9日目、永遠の都ローマ!(その1)
(激写日:2002/7/23)

 

永遠の都ローマ!

トル公:

イタリアの首都ローマ、かつては地中海一円を支配し、大帝国を築いた帝国の首都。そして、カソリックの総本山がある都。ついにこの旅の最終目的地を観光する時が来た!先ずはそのカソリック総本山のサン・ピエトロ大聖堂を訪れ、その後、ローマ帝国の象徴とも言える遺跡コロッセウムを見ることに!
ああ!いきなりそんなローマ観光のメインディッシュを二皿続けて頂戴してもいいものか?!
朝から期待と興奮に包まれてのローマ観光のはじまりはじまり〜。

サン・ピエトロ大聖堂詣で!

 

トル公:

サン・ピエトロ大聖堂はキリストの弟子であった聖ピエトロの墓の上に、キリスト教を受け入れたローマ帝国のコンスタンティヌス帝が326年にバシリカを建てたのが始まり。そして時は流れて16世紀、カエサルと同じ名を持つ好戦的で大胆不敵な教皇ユリウス二世は1000年を超える歴史によって崩壊の危機に晒されたコンスタンティヌス帝が奉献したこの聖堂を建て替えようと決心。各国の王侯貴族に聖堂建設の寄付を要請、免罪符を売りさばくことなどを推奨してがっちりと資金を調達してこの大事業に挑んだ。教会の権威を高める大聖堂建設のための資金調達手段である免罪符が教会分裂の宗教改革の引金になるとは皮肉な話。
この聖堂の設計にはブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど名だたる芸術家達が次々と関与、途中資金調達のために宗教改革の引金になった免罪符販売を復活させたり十字軍の遠征資金を建築費に回すなどして1626年にようやく奉献されたとのこと。
朝一番にツアー一行はサン・ピエトロへ向かいました。空いてるから。
円形の柱廊に囲まれた広場はとても広く、そして真っ白い建物が戴くドームはとても高く巨大でありました!

ところで、右上の女性はローマのガイドを担当してくれたガブリエラさん。日本への留学経験もあり発音は完璧。もともとナポリ人で明るい性格だけれども仕事でローマやフィレンツェなどにいるうちに「性格が変わった、マジメになった」と友達に言われたのがショックだったと語る チャーミングな女性。

 

 

トル公:

サン・ピエトロ大聖堂が建つこの地、更に昔は熱狂的な戦車レースファンのカリグラが、四頭立ての戦車でも走らせることが可能な巨大サーキットを作った土地でもあったそうで、この広場中央にそびえ立つ25メートルの高さのオベリスクはそのサーキットに置くためにエジプトから運ばせたものだそうです。また暴君と名高い皇帝ネロの時代、ローマで起きた大火事の放火犯の疑いをかけられたキリスト教徒達が、この競技場で獣の皮を被せられて野犬に食い殺されたり、十字架に架けられたり、火あぶりにされたりして処刑されたとのこと。ローマ帝国恐るべし!
カソリックの総本山はその受難の歴史の上に建設されたのですなあ。

 

 

 

 

トル公:

ヴァチカンの警備といえばスイス傭兵。カラフルな衣装がカッコイイ。
このコスチュームのデザインはかのミケランジェロとのこと。飾りのように見える彼ら、実はその見かけとは裏腹に、厳しい審査と訓練を受けた超エリートなのだそうです。

 

 

 

トル公:

空港のような厳重なチェックを受けて入場した聖堂内部。サン・ピエトロ大聖堂は縦横に伸びる十字架の形をしておりその十字架の交差部分に例の巨大なドームがあるのです。ドーム内部の装飾はフィレンツェの大聖堂のドームとは打って変わって幾何学的なデザイン。静かで落ち着いた感じです。そしてそのドームの下にはブロンズの天蓋があり、そこにかの聖ピエトロの墓があるとのことでした。

 

 

トル公:

