月 - 12月 12, 2005

『キング・コング』


 ジャパンプレミアにて、『キング・コング』 を観る。
『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督が、12歳の頃からの夢であった1933年製作『キング・コング』 のリメイクを、248億円もの制作費を投じ、3時間を超える超大作として作り上げた作品。さすがに、元祖『キング・コング』に対する思い入れたっぷりで、ストーリーもほとんど同じだし、セリフもそのままの部分が多い(映画史に残る、あのラストの一言もまったく同じ)。
 前半の髑髏島のシーンは、CGをふんだんに盛り込んであり、迫力はあったがやや長くなり過ぎているような気がしたが、後半のニューヨークのシーンは、圧倒的な見応えであった。エンパイア・ステート・ビルの場面は、その迫力に小便ちびりそうになり、感動に涙がちょちょギレそうになる、涙腺も尿道も緩みっぱなしの素晴らしい出来映えである。オリジナルにはない「氷の上」シーンを観た時、この作品が歴史に残る名作になるコトを確信した。とらわれたコングを劇場で見せ物にする場面も、オリジナルと少し違う工夫が施されていて、こちらの方がコングと美女アンとの関係が切なく感じられ、素晴らしいアレンジであった。
 ラストに、『この映画をオリジナル版を作った製作者に捧げる』というテロップが出るのだが、そんなモノを出すまでもなく、リスペクトがスクリーンの隅々から感じられる。本作を観れば、オリジナルの素晴らしさも再確認できるし、リメイク版もそれを超越する完成度となっているコトに感動を思えずにはいられない。70年前の映画人のアイディアと、現代の映画人の才能と、そしてテクノロジーが見事に融合した本作は、間違いなく、数多あるリメイク映画の頂点に立つ一作である。

Posted at 10:43 午後     | |

月 - 10月 3, 2005

『お熱いのがお好き』


 新文芸座にて、『お熱いのがお好き』 を観る。
 初めてこの作品を観たのは、小学校5年生の時だっただろうか。確か、NHK教育の映画番組だったと思う。それをたまたビデオま録画していたテープは、以降、何度も何度も再生されるコトになる。しかし、デカいスクリーンで観たコトはなかった。
 高校の頃には、1万円以上出しVHSソフトを購入し、勿論、DVDは発売と同時に入手した。今世間は、次世代DVDがHD DVDかブルーレイかでモメているが、私は『お熱いのがお好き』を出した方を支持しようと思う。
「あなたはどんな人間ですか?」と尋ねられれば、私は「『お熱いのがお好き』と阪神タイガースとビールとデビュー当時の牧瀬里穂が好きな人間です」と答える。
 初めて本作を観た時、マリリン・モンローは何て色っぽい女性なんだと思った。気がつくと、撮影当時のマリリンより年上になってしまった(当時彼女は32歳)。改めて観てみると、何ておきゃんなんだと思った。
 映画史上最も完璧なあるひと言で終るラストシーンは、何度観ても笑えるし感心する。歳を重ねるにしたがって、あのセリフの意味がより素晴らしく感じられる。
 映画監督のキャメロン・クロウが、ビリー・ワイルダーの元に押し掛け、延々と話を聞く名著『ワイルダーならどうする?』(ワイルダーの人を食ったような受け答えは絶妙で、ワイルダー喜劇を観ているようですらある)には、このセリフの誕生の秘密などが書かれているので、映画鑑賞とともに併読するコトをオススメしたい。本当にイイ本である。
 とにかく、こんなに色あせないコメディなんて、奇跡と言ってもイイ。やっとデカいスクリーンで観るコトができて、我が人生でやり残したコトが、またひとつなくなった。

Posted at 01:50 午後     | |

木 - 9月 22, 2005

『シン・シティ』


 試写にて、『シン・シティ』 を観る。
 ロバート・ロドリゲスが、コミックの原作者フランク・ミラーと共同監督し、クエンティン・タランティーノも1シーンだけ友情演出(?)している。本作の特徴は、ナンと言っても白黒を基調に一部分だけカラーをつけたスタイリッシュな映像なワケで、どこを切り取ってもアメリカンコミックそのまんま。完全なる「アメコミ様式美」である。これが驚くほど原作コミックを忠実に再現している。どれくらい再現しているかといえば、以下に原作コミックのひとコマと本編の映像を並べてみた。







