(私の講演を含む)が一通り終わると、楽しみは夕食です。夕食は大広間で、一人ずつにお膳がしつらえられてありましたが、一般保養施設の食事ですから、多くの重心障害者ご本人にとっては、なかなか食べづらい食品も多くあったようです。しかし、親御さんも心得たもので、ひとりひとりの食事の能力に応じて、介助器具を持参なさったりしておられ、けっこうこんなむずかしい物をこの人は食べるのだなと感心してみせてもらったりしました。普段、養護学校の修学旅行くらいしか外泊の経験がない障害者が多く、ご家族(主に母親)も、あまり泊まり込みで仲間内の旅行などできないことが多いようなので、とにかく会場はとてもにぎわっていました。雰囲気が盛り上がってくると、障害者ひとりひとりも盛り上がってきます。口の周りをぐちゃぐちゃにしながら、はじめて体験でやや緊張気味の高校生ボランティアさんたちに、お料理を食べさせてもらったりしていました。 夕食の時間に中途参加する形で、県障害福祉課長久保武夫氏、同課長補佐若目田孝氏が参加されました。若目田氏はこれまで何度か面識があり、お話をする機会もあるかたでしたが、県の課長さんとは初めてお会いしました。食事が盛り上がっている間は、私と県の課長さんがたとで話をすることが多かったのですが、食事があちこちで終了してゆくと、利用者たちは、高校生ボランティアと三々五々に退出するのと入れ替えに、母親たちが県の課長たちの周囲に自然に集まるようになり、車座の行政説明会が自然に始まりました。お母さん方の質問や要望は限りなく多く、それにひとつひとつ、時間をかけて答えておられる久保課長の熱心な態度がとても印象的でした。 県の課長さんたちは夜遅く帰ってゆかれましたが、私を含め、高校生ボランティアたちは、百武彗星を観るため外にでました。空気は冷たく晴れていました。かなり郊外の雑木林と田圃にかこまれた場所に建つ保養所でも、まわりや遠くの照明が強く、なかなかはっきりとした彗星を観ることができません。しばらくさがしてから、あのあたりにボンヤリと光っているかなり大きな綿雲のようなものが彗星のしっぽらしいと見当をつけて帰って来ました。 4月にはいり、埼玉テレビでこの「交流キャンプ」についての放送がありました。ひとりの女子高生の初めてのボランティアをドキュメントにまとめたもので、佐藤さんというカメラマンが二日にわたり撮られたものでした。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 228: 七人の侍(2) 2003/10/27 ひょっとして映画通の間では常識に属することなのかも知れませんが、私が読んだ数冊の書籍とインターネットの検索では誰も触れていない話題なので、とりあえず私の「発見」としてここに書いておきます。 黒澤明の映画「七人の侍」の最初のシーンは、野武士の集団が山の上から「村」を見下ろしながら、村を襲う時期を話し合うところから始まります。俯瞰された「村」には、周辺の山、村の建物、田んぼ、雑木林、道などが写っています。 この村を守るための侍の人数は、村人から最初に相談を受けた勘兵衛(志村喬)が、その村の地形などの様子を聞きながら「四方に四人、後詰めに三人で、最低でも七人は必要だな」と述べるところで決まるのですが、何より、四方を一人ずつの四人で固めるという確信とも言えるこの最初の勘兵衛の考え方が、この守りの要点になります。 映画は、守るべき4つの方角をひとつひとつ映し出してゆきます。それも、勘兵衛が手にする地図と実際の地形が対照され、そのひとつひとつを、勘兵衛、五郎兵衛、勝四郎が現場視察しながら、守りの作戦を練ってゆくのですが、この映画は4つの方角それぞれに別のロケ地が選ばれたことは良く知られており、地図に描かれた地形と照合できるように周到にロケ地が選ばれていることがわかります。 この守るべき村は、世に言う「四神」と関係します。高松塚古墳の壁画で有名になった四方を守る四つの動物、すなわち、西の大道を守る白虎、南の沼沢を守る朱雀(赤い雀)、東の河川を守る青龍、北の山を守る玄武(黒い亀)が配される地形は、そのまま、この守りに強い地形(「四神相応の地相」と呼ぶ)として、平安京を選ぶ際にも最も重要視された地形に一致していました。したがって、この村がその四神の守りの要点をそなえた土地であることが地図でも、実写の地形でも明示されています。かなり以前からこのことが気になっていたので、先週末、久方ぶりにビデオ屋さんでこの映画を2巻かり出して、これを観ながら、地図を写し取ってみました。文書庫に入れてあります。