スティーヴ・ジョブス氏が
Apple
社に返り咲きしてから、まだ10年もたっていない。
いまでは考えもつかないことだけれども、わずか10年前には、Mac
ユーザどうしが顔をつき合わせさえすれば、Apple
社の身売り話か経営破綻の噂でもちきりだった時代があった。
みんなジョブス氏の復帰を、期待半分・懐疑半分で見ていた。伝説的な創業者とはいえ、エキセントリックな人物だと聞くジョブス氏が戻ったところで、いまさら何ができるのかと。
その頃の私は、わりとファナティックな
Mac フリークで、Microsoft
社を蛇蝎のごとく嫌っていた。
Apple
社の行く末をハラハラしながら見守っていた。
で、考えたのだ。
私にとって、最悪のシナリオとは何だろう。そんな事態が起こったとき(いかにも起こりそうだった)、一ユーザとして、自分のとるべき道は何かと。
Apple が消滅し、Mac
がディスコンされる――
一見、これが最悪のケースに思われる。
だが、Apple
ほどの大企業がそうむざむざと消滅することはない。かならず起死回生のための悪あがきをする。
その悪あがきとして、Apple
社がビル・ゲイツ氏を
CEO に迎えたり、Micorosoft
社に吸収されたりすることがあったら――
これぞ、まさに最悪のシナリオだ(当時の私にとって)。
Windows
のニオイのするゲイツ製
Mac
なんて見たくもない。それで
Mac
がディスコンを免れたとしても、もはやそれは、私にとって
Mac
ではない。
こんな事態が起こったとき、私はゲイツ氏や
Microsoft
に非難のノロシを上げるべきだろうか?
上げてはならない。
私にできるのは、ゲイツ氏にエールを送ることだけだ。
そう思い至ってガクゼンとしたが、どう考えてもそうなのだ。
私の望みは、一刻も早くジョブス氏に復帰してもらい、以前の
Mac
らしさを取り戻してもらうことだ。あるいは、せめて1機種でいいから、ジョブス氏指揮下での“ホンモノの
Mac”をリリースしてもらうことだ。
ところが、この希望を言挙げすることはできない。
そんな希望を表明してしまった瞬間に、実現性が永遠に絶たれてしまうから。
批判勢力が希望する人事や製品にゴーサインを出す企業など、この世のどこにも存在しない。
だから私が絶対にしてはならないのは、ゲイツ氏を批判したり、ゲイツ氏体制下の新製品を非難したりすることだ。それをした瞬間に、私の希望に耳を傾けてくれる人間は、Apple
社内に誰ひとりいなくなる。
私の希望を通すには、自分の思いを隠しとおさなければならない。
むしろ積極的にゲイツ氏の手腕と威徳を褒め称え、彼の経営再建を後押しし、Apple
が難局を乗り越えて盤石の体勢が整うのを見定めてから、「ジョブス氏みたいな製品も、たまにはあってもいいのでは?」と要望を出してみる――せいぜい、それしか道はないのだ。
10年近くがたち、あらゆる不安を払拭して、ジョブス体制下の
Apple
は盤石そうだ。
そして、いまの私は、さほどの
Mac
ファンでもないし、反
MS
でも何でもない。それでも
Intel Mac
には、ひとつの大きな時代が終焉を迎えたという事実を、まざまざと突きつけられた思いがする。
10年前の私の心配は、杞憂に終わった。けど、現在の
Mac
のありかたは、かつて私が
Mac
に望んでいた方向性とは真逆に進んでいる。
その点では、本当に杞憂に終わったのだろうか? と思いもする。
だが悔しいかな、私は
Intel Mac
を買うだろう。
私の願いは、永遠にかなえられそうもない。
だが、Apple
の選択につねにエールを送りつづけるかぎり、可能性がゼロになることも、また永遠にないのだから。