 ここまでくれば、絵コンテ代わりに原作コミックを持っていたのではないかと推測される。
 物語は3つのエピソードからなり、犯罪が犯罪を呼ぶ罪深い街、シン・シティで、男が1人の女を守るために闘う、という共通点はある。ハードボイルドな原作コミックを忠実に再現している為、矢継ぎ早なネレーションで物語をどんどん説明しちゃうという、映画的には御法度な手法も、遠慮なくじゃんじゃん使用している。まぁ本作には、これまでの映画定石は通用しない(させる必要はない)ワケで、音楽を含めた映像や感覚こそ体感すべきモノなのである。
 それにしても、豪華俳優陣の中で、化け物メイクのミッキー・ロークもすごかったが、最も目を引いたのが、クライブ・オーウェンだった。『クローサー』を観た時に思ったあの感動は、やはり本当だった。「こいつはアメリカのルー大柴だ!」。
 そんなアメリカン・ルー大柴が、二丁拳銃をぶっ放して大活躍したり、歯の浮くような台詞で女を抱いたりするのだ。『クローサー』の時のようなモテない女たらしも良いが、ハードボイルドなプレイボーイ役もなかなかのモノだった。誰もがその存在感と違和感と演技力に、視線が釘付けになるだろう。本当にいい役者だと思う。

Posted at 11:16 午前     | |

月 - 9月 19, 2005

『バッド・エデュケーション』『コーヒー&シガレッツ』


 新文芸座にて、『バッド・エデュケーション』『コーヒー&シガレッツ』を観る。
『バッド・エデュケーション』は、『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥー・ハー』のペドロ・アルモドバルによるミステリーである。ミステリーといっても、そこはペドロ兄さん、一筋縄ではイカない変わった作品に仕上がっている。
 ある新進映画監督、エンリケのもとに、同級生だった名乗る俳優、イグナシオが尋ねてくる。イグナシオは、幼い頃の自分たちをモデルにした物語を書いたので、自分を主演にその映画を撮って欲しい、というのだ。実は、エンリケとイグナシオは、初恋の相手同士だった。そう、この作品は、ミステリー&ゲイによるラブストーリーなのである。
 物語は、エンリケがイグナシオの書いたシナリオを読み進める「劇中劇」スタイルで進行する。全寮制のカソリック小学校時代、教師である神父にいたずらされたり、同性愛が見つかって退学になったりと、インモラルな思い出の数々が語られる。シナリオの後半はイグナシオの創作なのだが、それを読んだエンリケは、このイグナシオはかつて愛したイグナシオとは別人ではないか、という思いにかられる。エンリケは、そのシナリオでイグナシオ主演の映画を撮りながら、真実に迫ろうとする。現実を元にした映画と、現実かどうかわからないリアルが交差いつつ、この複雑な入れ子構造でサスペンスとしてはなかなか見応えのあるモノとなっている。
 とにかく、これほど男同士のSEXをじっくり描いた濡れ場のある作品も珍しい。本作の登場人物の行動は、モラルや道徳、あるいは宗教的教えに反するコトのオンパレードなワケだが、タイトル(悪い教育)が示す通り受け止めるなら、「受けた教育が悪かった」というだけの話なのだが、そこだけにとどまらず、人間の本質的なトコロまでテーマを広げている。劇中、エンリケとイグナシオが学校を抜け出し映画館へ行き、お互いの股間を慰め合うシーンがあるが、映画というモノは学校をサボってイク観に行くという本質を突いているような気がする。イケないコトは心地良い。
『コーヒー&シガレッツ』は、ジム・ジャームッシュが10年以上かけて撮りためた、11編の短編からなるオムニバスで、いかにもジャームッシュらしい小洒落た作品である。
 俳優やミュージシャンが2、3人集まって、タバコを吸ってコーヒーを飲みながら、うだうだと10分ほど喋る。そんな白黒映像が11本も続く。ただそれだけの作品である。ドラマティックな展開などまったくない。しかし、出演者たちが魅力的で、どこまでがシナリオでどこからがアドリブなのかもわからない、不思議な世界観を醸し出している。私も仲間と、タバコを吸いコーヒーを何度もおかわりしながら、ファミレスで20時間くらい喋り続けたコトがあるが、誰もが経験しているあの不毛感と疲労感と、そして不思議な幸福感を見事に表現している。
 個人的には、イタリア訛りのロベルト・ベニーニとスティーブン・ライトが、通じているのかどうかわからない会話のやりとりでナンセンスな笑いを生む作品や、トム・ウェイツがバーでコーヒーを飲みながらニコニコ話していたが、ジュークボックスに自分の歌が入ってないと聞かされると急にキレ出す一本などがお気に入り。一番笑ったのは、アルフレッド・モリーナとスティーヴ・クーガンの「いとこ同士?」だ。自分は有名俳優だというコトを鼻にかけているモリーナは、クーガンが「自分たちはいとこなんだ」と言い寄ってくることを、まるでストーカーか変態を見るかのような態度であしらう。ところが、モリーナの携帯電話にスパイク・ジョーンズから電話がかかって来ると、態度を一変させ、ゴマをすり始める。どこの国にもこんなヤツがいるんだと実感させられるエピソードだ。
 このゆっくりした映画は、タバコとコーヒーと友人を前にしたまったりとした時間の過ごし方に、よく似ている。

