石板・親指シフト・正規表現(1) 

ツール論。

『赤毛のアン』で、初登校したアンが赤毛をからかわれ、ギルバートの頭に石板をたたきつけるシーンがある。
印象に残るシーケンスだ。
その後、恋愛軸的に発展することになるヒロインとその相方の出会いの印象づけとして、作劇法のテキストでもある。
けど、ここでの主人公はアンでもギルバートでもなく、「石板」である。 

石板って何だろう。

残念ながら手にしたことがないが、生徒が銘々の石板を持つようなので、スペリングの練習をするための道具なのだろうと推測する。
私たちが学校教育において、紙のノートと鉛筆と消しゴムを与えられたように、アンの暮らした時代・場所においては、undo 可能なワーキングスペースとして与えられる道具なのだろう。
道具自体の目的性はそこにある。石板でも黒板でも紙のノートでも“らくがきんちょ”でもなんでもいい。存在論的に「untitled」であることで、「untitled」である自由を保証されたキャンパス。
けど、気に入らない相手の頭にたたきつけて、粉みじんにたたき割ることができるキャンパスは、石板の他に知らない。

『アンの物語』としては、その後アンはギルバートと結ばれるわ、みずからは教師となるわという経緯をたどる。だが、その契機は、すべてこのシーンに端を発すると思う。彼女が彼の頭に石板をたたきつけた瞬間に、彼女の将来が決定づけられたのである。
もしも彼女が持たされたのが、石板ではなく、紙のノートであったり、あるいは PC であったなら、アンはギルバートと結ばれることもなければ、教師になることもなかった。
アンがギルバートにからかわれたとき、石板を持っていなければ、拳固を使っただろう。そうであったら、ギルバートが真摯にアンに向かい合うことはなく、まして彼女が「教育」に目を向けることもなかっただろう。
石板とは、書いて、消すという目的的な試行錯誤ができると同時に、人の頭にたたきつけてたたき割ることができるツールである。お話上のこととはいえ、「石板」という物理的存在が、ひとりの少女の一生を決めたのだ。

ある一定の目的を果たすために機能的に特化されることで「ツール」とみなされながら、いわば「洩れ」の部分で意味的な意味を持つ。
あらゆるツールは、そういうものだと思う。


では、ワープロというツールは、私たちにとって何だったのか?(過去形)、という話を経て、生成文法と正規表現の現代的意義について話す予定です。
(そのための前フリエントリですが、忘れたらごめんなさい……) 

月 - 6 月 19, 2006 at 01:25 []