名前という呪文(断片) 

わたしたちは呪術の世界に生きている。 


呪術とは、あることをなせば、一定の願望する結果を生ずると考えることで、その意味では科学と同じ思考である。
鈴木秀夫『超越者と風土』(大明堂)1976

子供の名前は、呪文である。

ペットの名やアダ名と比較するとわかりやすい。
ペットやアダ名は、「白いからシロ」「小さいからチビ」というように、現状をいいあらわす記号として命名される。「本当は黒猫がほしかったから」といって、三毛猫に“クロ”と名づけるのは、よほどのへそ曲がりだけだ。
ところが、こと子供の名前となると「サルみたいだから、サルっぽい名前をつけよう」などと考える人はいない。現状をあらわす名前をつけるほうがおかしい。

子供の名前には、親の願望があらわれる。
親は、名前をとおして子供に呪術をかけようとする。

キリスト教圏では、聖書に登場するユダヤ人の名前をつけることが多いらしい。ジョン/ジャン/ジョバンニ/イワン/ヨハン(ヨハネ)、メアリ/マリー(マリア)、スティーブン(ステファノ)、ルーク(ルカ)、ジョシュア(イエス=ヨシュア)など。さもなくば、エドワード(イングランド王)、チャールズ/シャルル/カール/カルロス(フランク王)、アレックス(マケドニア王)といった偉人か。
これもまた、「その人のようになれ」という呪術だ。

ところが日本人には、宗教上・歴史上の有名人にあやかってつけようという意識は低い。
釈迦、アマテラス、空海、義経、秀吉、家康……といった名前の人には、会ったことがない。
先人に遠慮してるからではない。あやかって一字をとることはあるし、美智子妃ブームのおりには「美智子」名がドッと増えたりする。
たぶん、日本の習俗では「死んだ人の名前」をとるのが忌避されるのだ。死穢を嫌う呪術のひとつとして。

わたしたちは、呪術の世界に生きている。 

月 - 7 月 19, 2004 at 21:13 []