Posted at 08:26 午前     | |

金 - 9月 16, 2005

『酔画仙』『大統領の理髪師』


 新文芸座にて、『酔画仙』『大統領の理髪師』を観る。
『酔画仙』は、1800年代後半、朝鮮時代末期に実在した天才画家チャン・スンオプの生涯を描いた大河ドラマである。酒と女に溺れながらも、筆を手にすると天武の才を発揮する豪傑なスンオプを演じるのは、『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシク。人間味ある人物として好演している。巨匠イム・グォンテクの壮大で美しい。美術も豪華である。
 しかし、今ひとつ心に迫るモノが感じられなかった。激動の時代に生きた破天荒な天才の人生とくれば、さぞや波瀾万丈であろうと思うのだが、ヤケにあっさりした感じ。編集のテンポが悪いのか、ひとつひとうつの出来事がさっさと流されてしまっている印象を受けた。
 一方、『大統領の理髪師』は、1961年、クーデターで政権につき、70年代末に暗殺されるまで、韓国を独裁したパク・チョンヒ大統領の時代を描いた半・実録映画である。大統領公邸のある町で散髪屋を営んでいた平凡な男が、ひょんなコトから大統領専用の理髪師になる。彼の視線を通して、当時の韓国の世情や政界を描くコメディである。
 理髪師を演じる『殺人の追憶』や『南極日誌』のソン・ガンホのとぼけた演技もさることながら、本作の成功は、これがデビュー作となる脚本・監督のイム・サンチャンによるトコロが大きい。
 まだ30代半ばだというこの新人監督は、韓国近代史を現代の若者にも伝えたかった、という意図の元に撮ったようだが、ただ単純に真正面から再現ドラマを撮るのではなく、平凡な理髪師という典型的庶民を絡めるコトで、批判的でシニカルな視線のコメディに仕上げている(そういえば、理髪師と権力者の取り合わせは、チャップリンの『独裁者』でもあったっけ)。ナンといっても、ほんの3,40年前の出来事を、すでにここまで咀嚼し、達観し、客観的にバカバカしいお笑いにしている点が素晴らしい。我々が韓国の近代史にもっと詳しければ、尚おかしさも増しただろうが、それを差し引いても、監督の歴史観と人間讃歌には頭が下がる優れた作品である。

Posted at 06:53 午後     | |

火 - 9月 6, 2005

『私の頭の中の消しゴム』


 試写にて、『私の頭の中の消しゴム』を観る。それにしても、やたらと「の」の多いタイトルだ。
 両親の反対を押し切り結婚したお嬢様のヒロインが、結婚した途端にアルツハイマーにかかっているコトが判明。どんどん記憶がなくなる彼女と、彼女を支える夫との物語である。いかにも昨今の韓国泣き路線映画が好みそうなメロドマラであるが、実は2001年に日本テレビ系で、永作博美主演で放映されていた連続ドラマ『Pure Soul 〜君が僕を忘れても〜』のリメイクである。
 劇場には、還流ブームで韓国映画ファンになったであろうお嬢様方が多数詰めかけていたが、上映中、あちこちからすすり泣く声が聞こえて来た。正直に言って、こんな程度で泣けるなんて、ナンて幸せな人たちなんだ、と思った。
 物語は特別なひねりもなく、どんどん記憶をなくすヒロインが、ついには愛する男性の顔と名前まで忘れてしまい、昔の男の名前を呼んだりする。必死に看病する男も、本当に自分は愛されていたのだろうかと悩んだりする。こういう展開は良いのだが、困ったコトに、やたらと泣くのである。女性(今度公開される『四月の雪』でヨン様のスクリーン童貞を奪ったソン・イェジン)が泣くのは良いが、男性のチョウ・ウソンも泣くのである。最初は頑固で乱暴者だいう設定だったのに、後半はそんなキャラクターはどこへやら。徳光和夫顔負けの泣きっぷりである。
 それこそ、韓国人だからというワケじゃないだろうが、ウォンウォン泣くのである。確かに悲劇ではあるのだが、あれだけウォンウォン泣かれたら、観ているこっちが泣きそびれてしまう。涙は、いざという時の為に取っておいて欲しいかった。
 確かに、もし自分も同じ立場になったら?と考えたら、やはり私も泣くだろう。どのように泣くかって? そりゃモチロン、日本人なだけに、エンエン泣きます。

