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の存在自体忘れてました。(^^;
つづきをカンタンに。
正月に私がつらつら考えてしまったのは、日本語の《クジラ》と西洋語の《whale》は、概念的に別物なんじゃないかと。
もっといえば、西洋語圏の反捕鯨運動の背景には、「whale」という単語の用法をめぐる問題が横たわっていないかと。
捕鯨のことを、英語で
whaling
という。
たとえば
International Whaling Commission (IWC)
は、日本語では「国際捕鯨委員会」と訳される。だが、反捕鯨運動の立場からは、そうした訳語そのものを否定することになるのではないかという話である。
fishing
は魚釣り、foxing
はキツネ狩り、wolfing
はオオカミ狩り。
fish
や fox
は、魚やキツネを意味する名詞であるとともに、動詞として「魚を釣る」「キツネを狩る」を意味する。fish
や fox
という単語自体に、《狩りの獲物》という意味が内蔵されている。
whale
という単語もこれと同様であり、そうした用法や語義こそが、反捕鯨活動の攻撃対象になる。
語義を攻撃するとはどういうことか。
先例がある。たとえば反鳥猟活動としてのバードウォッチング。動詞
bird
は「鳥を狩る」を意味し、鳥猟のことを
birding
と言った。
birding
から bird watching
へ。「bird」という単語を、watch
の目的語として位置づける。「鳥は狩るものではなく、見るものだ」───獲物であるはずの
bird
を目の前にしながら、狩らずに見るだけ。いわば《おあずけ》を繰り返すことで、自分たちの中の辞書にある
bird
という名詞の語義を、狩猟対象から観察対象へと書き換えようという運動。
この運動において、鳥を観察する行為は目的ではなく手段である。バードウォッチングの目的は、鳥の観察そのものではなく、その行為を通じて
bird
の語義を変える=辞書を書き換えることにこそあった。
世間の辞書には、いまでも
birding
は鳥猟のことだと載っている。しかし、「birding」でググってみれば、鳥の観察のことを
birding
と呼ぶサイトの目白押し。バードウォッチング団体は、これまで「bird
watching」と呼んできた行動を、ただ「birding」と呼び替えはじめているのだ。birding
という言葉が、狩猟ではなく観察を意味するようになったとき、名詞
bird
も《狩りの獲物》という語義から解放される。
whale
をめぐっても、ホエールウォッチングといった活動があり、bird
の成功例をトレースしようとしている。その目的は、辞書を書き換えることにほかならないだろう。
whale
が「クジラを捕る」を意味する現状、whaling
が「捕鯨」を意味する現状を変えること。
そうであるなら、IWC(International
Whaling
Commission)なる機関が捕鯨問題をあつかうこと自体が攻撃の対象とならざるをえない。whaling
が捕鯨を意味してはならない以上、IWC
が「国際《捕鯨》委員会」であってはならないのだから。
ある種これは
whale
という言葉を狩猟対象として定義してしまった西洋人の贖罪行為かもしれない。だが、彼らがそのことを意識することはない。