映画をご覧になるさいに、お手元にコピーしてお持ちになれば、お楽しみが増えることでしょう。 ところで、地相は了解できましたが、四神と侍の一致はなさそうです。誰かお気づきの人があれば教えてください。ただ、週末とはいえ、こんなことをしていると、妻から「まるでオタクみたいだ」と注意されました。確かにそうかも知れません。へへへ・・・。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 229: 七人の侍(3) 2003/11/03 前にも書きましたが、私はリクルート物語としての「七人の侍」の前半部がとても好きです。 侍に「腹一杯食べさせ」て、わずかだが謝礼を払うという条件を持って、四人の百姓たちは町に出かけます。そこで、馬喰たちが泊まる木賃宿に身を寄せて、毎日、侍を物色します。 脱線になりますが、昔、何かのテレビ番組で、後に三船敏郎と並んで黒沢映画の看板スターとなる仲代達也が、ちょい役でこの映画に出演しているという話を聞いたことがあります。劇団に所属していた無名の仲代が、槍を持って、こわい顔をして、カメラの前を数秒間通り過ぎるという場面に、何度もやり直しをさせられ、半日かけて撮ったという仲代自身の証言で、黒沢監督がいかに凝り性でワンマンだったかという伝説のようなエピソードです。 ともかく、百姓たちはただ、町を歩いて通り過ぎてゆく侍に、どうやって声をかけるのか、ノウハウもなければ、とっかかりもなく、またたく間に時間だけが過ぎて、仲間割れのけんかを始めていたところ、思わぬ「事件」から勘兵衛(志村喬)という侍を認めます。勘兵衛は「事件」解決後、彼を慕い、後を追う少年剣士を追い払いながら、旅を続けようとしているところで、百姓たちに声をかけられます。 百姓たちの願いを聞き、同情はするものの、現実性があまりにも希薄なため、同行した少年剣士のように簡単に引き受けようとも言えず、断って立ち去ろうとするとき、馬喰が二人に食ってかかります。その中で馬喰は、「百姓は稗(ひえ)を食って、お前さんたちに米の飯を食わせているのだ」と指摘すると、勘兵衛は心を動かされて「この飯、粗末には食わんぞ」と白い飯が山盛りつがれた椀を捧げながら百姓たちに語りかけます。 ここからは、勘兵衛が中心となっての人集めです。大将が決まったからといって、すぐに人が集まるわけではなく、また、そこからが、この映画の面白いところです。嵐山郷で、過去に何人かの医師をリクルートするとき、この、勘兵衛のように「これは領地とも出世とも関係のない仕事だ」と断ってお誘いして来ました。その誘いで就職してくれた医師もあります。また、今欠員のナースやその他の医療職についても、採用面接のさいに、私たちの仕事を説明して納得して来てもらえればいいと思っています。ただ、今の私には、声をかけることはできますが、具体的な人事権はなく、たいてい面接に立ち会うことも許されておりません。 (お断り。2003/10/25「百武彗星(2)」の記述に誤りがありました。「0をA、1をC、2をT、3をG」という部分を、「0をA、1をC、2をG、3をT」と置き直してください。うっかりミスです) コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 230: 七人の侍(4) 2003/11/04 趣味の話がいつの間にか仕事の話になる無粋さを十分に気をつけながら、いくつか書き進んでゆきます。 百姓にたのまれて村にやってきた侍たちが、本当に困難を感じたことは、野武士との戦いそのものではなく、自分たちが本当は百姓に信頼されていないのではないかという疑念との戦いでした。自分たちは命をかけての戦い(「一所懸命」という侍の性(さが)とでも言うのでしょうか)ですが、どこかで、いつも、百姓たちに裏切られるのではないかという危惧を感じています。侍たちのほうにも思いこみ、誤解などがあるので、どちらがどうだとは言えないのでしょうが、百姓はしたたかで、ずるくて、臆病で、頑固で・・・といくつもの事実が突きつけられ、それにまともに向き合ったり、時には目をそらしたりしながら、戦いの準備をしてゆかねばなりませんでした。ここで、力になるのは、これまで身分が低いとして無視することが多かった農民出身の菊千代(三船敏郎)という男の存在でした。 黒沢版「七人の侍」では、菊千代が時に例外的に描かれていますが、侍の内部の結束はかなりしっかり維持されていて、ひとりひとりの侍に邪念がないため、あまりにもかっこうよく描かれすぎている感じがあります。