さあ、ついに目の前に現れました、ミケランジェロ作の「嘆きのピエタ」!残念ながらガラス越しにしか見ることが出来ませんでした。かつては触れることができて、沢山の参拝者がマリア様のおみ脚に触れるので、足の指がすり減ってしまったという話を聞いたことがあります。別 にクリスチャンではありませんが、私も触ってみたかった!
本作はミケランジェロがその名を彫り込んだ唯一の作品。彼がこの作品を作ったのは二十代前半。まるで本物の布のように柔らかく見えるマリアの纏う服のひだ、磨き込まれて光り輝く大理石。そのあまりの出来の良さに二十代そこそこの若造の作品とは思われず、当初ミラノの別 の彫刻家の作品だと噂されているのに腹を立てて、夜間に忍び込みカンテラの明かりを頼りにマリアの帯に「フィレンツェのミケランジェロ・ヴォナローティー作」と彫り込んだと伝えられているそうです。
また、キリストが磔刑によって死んだときは、マリアがこんなに若かったはずがないという批判も発表当時あったようですが、これはミケランジェロがマリアのうちに永遠の処女性とかの神秘性を表現するために敢えて若く彫ったからであると言われています。ミケランジェロは彼なりのマリアについての解釈を作品にぶつけたのかもしれません。もっとも見るほうとしても若くて美しいマリアを望むのは当然と思われるので、ミケランジェロにそんな崇高な思想があろうとなかろうと、我々としてはこの若くて美しいマリアでゼンゼンOK。
科学者の目を持つレオナルドは「受胎告知」でマリアを聖書に忠実に年齢相応のあどけない少女のように描き、、多彩な色事で女好きと伝えられる陰に、幼くして母を亡くしたマザコンの匂いを漂わせるラファエロは、数々の聖母子画でマリアをこの上もなく優しい母性の象徴のように描き、そしてミケランジェロはこの「ピエタ」においてマリアを聖性と神秘の象徴のように美しく気高く表現。
ルネサンスの三大巨匠それぞれのマリア像は彼らのスタンスを想像させてとても興味深いです、「どうだ、俺のマリアは!」とばかりにそれぞれの作家が自らの解釈で表現する、これこそまさにルネサンスの精神!
また、この作品から後、フィレンツェの羊毛業者のためにミケランジェロが描いた聖家族の絵では聖母マリアは筋骨隆々として逞しく、その背後に描かれた父ヨセフはプロレスラーのように大きな肩、哲学者のような風貌で何とも頼もしい。ヨセフといえば神に若妻を寝取られたという冴えないプロフィールのせいか、どうしても駄目オヤジっぽく見えてしまうのに巨匠ミケランジェロのヨセフ解釈は一味違う!
また、死ぬまでノミをふるい続けていたというミケランジェロ最晩年の未完成の作品 「ロンダニーニのピエタ」のレプリカを以前見たことがありますが、そこに刻まれていたマリアには聖者キリストの死を悼む聖母というよりは、くずおれる息子の亡きがらに後ろから寄り掛かり、または支えあっているような、はかなげな老婆といった感じの、とても切なく悲しい印象を受けました。
若き日に刻んだこのローマの「嘆きのピエタ」との違いは何なのでしょうか。
ミケランジェロはその死の間際、マリアに一体何を求め、何を表現しようとしたのでしょうか?

 

トル公:

女好きと評されながらもルネサンス期随一の画家と絶賛されたラファエロの絶筆「キリストの変容」です。
未完成ではありましたが、ラファエロの死後工房の弟子達によって完成されたそうです。が、この作品はヴァチカン美術館の所蔵なので、このサン・ピエトロ大聖堂にあるのは複製?
ラファエロはまず、優美な画風で知られるぺルジーノに弟子入りして絵画のいろはを学んだ後フィレンツェへ移り、フィレンツェでは当時既にその名を知られていたレオナルドやミケランジェロの作品から刺激を受け、彼らの技を吸収し(モナ・リザを明らかに意識したであろうポーズの肖像画などがある)沢山の聖母子画や肖像画を描いてローマへ。そしてローマで教皇ユリウス二世のお気に入りになり、ついにサクセス掴みました
このユリウス二世とその次のレオ十世という二人の教皇に気に入られたラファエロはヴァチカンのあちこちに大作を描き、たまにライバル達から批判を浴びることもあったようですが殆どが絶賛されます。
しかし、レオナルドの作品のような見ているうちに頭の上にクエスチョンマークが浮かんでくるような不可解さや、ミケランジェロの作品のような見る側に何かを突きつけるような鬼気迫るものを私はラファエロの作品からはあまり感じません。この「キリストの変容」においても。
若いころのラファエロの自画像と思しき素描を見たことがあります。そこには大人しくて優しそうな青年の顔が描かれていました。こんな普通の女好きの優しい青年が、メモ魔で解剖マニアで発明狂のレオナルドや憂鬱質で怒りっぽい筋肉フェチのミケランジェロといったルネサンスの二大変人(しかも二人とも同性愛のケあり)と並び称される巨匠になれたこと自体が奇跡だと思いました。
とはいえ、ラファエロの聖母子画のようなシンプルに心温まる作品ってのをレオナルドやミケランジェロの重厚で謎めいた作品群の中から見出すのは難しいと思うのです。聖性から離れた、シンプルに見るものをホッとさせる聖母子画にこそラファエロの良さがあると感じるのです。

 

コロッセウムある限りローマは滅びぬ!