Posted at 05:04 午後     | |

木 - 9月 1, 2005

『バタフライ・エフェクト』『ベルリン、僕らの革命』


 毎月1日は映画の日。今月は、飯田橋ギンレイホールにて、『バタフライ・エフェクト』『ベルリン、僕らの革命』 を観る。
『バタフライ・エフェクト』は、私の好きなタイムスリップもの。主人公の青年がタイムスリップするきっかけが、記憶喪失(ブラックアウト)がきっけになる、というのはなかなか面白いアイディアだった。
 最近は、日本映画や小説でも、やたらと記憶喪失ものが多いのだが、ほとんどが「家族愛」などを前面に押し出し、涙を誘う「いいお話」になっているのだが、本作は、友情や男女愛を含んではいるが、完全な「エンターテイメント」に仕上げられていた。日本人とアメリカ人では、同じ題材を扱ってもここまで展開が違うのかと感心した。
 ただ、過去へ戻り、再び現代に戻ると状況が一変している、というパターンが続く後半の展開はイマイチ。同じような時間のループを利用した小説に、『リプレイ』という名著があるので、是非一読をオススメしたい。
 ちなみに、タイトルのバタフライ・エフェクトとは、「蝶が羽ばたくと、世界の裏で台風が起こる」というカオス理論なんだそうだ。日本でいえば、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなモノか。
『ベルリン、僕らの革命』は、非常に興味深いドイツ映画であった。
 主人公は、ベルリンに暮らす学生、ヤンとピーター、そしてピーターの恋人ユール。現在のドイツ、そして資本主義の世界に不満を抱いているヤンとピーターは、2人だけで革命を起こそうとしていた。その革命というのが、夜な夜な金持ちの豪邸に忍び込んで、家財道具や調度品をメチャクチャに並べ替えたり、ピラミッドのように山積みにしたりするだけ。そして、「贅沢は終わりだ」というメッセージを書いた手紙を置いて行く。それだけである。革命と呼ぶにはあまりにもセコい。問題意識が高いワリに、やるコトがコドモである。
 しかし、これこそが現状であるように思える。『69』を観た時にも感じたのだが、70年生まれの私などは、若者が真剣に体制に向かって行くコトができた時代というのは非常にうらやましく、嫉妬すら感じるのである。自分たちが国家を変えるコトができる、と本気で信じるコトができた時代に、嫉妬するだ。
 そんな現代で革命を起こすとしたら、この映画の青年たちのように、非常にセコいコトになってしまうのかもしれない。この空しさこそ、本作の核となる。
 後半、少々安っぽい三角関係になってイクところはご愛嬌。ラストもしゃれたエンディングで上手くまとまっていたと思う。

Posted at 03:16 午後     | |

火 - 8月 23, 2005

『頭文字D』


 試写にて、『頭文字D』を観る。
 言わずと知れた日本の人気コミック『頭文字D』を、『インファナル・アフェア』の監督アンドリュー・ラウが映画化した。一体どんな風に香港を舞台に持ってイッたのだろうか、と興味を持ちながら観たのだが、度肝を抜かれた。ナンと、嘘偽りなく、「完全映画化」だったのである。舞台は、原作漫画と同じく群馬県榛名山。主要キャストは、ヒロインのなつきを演じる鈴木杏以外は、すべて香港の役者たち。この写真を見て欲しい。