その点、「荒野の七人」はひとりひとりのカウボーイがもっと個性的で、二人ほど怪しげな男たちも混ざっていることで、話に変化を出しています。また、農民に裏切られる様子もまさにストレートで、その分、わかりやすくなっています(よく考えると理屈に合わないことも多いのですが・・・)。 それにしても、仕事の話に結びつけてはいけないと思いながら、たかが娯楽映画についつい思い入れしてしまう私は、だれが農民の敵だと感じているかと、時々自問してしまいます。 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる サイトマップへもどる ---------------------------------------------------------------- 231: コンピュータというサイコロ 2003/11/11 毎朝、am5:55ころ、我が家は朝食の時刻です。6時のNHKニュースが始まるまで、民放の早朝番組を聞き流しながら朝の準備をしますが、複数の放送局で「今朝の占い」というふうな番組をやっています。「今日の蟹座のあなたの仕事は・・・、アフター5(ファイブ)は・・・、赤を着ると周囲に注目されます、しかし、友人の・・・に注意。そして、ベストワンの乙女座のあなた・・・」と、世界中の同じ月に生まれた人に、今日という日に同じ運命や危険や幸運が訪れるという内容の情報がもたらされます。 街角や地下街の一角の「手相見」なら、カウンセリング効果というものがあるでしょうが、多くの週刊誌や、新聞、放送メディアで流されているこの手の記事を毎日書く職種の人というのが、どういう人で、どういう記事の書き方をしているのか、想像したくなります。少なくとも星座が12種類あって、仕事、愛情、健康、遊び、ラッキーカラー、ワンポイントアドバイスなど、考え得るだけでも5、6項目より多い内容が、毎日変わってゆかなくてはなりません。12掛けるの5だとして60項目、これを365日分並べて、同じ人に重複する項目が頻回に出ないとか、隣の星座同士が重ならないなどと考えると、これは「コンピュータでばらつかせる」手法を使うのが一番だろうと思います。すなわち、こうした、巨大な表を大量に、ひとつひとつの内容に「根拠がある」ようにみせるには、ひとつひとつの項目とその組み合わせが大切というより、「ばらつかせかた」が大切だろうと考えるからです。 「ばらつかせかた」は、同じものをある周期でくりかえすのがもっとも簡単ですが、それではすぐあきられますので、そこにある「法則性」がきっとあるはずです。また、この「法則性」こそが、この番組や記事の大切な部分で、きっと頭の良い人がプログラムを作っているのでしょう。そうでないとしたら、完全な「ばらつき」を作るのはサイコロの目の出方を利用するしかありません。 私は「巨大な表の配列の法則を見抜く能力」が不足しているかもしれないと真剣に悩んでしまったことが最近ありました。それは、ごく最近、職場の各部署に配布された、「職員能力評価要綱・職能等級基準説明書・平成15年10月」という分厚い冊子をめくっていてのことです。A3の再生紙を94ページ綴じたこの冊子は、6行から8行程度かける7列の表が90ページほどあるので、全行列数でいえば、5000ほどの升目があることになります。そのうち、2、3割は空白だとしても、3500セルは文字がぎっしり詰まっている巨大な表の内容の「法則性(このコンテンツがこの升目のここにある必然性)」を理解しようとして、行き詰まりました。クイズではありませんが、下の「コンテンツ(1、2、3)」が「枠(a、b、c)」と結びつく組み合わせに誰が正解できるでしょうか。 (コンテンツ) 1.「常に良質なサービスの提供に向けた連携や意見交換を上司および同僚と行うことができる」 2.「家族とのコミュニケーションを適切に行うことができる」 3.「必要に応じて利用者の状態や訴え等の内容を上司及び援助職員に報告し、適切な対応方法を調整できる」 (枠) a.看護・知的障害施設・等級1・援助の基本 b.看護・知的障害施設・等級2・連携 c.看護・知的障害施設・等級3・精神衛生指導 (正解は、1とa、2とb、3とc です) 関連記事1 関連記事2 コンテンツ目次へもどる (逆順)コンテンツ目次へもどる ====================================== ページトップへもどる |
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