 

トル公:

ローマといえば古代遺跡。そしてその代表格がこのコロッセウム!
暴君ネロの黄金宮殿の中庭にあった人口湖を埋め立てて建設され、およそ5年の歳月を費やして紀元80年に完成。この円形闘技場、元は建設者であるウェスパシアヌス、ティトウスの両皇帝の氏族名がフラウィウスであることから「アンフィテアトルム・フライム(フラウィウス円形闘技場)」と呼ばれていたそうですが、この闘技場近くにネロの巨大な銅像(コロッスス)がたてられていたため、それにちなんで「コロッセウム」と呼ばれるようになったそうです。完成を祝った式典は100日間も続き、その間だけで2000人の剣闘士、9000頭の動物の命がさっそく失われたとのこと。 ローマ帝国恐るべし!

トル公: 外壁の高さ52メートル、長径188メートル、短径156メートル、アリーナ部分だけで76*46メートルの少し潰れた楕円形、5万人の観客を収容可能、外壁には80のアーチが設けられ、それぞれのアーチには番号が振り分けられ、入場券にもその番号が記されて観客の入退場の混雑を緩和する工夫がなされていたとか。 また剣闘士達が戦いを繰り広げるアリーナ部分は木製の床に砂を敷き詰めたもの(アリーナという言葉の語源は砂とか砂場という意味)でその床下には深さ6メートルの地下設備があり、そこには剣闘士達と闘う猛獣の檻や様々な舞台装置が用意されて必要に応じてせり出したりしていたそうです。
ア、そうそう、ときにはこのアリーナに水を満たして、船を浮かべ模擬海戦なんて豪快な催しもあったそうな。 巨大な建築物を建設するためには、設計するばかりでなく建設するための石材を切りだし運搬して組み上げなければなりません。当然そのための労働力を手配して運用、管理するノウハウも必要。また、地下に猛獣達の檻やせり出し等の舞台装置を格納したり、混雑を避ける工夫をしたり、模擬海戦を催してみたりという闘技場の設計や管理運用の技術もスゴイ。ローマ帝国恐るべし!
民衆に安価なパンと娯楽を提供するのが支配者の使命であるとばかりに、ローマにはこのコロッセウムのような円形闘技場ばかりか戦車レースのサーキット、劇場、公衆浴場など様々な娯楽施設が建設され、しょっちゅう何かの見せ物が催されたそうです。

 

トル公: 長い歴史の中で、他の建物の建材として使われたらしく 外壁の一部は既に失われています。 皇帝様もローマを去り、ズタスタになった帝国。5世紀を最後に命がけの剣闘士の対決が開催されることは無くなりコロッセウムは廃虚と化したそうです。が、それでも「コロッセウム有る限りローマは滅びぬ  コロッセウムが倒れるときローマも滅ぶ ローマが滅ぶとき世界も滅ぶ」なんて詩が8世紀になっても詠まれていたそうです。それほどまでにコロッセウムとローマの存在は大きかったようです。ローマ帝国恐るべし!

 

 

トル公:

コロッセウムの近くにあるコンスタンティヌス帝の凱旋門。副帝であったコンスタンティヌスが正帝マクセンティウスを破ったのを記念して建てられた。かつてあったトラヤヌス帝、マルクス・アーレリウス帝、ハドリアヌス帝らの凱旋門から化粧板を剥がして貼り付け名盤を付け足したものだとのこと。門そのものからしてハドリアヌス帝の凱旋門であるとの説もあるそうな。この分割統治時代の皇帝コンスタンティヌス、キリスト教を認めたりコンスタンティノープル(自分の名前)に遷都をしたりと何かと政治的な決断を迫られて大変だったようですな。

 

 

トル公:

コロッセウムの前で皇帝陛下とレギオンの兵士達を発見!レギオンの兵士の顔が全部「イタリア語会話」ジローラモ・パンツェッタ の顔に見える!
常に内外に憂いを抱え陰謀渦巻くローマの都、束の間の休息にコロッセウムに足を運ばれたのであろうか、皇帝陛下におかれましてはいささかオツカレのようにお見受けいたしました。観光客の相手も楽じゃないな!

ところで、このコロッセウムの西にローマ帝国の中心であったフォロ・ロマーノの遺跡群が広がっています。残念ながらツアーコースには入っておらず。ツアーコースに入ってないことについて残念だ自由時間に行ってみようかなあと言うと、ツアーコンダクターのS嬢が「ああ、フォロ・ロマーノなんてただっぴろいところに遺跡がごろごろ転がってるだけですよ、時間かかるし、すぐ飽きちゃうかもしれませんよ。」などとドライに忠告してくれたのでした。

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