冒頭部で犯人と犯行手口を視聴者に教えて、刑事コロンボがその謎を解明していく独特のスタイルは、新鮮で画期的だった。
『刑事コロンボ 完全版』DVD の宣伝から(強調引用者)
ミステリならオチに当たる「犯人」を、最初からバラしてしまう。だから『コロンボ』はスゴい。 『刑事コロンボ』を評して、そんなふうにいう人は多い。はじめて見たときは、私もそういう印象を受けた。「オチから始まる画期的な番組だ」と。 けど、その印象は『コロンボ』の実態を反映していない。 各話のストーリーラインを見れば一目瞭然。
犯人が事件を起こす。 れれれ?(銭形零風) 時間軸に沿って描いてるだけで、べつに「オチからはじまって」なんかないんですけど。 「独特のスタイル」も何もない。ストーリーライン自体は、刑事もののパターンのひとつでしかない。 これのどこが、新鮮で画期的に見えたというのだろう? 前項では、ラストを知ってるか・知ってないかという物語体験をめぐって、「ラストを知ってるから、物語が楽しめるんじゃないか」というギモンを示唆した(つもり)。 だからって、「コロンボもオチからはじまるから面白いのだ」なんていうつもりはない。もうちょっと、オチとは何かという問題が、明確にしぼりこまれないと議論にならない。 その前に立ちはだかる難敵のひとつに、「ミステリ」というジャンルの物語がある。 ミステリといえば、「オチをバラしたら台無し」といわれる物語の大横綱。 ミステリで重視されるオチ=ラスト=結末とは、上でいうような「犯人と犯行手口」の2つの情報である。 犯行トリックは、犯人の正体を隠蔽するためのものにすぎないから、せんじつめれば「犯人はだれか」の一点につきるといえよう。 「犯人をバラす」なんて、万死に値する大罪。日本推理作家協会会報2005年1月号の、直井明さんのエッセイが面白かった。「犯人守秘ルール」という専門用語まであるらしいですね。 その大事な大事なオチを、最初からバラしてかかるコロンボは、逆転の発想だ! ということになるんだろうけど。 じじつ、コロンボは画期的な番組だと思える。けれども、その理由を「オチからはじまる」というミステリ的な視座で説明するのは、一見もっともらしいが、コロンボの実態とはかみ合っていない上に、論理的な誤りをおかしている。 「コロンボはおもしろい」 「オチをバラしたら台無し(面白くない)」 「コロンボはオチからはじまる」 この3つの命題は並び立たない。 どれか1つは偽になるんである。だから「オチからはじまる」といって、コロンボのスゴさを称えようとすると自己矛盾する。Q.E.D.(銭形零風) そんな説明さえもっともらしく聞こえてしまうのは、「ミステリにおけるオチ」の位置づけがあいまいだからだ。 そこがあいまいであるかぎり、コロンボの真の意義もぼやかされてしまうし、いつまでたっても「オチ」という曖昧模糊とした妖怪にとらわれつづけて、一歩も先へ進めない気がする。 コロンボと対比しながら、《ミステリ》というジャンルにおける《オチ》に検討を加えつつ、「物語とオチとの関係」を探るのが、ここからの数回のテーマになる。 というわけで、次項からミステリの殿堂に分け入ってみることにしたい。 (最近のミステリ感覚が銭形零なのは不安だけど……)
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