久々に両親に会って言われた。
「最近何してるの? ネットで検索しても、よくわからなくて」
いや、だから息子の動向を
internet
で検索する親がどこにいるのかと。(^^;
本人に聞けと。
あなたが、あなたの血縁者やあなた自身についてネットで検索し、何か「情報」が得られたとして、それははたして「正しい」だろうか?
先日放送された『着信アリ』に、こんなシーンがあった。
ケータイに呪いの電話がかかってきた少女(小松彩夏)に取材陣が詰めかける。けど、彼女がケータイを捨ててしまったと知り、ディレクター(田中要次)はAD(藤井樹)のケータイをとりあげて少女に渡し、「それが呪いのケータイですね!」等と取材をつづけようとする。
《ヤラセ体質》とやらを揶揄するシーンなのかもしれないが、TV
カメラもケータイも、コミュニケーションツールなのだ。
カメラは、レンズの前にある映像を人に伝える。たとえ、それが「ヤラセ」であろうと。
ケータイは音声を伝える。たとえ、それが「呪いのメッセージ」であろうと。
カメラにせよケータイにせよ、伝達するのは、現実としての映像や音声ではなく、メッセージを伝えようとする「人の意志」なのである。
——と私が書き、あなたが読んでいる。
私は、私が伝えたいことをあなたに伝えたいがために文章を書き、internet
に流している。あなたに何がしかを伝えたいという意志がなければ、私がこの文章を書くことはありえない。この文章が「情報」として
internet
上に流れるのは、私があなたに伝えたいメッセージがあったからである。
「情報」は「事実」ではなく、「メッセージ」なのだ。
では、そうしたメッセージ群の中から、どうやって「事実」を抽出するか? →検索性
個別のメッセージに対して応答し、さらに「事実」を追求するには? →アーカイブ性
というように、internet
というメディアから「事実」ないし「知」を導出するためには、対象が静的であることが求められる。そうでなければ、検索も応答もできない。リンクは、リンク先が
404
だったら何の意味もない。
ところが
internet
の特質は(掲示板がそうであるように)動的であることにある。
では?