 カッコ良くポーズをとっているのは、主役の藤原拓海を演じるジェイ・チョウである。香港の超人気歌手で、香港長者番付芸能人部門の第一位だという。そんな彼が乗りこなす車には、しっかりと『藤原とうふ店(自家用)』の文字が……。華流スターと「とうふ店(自家用)」の組み合わせ……。ナンという違和感! ナンという無国籍感! ナンという豪快さ!
 他にも、香港映画界の超大物、アンソニー・ウォンが、下駄を履いて矢部美穂がグラビアの週刊ポストを読んだり、若手ナンバー1スターのエディソン・チャンが、伊香保温泉の看板の前でカッコ良くタバコを吸ったり、チャップマン・トウが武富士のポケットッティッシュで鼻血を拭いたりと、トンデモシーンのオンパレードなのである。観ているウチに、国籍や国境のコトなどすっかり忘れ、宇宙の果てに連れて行かれるような、そんな不思議な感覚に陥る。
 色気とは無縁の元気娘役ばかりの鈴木杏を、超ミニスカのイケイケ女子高生にキャスティングした辺りも、日本では考えられない。何しろ、本作のポイントとなる台詞が、杏ちゃんが拓海の耳元で囁く「私、色っぽい水着買っちゃった……」なのである。この言葉を聞かされた高校生の拓海は、数日間その言葉が頭の中を駆け巡り、そしてついに押さえきれない性欲を車にぶつけるかのように、走り屋となって山道を暴走してしまうのである。笑ってはいけない。青春とは、そういうモノである。

Posted at 03:43 午後     | |

金 - 8月 19, 2005

『奥さまは魔女』


 試写にて、『奥さまは魔女』を観る。
 TVドラマ版『奥さまは魔女』のリメイクかと思いきや、『奥さまは魔女』のリメイクドラマを製作するコトになり、サマンサ役に本物の魔女であるニコール・キッドマンが抜擢される、という少しひねった構成になっている。ニコールが選ばれる理由が、元祖『奥さまは魔女』のエリザベス・モンゴメリーがやった、あまりにも有名なあの鼻のピクピクッという動きができるから、という設定は面白いし、ダーリン役のウィル・ファレルの突き抜けたバカっぷりは、感動すら呼ぶ。なぜこんな男にホレるのか?とか、つまりこの魔女は人間の男なら誰でもよかったのか?などなど、数々の疑問は結局解消されないまま終るが、そういう大雑把なトコロに目を潰れば、そこそこまとまったロマコメ映画になっていた。
 ニコール・キッドマンは、世間知らずでちょっとヌケた魔女を演じるのだが、これがなかなか様になっている。これまでは、知的でクールな女性や、何かに怨念を抱いているような、男から見て取っ付きにくい役柄が多かったが、こういうぶりっ子で、ちょっとオムツが足りなさそうなこの役の方が、はるかにチャーミングで魅力的であった。ニコール・キッドマンに不思議ちゃんの才能があったとは、意外な発見であった。トム・クルーズはこの才能に気づいていたのだろうか。余計なお世話である。

Posted at 08:41 午後     | |

月 - 8月 15, 2005

『ランド・オブ・ザ・デッド』


 試写にて、『ランド・オブ・ザ・デッド』を観る。
 最近では、モーレツなスピードで走って人間を追いかけるゾンビ映画なんてモノも登場しているが、「ホンモノのゾンビはコレだ!」とばかりに、元祖ゾンビの巨匠、ジョージ・A・ロメロが満を持して作り上げた現代版ゾンビである。
 やはりこちらのゾンビは、のろのろと歩き、集団で人間を追いつめる。この方が恐怖感ははるかに大きい。今回のゾンビの特徴は、「成長する」というトコロ。冒頭から、プー・ハーとトロンボーンを吹くゾンビが登場する。そして、これまではピストルで撃たれても、ただ牙をむいて襲いかかるしか脳のなかったゾンビが、本作では、たまたま手にした武器や道具を次第に使いこなすようになる。最初は花火を打ち上げると、それに見とれて人間を襲うコトを忘れる、というあまりに能天気な無能ぶりだったのが、ラストではもうダマされなくなる。「ゾンビの進化」という興味深い手法を取り入れた作品である。
 同監督は、ゾンビ映画で社会風刺をしてきたワケだが、本作も、タワー型高層ビルに住む人間をゾンビが襲うという設定からみても、テロやアメリカの社会を比喩しているコトは明らかである。なんてコトに感心する前に、とにかく感動させられるのが、徹底したB級感覚である。ここまで名の知られた巨匠になれば、ある程度は金のかかった映像を撮れるだろうに、CGシーンがわずかにあるだけ。制作費の大半はデニス・ホッパーの出演料じゃないの?と思いたくなるようなチープさのオンパレード。長年メガフォンを取って来て、今なおここまでB級でいられるのは、超A級の才能であるといえる。現場で、ジョージ・A・ロメロがこんな風に叫んでいる様子が目に浮かぶ。「ダメダメ! そんな風に撮ったら、まるでイイ映画みたいになっちゃうじゃん! もっともっと安っぽく演技して!」と。

Posted at 01:42 午後     | |



























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