「聖書は啓示によって書かれたもので、一字一句正しい」なんていう人は、敬虔なのではない。聖書を読んだことがない人だ。
聖書は、誰の目にもあきらかな矛盾に満ちみちている。
『創世記』のしょっぱなから、いきなりそうだが、新約聖書も、福音書どうしがダイナミックに矛盾しあう。
初期教会の編纂者が、そうした矛盾に気づかなかったはずがない。つじつまを合わせることだって、「一字一句正しい」1つの福音書にまとめることだってできた。だが、かれらはそれをしなかった。4つの矛盾しあう福音書を、ぜんぶ《正典》として認めてしまった。
原告と被告の主張を、両方とも全面的に認める裁判官はいない。それは、判断を放棄したことを意味する。
パッケージングという護憲
2世紀ごろ、やはり「4つも福音書は要らない」と議論があったらしい。タティアノスという人が、福音書を1つにまとめようと運動を起こした。しかし、反対の論陣を張ったエイレナイオスの意見が多数派を占め、いまの形に落ちついたんだそうな。
以来2000年近く、エイレナイオスの主張が通っているわけだから、その影響力は大だが、彼の論拠とは、
- 世界を担う教会には、福音書が4つ必要。なぜなら世界は、東西南北の4つの方角から成っているから。
- 「○○の手紙」といった文書は、真正である。なぜなら、タイトルに「○○」という神聖な名前がついているから。
……これは、論拠といえるようなものじゃない。
エイレナイオスも、その支持者も、理屈なんかどうでもよく、「現行の文書をいじりたくない!」という思いがまさったのだと思う。
ひとつの《まとまり》が、確立されることを、仮に「パッケージ化」と呼ぶ。
このとき、このパッケージを崩したくないという思いが働く。一度パッケージが成立すると、今度は、そのパッケージを守るために、内容から目をそむけなければならない。
改憲論がときどき持ち上がるが、日本国憲法は手つかずのまま、あたかも聖書のように守られつづけてきた。
「護憲」という言葉は、事実上、憲法の字句をいじらないことを指す。このとき、憲法の内容には目をつぶらなければいけない。なぜなら内容に目を向けることは、その字句の当否をはかることであって、「護憲」でなくなってしまうから。
世界最古の護憲国家は、たぶんアメリカだ。200年以上にわたって、一字一句変えずに護持されている憲法は、たぶん他にない。それは、いまだに「インディアン部族」を敵視する文言が残っているほど、時代遅れの憲法でもあるが、だからといって、アメリカがいまだにアメリカ先住民を敵視しつづけているわけじゃない。
憲法という《パッケージ》を守ることと、その内容を運用することは、イコールではない。
そして《パッケージ》を大事にすることは、同時に、《パッケージ》の中味を無視することでもある。
イエスは大家族
キリスト教徒の間でさえ、「イエスは、マリアの一人息子」というイメージが強いようだ。
(※ 最近では、映画『パッション』もそうでしたね)けれども福音書には、イエスには兄弟姉妹がいることが明記されている。たとえば、
この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。
マタイ13:55-56(新共同訳)
つまり、イエスには最低でも4人の兄弟と、2人の姉妹がいる。マリアは、すくなくとも7人の子供にめぐまれている。
しかし初期教会は、イエスは一人っ子だと主張し、「イエスの兄弟は、ヨセフの先妻の産んだ連れ子だったのだ」
(先妻もたまたまマリアという名前だった、とまでいう人も)とか、「兄弟というのは、じつは従兄弟」とか説明して、一人っ子イメージを現代にまで残した。
けれども、もしイエスが一人っ子なら、
大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
マルコ 3:32-35(新共同訳)
といったイエスの教えは、意味をなさなくなる。
大家族より、母ひとり・子ひとりであったほうが、イエスのイメージはいいし、聖母マリア信仰も保ちやすくなるのは確かだ。けれども、そのために聖書の記述を否定し、イエスの教えを無に帰す——それが信仰者だというなら、かれらが信仰しているのは、聖書でもなく、イエスの教えでもない。
かれらが信仰しているのは、《キリスト教のイメージ》という《パッケージ》なのである。
その内容いかんを問わず、《パッケージ化》したものは成功し、神聖にして不可侵のものとなる。ただし、《パッケージ》総体のイメージだけがひとり歩きし、その構成要素は斟酌されなくなる。