『笑の大学』



 新宿シアターアプルにて、映画版『笑の大学』 を観る。
 以前、西村雅彦と近藤芳正による舞台版も観たのだが、三谷幸喜ここにあり、やはりこの物語は素晴らしい。
 太平洋戦争直前の日本。大衆の娯楽である芝居の脚本は、上演前にすべて警察による検閲を受けていた。検閲官の向坂(役所広司)は、カタブツで、産まれてこの方、一度もわらったコトのない男。モチロン、喜劇なんて御法度。そんな向坂は、劇団「笑の大学」の座付き作家、椿一(稲垣吾郎)に、無理難題の注文をふっかけ、「直せなければ上演中止だ」とせまる。椿は何度も何度も書き直しを行い、次第に向坂は喜劇の魅力にハマって行く。
 登場するのは、2人の男と検閲室の1シチュエーションのみ(映画版では若干別シーンもあるが)で、2人の駆け引きだけで、思いがけない展開と笑いを導きだす。カタブツの検閲官、向坂が出す訂正案(アイディア)によって、最初の脚本が徐々に面白くなってイク、というトコロがこの物語のミソなワケだが、見事に面白く変わっていき、同時に向坂の心情も変化してイク辺りは、三谷幸喜の豪腕ぶりに感服するばかり。ラストが若干クドい、という意見もあるだろが、アレはアレで泣けるのである。
 この物語は、この時代にエノケン一座の座付き作家でありながら戦争にかり出された菊谷栄がモデル(なのだろう)だが、三谷自身、今の時代でも検閲らしきモノを数えきれないほど受けているという。例えば、『古畑任三郎』では、スポンサーの関係で殺人を行う凶器は限られていた(電話コードで首を絞めたり、車で轢いたりするのはNG)そうだし、役者の都合で物語やキャラクターを書き直させられるコトは日常茶飯事だという。
 それでも三谷は、そういう指令はすべて受け入れ、書き直し、そして尚かつ、前のよりも面白いモノを書き上げたい、と語っている。同じ台詞を、この作品の椿一が語っている。本作は、菊谷へのオマージュであると同時に、プロのコメディー作家としての三谷自身の作品でもある。
 三谷が語っていた言葉で印象的なモノがある。民放ドラマを書く場合、ここでCMを入れてくれ、という注文があるらしい。すると三谷は、ただCMを入れるだけでなく、CM開けで始まったシーンが、CM前のシーンから1分間経過しているように書いている(つまり、視聴者がCMを観ている間もドラマは進行しているように書く)のだと言う。プロフェッショナルとはそういうモノかと、心震えた。

Posted: 月 - 6月 27, 2005 at 03:13 午前         | |


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